第八話 道化
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矛を構える一人の老人。対抗するべく無手で構える男性。周囲の機械兵たちが巨人と屍に破壊され、鋼鉄の悲鳴が大地を揺らしているというのに、彼らのいる場所だけは異様な静けさが支配していた。
「いざ、いくぞ!」
アイザックが一歩踏み込んだ。たったそれだけで常人の視界からは消え失せる。最早一つの長い音にしか聞こえない足音が響き渡って。
刹那、直感と己の捉えたものを信じ、テュールは一歩後ろへと下がった。
「つぅ……!」
「ぬぅぅん!」
結果として『勇者』の圧倒的な身体能力は死を回避した。目前を頭上から振り落とされた槍が通り過ぎて行って、鼻先から出血する。完全に避けたつもりだったのに。
その事実をかみ砕き冷や汗をかく暇さえ無い。既に次の必死は迫っているからだ。
「ぐっ、く……そ!?」
「なんじゃ! なんじゃ! その程度かぁ!」
長物とは思えない速度と巧みさで次々と放たれる連撃。速く正確で当たれば一瞬で勝負が付きかけない刃に、テュールは防戦一方だった。
一般的に『勇者』と『魔神』は同類に定義されているが、実際はこれだ。同じ人間兵器の中でも差は存在する。己の立場を理解し、あくまで異能を操ることばかりで戦ってきたテュール。逆にアイザックは一族の長として最前線で戦うことを善しとし、矛を振るい続けてきた男だ。
もちろんテュールだって自分の力に溺れて鍛錬を怠るような真似はしていない。地道な努力はいつでも行っていた。だが、違う。戦場の中心に立ち続けてきたアイザックとは練度が違うのだ。
その差が致命的な場面で、致命的な状況を加速させていく。
「どうした!? 素手でかわしているだけじゃなく何かしてみせんかぁ!」
「言われなくても……」
中段より繰り出された渾身の刺突は、例え武の道を志す者だったとしても瞳では捉えることさえできないだろう。『勇者』であるテュールならば目視できるが、それでも回避できるわけではなかった。
故に防御を選ぶ。空っぽのはずである拳。だというのにまるで本当に何かが握らているかのようにテュールは矛先に合わせ、
「──してやる!」
「ふっ、そ……っ!?」
甲高い音を奏で槍が弾かれた。一瞬だけ生まれた隙を逃さぬとばかりに、続いてテュールの手が奇妙な形でアイザックの顔へと構えられた。楽しげな笑みで迎え撃つアイザックだったが、何かを“引く”ような動作を見た途端、血相を変えながら首を傾け、
「外したか」
「は、ははは! 今の驚いたぞ」
発破音が響き渡ると大きくアイザックが飛び下がり、互いの手が止まった。満足そうに笑うアイザックの表情にも薄っすらと冷たい汗が伝っている。
「だがまあ、ネタは単純だ。確かにそんな人形を好きなだけ作れるなら武器ぐらい簡単だろうよ?」
「……答える義務はない」
「そう冷たくするな。ワシはヒューマンは嫌いでも、強い奴は好きだぞ?」
いっそ彼からしてみれば、これは武術の試合か何かなのだろうか。得物を向けようとも確かに殺意の中に敬意も含まれているは分かる。とてもテュールには理解できない在り方だった。
きっとそれが軍人と武人。似たようで違う双方の立場の差なのだ。
「しっかしのう。さすがにそこまで素早く武器を作って、消せるのは予想外じゃ。ワシでも完成した瞬間が見えないほどの……いや」
自分の口にしたことを小さく否定。僅かな思案を経て、その表情は答えに辿り着いた明るいものへと変化する。
「貴様の力。ものの創造じゃなく召喚じゃな? だから呼び出すのも送り返すのも一瞬と、そういうわけか」
「…………」
「わかりやすいのう。ちっとは嘘を覚えた方がいいぞ? もうすぐ死ぬから手遅れじゃがな」
図星だった。無理に隠す気も無かったが、異能の詳細を的確に見極められ心理的にも追い詰められている。
「もし、貴様が魔力の尽きぬ限り延々と盾でも生み出せるなら。援軍が到着する前に仕留め切れるか、正直自信が無かったが……」
その通りだ。今のテュールが生き残る唯一の道は、王国軍の救援が間に合うこと。それたった一つ。別の『魔神』であるエルヴィンを突破できたら、という絶望的な条件も付随するのだが。
そもそも今の盤面に持ち込まれたテュールの失態だ。甘んじて受け入れよう。
「他所から呼び出してるだけなら話は早い。どれだけ貯蓄しているかは知らんがな」
それでも、この男の凶悪さだけは聞いていない。
「──一万も叩き割れば在庫も無くなるだろうて。さっさと終わらすか」
あまりに凶悪で獰猛な存在は。まさかここまでとは想定外だった。
「いくぞ!」
「ぐっ……!」
やるしかない。実力の隔たりを見せられても、やるしかないのだ。できなければ死ぬ。そして王国軍は一気に敗北へ転がり落ちる。それだけだ。
覚悟を決める、そのはずだったのに。
「……? エルヴィン! どこまで行く気じゃ!? 戻ってこい!」
訝しげに眉を潜めたアイザックが、機械兵を叩き潰していた巨大な少年に怒鳴りかけた。だが、テュールの兵士を痛めつけるのがどうしてか楽しいのだろうか。聞こえた様子も無く次々と踏みつぶしては、新たな獲物を探していく。
少しずつ、アイザックとテュールから離れていくように。
「聞こえんか!? それともしらばっくれてるのか!? ワシを無視するとはいい度胸だな!」
エルヴィンは止まらない。次々と機械兵を潰していく。おかしい。いくら何でもアイザックの言葉に逆らうとは考えにくい。何よりテュールはあんなところにまで機械兵を展開した覚えはない。
そう、まるで。何かに騙されているような──
「まさか」
「そのまさかよ」
優雅に。場違いに。振袖を振りながら一人の女性が現れる。獣人族特有の獣耳を楽しげに揺らして、小さく微笑んだ。
「貴様……」
「これで二対二でしょ?」
ヴァンパイア一族の長の眼光も、苦笑一つで受け流してしまう。
「通り名を“道化師”。『勇者』ハンナ、推参するわ」
「推参するじゃない! 君、自分の持ち場はどうしたんだ!? 『勇者』が抜ければ戦力は大きく落ち……」
「私の“影”を残してきたわ。それでちょっとは大丈夫でしょう」
「ほとんど持たない! すぐにでもばれるぞ!」
「助けに来てあげたっていうのに。失礼ね」
その通りだ。彼女は善意なのか、何か意図があるのか、どうだか知らないがテュールを助けに来てくれた。命の恩人だ。いくらでも感謝は述べよう。
だが、全体の戦況を顧みれば、王国の軍人として頂けない行動に過ぎる。テュールが敗北することは全体の敗因になりかねないが、今のハンナは現在進行形で敗退のリスクを背負っていた。
それこそテュールの命一つでは釣り合わないリスクだ。
「とにかく、今すぐに……!」
「なんじゃ、なんじゃ。ワシと楽しくやってたというのに」
離脱しなければ。そんな一言は苛立たしげな様子のアイザックによってかき消された。心底不服とばかりに怒りをはらんだ炎が瞳の奥に渦巻いている。
楽しい楽しい戦いを取り上げてくれるなと。
「エルヴィンがおかしくなったのも貴様の幻覚だろうが、魔法の小細工でワシを騙せるかと思ったら……」
「 「 「残念、小細工には違いなくても根本から原理が違うのよ。私のこれは」 」 」
ハンナの声はいくつにも重なって響いていた。それも当然か。何故ならそこら中を埋め尽くすように、着物姿の狐人の姿がひしめき合っていたのだから。
「な、君が……」
「本物かどうかはわからない。私の幻は全部が本当で全部が嘘。この世界を舞台にした道化の演出にすぎないわ」
突然腕を引っ張られ、されるがままに駆け出す。口にした疑問も、本気なのか冗談なのかよくわからない曖昧な回答で濁されてしまった。
ふと視線を周囲へ向ければ、同じように“ハンナ”に連れられる“テュール”が蜘蛛の子を散らすように駆け回っている。自分が本物なのか、それさえ心配になってくるような異様な光景に息を呑むしかない。
「アイザックは……」
「これだけバラまいておけば私たちがどれなのかわからないわよ」
同じ顔が立ち並ぶのを見ていれば、確かに追跡は困難だろう。どれか一つを追い、それが間違いならばその時点で本物は逃げ切れる。殊更、逃げに関しては最上に近いのが“道化師”の異能だった。
だが、この場の状況を乗り切ったところで、大きすぎる問題を抱えていることに違いはない。
「すぐに南門に戻れ。君の不在に気が付いた連邦軍が何か仕掛けてくる」
「ええ、もちろん。それは困るわ」
先の戦場からここにまで命を奪い合う音が響き渡る。軍人として全体の勝敗を、そして元同僚の無事を祈って、テュールは走り続けた。




