第六話 戦場の視点
それはエリアスにとって当たり前のような日常の光景だった。人生の半分をその中で過ごし、不本意ながらも正に“当たり前”としか言いようのない地獄。そう、地獄だ。
だから、今のエリアスがその場面を前にその感情を抱くのは、それこそ当たり前なのかもしれない。これまではただ感覚が麻痺していただけなのだから。生きる意味を見失い、終わりを求めた末に地獄へと飛び込んでいただけなのだから。
──次々と兵士が命を落としていく光景を前に、エリアスは恐怖していた。
連邦の戦力である魔族たちが城塞都市の門の前に陣を作り、攻め落とさんと牙を剥く王国軍を迎え撃つ。ある者はヒューマンの矢に首を貫かれ、ある者はヒューマンの心臓を抉って見せる。
それが数えるのも馬鹿馬鹿しいほどに起きていた。
戦場では命の価値は両極端になる。一人の将軍の死が大きく戦況を傾けることもあるのに、同時に無名の兵はいくら死のうと数字としてしか扱われない。あまりに恐ろしい世界。それは正しく地獄なのだ。
「は、はは。久しぶりに見るとほんとに酷い」
「顔色悪いけど大丈夫……?」
つい半年ほど前までは、魔族なんて皆死んでしまえという考えだった。どうせ不幸しか生み出さない悪の種族なのだから、と。味方であるヒューマンに関しては特に意識を向けることさえ無かった。
だが、今なら分かる。理解できてしまう。この戦場に悪などいないのだ。たまたま王国軍が攻めているだけで、状況が変われば今度は連邦が王国に攻め入る。それを防ぐためにヒューマンは魔族を殺し、また魔族も同じだ。
誰しもが国を守るために戦っている。憎悪から剣を取るものもいるかもしれないが、その根本にも結局は親しい人間の弔い合戦などだろう。誰も悪い人間がいないはずなのに、それでも戦争は終わらない。
「大丈夫じゃないけど大丈夫だ。俺が怖がる資格なんて、とっくに無いからな」
だが、それを嘆くことも恐ろしく思うことも、エリアスには許されない。地獄の大きな部分を形作ってしまったエリアスに、そんな資格はないのだ。今許されることは武器を構え、いつでも敵を打ち倒す準備を整えることのみ。
ただその先に続く道が破滅か、救済か。その違いだけが今のエリアスから迷いと恐怖を打ち消すのだ。
「ワーウルフが突っ込んでくるぞぉ! 冒険者たちは迎撃しろ!」
ふと横合いから砂煙を巻き上げ、王国軍に肉薄する集団が見えた。全身を漆黒の毛で覆い四足歩行で駆け巡る、ワーウルフの部隊だ。連邦軍は何も目の前の都市にのみいるわけではない。
周辺の落としきれていない砦からも次々と戦場に参陣する。あれもそうやって外側から王国軍を強襲しようとした軍隊であり、それを止めるのが冒険者たちの仕事だ。
号令がかかり一斉に冒険者たちに緊張が走る。しかし、対処は素早い。弓と魔法を扱うものたちが狙いを定め、
「吹っ飛ばせぇ──!」
それは誰の咆哮だったのか。一斉に矢が、魔力で生み出された凶器が。平原を駆け抜けるワーウルフたちを貫いていく。騎兵並みの加速は一気に鳴りを潜め、突破力が弱まったところに冒険者たちは武器を構え突撃した。
「みんな、離れないように!」
「もしはぐれたら無理せずに下がってくださいね。その時は日が暮れてから合流しましょう!」
レオンとセレナが何度も聞いた約束事を叫んだ。少ししつこいと思わなくもないが、それは仲間の身を案じるが故の優しさだと、今なら分かる。そこら中から響き渡る雄たけびに言葉をかき消され返事はできずとも、確かにエリアスは頷いて。
瞬間、冒険者とワーウルフは衝突した。
「ヒューマンどもを殺せぇぇぇ!!」
強靭な爪が先頭の冒険者たちの肉を抉り、負けじと放たれる刃がワーウルフの毛皮を引き裂く。完全に勢いの潰えたワーウルフの部隊は立ち止まった。真正面からのぶつかり合い、そのまま乱戦に持ち込まれる──本来なら。
「付き合う必要はねえぞ! 一太刀くれたらずらかれ!」
「なっ、こいつら……!」
だが、ここにいるのは王国のために身を削って戦う兵士ではなく、金銭目当てに雇われた冒険者である。命を賭ける覚悟など欠片ほども持っていない。
だから戦いはこれでお終い。ワーウルフたちが足を止めたのを確認するや否や、一斉に懐から取り出したのは魔水晶。刻まれた術式は、純粋な衝撃。それだけ。
「全員揃ってるな!?」
「おうよ!」
「大丈夫です。ソラさんたちは……」
「平気、エリィもいるよ」
安価な魔水晶程度が起こせる衝撃などたかが知れている。だが、地面に勢いよく叩きつけられた魔力の塊はワーウルフたちの足元で破裂し、僅かな足止めと砂煙を起こすことには多大に貢献した。
その隙に冒険者たちはパーティーの無事を確認しつつ離脱する。そして、取り残されたワーウルフたちの正面、煙幕の向こう側に新たな人影が現れて、
「突撃ィ!」
正規軍がワーウルフたちに止めを刺していった。これが冒険者たちの戦い方だ。
正規軍ならば、指揮官の命令一つで最期まで戦い続けるだろう。徴兵された民兵であれば、何が起こったのか理解できずに命令のままに動くだろう。
だが、冒険者は自分たちで判断する頭と実力を持ちながら、指揮官の命令全てに従うわけではない。
合理主義な世界の住民である彼らは、死んで英雄になるぐらいなら、生きて戦犯になって見せる。それを正規軍もわかっているからこそ、冒険者には期待しない。ならば期待しないなりの使い方をするまでだ。
それが決して無駄ではないことは、目の前の粉砕されたワーウルフの部隊が証明していた。
「い、一般兵目線だとこれしんどいな……!」
安全なところまで一旦下がり、エリアスは息を付く。想像以上に、生身の体で戦闘を繰り返すのは辛いところがある。体力の問題だけではなく、精神的な疲労が。
これまでのようにひたすら剣を振り続ければ死体の山が完成する、そんな力は最早無いのだ。
「エリアス、無理はしないでくれよ。俺たちは……こんなことっては悪い言い方だけど。こっちの戦いにばかり集中するわけにはいかないんだ」
「ああ。肝心な時に動けなくちゃ、意味がないからな」
目の前の戦場から注意を外すのは論外だ。一瞬の油断が命取りになってしまう。だが、同時に周囲にも意識を向け続けなければならない。何か異変が起きていないか。
そこら中から悲鳴や雄たけび、爆発音が轟く戦場の中でもさらに際立つ異変。そう例えば、
「──!?」
──西の戦場に巨大な人影が出現するとか。
それは突如として現れた。五メートルは軽く超えるような巨大な人間、つまりジャイアント族の姿だった。それだけなら別に驚きはしない。多くのジャイアント族も連邦軍に含まれているし、その姿があるのは当たり前だ。
問題はその顔だった。エリアスは、否、前線に出る者なら誰もが知っている。何故ならその容姿は要注意人物として情報が拡散されている魔族──『魔神』の一人なのだから。
一体どこから現れたのか、そういう疑問はもちろん存在する。だが、それ以上の焦燥感がエリアスを支配していた。
「エリアスの嬢ちゃん。あの位置は、ちっとマズいな」
「テュール……!」
彼の巨人はアイザックと交戦するテュールの背後を取るように出現していて。何も助けを送れない己の無力さを恨みながら、エリアスは古い知人の無事を祈るほかなかった。




