第一話 密かな帰還
お待たせしました。さすがに遅くなりすぎましたので、ひとまず週一投稿で再開しようかなと思います。
それでは「ひとりよがりの勇者」の第四章もよろしくお願いいたします。
静まり返った夜。虫たちの合唱さえ消え失せてしまったその地は、十年にも渡って血が流され続けた戦場の最前線。ヒューマンたちの祖国、王国の砦の一つだった。
小さいながらも確かな意味を持つその拠点は、犬一匹も通さぬとばかりに目を光らせる兵士たちによって、警戒を張り巡らされている。
文字通り、彼らが最も警戒しているのは"犬"なのだが。
「全く、この静けさにも慣れてきちまったな」
「同感だ。寝れないほど騒がしいのも考えものだけど、王都の酒場が恋しいよ」
二人の兵士はお互いを慰めるように軽口を叩きつつも、その瞳は一切の油断無く砦を囲む平原へと向けられていた。適度な緊張感を保ちつつも、肩からは力を抜く。その姿には確かな経験と、統率が行き届いているのが垣間見えて、
「──次の戦いが終わったら王都に少し戻れる。それまで酒は我慢してくれ」
「っ!?」
突如、背後より聞こえた男の声に兵士二人は勢い良く背後へ振り替える。矛先を向け、松明の炎と月明かりがその人物を照らし出す。
「テュ、テュール隊長……。驚かさないでくださいよ……」
「すまないすまない。こんな場所では、娯楽も何もないものだから。ほんの出来心だ」
「その出来心で心臓止まりかけるこちらの身にもなってください!」
抗議の声にいたずらっぽく笑みを浮かべ、小さく謝る男──テュール。人の身でありながら戦略兵器として扱われる『勇者』とは思えないほどに、彼と部下の兵士との間には確かな信頼関係があった。
「それで、こんな真夜中にどうしたんです? 特に異常はありませんが」
「まあ、外の空気を吸いたかったのと……」
「と?」
そこで僅かに黙り込む。不思議そうに首をかしげる兵士に、テュールは苦笑を浮かべた。
「少し散歩にな」
「……散歩、ですか」
散歩とは言ってもここは戦場の最前線。いくら強大な力を持っていようと、そう独りで歩き回って良い場所ではない。
「なるべく早く戻ってきてくださいよ」
「貴方がいないと我々だけでは守りきれませんからね」
「分かってる。なに、半刻もせずに戻ってくるし、そう遠くにもいかない。安心してくれ」
だが、顔を見合わせた二人の兵士は、渋々ながらも彼の暴挙を許した。テュールが慎重な人物だと理解しているのもあるが、それ以上にその強さを信頼を持っているから。
それもまた、『勇者』と兵士の間の信頼関係の一つだった。
「私とここで話したことは内密に頼む。代わりに王都で高い酒を奢ろう」
「おぉ、マジですか!」
「バカやろう。声がデカいんだよ!」
慌てて口を紡ぐ姿を一瞥して、テュールは音も無く平原に降り立つ。僅かな緊張を携え、『勇者』は闇夜に消えていった。
☆ ☆ ☆ ☆
暗い暗い森の中を進む。
背後からは砦の灯りが輝いているが、せいぜい帰り道がわかる程度。真っ暗闇な森林地帯を照らすほどの力はない。
だが、テュールは『勇者』であり、同時に優秀な軍人だ。全くの暗闇でなければ足を取られることはないし、そうであったとしても魔法で周囲の地形を関知する程度は訳がなかった。
それに、今回は目的地がはっきりしている。故に一見何も見えない空間をテュールは迷い無く進んでいく。砦の中から感じた魔力の残り香。それが間違いなければ、
「エリアス……なのか?」
青白く森が輝いていた。ここまで近づかなければ目視できないような、ほんの些細な魔法の気配。半年前に行方を眩ませた蒼い『勇者』の名前を困惑に乗せて呼ぶ。
「ああ、久しぶりだな。テュール」
そして、望んでいた返事はあった。しかしそれの予想外の事柄があったとすれば、
「すまない。君は誰だ?」
「俺だよ、俺。こんなんになっちゃったけどエリアスだよ」
捉えた姿が”狂戦士”の名があまりにも似合わない少女だったことだ。彼女はテュールの姿を確認すると手の中で小さく輝かせていた雷を収める。
そのようなこじんまりとした魔法の扱いも、どこか記憶の中の青年とずれてしまい困惑は深まるばかりだ。
しかし、感じる魔力の規模が小さくなってしまっても、その性質は確かにエリアスのものに違いない。
「私の知っている限り、エリアスは男だったはずなんだが」
「見ての通り今はこんなちびだ。ほんと、納得してないのは俺だっての」
悪態を付く姿は確かにエリアスのそれに重なる。だが、姿が異なるせいだろうか。目の前の少女ほどエリアスは表情豊かではなかったはずだ。
確かに一蹴にはできない。しかし、明らかに記憶の中の彼と目の前の彼女には違いが大きすぎる。ますますかしげる首の角度が深まっていく中、青い少女は仕方なさげにため息を付いた。
ほんの少しの沈黙。しかしすぐに顔をあげて、
「キールの墓参りは、この間済ませたよ」
「──っ。君、本当に」
「信じられないのはわかるけど。お前だったら魔力の形だか色だかでわかるんだろ?」
エリアスしか知らないはずの名前。エリアス以外に知っていたものは、全員共に命を落としてしまったとある少年騎士名前。
間違いなかった。確かに納得できないところはあったとしても、目の前の少女はエリアスに他なら無くて。
「それで、本当にどうしてそんな姿になっているんだ?」
「だーかーらっ! 俺に聞くな! 力も奪われて、こんな姿にされて、俺も訳わかんないんだよ!」
行方不明になっていたエリアスが再び無事な姿を表した。それは喜ばしいことだ。しかし、何故青年だったエリアスが、少女になっているのか。全く理解が及ばない。
「いや、しかしな。あのエリアスが、こんな可愛い姿に……くははっ」
「笑うんじゃねえ! 力を奪っていったのはわかっても、ほんとどうして性別まで……おかしい、絶対におかしい」
押さえ切れなかった笑みが口の端から溢れる。それに全身で抗議する姿は、確かに口調こそ乱暴であっても年頃の女性にしか見えなかった。
しかし、それでも。どこか彼女がエリアスである片鱗を覗かせていて、テュールは優しげな表情を浮かべる。
「お帰り、エリアス。戦場を離れて何か吹っ切れたのか?」
「……色々な。あったんだよ」
どこかバツが悪そうに顔を背ける姿に、悪いものは感じられなかった。当たり前だ。あれだけひどい姿だったエリアスが、こうして素直に雑談に乗る程度の余裕を見せている。
体が変化、あまりにも別人の姿になってしまったことを除いても。今のエリアスはこれまでで最も生き生きとしている。少なくとも、テュールにはそう捉えることができた。
「とりあえず一緒に来るんだ。軍人として君をエリアスだと認めるには証拠が足りないが、個人としてなら少女一人ぐらい匿える。砦で何があったのかを……」
「いや、ごめん。王国軍に戻る気はない」
半年前に何故行方を眩ましたのか。どうして少女の姿になっているのか。聞きたいことは山ほどある。
とにかく落ち着ける場所へと、砦への帰路へ振り返ろうとして。それを止めたのは他でもない、エリアスだった。
「俺ももう見た目通りの力しかない。戻ったところで戦力にはならないしな」
「なら、どうして」
「──やらなくちゃいけないことが、やりたいことができた。そのために、お前に協力してもらいたい」
戸惑うテュールにエリアスは一束の書類を突き出す。何十枚にも渡って書き綴られた資料だ。咄嗟に受け取ったテュールは軽くそれを流し読みして、目を見開いた。
「これは……?」
「俺の仲間が纏めた情報だ。この戦争が、王国でも連邦でも無く。他の連中が起こしたものだって言って、お前は信じるか?」
真剣な瞳を向けられて、テュールは頭の中の情報を整理する。
十年前から今日まで続く王国と連邦の戦争は、元を正せば国境に沿って広がる山脈地帯の領土権を争って発生したものだ。
人が立ち入るにはあまりに険しく、そのわりには大した資源も存在しない極寒の山々は誰からも目をつけられず、故に国境も明確には定まっていなかった。
そもそも調査さえ困難なのだ。自然と山脈そのものが国境の代わりとなり、それ自体はどこの領土でも無かったというのが正しい。
しかし、十年前に状況は変化する。冒険者ギルドからとある情報がもたらされたのだ。曰く、山脈に古代魔法帝国の遺跡が発見されたと。
古代の文明の遺産は莫大な利益を生みかねない。両国は長年放棄していた土地の領土権を主張し合い、緊張が広がった。
挙げ句の果てに、国境へお互いの軍が展開し、激しいにらみ合いとなる始末だ。
それだけなら、まだ戦争にはならなかった。軍はただの牽制でしかなく、お互いに全面戦争など望んではいなかった。
しかし、きっかけは誰にも予想できず、訪れてしまう。
連邦の展開していた部隊が、一夜にして連絡を絶ったのだ。それを知った連邦政府は王国の攻撃だと判断。宣戦布告を行わない不意打ちだと激しく抗議した。
しかし、王国は関与を否定。連邦のデマだと一蹴にし、連邦の堪忍袋の緒が切れた。
国境付近に展開されていた王国軍は連邦の攻撃を受け、双方半壊の被害を被る。お互いに宣戦布告の存在しなかったそれは、最早ただの殺戮でしかなかった。
そこに政治的意図は何もなく、元より友好的とは言えなかった両国の戦いの火種は燃え広がり続ける。
そして現在まで、沈下する気配はなかった。
「今でも連邦に不意打ちを行ったことを王国は認めていない。先走った地方貴族の仕業と言うのが諸説だったが……」
「教会が、それをやった可能性は十分あるだろ」
決して否定はできなかった。元々、連邦は王国を、魔族はヒューマンを毛嫌いしていた。覚えのない敵意を向けられるヒューマンたちも自然と魔族を嫌悪し、戦争の火種はいくらでもあったのだ。
それが爆発する切っ掛けを第三者が用意した。理解できなくは、ない。
「それで、君は私に何を頼む?」
「信じるのか?」
「私にも覚えならある。もちろん、これだけで軍は動かせないが、個人として頭にいれておきたい」
軍の上層部に戦争を継続させようとする者は何人か心当たりがある。これ以上、戦争続けても損失の方が大きいのにだ。もしかしたら、彼らも教会の息がかかっている可能性はあるわけで。
その明らかな証拠が手に入るのならば。戦争を終結させる切っ掛けにもなるかもしれない。少なくともこのままでは両国共倒れの未来しかないだろう。
「じゃあ聞いてくれ。教会の狙いは二つの国を疲れさせることと、『勇者』と『魔神』。その力を奪うことだ」
「現在の両軍は私たちの力に依存しているところが大きい。それを回収してしまえば……」
「あとは軍隊の残りカスだけって訳だ」
最大の戦力を失い、それどころか敵に回った場合を考えて眉を潜める。純粋な戦力だけなら確実に王国軍は敗北する。それはきっと、連邦も同じだろう。
「けど、『勇者』から力を奪うなんて、そう上手くいかないだろ? だから他に気をとられている時期に……」
「来月の攻勢、か」
「俺たちはそこに出てくる教会の連中を取っ捕まえる」
王国軍が来月、連邦の最前線の都市へ進軍することは周知の事実だ。どうせ大きな動きがバレると言うのなら、国民の扇動のために公表してしまおう、という訳である。
大規模な戦いになるだろう。その戦場で隙を晒すことは否定できない。
「戦力を貸せとは言わないぞ? ただ俺たちが教会の相手をしている間に、王国軍に不審者だって狙われちゃ堪ったもんじゃない」
「邪魔をするな、ということか」
「ああ。そういうことだ」
確かにテュールは立場上、個人的に戦場で動くことは難しい。全てエリアスと仲間たちとやらに任せてしまうのが楽だろう。
だが、しかし、
「王国軍は国民のために戦っている。今は軍も政府もそうではないみたいだが、私は戦争を早期に終わらすべきだと考えているんだ。軍を動かす理由ができたなら、指揮下の部隊だけでもすぐに協力しよう」
テュールは、嫌というほどに見えてきた。国同士の身勝手な戦いに巻き込まれ、住む土地を失った国民を。彼らを守るのが本来軍人の仕事のはずなのだ。
そうだというのに、テュールは何もできなかった。ただ戦争を続け、部下を消費し敵を倒すだけの男にしかなれなかった。
今からでも、この悲劇を終わらせられるというのならば。
「国民を守る、それが私の信念なら。可能な限りの協力は惜しまない。無論、君の言葉が正しいと確信をしてからだがな」
「……は。まあ、お前はそういうやつだよな」
力強い視線を受け、エリアスは困ったような、しかし同時に安心したかのように苦笑した。
「しかし、な。教会か……あの古代の帝国を崇めているやつか?」
「それだな。俺も表向きがどうなってるのか、あまり詳しくないけど……」
「なら”予言者”には気を付けろ」
「なんであの爺さんを?」
小首をかしげる少女の姿に頭が痛くなる思いだ。本気でエリアスはテュールの言葉の意味を理解していない。
こんな可愛らしい姿になっても、やはりエリアスなのだなと変なところで納得してしまった。
「彼は教会の、クリフォード教の信者だ。それも教王と面識があるほどの」
「なっ……!?」
「本当に教会が関わっているのなら彼も何か知っているはずだ。それこそ内通者の可能性は大いにある。……”予言者”が熱心な信徒であることは、軍関係者なら誰でも知っていることだがな」
「他人との関わりなんて、全然無かったしな……」
キールとその舞台が文字通りに全滅してから、既に五年ほど。元々無気力で生きた屍のようなエリアスだったが、キールの死後は怒り任せに剣を振るう悪魔のようで。
どちらにせよ、真っ当な姿ではなかった。キールたちと居たときは明るい姿を見せることもあったが、それ以外の人間と関わる姿は見たことがない。
「大変なことに首を突っ込んでいるようだが、今は楽しいか?」
「はぁ? なんだよ急に」
「十二の頃から君を見ているんだ。少しは気にかけもする。その様子じゃ、心配は無用みたいだがな」
少なくとも今のエリアスは生気に溢れていた。同じ『勇者』として、弟のように──今では娘ようにか──勝手に思っていたテュールにとって喜ばしいことだ。
そんな眼差しを向けると、エリアスは照れ臭そうに顔を背ける。そんな反応もまた、以前では考えられないことだった。
「それじゃあ、俺は行く。直接会うのはこれで最後かもしれないけど、頼むからな」
「任せておけ。資料もしっかり読み込んでおこう」
「ああ、そのことでもう一つ」
背を向けたエリアスが、ふと立ち止まる。青い髪のかかった小さな背中は、どこか躊躇いがちに震え。不安な様子を掻き立てていた。
「どうした?」
「『勇者』ってのは『宝玉』を埋め込まれた存在なんだ。そこにも書いてあるけど」
初めて聞く単語に疑問符が浮かび上がる。
「でも、俺にはそんなことされた覚えはない」
「それは私も……」
「なあ」
心臓が激しく鼓動する。知らず知らずの内に背中を汗が伝っていて、
「俺たちはいつ、『勇者』になったんだ?」




