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ひとりよがりの勇者  作者: 閲覧用
第三章 滅びの記録
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第十四話 探究者「セレナ・ハミルトン」

 安定した実験体を『プロトタイプ』と定義することに決定した。恐ろしいことに『プロトタイプ』は既に八百二十一時間以上も生存したまま安定している。今では言葉を話せるほどに意識も回復していた。これは、もしかするかもしれない。

 静かな研究室に紙をまとめる音が響く。『宝玉』に関する実験データを読み込んでいた銀髪のエルフ、白衣姿のセレナは目に痛みを感じて頭を押さえた。

 その目元にはクマが濃く、美しいはずの長い銀髪は艶を失っている。ひどく細められた瞳で資料に目を通す姿は疲労困憊と呼ぶ他に無かった。だが、それでも彼女は研究を続ける。そうでなくては命が危ないからだ。セレナだけでない。連帯責任という名目で職員全員が危険に晒される。


「……私、どうしてこんな」


 うわ言のように自問が口から零れる。最初は夢を叶えたかっただけだった。古代のオーバーテクノロジーを解明したいと、そう願い努力して研究員の立場を得たのだ。なのに今では教会の直轄の研究所とやらに閉じ込められ、過酷な労働環境に身を置いている。

 これでは奴隷と何も変わらない。セレナの夢は未知の世界への憧れだったのに。命令される研究の内容も徐々に非人道的なものへ変わっていく。それに気が付いていても、命が惜しいセレナは従うほか無かった。


 勇気があれば現状を変えられたのだろうか。或いは誇りがあれば。悪用されるであろう『宝玉』を破壊し、自ら喉を掻き切ることができたのだろうか。

 しかし、あまりに遅すぎる。既に疲弊しきった心身にそのような余裕などない。セレナは英雄でも勇者でもない。ただ夢を追い求めただけの、自分の命が何よりも大事な一人の弱い人間に過ぎないのだ。


「少しだけ休憩しましょうか……さすがに、これ以上は……」


 イスから腰を上げ、揺れる体をどうにか前へ進めていく。一歩、また一歩と交互に足を出していく動作さえ億劫で仕方がない。フラフラとした足取りで研究室のドアを開き、仮眠を取るために職員寮へと向かう。


 ただ一時だけの。安眠とも言えない短い眠りだけを求めて歩き、


「──セレナ!」


「あ、え……?」


 不意に現れた騎士の姿に、反応し切れなかったセレナは前めりに倒れてしまった。そのまま騎士の胸に飛び込む形になってしまい、そして優しく抱きしめられる。


「良かった……! いくら手紙を送っても返事も何も無くてすごい心配したんだ。でも、もう大丈夫だから」


 訳が、分からない。一体どうして。その事実を確かめようと顔を上げようとして、すぐにやめた。眼から抑えきれない涙が溢れていたからだ。とてもこんな顔は彼に見せられない。例え一度見られているとしても、それは変わらない。


「さ、早くここから逃げよう」


「オリバー……つらかったよぉ……」


 どうして最愛の騎士がこの場にいるのかは分からない。だが、今だけは止めようのない泣き顔だけは見せまいと。その胸に顔を埋めることだけが全てだった。





 ☆ ☆ ☆ ☆





「脱出口は騎士団の仲間が守ってくれてるけど、そう長くは持たないからね。とにかく急がないと」


「あ、あのオリバー……? それでもさすがにこれは恥ずかしいのですが……」


 警報の鳴り響く研究所の廊下でセレナは頬を赤く染めていた。既に走る体力など欠片も無かったセレナ。しかし、オリバー曰く時間に猶予はほとんどないと。すなわちオリバーがセレナを抱えるほか無く、その体勢は所謂お姫様抱っこと呼ばれるものだった。


「いや、さ。一回やってみたかったんだよ」


「だからって今やりますか!?」


 思わずオリバーの胸を叩こうとするが、転んでしまっては危険だとギリギリで踏みとどまる。魔力で強化された肉体で走るオリバーは、セレナを抱き上げているとは思えないほどに早い。その状態で下手に転倒でもすれば、怪我は免れないだろう。

 例え無傷でも時間のロスは致命的なものとなる。それを避けないといけないと、その程度の判断力はセレナにも残っていた。否、オリバーとの再会で取り戻したという方が適切だろうか。


「監視システムってやつは協力してくれた他の職人に潰してもらったけど、そろそろ復旧して機械兵が動き出す頃合いかな。もっとスピードを上げるからちゃんと捕まっ……」


「──そうはいかんよ、裏切り者め」


 前を見据えながらオリバーがさらに加速する。その直後、発破音と共に足元に火花が散り、オリバーは半ば無理やりに踏み込むと勢いを相殺した。思わず瞼を強く閉じるセレナは、声だけで目の前にいる人物を理解してしまう。

 そして、それが最悪の人物だというのは、オリバーから激しい嫌悪感が放たれることでも明らかだ。


「アドネス・グレムリン……!」


「敬称を忘れるな。正しくはグレムリン枢機卿だ。全く、研究所はいくつかあるとはいえ、一つ用意するのにいくら金がかかっていると思っている。それを壊すのが部下など余計に腹立たしい」


「俺たち神殿騎士が忠誠を誓ったのは教会にだ。職員を酷使して悪事を働く輩に、この剣を捧げたつもりは無い!」


「騎士の誇りと言うやつか? はっ、所詮は神殿騎士なんて名前なんぞ信者に対するポーズに過ぎんよ。結局は私有の軍隊、使い捨ての武器だ!」


 アドネス──大量の余分な脂肪と無駄に豪華な装飾を身に纏った禿げ頭の嘲笑に、オリバーの表情が見る見るうちに怒りに染まっていく。だが、腰の剣を抜くことはできない。腕の中のセレナが、アドネスの背後に並ぶ十体以上の機械兵が、オリバーの行動を大きく制限していたからだ。

 その代わり、普段は優しげな目付きを鋭くし、目の前の外道をひたすらに睨む。その見たことも無いオリバーの姿にセレナは息を呑むしかなかった。


「……この外道め」


「外道で結構。儂が幸せになればそれでいいんだ! そのためなら、戦争で何人死のうと儂の知るところでは無い」


「……っ! やっぱり王国と連邦を戦争に誘導したのはお前なのか!」


「おっと、口が滑ったわい。どこかで漏らす前にこの世から消えてくれ」


 機械兵が一斉にライフルを構える。いくら魔力で肉体を強化していようと、生身の人体を容易に貫く一撃は凶悪の一言に尽きた。オリバーの全身に緊張が走るのが密着するセレナには即座に分かる。

 きっとオリバーは戦わずに逃げ切るつもりだったのだ。だから、機械兵の銃撃への対策もしていない。カチャリと、金属特有の音が響く。アドネスがにやりと醜い笑みを浮かべる。咄嗟にセレナを庇うようにオリバーが背を向けて、


「嵐よ、我らに加護を『暴風』!」


「なっ!?」


 屋内ではあり得ないはずの嵐が両者の間を支配した。アドネスが転倒し驚愕の声を上げ、機械兵たちも重心を保てないのか攻撃を中止し身を低くする。続く命令もアドネスからは下されず、暴風に耐えることのみを実行する意志無き戦士たち。

 それに対してオリバーの判断は早かった。セレナを抱きかかえたまま、即座に元来た廊下を走り出す。魔力で強化された脚力はすぐさま彼を最高速へと導いて、アドネスとの距離をあっという間に広げていった。


「オリバー、どこか当てはあるんですか!?」


「無いよ! とにかく逃げて別の道を探すしか……」


「なら次の曲がり角を左に! この施設は古代の遺跡を利用して造られたものです。地下にある以上、出入り口は限られますがそちらに転移装置があります!」


 セレナの言葉を確認することも無く、黙って言われた通りに進路を変える。抱きかかえられているセレナが目を開けられないほどの速度で、警報の鳴り響く研究所を走り抜けていって、やがて鋼鉄の扉の前にたどり着いた。

 両開きの扉の近くには入力装置が取り付けられていて、オリバーは困ったように眉を潜める。ならば、ここはセレナの出番だ。


「パスコードは知っています……これでも、それなりの役職でしたか、きゃっ!」


「おっとと。大丈夫か? そんな体調で魔法なんて使うから……助かったけど」


 自分の足で地面を踏みしめた途端、崩れ落ちてしまうセレナを慌ててオリバーが支える。申し訳なく思いつつも、セレナはオリバーにもたれ掛かりながら手早くコードを入力した。機械的な音と反応を返し、目の前の厳重な蓋が横にスライドし取り除かれる。

 オリバーに手を引かれながらセレナは、数年ぶりに見るその部屋の中に足を踏み入れた。中心には特殊な金属でできた床に魔法陣が描かれ、その周囲を囲うように様々な機械が鎮座しているうす暗い部屋だ。今はその機械たちは沈黙を保っていたが。


「すぐに転移装置を起動します……急がないと」


「うん。早くしないと、あの禿げもここに逃げ込むことぐらいすぐに気づくだろうし」


 オリバーに尚も体重を預けながら、操作パネルに触っていく。ひどく時間を押した状況で失敗すれば命を代償にされるだろう。それだというのに、うろ覚えの操作に緊張は無かった。


「ふふっ」


「そんな笑ってる場合じゃないぞ?」


 あれだけ疲労に満ちていた体も嘘のように軽く、思考は明瞭だ。研究者となって古代の謎を解き明かすという夢は、きっとここでお終いだろう。セレナもこのように奴隷紛いの扱いをされ、例え別の組織の元でも研究を続けたいとも思うかは微妙なところである。

 だが、オリバーがいる。勉学と研究にのみ人生を費やしてきたセレナが初めて恋い焦がれた騎士は、こうして二度もセレナを助けてくれた。


 夢は潰えた。だが、こうやってオリバーと共にいられるのであれば、セレナは。


「座標の指定はこの際、街の近くならどこでも……」


「いや、王国のどこかにして欲しい。安全を第一に、次に王国の領域内を優先して」


「王国に?」


 王国。セレナとオリバーの故郷であるエルフ族の共和国では無く、ヒューマンの国である王国。その指定に疑問を覚えつつもセレナにとって、オリバーの言葉は最早絶対だ。迷うことなく転移先の設定を変更し、装置が唸り上げて魔力を魔法陣に集め出す。


「理由は後で説明するよ。今はとにかくここから脱出しよう」


「分かりました。……ただ転移に成功しても残った座標データから彼らもすぐに転移してきます。王国に到着してもここから脱出できただけで、教会が逃げ切れたわけでは」


「……追いかけてくるのか?」


「絶対にとは言えませんが……『宝玉』に関して、彼らの切り札に関して詳しい私をあの枢機卿が放っておくとは。死に物狂いでも殺しに来るかもしれません……オリバー?」


 すぐに魔法陣に踏み込もうとしたセレナだが、オリバーはその前で立ち止まってしまった。何かを考え込むように、それでいて苦しそうな表情を浮かべる。そんな顔を見ていると、セレナまで苦しくなってくる。だから、止めて欲しい。

 ずっとと言わない。言えない。それでも少しでも多く、セレナは最愛の人の笑顔を見ていたいというのに。


「やはりここか! 優秀な職員だったが仕方あるまい。機械兵ども、奴らを殺せ!」


「オリバー! 急いで下さ……え」


 背後からアドネスの怒声と、僅かに遅れて金属同士の擦れる音が無数に響く。徐々にこちらに近づいてくる死の気配にセレナは思わず叫んで──優しく、でも確かな力で魔法陣の中に突き飛ばされた。


「オ、リバー……?」


「セレナ、ここに教会の野望を全て書いてある。持っていってくれ」


 それはまるでオリバーに拒絶されたようで、唖然と名前を呼ぶセレナに返されたのは一切れの紙だけだった。違う。セレナが望むのはそんなものでは無い。孤独な中、無心に書き上げ続ける文字などでは無い。ただオリバーと一緒に居たいだけなのに。しかしオリバーは答えてくれなかった。


「転移先が分かるなら、あいつらはそのうち絶対に君を殺しにくる。転移するだけじゃダメなんだ。だから、君が転移した後で俺が装置を破壊する」


「死んでもって、何を言ってるんですか!? 一緒に逃げましょうよ! もう難しいことは疲れたんです。私はあなたと過ごせればそれで……」


「弱い俺を許してくれ。きっと俺は君を守り切れないから……」


 セレナの必死の訴えに、オリバーは転移装置の起動ボタンを殴りつけることを返答とした。慌てて這う這うの体で魔法陣から出ようとしても、円柱状に現れた結界がセレナを遮る。それはまるで、目の前にあるはずのオリバーとの間をひどく遠くに連れて行ってしまったかのようで。

 どんなに殴りつけても、二人を隔てる壁はビクともしない。


「隣のボタンです! 今すぐ転移を中止してください! まだ間に合いますから……一緒に逃げて……私を、ひとりにしないで……」


「ごめん。でも、転移先が分からなくなれば、さすがにグレムリンも大陸中を探すとは思えない。大丈夫、俺は傍に居られないけど結果的に君のことは守れるから」


 セレナを守るためなのだ。それを理解できて、そのうえでセレナは受け入れられない。夢を失って、もうセレナにはオリバーしか残っていないのだから。例え生き残ったところで、彼の居ない生に意味なんて無いのに。


「なんで、どうして……嘘つきっ! 私を一人にしないって言ったのに……もう暗いところは嫌なんです! ひとりぼっちはいやぁ……」


「他に優しい人なんていっぱいいるさ。それが友達か、ちょっと悲しいけど次の恋人かもしれない。でも君は独りぼっちなんかじゃないから」


「違う、ちがうっ! 私はあなたが……あなたさえ居てくれれば……!」


「それじゃあ、最期に一つだけ」


 すぐ近くまで機械兵が殺到してきている。まもなく射程範囲に入るだろう。そんな中、オリバーは結界越しに優しげな笑みを浮かべて。


「俺の代わりに教会の野望を止めて欲しい。あいつらは今の国を滅ぼして、自分たちが人間を支配しようとしてる。それは絶対に止めないといけない」


「私は、そんな……強い人間じゃない……」


「そんなことは無いよ」


 それはひどく優しげで。セレナが好きだった最愛の人の笑顔だった。だが、あれほど欲していたはずなのに。溢れてくるのは涙ばかりで。


「大丈夫……君は強いから。一人でも、強く生きていけるから。だから、あいつらの野望を君になら止められる……」


「あの騎士を殺せ!!」


 魔力が高まり透明だった結界が白く輝きだす。音も視線も。内側と外側が完全に断たれていく中、銃声と共にオリバーの体に致命的な一撃が幾つも貫通していく。全身から血を流し、それでもその瞬間まで彼は笑顔を絶やさない。そして、ゆっくりと一言。


「大好きだよ、セレナ」


「いやあぁぁぁっ──!」


 光に呑まれて、笑顔も消えていく。遥か彼方の地に結界が運ぶのは。ただのか弱いエルフの泣き声。それだけだった。


 所長が簡単なレポートを纏めた。膨大な魔力への耐性。それに対する精神状態の作用に関することだ。魔力に耐えうる心を。生きるために、何かを成し遂げるべく、使命感とも呼べる強い魂の叫びを。


──『信念』と所長は呼んでいた。

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