第五話 差し伸ばされた手を
「ご協力感謝します。それでは我々はこれで」
「ええ、お願いしますね」
ブライアンに呼ばれてきた八人の衛兵に、セレナがごろつきたちの身柄を引き渡す。目を覚ましたごろつきたちが情けなく泣き言を漏らしているが、今さら後悔しても遅い。そんな彼らは、言動からするとスラム街から窃盗目的で行動していた集団らしい。
レオンに聞いたことだが、身分の証明ができない彼らは弁明の機会も与えられずに、有罪がほぼ確定しているのだとか。
被害者のエリアスからしてみれば当然だと頷いたが、レオンはその現実に悲しそうに目を伏せていた。
「それでやってもいない罪を押し付けられた人も、きっといる」
どうして悲しむのかと尋ねたエリアスに、レオンはそう返した。しかし、レオンは自分が被害を受けたことはないとも答える。つまり、話に聞いたことがあるだけなのだ。
他人のことでどうしてそんなことを考えるのか、エリアスには全くもって理解できなかった。
「じゃあ行くにゃー」
衛兵たちを見送り、ソラが元気よく腕を振り上げ歩き出すと、ブライアンも大声で笑いながら続いていく。
苦笑するレオンとセレナ。騒々しいと眉を潜めるエリアスも彼女らについていった。
路地裏の細い道を進んでいき、途中にあったさらに細く暗い道へ足を踏み入れていく。明らかにまともな場所には繋がっていない湿気の籠った通路を抜けて、案の定周りの雰囲気が突如変わったのを感じ取った。
周囲の建物は頑丈な石造から、今にも崩れ落ちそうな木造へ。気がつけば地面の舗装が途切れており、日の当たりが悪い地面は数日前の雨の影響が残ってぬかるんでいる。
見ているだけで気分が悪くなりそうな街に気を使ったのか、ただの気まぐれなのか。ソラがこちらに寄ってくると声をかけてきた。
「そういえば、エリィはどこで戦い方を覚えたにゃ? 一人目を倒した時とか、明らかに素人の動きじゃなかったけど」
「どこでって言われてもな。俺は我流……というかお前、最初から見てたのか?」
その時点で気づいていたのなら、すぐに顔を出せばよかったのに。そうしていてくれたら、あんな目に合わなくても済んだかもしれない。
そう思ったのを隠しもせずにぶつけ、それに答えたのは隣を歩いていたレオンだった。彼は申し訳なさそうな表情を浮かべながら、エリアスへと顔を向けると、
「最初はすぐに割って入るつもりだったけど、ごろつきを圧倒してるのを見て驚いてさ。助けがいるかどうか判断しかねてたんだ。それで様子を窺っていて……悪い」
「ああ、ホントだよ。ヒューマンをぶん殴る趣味は無いっての。お前らが最初からいれば、あいつらもすぐに逃げただろ」
「ちょっと言い過ぎじゃにゃい?」
責め立てるようなエリアスの言動に、ソラが物申す。そして咎めるような雰囲気を保ったままに視線を合わせてくるが、エリアスは別に悪いことをしたつもりは全くないのだ。真正面からその視線を受け止めてやる。
「エリィを助けたのはレオンの好意だよ。それ以上を要求するのはどうかと思うんにゃけど」
「助けるか、助けないかは自由にしろよ。ただ、助けるって判断したならベストを尽くせ」
一切態度を変えようとしないエリアスにソラは大きく溜め息をつく。
「その考えは直した方が今後の為だよ」
「うるせえ。なんで説教ぽい言い方なんだ」
「だって、エリィはこの中で一番年下じゃにゃいの?」
何を言っているのだと、一瞬の空白。目の前で首をかしげる猫耳の少女は見たところ、子供ではないが二十歳には届いていない。
間違いなくエリアスの方が年上のはずで──。そこまで考えたところで今の自分の状況を思い出した。
「俺は二十三だっての。今はこんな身体になっちまってるから、分からねえかも知れねえけどよ」
生憎、この身体にされてから、性別が変わってしまったことぐらいしか確認していないのだ。ソラが誤解するということは年齢までかなり逆行しているのだろう。
後で確認しなくてはならないが、今から嫌な気分になる。
「あたしより年上ならまだ分かるけど……でも二十三って、そこまで見栄を張る必要は無いよ?」
だが、エリアスの言葉をソラは全く信じていないようで、背伸びしている子供を見るような、生暖かい視線を送りつけてきた。それに憐れむようなものも混じっているように感じられて、明らかに喧嘩を売っていると判断。
先ほどは止められたが、やはり一発殴っておこう。そう心に決めると一歩踏み、それを見たソラが両手を上げて降参のポーズをとるが、知ったことではない。そのままもう一歩踏み込んで、
「そろそろ約束の場所ですよ。二人とも仲が良いのはいいですけど、今は静かに」
「にゃーい」
「これのどこが仲がいいんだよ!?」
あと少しで拳の射程というところで、セレナに再び止められてしまった。それを読んでいたのか、悔しげにソラを睨み付けると、右目でウインクしながら舌を小さく出してくる。
額に青筋を浮かべたエリアスをセレナがため息と共に一瞥し、数歩先に進んでいたレオンとブライアンに並んだ。
後ろで騒ぐ二人の少女に、レオンは苦笑を浮かべ、ブライアンは楽しげに高笑い。エリアスの望みとは裏腹に完全に子供扱いだった。
「ウヒヒヒ、若いってのはいいねぇ……」
「遅れて申し訳ありませんね」
「いいんだ、いいんだ。あんたらはお得意様だから、多少は融通を効かせるよ」
和やかな雰囲気が流れかけたが、三人はそれをすぐに払拭して、視線を集めた先にいたのは一人を老婆。
頭から被る全身を覆うローブを身にまとった不気味な老婆である。最後に手入れをしたのはいつなのか。ボサボサになった白い髪の毛がローブの隙間からはみ出し、腰は今にも折れてしまいそうなほど曲がっていた。
そのシワだらけの顔を愉快げに歪めて、老婆はケケケと不気味に笑う。
「相変わらず変な婆さんだな!」
あろうことかブライアンは、本人にそれを笑いながら言ってのけた。だが、その意見は大衆のもので間違いない。そして戦いを生業にしているものにとっては、別の角度からも不気味さを感じられた。
──気配が一切感じられないのだ。
確かに目の前にいて、目で捉えることはできる。だが、生物ならば必ずあるはずの息遣いや足音などの存在感がまるで感じ取れない。
もちろん、相応の実力者なら気配を消すことはできるが、目の前の老婆はその次元を越えていた。
ただそこに立っているだけ。特に変わった歩方をしているわけでもない。
それなのに、対面する人にはまるで虚空と話しているような違和感を与える。それがこの老婆──“情報屋”と呼ばれる裏世界の住民だった。
「うわ、いつの間に。さすがだねえ」
「──っ!?」
遅れて後方にいた二人が“情報屋”に気が付き、エリアスは目を見開きながら咄嗟に拳を構えて飛び下がる。ソラの方はそれほど過激な反応はしないが、やはり驚いている様子だった。
ずっと魔族との戦いに身を置いておいたエリアスからしてみれば、周囲の気配を常に警戒するのは癖のようなものだ。その警戒を容易に突破した人物に対して、危機感を覚えるのは当然のことであろう。
「この身体になって感覚とかも弱まってるのか……? ババア、てめえどっから湧いてきやがった!?」
「落ち着け、落ち着け! この人が“情報屋”なんだ。別に危害を加えてくることは無いって」
「本当か?」
レオンが必死に説得するが、エリアスは中々納得できない。ソラの時とは違う、本当の意味で拳を構え殺気まで放ち出しそうな雰囲気に、“情報屋”が肩を竦める。
「まあ、元気なのは若い証拠だ。じゃあ仕事の話だけど、契約を続行するかい?」
「ええ、もちろん」
「まあ、ここに来たってことは聞くまでも無かったねぇ」
肩を震わせる“情報屋”が手を揉みながら、催促するような視線を向けてきた。その顔にセレナが無言で金貨を投げつけると、器用に指先だけでキャッチ。愉快げに表情を歪めながら懐へしまった。
「毎度ありぃー……。今月も任せておきな」
「ああ、頼むよ。それと異常は何かあるか?」
「あったらとっくに伝令を送ってるよ。あたしゃが言わないってことはそういうことなのに、真面目だねぇ」
真剣な表情のレオンに対して、“情報屋”は苦笑を浮かべて答える。その一言にレオンも「そうだな」と納得を示すと、思い出したように後方で未だ警戒を続けるエリアスへ向き直った。
「それで、エリアスも何か用があったんじゃないか?」
「ん? そっちの強気な嬢ちゃんかい。見たところ金は持ってなさそうだけど、まあ内容次第だねぇ」
想像以上に彼らの用はすぐに片付いたようであり、話の矛先がエリアスへと向けられる。未だ“情報屋”に警戒の眼差しを向けながら、それでも自分の目的は忘れない。少し言葉を選ぶように息を吐くと、それから口にした。
「変なジジイに連れられた集団について何か分かるか? 大陸中のいろんな種族がいるおかしな集団だ。昨日、そいつらに襲われて、行方が知りてえ」
先日の記憶が掘り起こし、説明になっていない説明をする。さすがのエリアスにも自覚はあったが、これで理解できる人物はいない。
そう思い、説明し直そうと視線をさまよわせて、
「ん? 何か分かったか?」
驚きを顔面に張り付けた一同と眼があった。それを何か心当たりがあったのだと判断し、尋ねるが返事は無い。
突然変わった雰囲気に首をかしげ、回りの反応をそのまま待っていると、
「いろんな種族の混じった集団っつと、まるでき……」
「──ブライアン」
「うごぉっ?」
何かを口走りそうになったブライアンの口をレオンが無理矢理押さえつけていた。手入れのされていない髭がレオンの手を刺激し、眉を潜める彼だが今はどうでもよいだろう。
それよりも何故かブツブツと呟きながら俯いてしまった“情報屋”に、大声で問い詰めなければならない。
「襲われたのは連邦との国境辺りだ。何か知ってるなら教えろ!」
「──三億ジェム」
「え?」
ポツリと聞き取れないような声量で、“情報屋”からこぼされた一言を思わず聞き返す。僅かに俯きながら言い放った“情報屋”は、その問いに顔を上げて、
「三億ジェムさ。それだけ払えたら調べてやるよ」
「……それってどれくらいの金額だ?」
「そこらの冒険者じゃ一生かけても稼げない金額だにゃ。途方もない金額ってことだよ」
今一貨幣価値を理解していないエリアスに、ソラが丁寧に教える。その言葉に「よく分からねえけど大変なんだな」と理解したつもりになっている姿を見て、ソラは溜め息をついた。
しかし、まともな生活を送ったことが無いのだから、その例えでは本当に分からないのだ。
「じゃあその金を持ってくればいいのか?」
「そこの猫のお嬢様が言ってただろ? ただの建前だよ。あいつらに関して、積極的に探りを入れるような仕事はお断りさ。あたしでさえ、下手をしなくても捕まりかねないってのに」
実に忌々しいとばかりに“情報屋”が吐き捨てる。金ばかりに眼が眩んでいる印象だったため、その反応に違和感を覚える。だが、今はそれ以上に当てを完全に見失いそうになっている状況を、どうにかしなければならない。
「ふざけるなよ! あのジジィは絶対に見つけて、全部吐き出させねえといけねえんだ」
ここで“情報屋”を頼れなければ、あの集団についての手掛かりを見つけるのは困難になる。自力で調べようにも王国だけでもこの世界は広大なのだ。大陸中にその範囲を広げるとすれば、とても個人の力では調べようがない。
もしそうなれば、一生このままなのではないのか。憎き魔族を粉砕する力も失って、女の体のまま人生を終えるのではないか。そんなこと、断じて認めるわけにはいかなかった。
「なあ、エリアス」
「何だよ?」
「俺たちと一緒に来る気は無いか?」
「一緒にって、お前らについていって何も得はねえだろ」
先ほど助けてもらったことに感謝するのはやぶさかではないが、だからと言って同行する理由は持っていない。論外だと手を振って提案を断ろうとして、
「エリアスの探してる組織について、俺たちが知ってるって言ったら……どうする?」
「──っ!? 本当か? そうなら知ってること全部教えろ!」
「俺たちについてきてくれるなら、構わないけど」
手掛かりが皆無な現状、唯一差し込んだ希望を選ばないわけにはいかない。どうしてエリアスの同行が条件なのか、それだけが引っかかるが考えても分からないことだと、今は無視する。それよりもこの幸運を逃がさない方が先決だ。
しかし、そう合理的に思考することはできても、それを受け入れられない。どちらが正解かなど明白なのに、エリアスの魂を構成する根本的な部分がそれを拒絶していた。
エリアスが即断せずに黙り込むのが予想外だったのか、レオンの表情に僅かに焦りが浮かび上がる。それにさえ気づかずに、迷い続けるエリアスの鼓膜をセレナの声が揺らした。
「レオンさんは優しすぎるのでこうですが、はっきり言わせてもらうと、あなたの同行は私たちにとっては決定事項です」
「は……?」
「あの組織に関わってしまった以上、あなたも危険です。保護という意味も含めて、同行してもらわないと困ります」
その有無を言わさない声は、先ほどエリアスを黙らせた時よりも、さらに力の籠った言葉だった。思わず反抗することも忘れ、その時点で選択権は失ったも同然である。
「……分かったよ。お前らについていく。だから、俺にあいつらのことを教えてくれ」
「悪いけど、それもしばらくしてからになると思うにゃー。教えてすぐに逃げ出さない保証はないし」
「うっ」
僅かにだが検討していたことを指摘されて、息を詰まらせる。図星だったのは見え見えだった。その様子を一堂に笑わられてしまい、ソラに限っては指を差しながら腹を抱えて、
「にゃははは! 嘘もまともに通せない女の子が、あたしたちを出し抜こうなんて百年早いよ!」
「黙れ!」
頭を抱えながら喚くが、それで解決するのなら苦労しない。そうした仕草のせいで周囲の苦笑はより深まるばかりだった。
こうして、本人の意思はさておき、エリアスはレオンたちと行動を共にすることとなる。それが彼女の運命に、在り方に、どう影響するのか。今はまだ、分からなかった。