第二十二話 取り戻した信念を胸に
陽の光を木々の枝が遮る森の奥地。薄暗く涼しげな大自然に、突然光が溢れ出した。天から降り注ぐ光がまるで地上に直接顕現してしまったような光景に、辺りの動物たちが一斉に駆け出す。次の瞬間、光が止むのと引き換えに一人の女性が現れた。
「いっつ……またずいぶんな場所に転移させたわね……」
ボロボロの女性、ジェシカは体を蝕む痛みに耐えながら体を起こす。元々見るも無残な姿になっていた服が近くの枝に引っ掛かり、さらに破損が悪化していく。
その様子を忌々し気に睨み付け、ジェシカはゆっくりとその場で立ち上がった。
「それで? 顔を見せないってどういうことよ?」
「すまないな。礼儀に関しては全くの無知なのだ」
森の暗がりから声が聞こえてくる。ジェシカが首だけでそちらへ振り返り、驚愕を露わにした。見てはいけないものを見てしまったような表情で、怪訝そうに眼を細める。
転移魔法で助けられたにしては、あまりに無礼過ぎるジェシカの態度にもその男性は特に不満を言うこと無く歩み寄った。
オールバックが特徴的で、白い豪華なローブを纏った初老の男性。一か月前にエリアスを襲撃した男性は、ジェシカと若干距離を開けて立ち止まる。
「……教王の懐刀がこんなところで何をしてるのかしら?」
「懐刀、懐刀か。確かに貴様らからしてみればそう見えるのかもしれんな」
僅かながらも警戒を露わにするジェシカに対して、男性は小さく笑みを浮かべるだけだ。その様子にますますジェシカの眼が細められていく。それでも全く動じる気配の無い男性に、ジェシカは諦めた様子で脱力すると背を向けた。
「まあ、今回は助かったから気にしないでおいてあげる。『宝玉』も直してもらわなきゃだし、一度帰らないとかぁ……。罰が怖いわね」
胸元から『宝玉』を取り出し、それに普段の輝きが無いことを確認して大きくため息。これからが憂鬱とばかりに木々が邪魔して見えない空を仰いで、
「そちらも大変だな。では、私も自分の任務を遂行さえてもらおう」
「へえ、お守り以外にもあんたに仕事なん──」
「思っていた通りだな」
静かな風切り音が一度鳴り響き、男性は己の手の内にある“輝きを失った水晶”を興味深げに見つめる。その水晶にあまりにも見覚えがあり過ぎて。慌てて右手を顔の前に持ち上げる──ことに失敗した。
おかしい。確かに右腕は上げているはずだ。肩から二の腕を通じて、右肘は重力に逆らってその先を持ち上げている。
思わず首を傾げ、足元に何かが転がっていることに気が付くと、そちらに視線を向けた。赤い液体に塗れた細長い何か。そこに見えてはならないものが転がっていた。
右肘から先がコロガッテイタ。
「あっぁ、ぁぁぁぁぁあああああっ!? 腕がああああぁぁぁ──!?」
「未だ根本的な解明はあのエルフにもできていない。それなのに封印が成功したのは、こういう訳だ」
激しく血を吹き出す肘を抑えながら、あまりの激痛にジェシカは地面を転げまわる。しかし、男性はそれをまるで意に介していない。そのあまりに冷淡な態度はまるで、人形のような人を形どっただけの機械のようで──。
「見ろ、貴様はこれを古代の秘宝だと思っていたようだが」
男性が『宝玉』を握りしめる。そこからさらに限界まで力が込められていき、
「これは只の複製だ」
「ぇ……?」
パリィンっと甲高い水晶の悲鳴と共に、“宝玉”が砕け散る。魔力が大気へ溶ける独特の神々しさだけを残し、粉々になった破片が風に飛ばされていく。
圧倒的な力を示した兵器も、今や森の肥やしだった。
「え、いや、嘘……だってあたしはあの人に、信頼と一緒にそれを受け取って……」
痛みさえ忘れて、ジェシカは目の前の現実を拒絶しようとする。わなわなと首を振り、必死に地面に落ちた破片を少しでも集めようとして──地を這うジェシカを男性が、感情無き人形が見下した。
「貴様も大変だっただろう。王国に潜伏する人員と協力して、大掛かりな自演を行い不確実な方法であの青年らを、冒険者に紛れさえておびき寄せる。最悪失敗してでも良かったのだろう? それよりも自然な状況で、大勢の戦力と共に町の外で捕獲する方が大事だったのだから」
「……っ!?」
「不思議に思わなかったのか? 何故あの夜に貴様らの協力者だけが、クフンの部下だけが根こそぎ殺されたのか。そもそも、これまで我々の存在に気が付くとすぐさま別の都市へ移っていた彼らが、今回ばかりはまんまと罠に引っかかったのか。何も疑問に思わなかったのか?」
正に図星とばかりにジェシカの眼が見開かれる。その姿を確認すらせずに、男性は言葉を続けていく。
「全て、私が手を回したのだ。貴様の予定を破綻しない程度に妨害し、貴様自身が表に出てこざるを得ない状況にするために。『宝玉』を持つ貴様をおびき寄せるために、貴様に彼らをおびき寄せさせたのだ。それが偽物だったのは想定外だったがな」
「ふ、ふ、ふざけるなぁ! あたしが、あんた如きに、人形如きに踊らされていたっていうのッ!?」
「見ての通りだろう」
男性の言葉は全て正しい。少なくとも否定する根拠は何一つ見つからない。しかし、それをジェシカは認められない。
自分が特別だと、『宝玉』まで与えられて将来は約束させていたはずなのに。それが全て手のひらだったと。そんなことを傲慢なジェシカは認められなかった。
「どうして同じ組織のあたしにこんなことを……!? まさかあんた“王”に成り代わろうだなんて……」
「一つ言っておく」
それは底冷えする声だった。先ほどまでの男性の声質も冷淡で、寒気がするほど淡々としたものだったが、あくまでそれだけ。しかし、今の声はそのさらに下、絶対零度の声質で。
それは男性が静かに怒りを露わにしている証拠だった。
「私は個人の欲などでは動かない。ただこの世界の平和だけを祈って行動している。あらゆる行為は未来の平和のためであり、その全てに恥ずべきことなど存在しない」
「い、いや……」
男性が己の主張を、信念を、言い聞かせるように力強く唱える。まるで自分自身への再確認のようなそれを言い終え、腰に刺した白銀の剣をジェシカに向けて抜き放った。
一切の曇りなき刃が、銀色に煌く。
「──そしてこれから流れる血も、平和のための礎なのだ」
「いや、いや、いやいやいやぁ!! まだ死にたくない……! あたしは帝国に祝福された人間なのに、幸せを約束されたはずなのに……まだこんなところで……」
「貴様らのような輩を、帝国が認めるわけないだろうに」
一筋の光と共に、森の一角を静かに赤く塗らす。その光景が見るものは、ただ一人を除いて存在しないのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
「えぇ!? じゃあ男って本当だったの?」
「俺はずっとそう言ってたはずだけどな」
ソラがうるさいほどに驚きを全身で主張する。気まずいやら鬱陶しいやらで、エリアスは彼女からそっと視線を外した。
「確かにあの女性との会話を聞いていれば合点ですが……元『勇者』だとは、私も予想外でした」
「“狂戦士”だなんて、今の嬢ちゃん……坊ちゃん……? いや何でもいい! とにかく今のエリアスの見た目には似合わなすぎるけどな!」
「ははは、否定はできないかな」
あちこちで好き勝手に感想を述べる気楽な場だ。しかし、エリアスは内心で気が気でなかった。
見ての通り、エリアスは自分の正体を、元々は男性で王国の人間兵器と呼ばれる『勇者』の人だと告白した。今回の事件で疑われる要素はいくらでもあったのもあるが、何よりもエリアスが嘘を付き続けたくなかったからだ。
それでも、改めて口にするときには激しい緊張を強いられた。信じてもらえず一蹴にされたら、これまで黙っていたことを罵倒されたら。レオンたちに限ってあり得ないことまで想像し胃を痛くしていたのだが、蓋を開けてみればこれである。
驚きこそすれど、怒ることも無く受け止めてくれた。そこからレオンたちの心の広さを感じ取れて、それを正直に話すにはまだエリアスにはハードルが高い。
「でも、もう元には戻れないんでしょ?」
「どうだろうな。まあ仮に力を取り戻す機会があっても、受け入れるかどうかは……」
「違う違う。そっちじゃないよ。体の方だって」
一瞬、何を言われているのか理解できず、自分の体を見下ろしてようやく意味を悟る。『勇者』の力を取り戻すよりも、男性に戻る、という方が或いは難しい問題なのかもしれない。
少なくとも性別を入れ替える技術など一般的には存在しないらしかった。つまり手掛かりは『勇者』の力以上にゼロである。完全にお手上げだ。
「方法が分かるならすぐにでも戻るんだけどな……」
「えー! このままでいいじゃん! 今のままで可愛いよ?」
「誰も可愛さなんて求めてねえんだよ!」
「大丈夫、あたしが求めてる!」
謎の超理論を展開され、反論し切る前にソラの顔が目の前に迫る。そのまま鼻がぶつかり合いそうな距離で肩を掴まれ、体を固定。『身体強化』を自粛している現在では剣士のソラに力で叶う筈も無い。
「ここがエリィの一大転機でしょ。いっそのこと体も変えちゃって、生まれ変わった気持ちでさ」
「言い分は分からなくもねえが、だからって女として一生暮らせとかひっ!? てめえ! どこ触ってるんだよ!?」
一瞬の隙を突いて、ソラのセクハラタッチがエリアスの程よい大きさの胸を襲う。思わず変な声が漏れてしまい、顔を憤怒に染めたエリアスがソラへ怒鳴り掛けた。
しかし如何せん、状況が状況だけに迫力がきれいさっぱり抜け落ちてしまっていた。何食わぬ顔でソラはニヤニヤと笑みを浮かべ続ける。
「それに『勇者』だったなら元の姿に戻ったら目立っちゃうんじゃない? 隠されてるのって、出身と本名ぐらいでしょ。なおさらこのままの方がいいよ!」
「な、ぐっ……それはそうだけどな……」
「まあ、どうせ方法が分からない訳だし、それまでに心変わりするよう染めてあげればいいんだけどねー。ふふふ、女の子の作法を何も知らない妹って感じ」
ようやくエリアスを開放したものの、ニヤニヤした笑みを、凶悪なものに変えていく姿は鳥肌ものだ。
思わず冷たい汗を背中に感じ、己を強く持とうと悲壮な覚悟を決める。そんなエリアスへ背後のセレナから声がかかった。
「遅くなってしまいましたが……エリアスさんにも話しておこうと思います。私たちの目的について」
「それって……」
「エリアスも俺たちの仲間だ。これまでは巻き込まないようにぎりぎりまで黙ってたんだけど、最初から関係者だって言うならその必要も無くなったからな」
真面目な話題に切り替わり、さすがにソラも表情をそれにふさわしいものに変える。エリアスも真っ直ぐにレオンとセレナに向き合い、耳を傾けた。
「エリアスさんはクリフォード教会をご存知ですか?」
「知らな……いや、あるぞ。『勇者』の時に俺にすり寄ってきたやつの中に、確か信者だとか言っていたような」
「それなりに広まっていますからね。では、その教会が裏で戦争を引き起こした、と言ったらどう思います?」
あり得ないと反射的に否定しようとしたが、それは真剣な表情の皆を見れば自然と納まってしまう。
「信じられないと思いますが事実です。……私は元々そこの司教兼研究者でしたから」
「ちょっと待て。教会が研究者を雇ってたのか?」
教会とは文字通り何かしらを神聖視し、崇める集団のことだ。少なくともエリアスの知識ではそうである。そんな集団が研究者を雇うと。まさか発明品を崇めるトンでも宗教なのかと、一瞬疑いを持ってしまう。
「表向きは、絶対神の元に全ての人種は平等である、というごくありふれた宗教です。ですが、その絶対神とは古代帝国の王を差しています。教会の目的は帝国を復興し、その王、つまり神の座を手に入れ、その圧倒的技術力で大陸を掌握すること。そのために帝国の遺産の研究に多大な費用をつぎ込んでいるわけですね」
「スケール大きすぎていまいち分からねえが……あの『宝玉』も古代帝国が作ったんだろ? そう思うとあり得ないとは言えねえな」
仮に『宝玉』が量産できたしたら。セレナのように対抗策が無い限り、一人一人が『勇者』や『魔神』並みの軍勢を相手にしなくてはならなくなる。そんな戦いは、もはや戦争では無く虐殺だ。
世界を支配するという言葉にも真実味が湧いてくる。
「しかし、それには現代の国が邪魔をします。正確には民が新たな支配者を拒絶する。ヒューマンの王国と魔族の連邦が筆頭ですね。エルフとドワーフの共和国や、東の獣人たちによる都市国家連合だって黙っていませんが、王国と連邦さえどうにかすれば地理的にも後はどうにでもなります。そこで教会はある地雷をばら撒いた。それが『勇者』と『魔神』。『宝玉』によって生み出された人間兵器です」
「なっ……俺たちが『勇者』になったのは意図的だったってことなのか!?」
「……そうなります」
少なくない衝撃がエリアスを襲う。『勇者』になったのが意図的だったというのなら、これまでのエリアスの人生は何だったというのだ。
ただ虚しさだけで戦争に関わり続けて。それが全部他人の掌の上だったというのなら。到底許されることではない。
「話を続けます。教会は王国と連邦に戦力をばら撒き、戦争を引き起こしました。しかし、現代人には行き過ぎた戦力を持った国はお互いに決定打を与えられず、戦争は長引き疲弊していった。辺境にでも行けば、それぞれの国民の悲鳴がいくらでも聞けますよ」
そこで一旦セレナは言葉を切る。大きく呼吸を繰り返してから、改めて言葉を続ける。
「国民は既に祖国への信頼を捨てつつあります。そんな状況で国を支える『勇者』と『魔神』まで失って……その時、平等を掲げる教会が現れたらどうなると思います? 圧倒的な武力で、仮初の善政を敷く新たな国家が現れたら」
「信用できない国を捨てて、そっちに逃げ込む……」
「少なくとも王国と連邦は崩壊するでしょうね」
壮大過ぎる話だ。だが、理解できなくはない。その過程で多くの犠牲者が出ることだって理解できてしまう。
そしてこの話をしたのなら。元々内部の人間であったセレナを伴うレオンたちなら。彼らの目的だって目星がついた。
「教会の目的は戦争を利用して国を滅ぼすこと。その過程でたくさんの人が死ぬと思う。だから俺たちの目的は、戦争を終わらせることだ。教会が裏で戦争を引き起こした証拠を見つけて、戦争を終わらせてやる」
目の前のレオンたちの姿が、キールに、かつての仲間たちと重なる。偶然にもレオンたちの目的はキールたちと一緒に誓ったそれと同じものだった。
それならば、何を躊躇う必要があるのだろうか。忘れてしまっていた信念を今から再び追えるというのであれば、
「俺も協力させてくれ。これ以上、余計な犠牲者は作らねえ!」
「ああ、頼りにさせてもらう」
それがきっと、これまでの過ちの償いだから。せめてもの贖罪となるはずなのだ。
「見えてきたぞ!」
ブライアンの声にハッとして正面へと視線を飛ばす。そこには多くの冒険者たちが、野営地を片付け今にも出発しようする光景だった。盗賊団の討伐も上手くいったという訳だろう。
「あいつら……こっちの苦労も知らずに……」
その中で見知った顔が、金銀の二人組がエリアスたちに手を振っているのが窺えた。金髪の青年の方は安心したように大きく、銀髪の少年の方は仕方なさげに小さく。こちらの無事を祝っている。
変化があり過ぎて気持ちが追い付いていない。これからの多忙を思えば、ゆっくりすることもできない。
だが、今だけは。何も失わずに済んだことを。一時だけの平和を噛みしめて、身を休めることも許されるはずだ。
「帰ったら数日はのんびり過ごそうか」
レオンの提案は誰にも邪魔されずにすぐさま受け入れられる。談笑をしながら歩く四人の背を見て、エリアスも小さく苦笑するとその背を追いかけていったのだった。
それがキールとの別れから、初めて浮かべた笑みだと気づくのは少し後のことである。
はい、これにて第二章完結となります!
本当はラスト三話は連日であげるつもりだったのですが、リアルの都合やら私の指がストライキを起こすやらで(以下言い訳)、ともかく肝心なところで間が空いてしまって申し訳ないです。
全体を上・中・下に分ければ、ようやく上が終わったところですね。しかし、上はエリアスとレオンたちが本当の意味で信頼できるようになる過程ですので、物語的には進歩がなかったり……。
第三章は細かいプロットを詰め、二章の幕間を投稿してからなので少し時間がかかるかもしれません。出来る限り早く頑張りますので、のんびりとお待ちいただけるとありがたいです。
今言えることは、第三章はでれアス……ではなくセレナに焦点を置いた話となる予定です。
それでは長くなってしまいましたが、こんな拙い作品をここまで読んで頂きありがとうございました!




