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ひとりよがりの勇者  作者: 閲覧用
第二章 戦士の証明
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第十七話 血肉を捧げて

 うす暗い洞窟の広間に甲高い金属の悲鳴が響き渡っている。時々煌く鈍い刃の光と共に、何度も何度も打ち鳴らされていく。あの感覚があまりに短く、高速で鳴り響いているそれは最早一つの長い音にさえ聞こえるようになっていた。


 さぞや、高名な戦士が己の命や信念を賭けて刃を交えているのに違いない。きっとそれは多くの人物が感じる目の前の戦いの感想であり、ほんのわずかに間違えていた。


「くっ……!」


 レオンの槍が右の手首を軸に回転。やや大振りながらも遠心力を加えた一撃が対峙するジャックへと襲い掛かり、彼の腕の表面を滑ることで受け流される。高速で振り抜かれた刃を生身で受けたにも関わらず、ジャックの皮膚には傷一つ浮かんでいない。


 オーガの異能を極めたジャックには、生半可な攻撃は全て無力化される。人間の皮膚が鋼の刃を弾き返す光景は、いっそのこと清々しいものだった。


「隙だらけだぞっ!」


 強烈な一撃を外した代償にレオンの体が大きく槍に振り回された。それでもレオンの熟達した技量が最低限の無駄に抑え、格上のジャックにとってはコンマ数秒でも致命的な隙だ。

 固く握られた拳がレオンの腹部へ放たれる。鋼にさえ匹敵する硬度の拳をまともに受けては良くて致命傷、悪くて即死。目前に迫った死を回避すべく、レオンは腕の中の槍を勢いそのままに地面へと突き立てた。


「──ほう」


 直後、槍を始点にレオンの体が側面に大きく回転した。棒高跳びの要領でそのまま飛び上がり、アクロバティックな動きにジャックが感心の声を漏らす。だが、それに構っている暇はない。

 虚空へと突き出されたジャックの右手目掛けて、全体重と共に槍の矛先を直下へと突き落とす。


 矛先一点に全エネルギーが収束され、ジャックの手の甲へそれが直撃した。バキバキと生身の肉体からなるはずの無い音が鈍く響き、血が吹き出ていく。分厚い筋肉の層を抜けて骨へと達する。


「右手、貰ったぁ──!」


「その程度で調子に乗るな」


 しかし、それまでだった。僅かに骨へ衝撃を伝えることはできたものの、貫通することはできずにそこで勢いが潰える。オーガの異能は骨の更なる硬化にまで及んでいたのか。

 唖然としたレオンの思考が一瞬だけ停止し、そこへ鋭い蹴りが繰り出された。咄嗟に引き抜いた槍の柄で受け止めるが、衝撃までは殺しきれない。


 景色が正面へと吹き飛んでいき、洞窟の壁に衝突する寸前でどうにか受け身に成功。だが、骨身に染みる衝撃はゼロではない。体に残ったダメージは無視できないものであり、地面に落ちると槍を杖代わりにどうにか立ち上がった。


「はあ……はあ……くそっ……!」


 全身の骨から、筋肉から、神経を通じて悲鳴がひっきりなしに脳へ送り込まれている。まだ戦いを始めてそう長い時間は経っていないのにこのざまだ。どうにか均衡を保っているが、それはジャックが手を抜いている、否、様子を見ているからだろう。


 まるで何かを待つように。レオンから何かを引きずり出すように、彼は未だ本気を出そうとしていない。このままでは勝利をもぎ取り、エリアスを助けることなど不可能だ。そんなこと、決して認めない。


「どうした? 俺は“本気”でかかってこいと言ったんだ。そろそろ準備運動は終わりだろう」


「……言われなくても、そうするつもりだ」


 出血の激しい右手へ、ジャックは懐から取り出した魔法薬(ポーション)をかけながら促してくる。レオンもハッタリでは無く本心からそれに答え、同じくポーチから一つの容器を取り出した。


 赤色のラベルが張り付けられた不思議な容器。表面な滑らかで強度にも優れた奇妙な素材。ジャックが奇異の視線を向ける中、レオンは容器の蓋を開けると一気に中身を喉へと流し込んだ。


「がぁ……! うぇ……ぐぁ、ぁあ!」


 やはり“赤”は負担が大きい。自然とむせ返ってしまうのに耐え、完全に胃の中へ収めて見せる。あの感覚が近づいてくる。一瞬だけ湧いた恐怖を必死に押さえつけて──心臓が大きく高鳴ったような気がした。


 熱い、全身の血管が熱い。口から吐き出される呼吸まで燃えているような幻覚に襲われ、千切れそうになる理性を全力で手繰り寄せる。

 だが、力は漲ってくる。何でもできる気がしてくる。今なら鉄の棒さえも圧し折れそうだ。岩盤だって拳で砕けるかもしれない。根拠のない自信が、次々とレオンを急かしていく。


「そうだ、それでいいんだ」


「ふぅ……! 一気に終わらせる!」


 獰猛な笑みを浮かべ両手を広げて見せるジャックへと、レオンが躍りかかる。両者の間を駆け抜けていく姿は、先ほどと比べて特別早いわけでも無い。ただ、そこから放たれる闘気だけは爆発的に膨れ上がっていて、


「────っ!?」


 レオンの両手を介し、突きが放たれる。何の変哲もない、だが激しい鍛錬の後が垣間見えるそれは隙がほとんど存在しない堅実な一撃で──それがジャックの腕へ浅くない傷を開けて見せた。


「硬いけどこれぐらいなら余裕だッ!」


 少し平時のレオンとはズレた自信ありげな口調で宣言し、事実次々と放たれる刺突はジャックを確かに傷付けていく。今のジャックの肉体は並の金属を上回る。レオンの刺突は軽い動作で鉄板に風穴を開ける、圧倒的な威力の連撃だ。


「ハッ! 面白いな!!」


 それに答えるのは戦士の歓喜。目の前の強敵を打倒し、地面へ引き倒す快感のために、男の闘気と殺気も爆発する。

 腕が引き裂かれることも躊躇わず、ジャックの右手がレオンの槍の柄を掴み取った。連撃が一度収まり、即座にレオンの蹴りが右腕へ炸裂。武器を介さなくとも大木を叩き折るような一撃はジャックの右腕を震わせる。


「──ぐぁ」


 しかし、苦悶の声を上げるのはレオンだって同様だった。首を傾けて顔面への直撃は避けたものの、代わりに肩へ突き出されたのはジャックの左の拳。右と等しく破壊を詰め込んだ打撃が肩を破壊し、何かが砕ける音がする。


 痛み分けとなった両者の視線が間近で交差して、獰猛な笑みがそれぞれに浮かび上がった。


「おら、まだいけるだろう!?」


「はあぁ──!」


 それぞれの右手が槍を掴み、残された左手と足が激しくぶつかり合う。体が固定され、勢いもなく、中途半端な威力の打撃は激しい消耗を強制していく。そして中途半端な一撃では防御に優れるジャックの方に分がある。


「もうギブあ──っ!?」


「りゃぁ──!」


 一度攻撃を止めジャックの拳を受け止める。そのまま全力で握り潰し、骨が悲鳴を上げる音が響くが大きな痛手には足りない。僅かにジャックが怯んだだけで、その隙にレオンは右腕を可能な限りの力で差し込んだ。


 一瞬だけ力の緩んだ瞬間を突かれ、ジャックの右腕は刺突を止めきれない。勢いそのままに逞しい腹筋に衝突。力任せに矛先を腹の中へめり込ませていく。

 固い硬化した筋肉を掘り進んでいく感覚だ。血を噴出させ内臓を抉り出し、ジャックの息の根を止める。ジャックを、殺す。


「──それは、期待外れだな」


 腹へ貫通される直前、ジャックは敢えて前に踏み込むと、大きく右の腕をレオンへと振り抜いた。予想の外から行われた反撃に、思わず槍から右手を離すと迎え撃つように拳を放つ。

 一人の人間が持つには重すぎる威力の拳が二つ。真正面からぶつかり合い、


「おりゃぁ──!」


「────!?」


 押し負けたのはレオンだった。どうにか槍は左手に保持したまま、冗談のようにレオンの体が背後へ飛ぶ。先ほどとは違い、地面を跳ねるように。何度も何度も全身を殴打しながらレオンは地面を転げまわっていった。


「気づいた。気づいちまった。本当に、拍子抜けだ」


「な、何をだ……?」


「弱点だ。お前さんのな」


 冷めきったような言葉を血と共に吐き捨て、ジャックは心底残念そうにレオンを見下す。


「お前、俺を殺すのを躊躇っただろ? 一瞬だけ力が緩んだ。それが無ければ俺が踏み込んだ時点で腹の中身ぐちゃぐちゃにされてて死んでた。まあ、そうなる前に一度距離を置くつもりだったが……それなら痛み分けで済んだはずだったのにな」


「…………」


 否定しようと顔を上げるが、喉から何も放つことができない。当たり前だ。今のジャックの言葉は、全て図星なのだから。

 そのまま押し黙るレオンへ、ジャックはますます軽蔑の視線を強めていく。


「甘すぎるんだ。戦いは相手を負かすためのもの。負かす、には殺すことだって含まれているんだぞ? 手を抜いて勝てると思ってるのか?」


「……必要だったら躊躇いはしないさ。でも、今は」


「必要だろう? 仲間が捕まり命の保証も無い中で、悠々と俺が消耗しきるのを待つのか? 何もかも中途半端なんだ。仲間を助けようとする割に、自分の勝手で手を抜きやがって。お前みたいな偽善者が一番嫌いだ」


 酷く冷めきった眼で罵倒を続ける。その肩から大きく力が抜けて、ため息を付くと追い払うように手を振りながら、


「飽きた。幸い依頼主からお前らを捕まえる必要は無いってことだ。見逃してやるからさっさと帰れ」


「……エリアスはどうなる?」


「敵も殺せない偽善者が、他人の心配を抜かすな」


 レオンに背を向けて洞窟の奥へと歩いていってしまう。本当に、レオンには興味を失ったらしい。そうだ、確かにレオンは偽善者だ。

 人を殺すことに怯え、人を助けると称した自己満足に浸り、まるで“英雄”に憧れた子供のよう。それがレオンの行動原理。正しくわがままな子供だ。だが、それでも。


「エリアスが、あの子が笑ってるところを見たことが無いんだ」


「…………」


「綺麗な顔をしてるのに、いっつも眉を寄せて怒ってるみたいで。俺たちにも心は許してなかっただろうな」


「俺はお前の話相手じゃないぞ」


 レオンの身勝手な一人語りにジャックが足を止める。


「でも、時々悲しそうな顔を見せて、あの森の中じゃ泣きそうな顔をして。それを見せておいて、俺みたいなわがままな男に放っておけっていうのか?」


 ジャックが首だけで振り返った。苛立たし気に眼を細め、レオンを睨み付ける。


 レオンは聞いてしまったのだ。あの男勝りな少女の悲鳴を。彼女の過去に何があったのかなんて知らない。だが、あの泣きそうな顔を見てしまうと思い出すのだ。ひとりぼっちだった頃の記憶を。


「思い出したくも無い記憶を引っ張り出されて迷惑なんだ。ここでエリアスを見捨てても、きっと心に後悔が残り続ける。そんなモヤモヤを抱えたまま、生きていくのなんて嫌さ」


 射抜くようなジャックの視線を無視し、レオンは固く眼を閉じた。エリアスを見捨てる選択肢なんて、もはや存在しない。エリアスのためではない。他でもないレオン自身のために、彼女を見捨てることなどしない。


「あの子にとって余計なお世話かもしれない。あなたの言っているように偽善なのかもしれない。──そんなこと知るか。俺は俺のために、あの子を助けて、心の底から笑えるようにしてやる」


 再び開け放ったレオンの瞳には強い力が、信念が宿っていた。それに再び興味をそそられたのか、ジャックは体ごと向き直る。ただし苛立たしげな表情はそのままで。


「それでどうするんだ? お前が人を殺せないことには変わりは無いだろう?」


「ああ、そうだ。そんなすぐに直せるなら最初からそうしてるさ。それに実力でも今のままじゃあなたには敵わない。だから、ズルだと思うけど……今はこいつを使わせてもらう」


 ポーチから取り出したのは二つ目の容器。オレンジ色のラベルの貼られた先ほどと同じ種類の容器だ。不思議そうに容器を観察するジャックの前で、レオンは僅かにそれを見つめてから中身を飲み下す。


 体の奥底から、出してはいけないものが湧き出してくる。何度も止められ、自分自身でも制限を課した禁忌。エリアスを助けるために森でも使ったそれに、今だけは頼らせてもらおう。


「俺一人で良かった。下手に人がいると巻き込みかねない。……ジャック、気を付けてくれ」


「何を言って……」


 ジャックが問い質すより前に、視界が大きくぶれその場で膝を付く。愛用している槍さえも地面へ放り出し、激しい頭痛に堪える。

 体が熱い。先ほどの比では無い熱が全身を、魂を覆いつくしていく。何もかも溶けてしまいそうで、それは間違えていない。レオンの中で、レオンの大切な何かが溶けていた。


 熱い。苦しい。怖い。この感覚が、この先の自分自身の行動が。闇に呑まれていく意識が。

 それでも今だけはこの呪いに身を捧げよう。この忌々しい力に全てを任せよう。次に目覚めた時にはきっと──。























「うまい」


「は……?」


「美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ美味イ……足リナイ」


 うめき声を上げて座り込んでいたレオンが、ゆっくりと立ち上がったかと思うと、俯いたまま狂ったように声を発し続ける。その明らかに異常な様子にジャックは呆けた声を漏らしつつも、すぐさま両の拳を構えた。


「足リナイ……モット。モット欲シイ。モットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモット」


 ブツブツと呟き続けながら、ほんの僅かに顔を上げる。前髪の隙間から覗いた紅色の瞳が怪しく瞬く。“殺気”に支配された暗い赤色がジャックを捉えて、


「モット、寄越セ──!」


 消えた。文字通りに姿が掻き消えた。驚き、だが冷静に気配を探るジャックだが、彼の実力を持ってしても捕捉できない。まさか逃げただけなのか。

 そうだとするならば、己の武器を置いていくほどに慌てていたのか。不可思議な行動に地面へ取り残された槍へ視線を落とした。


「ヒャハハハッ!」


「な──!?」


 背後に響く僅かな着地音。それに反応して振り返った瞬間、顔が裂けるほどに笑った“化け物”が爪を伸ばしていた。咄嗟に右手で弾こうとして、


「ぐぅぁああ──!」


 あまりの力に逆に払いのけられる。そのまま伸ばされた腕はジャックの胸を捉え、遠慮無く血肉を抉り取っていった。異能で硬化した体も気にせずに、雪掻きか何かのように大きく肉が奪われていく。

 危険な状況にジャックはすぐさま蹴りを放ち、化け物を引き剥がした。地面を転がり、だが器用に受け身を取った化け物はすぐさま立ち上がる。そして手の中に納まっていていた血肉の山を、ひどく嬉しげに眺める。


「美味シイ血肉ノ甘美な……なな……」


「今度は何だ?」


 その血に顔を近づけていき、口が触れる直前で突然に苦しみだす化け物。まるで何かにせめぎ合っているような姿にジャックは眉を潜めて、化け物が左手で自身の右肩を殴りつけた。


「うっ……ヤばい。どれダけ飛ンデた……?」


「……ほんの数十秒だ」


「ソうか……もう一度言うケど今の俺ハ手加減でキないカラな」


 そう言って姿が掻き消える。再び現れた時にはいつの間にか拾ってきたんであろう、右手に槍を構えていた。だが、その表情は苦しそうに、逆に笑みさえ浮かべることもあって安定していない。今にも先ほどの化け物となって飛び出してきそうな雰囲気だ。


 あの化け物に痛みつけられるのは相対するジャックだけでは無い。レオン自身が一番、化け物の浸食で苦しめられていた。


「そこまでしてあのガキを助けたいのか……。それほどの信念を持っていて、人一人殺す覚悟もできないのか……」


 こんな殺伐とした世の中だ。どちらかが死ぬまで解決しないことがあるとも理解しているし、ソラやセレナが魔族に止めを刺した時にだって黙って見送っていた。

 だが、自分ではどうしても最期の手を下せない。それは過去のトラウマに起因することだが、所詮は言い訳。そんなわがままなレオンが唯一取れる殺人の手段は、こうやって呪いに魂を捧げることぐらいだった。


「覚悟ヲ……!」


「こいつは捕まえるのも、足止めも無理そうか」


 二つの人影が再び衝突する。洞窟の広間にこれまでで最大の衝撃が爆発した。


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