第十一話 暗闇に沈む計画
魔族の撤退からおよそ一時間。太陽が沈み始め村と平原を赤色に染めていく中、冒険者たちは村の中心部に集っていた。
「被害の把握が完了しました。第一陣、全二百六十四人のうち死傷者が四十七名。戦線復帰の困難な者が八十二名。王都へ逃がす人員も考えると、およそ戦力の半数が失ったことになります」
第一陣のまとめ役である生真面目そうな男性冒険者が、苦しげに報告する。完全に想定外であった盗賊団の襲撃の結果は酷いありさまだった。先日の略奪で既に廃墟と化していた村は更なる血を塗りたくられ、再び少なくない死傷者が発生した。
悲痛な表情を、あるいは憎悪に満ちた表情を浮かべる冒険者たちは、恐らく今回の襲撃で仲間を殺された者たちだろう。何度も何度も、魔族たちは悲しみを量産し続けている。
「元々部隊を分けたのは洞窟で展開できる戦力に限りがあったことと、村の土地に収容できる数の問題じゃった。人数が減った以上、全員を一か所にまとめるべきじゃのう」
真っ白な髭を弄りながらクフンがそう零し、第一陣のまとめ役も迷いなく頷く。だが、それに続いてまとめ役の男性は悔しげに顔を俯かせると、
「それに加えて盗賊団の殲滅は諦めるべきです。あくまで王都の近辺から追い出すことを目標にしましょう」
本人が一番納得していないのが、痛いほどに伝わってくる表情だった。あくまで撃退は妥協点に過ぎない。残党とはいえ、逃がしてしまった魔族が残す被害を考えれば殲滅してしまいたい。だが、それをするには現状リスクが大きすぎる。
それはこの場にいる全員が理解していた。だから、それを否定する言葉は──
「冗談じゃねえ! 魔族を放っておくのか!?」
それは少女の、あまりに似合わない口調での怒号だった。一斉に冒険者たちの視線が少女へ、エリアスへと集中していく。まとめ役の男性も最初は唖然とした表情を浮かべていたが、すぐに復活するとエリアスと真正面から向かい合った。
「殲滅を考えるにはあまりにリスクが、不確定要素が大きいんです! 何故我々の存在に気付いたのか。撤退のタイミングも不可解で……そもそもあれだけの魔族が潜伏していたこと自体が既におかしい。まだ判明していない別稼働隊がいたらどうするつもりですか!?」
攻めるはずだった冒険者側が、逆に奇襲された時点で何か裏があるのは明白だ。ヒューマンの国である王国では、魔族はそれだけで拘束または処刑される理由となる。
エルフやドワーフの住む共和国や、獣人たちの自由都市国家群ならもう少しましな扱いを受けているだろうが、少なくとも王国では他者との接触さえ難しい。
そのような環境でどうやってこちらの情報を掴んだのか。偶然近くを偵察が通りかかった、という線は魔族側の対応の速さからしてあり得ない。これは予め冒険者が村で野営することを知ったうえでの襲撃だった。
「それでもだ。奇襲が成功して戦況は向こうに傾いていたってのに、あいつらは俺たちの到着で撤退した! 俺たちに敵わねえって判断した証拠だろうが!」
そして、エリアスの言葉も決して間違えていなかった。総力戦では勝てないと分かっているからこそ、予め戦力を削る目的で行われた奇襲作戦。
もしそれが正しいのなら、魔族が対策を整える前に一気に攻め込んでしまえばいい。純粋な戦力で上回っているのなら、よほど下手を打たない限りは負けはしないだろう。
むしろ時間の経過は魔族に様々な選択肢を与え、状況の悪化を促すことになる。
「無茶はしないって言っただろう? あんまり場を書き乱すようなことは……」
「──俺はそいつに賛成だな」
レオンが小声でエリアスを嗜めようとして、別の少年の声に思わずそちらへ顔を向ける。地面に胡座をかいていた少年は──クリスは──その低い身長で懸命に右腕を持ち上げると気だるげに口を開いた。
「奴等の動きは確かにおかしいけどな、俺たちと正面切って殺り合いたくないだけに見えた。何かを探ろうとしてるって言うのか……戦うのは二の次ってな。余計な時間は与えるべきじゃねえとは、俺も思うぜ」
「根拠はあるんですか? そんな根拠もなく言われても……」
「勘だ。それだけで理由は十分だろ」
自信満々な顔で言い放つクリス。まとめ役の男性が圧倒されたように刹那の間だけ言葉を失う。それが命取りだった。
「俺も、俺も賛成だ……。あいつらは、俺の仲間を殺しやがった! 仇を取らせてくれ……!」
一人の青年が絞り出すように言葉を溢す。彼の体は血塗れで、乾いた血が服をどす黒く染めていた。
その血の持ち主は、きっと討ち取った魔族のものだけではあるまい。
「私はこの村の出身なの……元より、あいつらを許すつもりはない!」
「一瞬だった。野営の準備をしてたら、空からドレイクが飛び降りてきて。気がついたらみんな死んでた……。あのドレイクだけは許さない」
「僕も目の前で……僕を庇って──」
エリアスの意見に、クリスの賛成を切っ掛けとして次々と肯定する言葉が叫ばれていく。彼らがその瞳に宿しているのは深い深い憎悪。エリアスと同じ、大切な人々を殺した魔族に対する怒りと悲しみだ。
例え冒険者として死という終焉を覚悟していたとしても、それで怒りを覚えない訳ではない。仲間の居なくなった世界に、悲しみを覚えぬ者はいない。ぽっかり空いてしまった穴を埋めるためには、復習という道しかない。
「魔族を殺せ──ッ!」
「皆殺しだ!」
「あのクソッタレどもを許すなっ!」
「静粛に! 私情を挟むのは個人レベルの依頼だけにしてもらいたい!!」
今更口を挟んだところでヒートアップした集団を止めることはできない。まとめ役の男性が思わずと言ったところで空を仰げば、太陽は既に半分以上が地平線に沈み日暮れまでの猶予は残りわずかだった。
結局、夜間の見張りのスケジュールをどうにか伝えたところで、ミーティングは閉じられることになる。
☆ ☆ ☆ ☆
「エリアス! どうしてあんなことを言いだしたんだ!?」
適当な廃墟の壁に背を預けて座り込んでいたエリアスは、頭上から響くレオンの声に顔を上げた。視界に入り込んだ彼の顔は、珍しく咎めるようなものに変わっている。この青年でもそのような表情を見せるのだな、と他人事のような考えが頭を過る。
「願ったことは口にしねえと叶う筈がないだろ? だから俺の意見を主張しやすいあの場面で訴えた」
「君が魔族を恨んでいるのは分かってるけど、今回は大勢を巻き込むんだ。これで被害が大きくなったらどうする? 俺たちだけでどうにかできる問題じゃないんだぞ」
必至に話すレオンから垣間見えるのはやはり他者への気遣いだった。犠牲が大きくなってしまう可能性を懸念して、そのことについてレオンは怒っている。本当に、出来過ぎたほどに善人だとつくづく思う。私情と恨みだけで動くエリアスとは真逆の存在だ。
──そんな真っ直ぐな生き方がエリアスには眩しすぎる。
「知るか。俺は自分がやりたいことを、他の連中に許されるように言っただけだ。それに乗って攻撃的になるのも──死のうとそいつの勝手だろ」
胸の奥で何やら痛みを感じ、自然と刺々しい口調になってしまう。もちろん、口にした言葉に嘘偽りはない。ただエリアスは己の信念を口にしただけなのだ。それに影響をされて、無茶な行動を取ろうともエリアスの知るところでは無かった。
「もう、今更どうしようもできないさ……だけど、今後は気を付けて発言してほしい」
「余裕があったらな」
真剣に話すレオンを雑に受け流し、その場から立ち上がる。その姿に、説得は無理だと判断したのかレオンは大きくため息を付いた。
「じゃあ時間も近いし、先に見張り番の交代の場所へ向かおうか」
その言葉にはエリアスも素直に従い二人は夜の村で足を進めていく。太陽は既に沈み切っており、世界は闇が支配していた。分厚い雲は月と星の明かりさえ阻んでしまっていて、唯一冒険者たちを導いてくれるのは魔水晶の光だけ。
今こうしてレオンを視認できているのも、一定間隔で術式を刻まれた魔力の結晶──光を放つ魔水晶が設置されているからだ。それに加えて虫の一匹さえ逃がさないとばかりに辺りを巡回する冒険者たち。
魔族の夜襲には全力で警戒していた。さすがにここまでの気を引き締めていれば、魔族だって攻めあぐねるはずである。
「まあ、何事も無いこと祈るぜ。さすがに今ここでやり合っても仕方がねえ」
「同感だな。昼間のこともあってみんな疲れてる。少しでも体を休めて体力を回復しないと」
魔族を逃がすことには反対でも、無茶な突撃を繰り返して返り討ちに合えと主張しているわけではない。万全を整えるために、身を休めることはエリアスだって賛成だ。
勇敢と無謀を取り違えるな。良く耳にするが、これほど的を射ている言葉も無いだろう。だから、今晩だけは平和に夜明けを迎えて欲しい。何事も無く平和に──
「あ?」
突如、視界が失われエリアスが思わず間抜けな声を零す。慌てて周囲を見渡しても、エリアスの青い瞳は何も写すことは無い。
「急に魔水晶の光が消えた……?」
すぐ隣の頭上からレオンの声が聞こえてきた。確かにその言葉以外には考えられない。だが、村中に設置された光源が一斉に光を失う。そんなことあり得るのだろうか。
酷く嫌な予感がエリアスの胸の内を一気に占めていく。何かまずいことが起きている。だが、視界を確保できない世界では迂闊に動くこともできなかった。
「エリアス。とりあえず様子を見るけどいいな?」
「おう」
短く小声で意思の疎通を終えると、全神経を周囲の気配を探ることに費やす。同じようにあちこちで困惑するような声が聞こえてきていた。その中でもとある一つの会話がエリアスの耳へ届く。
「どうなってるんだ? とりあえず明かりを付けようぜ」
「ちょっと待ってろ。えっと……光よ灯れ『光源』」
迂闊にも二人組の冒険者は魔法を詠唱すると光の玉を顕現する。非常に不安定で弱々しく、明らかに不慣れな魔法の行使だったが、確かに光が生まれた。そんなちっぽけな光でも、暗黒の世界ではあまりに目立つ派手な魔法で、
「へ?」
一瞬だけ暗闇に浮かび上がった少年の顔が真っ赤に染まり、術者を失った光は直ちに消滅する。再び闇に飲み込まれた村で、何かが倒れる音が二つ響き──冒険者たちの警戒が一気に限界にまで引き上げられる。
「ちくしょう、何も分からなかったぞ!?」
『下手に声を出すないでくれ……!』
今の光景を見ていれば、何者かが闇に潜んでいてそれに冒険者が殺されたことは分かる。馬鹿でも分かる。だが、その一連の動きの中でエリアスの知覚には何も引っかからなかった。
呼吸の音も、地面を踏みしめる音も、風を遮る肉体も、武器を振るう音も。何も感じられなかった。それは、エリアスにその魔の手が伸びても気づくことができないということを意味しているわけで。
(マジでヤバイ! これは対処できねえ……!!)
最初は困惑したかのような声が漏れていたが、数十秒経った今では悲鳴だけが響き続けている。一体どれだけの冒険者が殺されているか。敵の数はいくつなのか。どうやって気配を完全に隠蔽しているか。情報が足りなさすぎる。
『しゃべらないでください』
「──っ!?」
加速度的に神経が擦り減らされていき、突然口元に手を当てられ心臓が飛び跳ねる。咄嗟に剣を抜こうとして、囁かれた声に覚えを感じると僅かに緊張がほどけるのを感じた。
『ふうっ……驚かすなっての』
『セレナ……? 良かった、ソラとブライアンは?』
『見えないと思いますが、私のすぐ後ろに居ます……っとこんな悠長なことは止めて、すぐに対応しないと……!』
限りなく小さくされた声なのに、セレナの言葉から彼女に似合わない焦りが窺える。だが、状況が状況だ。いくら冷静沈着な彼女でも、怯えることがあっても当然である。
『とりあえず集まれただけでも運がいい。円陣を組んで少しでも守りを……』
『違うんです! そんなことでどうにかできる問題じゃありません。一体どうしてこんなところに“あれ”がいるのか、“情報屋”は何をして……とにかく想定外が重なりすぎているんです……!』
『セレナ、落ち着いてくれ。何があったんだ?』
訳の分からない言葉の連続にエリアスの理解はとても追いつかない。それでもセレナがこれまでに見せたことの無い様子に、事態が最悪を超えてドンドン悪化しているのを嫌でも自覚してしまう。
次々と悲鳴が上がっていく中で、セレナの混乱した声がそれに混じる。
「居るんですよ! すぐに近くに“宝玉”のほゆ……」
『待て、声が大き──』
レオンの制止も間に合わずに、セレナの美しい声が零れ落ちた。最後の理性がそうさせたのか、確かに小さい声量ではある。しかし、闇に潜む暗殺者には十分に聞き取れる大きさだったのだろうか。
ほんの少しだけ。ごくわずかにエリアスの知覚に何かが引っかかって、
「──くそっ」
──恐ろしい速さで死が、エリアスへと襲い掛かった。
☆ ☆ ☆ ☆
一斉に光源が無効化され、悲鳴が次々と上がる中。この場のまとめ役の一人であり、指揮官であるクフンは何の指示も下さないでいた。
だが、彼の名誉を守るためにも大事なことを付け加えておきたい。彼は指示を出さなかったのではない。出せなかったのだ。
「……このタイミングで戻ってくるとはのう。何か弁明はあるか? なあ、フェイトよ」
全くの暗闇なのはクフンがいる即席の司令部だって変わらない。だが、彼の眼は、狐人族の眼は確かに闇の向こう側に佇む一人の青年を捉えていた。
「何を言っているのか分からないっスね。偵察を終わらせて村に戻ってきたら様子がおかしかった。だから部下を外で待機させてから、オレ一人で顔見知りのあんたのところに来た。それだけですぜ?」
そして、明らかにヒューマンであるはずのその青年も、クフンのことをしっかりと目視していた。普通の人間には何も映らない世界でそれでも二人は対面している。
「この悲鳴は聞こえぬのか? お主なら敵を補足する選択もあるじゃろうに、何故それをしない?」
「それよりもあんたを守る方が優先で……このやり取り、止めにしません? 色々と細工させてもらったんで何話しても証拠はできないっスよ」
途中まで言葉を紡いだところで、青年は面倒くさげに話題を変える。その言葉にクフンの表情が凍り付いた。
「そうかお主も、いやお主のクランは全員グルなんじゃな……」
「グルだなんてそんな汚い関係じゃないですって。うちらは只のビジネスパートナー。あんたらの方がよっぽど汚れているとオレは思うけどねぇー」
当初の取って着けたような敬語もついには殴り捨て、青年が軽薄そうな口調へと変わる。その暗闇を見通す瞳が鋭く細められて、
「──ギルド本部はどこまで腐ってやがるんスか? ギルドの上層部は、どこまで関わってる?」
「それはお主の知るところでは無い」
二人の視線が真っ向から絡み合う。冒険者たちの悲鳴が途切れるまで、人知れず二人の静かな探り合いは続けられていた。




