第一話 戦いの方法
真っ直ぐに剣を正面へ構え、全神経を集中する。背後で震える者たちも、別の方向から忍び寄る影も。それらは他に任せておけば良い。
ただただ、目の前の景色だけに意識を傾ける。
だが、周囲を埋め尽くす草は腰に届くほどに生い茂っており、視界は最悪だ。故に耳を、鼻を、肌を。目を瞑って、他の感覚をその分だけ研ぎ澄ませていき、
「──ガァゥッ!!」
正面の草影から二匹の狼が飛び出してくる。ほとんど前触れ無く現れた敵を、しかし予め認識していたエリアスは数歩横に体を逃がし、空中に飛び上がった狼へ剣を振り下ろした。
血飛沫を上げ、地に落ちていくその肉塊からすぐに視線を外す。背後へ目を向ければ、相棒の仇を取るべく再びエリアスへ踊り掛かる狼の姿があった。
「くっそ……!」
身構えていた先程と違って、今度は回避する余裕は無い。首めがけて突き出される凶悪な牙を剣の腹で受け止めて──エリアスの腕が衝撃に悲鳴を上げる。
──弾き返せない。
咄嗟にそう判断したエリアスは背後へ飛び退こうとするが、狼の方も仲間を葬られ死に物狂いだった。その勢いに体勢を崩され、背中から地面に投げ出される。
「ガァッ!!」
「…………っ」
そのまま狼に覆い被される形だ。痛む腕に魔力を流し込み無理やりに力を引き出させ、すぐ目の前に迫る狼を押し返そうと剣の腹を突き出した。
それでも、上を取られてしまった状態では拮抗するのが限界。痛みが増し、徐々に曲がっていく腕に冷や汗を自覚する。
「はあッ!」
もう少しで押し負ける、そう思ったとき不意に目の前から狼の姿が消え去った。自由になった体に驚きつつも飛び上がり、すぐ側でレオンの槍に貫かれた狼を見つける。
周囲へ意識を向ければ、同じ群れを構成していたのだろう、他の狼の骸が平原を血で濡らしていた。
戦いが終わったことをようやく認識し、大きく息を吐くと脱力する。
「怪我はないか?」
「ああ、問題ねえ」
剣を鞘に納めると、手をヒラヒラ振って無事をアピール。その姿を見て安堵の息を付いたレオンは背後を、セレナとソラに守られている人々へ視線を移した。
「そちらもお怪我はありませんね?」
「ええ、全員傷一つありませんよ。少々驚きましたが、それだけです」
レオンが丁寧に声を掛けると、五人の村人から年配の男性が答える。その中には二人の少年少女も混じっていたが、魔獣に怯えることもなく、むしろ満面の笑みを浮かべていた。
「ねこのお姉ちゃんすごいっ!」
「カッコ良かった!」
「ふふん。これぐらい朝飯前だよ」
その子供たちの称賛を受けて、無い胸を反らすソラ。子供受けの良い彼女が安心させるように、側に居続けたのが良かったのだろう。
目の前で魔獣が真っ二つにされても動じない辺り、元から胆力はかなり優れていたように思えるが。
「それにしても、あなたたちを雇って正解でしたよ。狼型の魔獣の群れとなると、我々だけでは逃げることもつらい」
村人は心の底から放つような大きな息を吐く。普段通り彼らだけでの移動なら、運が良くて死体が一つ。悪ければ骨の先まで食い尽くされ、死体すら誰一人残らなかっただろう。
二人の少年少女までそれに巻き込まれれば、大人たちは死んでも死にきれない。最も、エリアスたちの護衛があるからこそ、子供たちを同行させているのだが。さすがに護衛無しで都市や村の外を子供に歩かせることは無かった。
「最近は魔獣も増えてて物騒ですので。少しの移動でもしっかりとした護衛は雇うべきですよ」
「ごもっともですな。魔獣に加えて、近辺では新たな盗賊団が幅を利かせているようですし……」
長い銀髪を揺らすエルフ、セレナの言葉に男性も深く頷く。そうやってレオンとセレナが大人たちへ、ソラが子供に声をかけて回るが、特に不調を受けべる者はいなかった。
いくら魔獣が闊歩している世界と言えども、目の前で大量に流れる血を見て、気分を悪くする人間は少なからず存在する。そういった精神的な部分も守るのが、護衛としての役割なのだとレオンたちは自負していた。
「そこまでする必要はねえだろ」
「そう言うな! 金を受け取っている以上、できる限りのことをするべきだとは俺様は思うぞ!」
献身的なレオンたちを一瞥し、エリアスとブライアンは魔獣から魔核の採集を行う。時間が無いため、さらに二人の性格を反映しているのか、かなり強引に死骸から魔核を引きずり出していた。
「へー、その割にはお前はこっちなんだな」
「俺様の顔は迫力があり過ぎるからな。下手に近づいてもみんな怖がっちまうんだ!」
言われてブライアンの顔を改めて眺めてみる。無精ひげに覆われた顔面。そのせいか、実際よりも小さく見える鋭い眼。笑って見せれば愛嬌のある顔に見えるのだが、耐性の人間からすれば大男の雄たけびにしか捉えられないのかもしれない。
「お前も苦労してんだな」
堪らず漏れた同情の声にも、ブライアンは大口を開けて笑みを浮かべるだけだった。
☆ ☆ ☆ ☆
「今回はありがとうございました。あなた方がいなかったら、どうなっていたことかと」
「こちらも報酬は頂いてますから。では、また機会があったらお願いしますよ」
夕暮れの景色の中。レオンと村人のまとめ役は冒険者ギルドの前で社交儀礼を交わす。とは言っても、お互いの人柄が出ているのか。それが表面上だけのものでは無いのが、傍で待っているエリアスに理解することができた。
「お姉ちゃんもまたねっ!」
「じゃあな!!」
すっかりソラに懐いていた子供たちも、元気に手を振って見せている。それから、僅かに躊躇いがちに視線をソラから外し、何故かエリアスへ向けた。
特に意識していなかったエリアスと少女の眼が不意に重なる。驚いたように、若干怖がるように顔を俯かせる。その姿を見た少年がエリアスの近くにまで寄ってきて、
「……どうした?」
「青い姉ちゃんもかっこよかった! 今日はありがとう」
「あ、ありがとう……」
少年が元気よく声を張り上げると、少女も覚悟を決めたようにそれに続く。村から追うとまでの護衛で、エリアスと子供たちが関わったことはほとんどなかった。
そのため、この状況はエリアスにとっても予想外で──少年の向こう側で小さく舌を出すソラの姿があった。
(あいつの差し金か……)
全く余計なお世話だと思いつつも、子供たちを改めて見下ろす。好奇心と不愛想なエリアスに対する僅かな怯えと。だが、真っ直ぐな瞳はまだ何色にも染まっていない純粋な物だった。
「向こうのお姉ちゃんもだけど凄いよな、女の子なのにあんな風に剣を振り回して。俺も将来は姉ちゃんたちみたいな冒険者になるんだ!」
「そうか……だけどな、あんまりなおすすめはしねえよ」
見えない剣を振り回しながら、少年が宣言する。その姿にエリアスはどこか遠い眼つきで言葉を絞り出した。
「え、なんで?」
「戦うことなんて無い方がいいんだよ。ただ、村を守るために剣を覚えたいんなら、いくらでも練習しろ。そうすりゃ少なくとも、俺みたいにはならねえ」
自虐的な表情のエリアスの言葉に子供たちは理解できなそうに首を傾げる。
「まあ、気にするなっての。今の生活を大事にな」
「うん……分かった」
エリアスの言葉に何かを感じたのか。困惑しつつもしっかりと頷く。それから大人たちに呼ばれ、エリアスの前から立ち去る。途中でレオンたちにも声をかけてから、大人たちと共に遠のいていく背中を見送っていった。
「意外だな。エリアスはああ言うことタイプには見えなかったけど」
「へっ悪いかよ。今更俺自身は変われねえけど似たような屑が増えて欲しいわけじゃねえんだ」
照れ隠しのように早口で言ってのけるエリアスへ生暖かい視線が集中する。ムズかゆいそれを払い退けるように、わざとらしく大げさな身振りで振り返って、
「さ、宿に帰ろうぜ。俺は疲れた。さっさと飯食って寝る」
「エリアスさん、その前に確認しておきたいんですが」
苦笑しつつエリアスの後を追う一行を、セレナの声が妨げた。不思議そうに立ち止まるレオンたちと首だけで振り返るエリアス。
その隙にセレナはエリアスに素早く迫る。突然の動作に反応に困ったエリアスの右腕を強引に掴み──慌てて振り払おうとするエリアスの袖を大きくまくって見せた。
「──やはり、こうなっていますか」
「…………」
予想通りと口にするセレナを相手に押し黙る。それは周囲のレオンたちも同じだ。否、レオンたちは目の前の光景に眼を見開き、言葉を見つけられていないだけである。
大気に晒されたエリアスの右腕は大きく腫れ上がり、薄いながらも紫色のあざに覆われていたのだから。まるでそれは先日の“変異種”と同じような模様で。
「腫れの方は物理的なものでしょうが、あざの方はもっとひどい。これ、魔法による過剰なドーピングの影響ですよね?」
エリアスの戦い方は、剣技による接近戦に魔法による補助を交えたものだ。少女になってしまった今でもそれは変わらず、しかし筋力の著しい低下を『身体強化』の魔法によって補っていた。
このあざもそれが原因なのは明白だった。
「『身体強化』はここぞという時に力を振り絞る魔法です。決して足りない筋力を無理やり補うものではありませんよ」
「……素の状態じゃ、力が足りなさすぎるんだよ。仕方ねえだろ」
『勇者』の力などどこへやら。今のエリアスには見た目相応の膂力しか備わっていない。足りないものをどうにかするならば、多少の無茶は許容しなくてはならないだろう。それがエリアスの考えだった。
「仕方ないでは済まなくなりますよ。とにかく、今後は『身体強化』の使用を最低限にしてください」
「断る。俺の目的のためなら、これぐらいどうってことはねえ」
どうせ力を取り戻すまでの辛抱だ。そう内心で呟き、セレナへ真っ直ぐで鋭い視線を送りつける。その頑なな態度にセレナは大きく息を付いてから、真正面から視線を受け止めて見せた。
「エリアスさんと出会って、もうすぐ一か月ですが、一つ言っておきたかったことがあります。丁度良い機会でしょう」
相変わらず妙な迫力を見せるセレナの前置きに、無意識に体が身構えてしまう。それに構わずセレナの口が小さく開いて、
「──あなたにはまともに戦う力がありません。今すぐにでも剣を置いてもらいたい」
「は……?」
放たれた言葉の意味を飲み込むのに、少なくない時間を要した。少しずつでも内容を噛み砕いていき、理解した途端にエリアスは声を張り上げていた。
「ふ、ふざけるなっ! 俺が剣を無くしたら、何が残るってんだ!?」
「セレナ……さすがにそれは言い過ぎじゃないか」
それまで黙っていたレオンが二人の間に割って入る。彼もセレナの発言には思うところがあったのだろう。しかし、男性を前にしてもセレナが怖気づくことは無い。例え、それが引き締まった筋肉をまとう戦士でもだ。
「体を壊しながらでないとまともに戦えず、そのうえで体調の管理さえできない人間が身を置けるほど、冒険者の世界は甘くない。レオンさんが知らないはずはないですよね?」
「自分のことぐらい自分が一番分かってる。今は加減が分かってねえだけだ。そのうち慣れるから問題ねえ!」
あっという間に口を閉ざされるレオンを、押しのけながら吼える。今すぐセレナには撤回してもらわなければ気が済まない。
剣とは、戦いとは、エリアスにとって人生そのものだ。それ以外に何も持っていないのだ。
「そのうちとはいつですか? 慣れてどうにかなるんですか? そもそも、小柄なあなたが剣を持つところから間違えているんですよ」
「……なら仮にだ。俺が剣を置いたらどうやって生きていけばいい? 戦うことしかできねえ俺に、どうしろってんだ!?」
「魔法ですよ」
衝動的に口にした質問に答えなど求めていなかった。それ故に、すんなりとそれを返され一瞬思考が止まる。その停止した意識へセレナの声が不思議なほどに響いていく。
「私だって、何もかも否定する気はありませんよ。ですが、あなたは魔法の腕だって決して剣に劣るものでは無いんです。無理をして、剣にこだわる必要がありますか?」
「で、でも俺の剣は……」
「エリィ」
それは完膚なきまでに正論だった。反撃する言葉が見つからずに、たじろぐエリアスはソラに呼ばれると反射的にそちらへ顔を向けてしまう。
困ったような笑みを浮かべ、それでも瞳には真剣な光を宿らせて、
「あたしも、正直危ないかな、とは思ってたんだよね。無理して剣士を続けなくても魔法使いとして……あたしたちのパーティーは前衛に偏ってるしさ!」
エリアスの鋭い眼光に怯みつつも、どうにか明るく振る舞う。しかし、今ばかりはその態度が妙に鼻に付いてしまって。大きな舌打ち一つを返答として、再びセレナへ顔を向けた。
「一々お前らの指示に従う気はねえからな! 俺は……剣を置くつもりはねえ」
大きく腕を振って確かな意志を示し、セレナたちの答えは待たない。すぐさま振り返ると、宿に向かって足を進めていく。
ズキズキと内側から痛む腕がエリアスのことを嘲笑っているように感じられた。




