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ひとりよがりの勇者  作者: 閲覧用
序章 勇者の堕落
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第一話 勇者の日常

 住民が、商人が、馬車が、あらゆるものが通行する王都の中央通り。昼には商売人が大声で客を呼び寄せ、夜には懐の温まった冒険者たちが酒場へ踊り出す。そんな首都の繁栄を象徴するような場所だ。

 田舎から来たものは時間帯を選ばず人通りの絶えないこの都市を見て、誰しも開いた口が塞がらなくなる。そして住民は、これが王都だと誇らしげに語るのだ。


 その大通りの人混みの中に一人の異質な少女が足を運んでいた。ボロボロの布切れのような服を纏った長く青い髪の少女だ。

 年の頃は十代後半。この国では既に成人であり、早いものなら嫁に出ていてもおかしくない年齢である。

 他にも何か特徴を上げるとすれば、平均以上に整った顔立ちをしていることぐらい。さぞや、男性に声をかけられることも多いだろう。


 最も彼女のような存在はこの都市ではいないものとして扱われる。ボロボロの服を纏い、フラフラとした足取りをしていれば彼女が浮浪児か、それに近い何かであることは明白だ。

 彼女に奇異な視線を向けるこそあれど、声をかける者などおらず、人混みの中に小柄な身体は隠れていく。

 繁栄という光の裏に必ず現れる影を隠すように。


「どいつもこいつも絶対に許さねえ……。みんな死んじまえ……」


 しかし、今回ばかりはそれが幸いした。だってそうだろう。狂気じみた光を浮かべる瞳も、憎悪の籠った呟きも、誰も知らなくてよい。

 そこにあるのは憤怒と執着。自分を地の底に落とした人間たちへ報復してやろうという暗い希望と、自らを絶対の存在と信じて疑わない妄執だ。


 つい先日までは『勇者』と崇められた少女──元青年は怒りを胸に歩き続ける。ボロボロなその身体を支えるのは、長い年月をかけて凝り固まってしまったどす黒い感情。それだけだった。





 ☆ ☆ ☆ ☆





 普人族(ヒューマン)の住まう王国と、様々な魔族で構成された連邦。その国境付近の川沿いの平原に刃が、魔法が、悲鳴が飛び交っていた。

 巨大な戦力同士がぶつかり合う戦争。兵士と兵士が、騎士と騎士が、魔導師と魔導師が血を流し合う地獄の光景である。

 しかし、今この戦場に限ってはその地獄さえ生温い戦いが──蹂躙が巻き起こっていた。


「どうしてやつがここにいる! 東の方向へ向かっていたというのは誤情報だったのか!?」


 第二連隊長の男──赤い羽と尻尾を持つドレイクが思わずといった様子で叫ぶ。戦場で指揮官が動揺を見せるのは周囲の兵士の士気に拘わる最悪に近い行為だ。

 ましてや、屈強な戦士によって築かれていたはずの前線が次々と食い荒らされている状況では。しかし、彼の混乱も仕方の無いことなのかもしれない。


 ──なぜなら敵はたったの一人なのだから。


「ハッ!! どうした魔族ども!! たった一人相手に縮こまって恥ずかしくねえのか!?」


 その敵はヒューマンの青年だった。短く切り揃えられた青い髪に、同じく青い瞳。細く引き締まった筋肉を全身にまとった高身長に、長く重厚な大剣を持っていた。

 その口元は血を浴びる高揚で大きく歪み、瞳には仇敵を見つけたような憎悪が宿っている。どう見ても、まともな人間ではない。


 部下たち全員を見渡すため、やや後方に居たドレイクにはその姿がはっきりと見えていた。

 その化け物が剣を振るう度に屈強な魔族たちがダース単位で命を絶たれていき、魔法を放てば雷鳴が後衛の魔導師を焼き払っていく。


「クソッタレの『勇者』めッ! ヒューマンどもは我々を化け物と罵るが、これではどちらが化け物なのか分からないではないか」


「隊長! 前線は既に壊滅しています! このままではまもなくここへ……どうかご指示を!」


「援軍の要請はどうなっている?」


「周辺に居た『魔神』オスカル殿が急行していますが、もう五分ほどはかかるそうでして……総大将からは足止めに徹せよとのことです……」


 副官──若いドレイクの報告を聞き、指揮官は額に手を当てると空を仰いだ。『勇者』と対をなす『魔神』が到着すれば、なるほど。あの化け物を撃退することは確かにできる。


 だが、数万もの部隊をもってしても足止めすら満足には不可能だ。他の『勇者』ならどうにでもなったかもしれないが、今回襲撃してきた青年の場合は数では無く、質で勝負するしかない。

 それをせずに数で力押しを続ければ、一体どれほどの人数の同胞たちが命を散らすことになるのか。それは総大将だって理解しているはずだ。それでも命令されたということはつまり、この部隊は捨て駒にされたということに他ならなかった。


「く、ははは……! 人生の終わりは呆気ないものだな。おい、リペット」


「は、はい! 何でしょうか。少しでも時間を稼ぐために僕も前線に出ますか?」


「いいや、逆だ。今この瞬間からこの部隊の全指揮権をお前に譲渡する。やつを足止めできるのは俺ぐらいだろうからな」


 その言葉を伝えた途端、目の前の副官が目を見開く。しかし、一瞬後には必死の形相に変わり、


「ま、待ってください! あなたが死んでしまったら誰がこの部隊を率いるのですか!? 足止めなら僕がやりますから!!」


「ダメだ。お前ではやつの異能には耐えられない。それに部隊を率いる能力ではお前は俺とそう変わらん。俺がいなくても、お前が生き残れば問題はないだろう」


 そこまで言い切ったところで、二人の間を狙うように雷撃が轟いた。

 激しく音を立てながら大地を抉り取っていく一撃を二人は咄嗟に飛ぶことで回避する。


 ──指揮官は前へ、副官は後ろへ着地。


 それが二人の覚悟の違いだった。


「お別れだ、リペット。お前に必要なのは自信だけだ。実力はある、だから胸を張って生きろ」


「隊長ぉッ!!」


 背後から聞こえる悲痛な叫びに心を痛めつつも、ドレイクは前線へ歩いていく。部下の兵士たちはその姿を見て驚いた顔するが、ドレイクの表情を見ると素早く道を譲ってくれた。

 そうして、兵士の壁が左右に割れて一本の道が出来上がる。こちらの意図を汲んでくれる部下たちに感謝しながら、その道を進んでいった。


 こうして一つの大規模な部隊を任されているだけあって、ドレイクの戦闘力はかなり高い。部隊の指揮だけでなく、直接的な戦闘経験も豊富だ。

 そのような歴戦の戦士でも、身体の震えを押さえるのには苦労していた。それほどまでに『勇者』や『魔神』は圧倒的な存在なのだ。


 同じ人間と思ってはいけない。事実、戦争をする上で彼らは一種の戦略兵器として扱われている。

 兵器と単身殴り合う。間違いなく死ぬだろう。だが、指揮官という立場からしても後継は存在し、一人の魔族としてもこれ以上の虐殺を見逃せない。

 迷いは、既に無かった。


 そして、件の『勇者』は剣を肩に担ぎ、こちらを待ち構えるように佇んでいた。

 先ほどまでの蹂躙も一度手を休め、こちらを見定める『勇者』は他の兵士には目もくれない。

『勇者』と呼ばれるにはあまりに不釣り合いな濁った眼と視線が絡み合って、すぐさま悟った。


 ──こいつには絶対に勝てない。


 理性ではずっと前から分かっていたことだが、本能が改めてそれを認識したのだ。その身にまとう闘気や魔力は圧倒的。その上、やつの側にいるだけで際限なく魔力が奪われていくのを感じていた。

 これが『勇者』や『魔神』が持つ異能の一つ。あの青い化け物の場合は、周辺の魔力をそれが他の生物のものであろうと関係無く奪い尽していく。


 生命力ともいえる魔力を吸い続けられては、一般の兵士では立つことさえままならない。やつが対集団戦に優れるのはこの異能があってこそだった。


「お前がここのリーダーか?」


「いかにも、俺が第二連隊の指揮官だ。全体の将軍はもっと後方にいるがな」


「なるほどな。まあ、この辺りの兵の頭はお前って訳だ──じゃあ死ね」


 瞬間、只でさえ圧倒的だった『勇者』の闘気が爆発した。化け物が一歩踏み込んだ。そう認識したときには姿が消えており、


「ぐっおおおぉぉ!!」


 右側面にいつの間にか回り込んでいた『勇者』の回し蹴りが叩き込まれる。速度は雷の如く、威力は大地さえも割ってしまうかと錯覚するほど。

 咄嗟に竜の尾とそれに右腕を重ねて胴体への直撃を防ぐ。受け止めることなど端から考えてはいけない。即座に勢いを殺すように反対方向へ飛び退き、


 ──弾けるような音を残して、中間あたりから尻尾が吹き飛んでいった。


「があぁぁ……! 喰らえッ!!」


 ホースが破けたように血が傷口から噴き出し、ドレイクが苦悶の声を上げるが一度歯を食い縛ると痛みを無視。口から炎を放って『勇者』へ叩き付ける。

 魔力によって生み出されたドレイクのブレスは、水の中でさえ燃え続ける炎だ。さすがの『勇者』であれど、直撃すれば多少のダメージを──


「屑どものブレスなんて、効く訳ねえだろ」


 全くの無傷だった。それどころか、炎を目隠し代わりにしてドレイクに接近。ドレイクからすれば、突然目の前に現れた形であり、全く反応できない。唖然とした表情を浮かべるドレイクへ、『勇者』は容赦なく右手に持った剣を振り下ろした。

 特に力が込められているようには思えない、ごく自然な動きで放たれた一撃。それに加え咄嗟に背後へ飛び直撃を免れたにも関わらず、斬撃は右肩から腕にかけて大きく肉を抉っていく。


 ドレイクの体を覆う頑強なはずの鱗も、『勇者』の斬撃の前には紙切れ同然だった。連続する痛みに悶え、意識を手放しかける。だが、それを気合で繋ぎとめ、再び正面を見据えて唖然とした。

 既に『勇者』は振り下ろした剣を引き戻し、次なる破壊へと構えなおしていた。本当に、先ほどの斬撃は軽く振るっただけのものなのだ。故に大きく体勢を崩すことも無く、二発目、三発目も即座に放たれる。


「うおぉぉ──!!」


 無意識の内に雄たけびを上げ、振り下ろされる第二波に左腕を合わせた。鍛え上げられた腕はバターのようにあっさりと斬り落とされ、それでも僅かな停滞を生み出す。その隙に懐へ飛び込むと、右腕に力を込め振り上げた。

 ズタボロにされた筋肉が悲鳴を上げ、次々と千切れていくが一発拳を撃てればそれでよい。両腕を犠牲に放つ一撃。正しく己の人生そのものを捧げた一撃を、『勇者』の顔に向けて叩き込み──


「屑一匹が命賭けて、どうにかなると思ってんのか?」


 あまりにも簡単に左の手の平で受け止められ、そのまま拳を握り潰される。それによって潰されたのは、拳だけだったのか、それともドレイクの誇りか。

 そんなことを頭の片隅で考えて、直後『勇者』が右手だけで放った斬撃がドレイクの体を左肩から斜めに両断した。

 あまりにも綺麗な傷口は、まるで己の存在に気づいていないかのように数秒間停滞し、遅れて大量の血が吹き出る。


 肉体も精神も叩きのめされ、血の海の中でうつ伏せに倒れる。それは最早、止めを刺されるか、出血死を待つだけの肉の塊だった。

『勇者』も当たり前のようにそう結論付けると、ドレイクに止めを刺そうと剣を振り上げて──ふと眉を潜めるとその態勢のまま動きを止め、


「何なんだよ。その眼は」


 瀕死のドレイクの眼を見て、一言不快そうに吐き捨てた。ただそれだけの遅延にドレイクと『勇者』が何を考えていたのか。それは当人たちにしか分からなかっただろう。

 数秒後には、気を取り直した『勇者』は再び剣を振り上げ直して、


 ──何かが高速で飛来して瀕死のドレイクを奪い去っていった。


 あまりに高速で動くその人影を、周りの魔族の兵士たちは誰一人視認することはできない。だが、『勇者』だけは確かにその姿を視界に捕らえながら、


「来たかぁッ!!」


 歓喜と憎悪の入れ混じった、歪な感情と共に喝采を上げていた。





 ☆ ☆ ☆ ☆





 ──気に食わない。


 瀕死のドレイクに止めを刺そうとする直前、『勇者』エリアスはそう心の中で呟いた。目の前のドレイクの右腕はズタズタに裂け、左腕は手首から下を切断。出血も激しく満身創痍とはこのことだ。まだ息をしていることが奇跡に近い。

 しかし、もう何もすることのできない虫けらのくせに、瞳だけは力が失われていないのが、ムカついて仕方がなかった。だって、人生は一度死んでしまえばそれで終わりなのだから。


 ──我の死は決して無駄ではない。


 ──命に代えても仲間を護って見せる。


 ──俺が死んでも同胞たちがいつか貴様を殺してくれる。


 今までエリアスが殺してきた魔族の最後の言葉で、特に記憶に焼き付いているものである。そして、目の前のドレイクも言葉にはしていないが、その瞳で同じようなことを語っていた。

 本当に腹立たしい。何が仲間だ。何が同胞だ。所詮人生は、自分さえ良ければそれで良いのに。


「ちっ時間の無駄だ」


 つまらないことに時間を使ってしまった。このようなこと考えても意味など無い。気を取り直して剣を持ち上げると、苛立ちをぶつけるように降り下ろして、


「来たかぁッ!!」


 目の前を通り過ぎた何かが、ドレイクの身体を奪い去っていった。そのまま高速で低空飛行をしたそれはエリアスから少々離れた位置に着地し、ようやくその姿が誰の目にもはっきりと映る。


 まず目につくのは、今さっき止めを指し損ねたドレイクと同じ羽と尻尾。しかし、どちらも比べ物にならないほど大きく立派であり、その色は深い暗闇を思わせる黒だった。

 ドレイク共通の特徴として、全身を余すことなく覆う鱗までもが黒一色である。そしてその硬度は同じドレイクと比べても突出していた。

 下手な鎧よりもよっぽど頑丈であるため、その男は最低限の装備で済まして鎧を身に付けていない。それが裸の竜騎士。そして『勇者』と対を成す存在『魔神』の一人であるオスカルだった。


 オスカルはエリアスから放たれる殺気を無視して、優しくドレイクの身体を仰向けで地面に寝かせる。瀕死のドレイクは血の涙を流しながら、最後の力を振り絞るように首を僅かに上げ、


「ぞ、族長、殿……」


「すまない。私の到着が遅れたばかりに……だが、貴殿のお陰で多くの同胞は命を拾った。後は任せてほしい」


「そ、そう……か、よかった……皆を、頼みます……」


 その言葉を最後にドレイクは息を引き取った。しかし、苦しんで死んだはずなのにその死に顔はどこか安心したようなものであり、エリアスは再びどす黒い感情が芽生えるのを自覚する。


「ああ、貴殿の志は私が受け継ごう」


「……死人に構うなって。それより、さっさと殺り合おうぜ」


 次々と沸き上がってくる苛立ちを必死に抑えながら、エリアスは初めてこの戦場で剣を構えた。

 先程までは構えてなどいない。ただ切っ先を適当に向けていただけだ。

 しかし、他の虫けらと違ってこの男には手を抜いては勝てはしないだろう。最も、本気を出せば負けないとも思っているのだが。


「なるほど。多くの同胞を、魔族を殺して見せた貴様には、確かに殺意を覚えずにはいられない」


「めんどくさいな。何が同胞だ。所詮仲間なんて口だけのもんだろ。周りなんて気にせずに、自分がやりたいことを好き勝手にやる。俺はお前らが憎いから皆殺しにする。人生なんてそんなもんだよ」


 何の迷いもなく、エリアスは持論を短く語った。そこに間違いなど無いと信じ切っている。仲間なんてもの、信用できるわけがないのだから。

 オスカルはその姿を見て、どこか憐れむような眼を一瞬だけ見せる。それもすぐに元に戻ると、あろうことかエリアスに背を向けて、


「貴様に殺意を覚えているのは事実だ。しかし、己の心まで律するのが騎士としての勤め。私に今求められているのは、貴様を殺すことではなく同胞を守ることだからな」


「またそんなこと言い出すのか!? 同胞がどうとか、全部綺麗事なんだよ! どうせ、仲間なんてみんな──」


「貴様にも、いつか理解できることを祈っているよ」


 怒りのままに斬り掛かろうと踏み出す直前、オスカルは首だけで振り返り、こちらに右の手のひらを向ける。しまったと、心の中で叫ぶが既に遅い。

 瞬間、圧倒的エネルギーがエリアスの身体に襲い掛かり、遥か後方に弾き飛ばした。ただしダメージは無い。

 ただただ、エリアスを戦場から遠ざけることしか、この力は実行しないのだから。

『魔神』であるにも関わらず、敵味方関係なく可能な限り血を流させようとしないオスカル。そんな臆病者を象徴するような異能であり、


「俺と戦え! オスカァァァァルッ!!」


 憤怒の雄叫びを上げる『勇者』を戦場から追い出すには、これほどまで効果的なものは他にありはしなかった。


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