二番の鈴木
小説と呼ぶには殴り書きに近いです
ぼくにとって特別な日が、こんなにも唐突に訪れるなんて、誰も、ぼくですらも予想できなかった
ぼくはなにもずば抜けていない。
高校の勉強にしろスポーツにしろ、いつも、上から数えても下から数えても二番目。
輝かしい金色の一位の座に就くものを周りのやつらは褒め称える。
ワースト一位のやつだって、自分から笑い話にできる。
ぼくの場合、"二位の常連"なんてあだ名で呼ばれることくらいしかない。
一位の影に真っ先に埋もれる存在。それが二位の宿命なのだ。
野球だってそうじゃないか。
二番バッターは犠牲バントを任されることが多い。むしろ、正攻法は、一番が出塁して、二番の犠牲で一番が塁を進ませ、三番、四番で点を取る。
基本二番手というものは、脚光を浴びることはない。
唯一脚光を浴びることができるものと言えば、"二枚目"だけではないだろうか。
なぜぼくがいまこんなことを改めて考えているのか。
それは数分前の出来事のせいだ。
高校二年生の冬休みを迎えようとしている十二月の中旬。皆そろそろ進路について考え始める頃だ。
ぼくの学力は相変わらず学年二位。
影に埋もれているとはいえ、この名門、徳朗高校で二位なのだ。このままいけば、それなりの有名大学に進学はできるし、授業料免除だって夢じゃない。
しかし、これはこれで難儀なもので、どこにでも行けるという権利をぼくみたいな人間が手にしたところで宝の持ち腐れなのだ。
なぜなら、いまのぼくには進みたい道なんて思いつかないからだ。
大人たちは、ぼくの進路を知りたくてうずうずしているらしく、頻繁に訊いてくる。
ぼくはその度に、相手が欲しているであろう答えを述べるだけで、特にその答えに沿おうなどとは思っていない。
学年二位だって、別に努力したわけじゃない。ただ授業を聴いて、出された宿題をこなしてきただけだ。
中学の頃、ぼくはこの学習能力を天性のものだと周囲に自慢したこともあったが、そんなものにはなんの意味もなかった。
以降、そういう傲慢さは捨てた。
当然、それを捨てたところで学力が変化するはずはなく、相変わらず二位は取り続けた。
二位であることに誇りはないが、だからといって、二位の座を誰かに譲りたいとは思えなくなっていた。
この気持ちが芽生えてきた頃、ぼくは気付いた。
『ぼくは一位になろうとはしていない』
と。
向上心は欠片もなく、ただただ授業を受けているだけ。そんな人間には二位くらいがお似合いだ。
一位のように褒め称えられることもなく、一位の眼中に入ることもなく、影に埋もれる二位であり続ければそれでいい。
そんな悟りの境地に至り、高校二年生の二位生活を送り続けた。
そしてこれからも送り続けるつもりだ。
だがそんな感情も、数分後には、即座に消滅させられていた。
夕方、いつも通り学級主任の話があり、それを聴き終わり次第下校する。
ぼくの学級主任の話し方は非常に効率的だ。
まず最初に幾つの話をするかを述べてから話し始める。
そして、それぞれの話のタイトルを黒板に記し、タイトルを指差しながらその話をする。
今日の話はどうやら二つらしい。
黒板に学級主任がタイトルを綴り始め、一つ目の話が『不審者注意』と分かった。そして二つ目の話のタイトルを見た瞬間、その場にいた生徒全員の顔色が変わった。
『佐藤みゆき転校』
佐藤さんは、学業において、学年で常に一位を取り続けていた女生徒だ。
セミロングの黒髪ポニーテールで、色白の肌。顔立ちも整っていて、瞳は大きく、瞼も二重。全体的に細身ではあるが華奢と呼ぶにはスポーティーな印象さえ与える。そこに表情豊かで快活な性格まで上乗せされた、まさに輝くべくして輝いているような、そんな生徒だ。
その佐藤さんが転校する。
それはつまり…と考えているうちに、学級主任の話は終わり、皆帰り支度をし始める。
ほとんどの生徒は佐藤さんとの別れを惜しみながらも、メールアドレスを交換したり、住所を教えあったりして、なんだかんだ明るい表情で教室を出ていった。
学級主任の話をポカンと聴いていたぼくは一足遅れて帰り支度を始める。
そして教室は、いつの間にか、ぼくと佐藤さんだけの空間となっていた。
不意に佐藤さんがぼくに近寄ってきた。
二位の常連であるぼくは眼中にないはずだし、佐藤さんは学業に執着するタイプには見えなかったし、実際、ぼくとの接点なんて全くなかった。
そんな佐藤さんは、ぼくに向かってさらりと言葉を紡いだ。
「今日から君が一番だよ。努力の一番と天才の一番。タイプは違うけど、これからの一番、がんばってね。」
学級主任の話を聴いて自分のなかでモヤモヤしていたものがその言葉で全て説明された。
帰り支度を済ませ、教室を出ようとする佐藤さんをぼくは慌てて引き止めた。
「ま、待って。」
短いセンテンスなのにどもってしまった。
佐藤さんは呼び止められることを分かっていたかのように、ぼくの方を見つめた。
「なにかな?」
ぼくは誰にも明かしていない、いや、明かす機会がなかった気持ちを佐藤さんにぶつけた。
「ぼくは、一番にはなれない。んーん、ぼくには、一番になる資格がないんだ!努力を積み重ねている連中は山程見てる。なのに、なんの努力もしていないぼくに届きすらしない。一番に立つべきは、天才じゃなくて、努力を積み重ねたやつの方がいいんだ!努力の果てに"一番"という栄光があると、天才に届きすらしない努力家たちでも、思っていてほしいんだ!」
自分で自分を天才だと認め、そしてまた、この教室にいるもう一人もぼくを天才と思っている。ならば、そのことを謙遜する必要などない。
ぼくは謙遜せずに天才を名乗り、なにに包むこともなく全ての慈悲を言葉に乗せた。
佐藤さんがぼくの独白を聴いて満足げな表情を浮かべ口を開く。
「その考えに至っている君は、十分に努力家だよ。他の努力家たちは思いもしない努力を、これまで積み重ねてきているのだから。君は、鈴木くんは、本物の"影の努力家"だよ。」
その言葉で、ぼくは充分だった。
けれど、佐藤さんはもう二言付け加えた。
「私は君の努力と学業の努力、どちらも積み重ねてきた。君の思う栄光ある一番の努力家に君自身がなれることを応援してるよ。」
努力の天才はこれだけ告げて、そのまま教室を出ていった。
ーまだぼくは、二番だー
そう思わされた。
佐藤さんがやってきた努力の半分しか、ぼくはやってこなかった。
ぼくが一番になるのは三ヶ月後の学年末考査。
ならばそれまでに、"本物"になっておきたい。
本物の一番として、二番の常連から脱したい。
輝くべくして輝いていた一番との邂逅は、一番が存在しないぼくに向上心を植え付けた。
"努力をすればその分報われる"
"これを証明するためには天才は一番であってはならない"
本物になりそこねている天才の葛藤、いかがでしたか?
ぼく個人の見解としては、本物の天才、本物の一番といえる人は、才能を開花させるに留まらず、それを磨くことを怠らない人だと思うのです。
ぼくはこの鈴木と同じ葛藤を経験していますし、いまでも磨き方が掴めていません。
結果、才能だけである程度こなせてしまう人になり、周りからは器用貧乏などと呼ばれる始末。
鈴木もぼくも、既に手にしている才能を、これから磨いていけるか、ということが課題です。