第二章第二節
昼休み、いつもなら何も言わなくても俺のところに来る推古は、来なかった。
見ると席にもいない。
さすがに気まずいのか?
毎日話してる奴が来ないのも寂しいものだが、まあ、今日一日なら仕方がないか。
明日まで引きずらないといいけどな、そういうタイプじゃないけど。
仕方がない。今日は一人で、って、そう言えば、今日の分の昼食代は苑子に渡したんだった。
あいつも、さっきショックを受けてたしな、もしかして、もう来ないって事もある。
さっきから呼んでいるんだが出てくる気配はない。
いや、一食分の代金位どうでもいいんだが、このままあいつが来なくなるのも消化不良だ。
来なくなるにしても、ちゃんと話をしておきたい。
とりあえず、話しに行こう。
そう言えばあいつのクラス知らないぞ?
まあ、教室にいるとも思えないから、他に心当たりはというと……中庭しかないな。
中庭と言えば、あいつと出会った場所だし、あいつに呼び出されて告白された場所だ。
つまりあいつの好きな場所でもある。
いるかどうか分からないが、他に心当たりもないし、行ってみるか。
中庭に出ると、そこは俺の知ってる閑散とした中庭ではなかった。
全てのベンチは人で埋まっていた。
それだけじゃない、芝生も段のある石垣もほとんど人で埋まっていた。
こんな晴れた暖かい日は、みんな外で飯を食いたいんだな。
ま、俺もまた推古を誘って、あと苑子も一緒に来よう。
あの二人、なんだか仲悪そうだけど、出来れば三人で来たい。
とりあえず、この状態じゃ、苑子を探すのは難しいし、あいつって人のいないところに隠れてるイメージがあるから、ここじゃないだろうな。
他へ行くか、それとも……ああ、中庭の向こう側はベンチもないし、座るところも少ないから、人がいないかもしれないな。
そっちを見て回って来るか。
奥の側は、結構木が多く、この辺にベンチがあれば公園みたいな雰囲気になるのだが、学校側としては外から見にくいところにベンチを置くと何をするか分からず、生徒の管理が難しい、という事でベンチの設置はされていないのだ。
いや、何かしでかす奴はベンチがなくてもすると思うけどな。
そういう、人がいない場所ってのが何となく苑子がいそうな場所だ、何となくだけど。
木々に囲まれた林みたいな部分を歩いていくと、ぽつぽつと人の気配は聞こえてくる。
まあ、ベンチがなかろうが座るところがなかろうが、生徒ってのはどこにでもいるもので、おそらくシート持参までして弁当食ってる奴らだろう。
ちょうど人が少ない場所だから、都合もいいしな。
「ごめん、悪かった!」
そこを歩いていると、木々の向こう側からそんな女の子声が聞こえた。
その声が親友たる推古に似ていたので、俺は出歯亀は悪いと思いながらちらりと覗いてみた。
そこには、俺の親友がいた。
長身の推古が、もう少し頭を下げれば後ろのスカートからパンツが見えそうなくらい深々と頭を下げている。
そして、その頭を下げている相手は、俺がさっきから探していた苑子だ。
「その……謝られても困ります」
苑子の方は、いきなりここまで深く謝られて困っている。
「いや、僕はあの時初めて君の存在を聞いたから混乱したんだ。焦ったと言っていい。だから、君に厳しい言葉を投げつけてしまった。僕にそんなことを言う権利なんかないのに……」
さっきのいざこざの事か。
確かに推古はちょっとおかしかった。
何に焦っていたかは分からないが、まあ、苑子がいたところで、俺が推古の親友をやめるなんてことはないんだがな。
今だって、三人で飯を食べることを考えていたんだからな。
苑子がいたからって俺たちの友情は変わらない。
それだけは絶対に言える事実だ。
「……という事は、あなたも……?」
苑子が言うと、推古が顔を伏せる。
「……そうだね。だから焦ってたんだ」
推古は、いつもの、穏やかな笑顔で答える。
「そうですか……」
何が起きてるかさっぱり分からないが、苑子と推古に共通する何かがあり、それで推古が焦ったようだ。
えーっと、苑子は忍者で御庭番だから、何か、俺の家で持ってる秘宝を狙ってて、それは実は推古がずっと前から狙ってて──。
なわけないか。
まあいい、女の子同士の秘密なんて、俺が知っていい事じゃない。
「僕は君の存在を否定しないし、君を追い出したりはしない。だけど、僕は負けないよ」
推古がいつもの笑顔で言う。
苑子は、それをじっと見上げ、少し微笑んだ。
表情の少ない子だが、笑えはするんだな。
「分かりました。某も負けません。それで話も終わりましたし、おやかたさま、ここでお食事をしませんか?」
苑子がその流れで俺を呼ぶ。
「ばれてたのか……」
「? 気配も隠していませんでしたが」
「いや、誰もが気配を隠せると思うなよ」
俺が茂みから出て行くと、推古が顔を真っ赤にして信じられない、という顔で俺を見た。
「いや、聞いたことある声が聞こえたからさ……盗み聞きするつもりはなかったんだ。ごめん」
「ご、ごめんじゃすまないよ! き、君は僕の全てを聞いたんだぞ! 忘れろ! 今すぐ忘れるんだ!」
推古が混乱したまま、自分の腕に俺の頭を挟んで上下に振る。
「おま……ちょ……落ち着け!」
俺は、上下に頭を振られて目が回るわ、推古の柔らかい二の腕が頭に密着して混乱するわで、こっち(俺)のほうが落ち着かなかった。
「……忘れたのかい! 忘れたならやめてあげるよ!」
「忘れるも何も、そんな恥ずかしい事言ってなかっただろ?」
俺が必死にそう言うと、ふっと推古が力を抜く。
俺はその隙に、頭を抜き、乱れた髪を整える。
「……君は、さっき、何を聞いたんだい?」
「えーっと、推古が苑子に謝って、何かは知らないけど、推古と苑子に共通するものがあって、それではお互いに正々堂々と頑張ろうって言ってた気がするんだが……」
俺が言うと、推古が脱力する。
「? なんだ? 違ったか?」
「おやかたさま、百地どのはおやかたさまをむぐう」
苑子が俺に教えようとしていたら、推古が慌てて止める。
「いいんだよ。景冶の鈍感さは今に始まったことじゃない。いまだに僕を『男女の隔てのない親友』って言うんだからね。そこは自分で何とかするからさ。苑子君は苑子君で頑張ってくれ」
「ぎょいです」
なんだかよく分からないが、正解は教えてもらえないらしい。
「ま、とにかくここで昼を食べるんだろう? 僕もそのつもりでちゃんと持ってきてるから、三人で食べようか」
「ぎょいです、シートを持ってきています」
用意いいな、最初から外で食べる気だったのか?
苑子は手早くシートを敷く。
それはファンシーな子猫のイラストの黄色いシートだった。
その上に座って、苑子は持参した弁当を開く。
弁当は漆塗りの重箱になっており、一見すると豪華だ。
「料理初心者なのでお恥ずかしいですが……どうぞ」
苑子がそう言って恥ずかしそうに勧める。
重箱の中身は、苑子の言う通り初心者の料理で、少し焦げた煮物や。生焼の魚などが並んでいる。
おそらく大してうまくもないだろうが、苑子が一生懸命作ったかと思うと微笑ましい。
俺は卵焼きに箸をつける。
すると、柔らかすぎるそれは、箸に割れてしまってつかめなかった。
「苑子、お前結構不器用だな」
俺はそれがあまりにも微笑ましすぎて、からかうように言った。
「申し訳ありません。父上も初めての料理ですから、勘弁してあげてください」
「……は?」
俺は聞き間違えだと思って聞き返してみた。
「父上はこの料理が初めてなのです。多少不器用なのは勘弁してあげてください」
聞き返したところで、最初と同じような言葉が返って来るだけだった。
「なんで俺、お前の親父さんの初めての手料理食べてるの?」
「父上におやかたさまの事を言ったら、張り切りまして」
「いや、ここはお前の手料理……まあ、いいけどさ。ところでお前は料理できるのか?」
「はい、子供の頃から母上のお手伝いをしており、今では何日かに一度は某が料理をしています」
「だったらお前の……いや、食わせてもらってる側だから文句は言えないけどさ。あと、推古笑い過ぎだ」
俺はシートに寝転んで爆笑している推古を睨んだ。
「いや、失敬。景冶が苑子君の手料理だと思い込んで食べてたら……苑子君の父君の手料理だったとは……くくくく……あはははははっ!」
息が苦しくなるくらい笑っている推古を放置して、俺は素人のおっさんの手作り弁当を食べ続けた。
「まあ、これは置いていおいてもだ」
俺はもしゃもしゃと自分でも食べている苑子に向き直った。
ものを食べている苑子はとても可愛いのは昨日分かった。
「苑子、お前は別に俺に仕える必要なんてないんだぞ? 普通の友達として接していればいいんだ」
「それは畏れ多いです」
「だーかーらーー!」
そもそも畏れ多いってのも変だろ、御庭番じゃなければただの先輩で、対等とまではいかないがそんなに身分差があるわけじゃない。
だからと言って、その矛盾をついてもこいつが理解できるとは限らないか。
「別にこのままでもいいけどさ、いつも隠れてないでそばにいればいいだろ? そうすれば昨日だって最初から濡れずに済んだし」
「……はい、でもご迷惑では」
「多少迷惑でもいいんだよ。図々しい方が親しみがあって逆に好感が持てるぞ?」
「……ですか」
苑子はちらり、と推古を見る。
「ふむ、景冶が図々しい女の子が好きだとは知らなかったよ。僕は今まで遠慮し過ぎたかな」
「いや、お前はとっくに図々しいから」
俺が言うと、推古が頬を膨らます。
こういう時々見せる子供っぽさが可愛いんだ……いやいや、そういうんじゃないんだ!
「それなら、隠れずに会いに行きます。畏れ多いですが、ご一緒に帰ってもいいのですか?」
「まあな、俺、帰るときは一人だしな……って、そう言えばお前の家って俺と逆方向だったから駄目だろ」
「ご一緒します、ご一緒します」
「いや、でもさ」
「ご一緒します」
「だから、お前が」
「ご一緒します」
「……分かった」
結構強引な苑子に押し切られた形で、俺は反対方向の苑子と一緒に帰ることになった。
途端に図々しくなる苑子に、自分で言ったように少し好感を感じた。
ちなみに、弁当は総じて濃い味付けだったので、親父さんの血圧が心配になった。




