第二章第一節
「なんだか君は疲れているね」
翌日、推古にそう指摘されるまでもなく、俺は疲れていた。
「……まあな」
隠す意味もないので俺は素直に答える。
「ふむ……それは、昨日から君の周りをうろうろしているあの子のせいなのかな?」
推古は、いつもの穏やかな口調に、少しだけ鋭い目つきで、俺の見えない方角をちらり、と見た。
もしかして、あいつは俺からはうまく隠れてるが、周りからは見えているのか?
「そうだな、そいつのせいだ」
推古の言う奴が苑子の事だと思い、俺は答える。
「あの子は君の何なんだい?」
「御庭番って事になってる。いや、あいつが言ってるだけだが」
「ほう、君の家は名のある武家だったのかい?」
「全く。いや、調べたことないけど、そんなことはないと思う」
苑子は少なくとも、俺の家柄に仕えてるわけじゃないしな。
「ふむ……では、なぜあの子は君に仕えているんだい?」
「この前告白されてな。よく知らない子と付き合えないと言ったら、じゃあ、御庭番から始めましょうと言ってな」
「告白!? 初めて聞いたよ!」
推古は立ち上がって驚く。
どっちかと言うと、俺を責めるような口調だ。
何だ?
「いやまあ、言ってないしな」
「一昨日のラブレターの件か……気に入らないな……」
推古が呟くように言う。
いつもの「僕の知らないところでする面白そうなことは、全て僕への嫌がらせとみなすよ!」という理不尽なあれかと思い、言い返そうと推古を見ると、そこには本当に気に入らない、といった表情の推古がいた。
「おい、どうした推古……?」
いつも穏やかな推古のそんな表情に、俺は少し慌てる。
俺、今、推古を怒らせるようなことしたか?
「景冶、彼女を呼んでくれないか?」
「お、おう……苑子、いるか?」
俺は推古の迫力に押されて苑子を呼ぶ。
「……おそばに」
「ああ、苑子、実はだ──」
「君が苑子君か。苗字は何だい?」
俺が苑子に事情を説明する前に、推古が穏やかには思えない口調で聞く。
「……? 某は藤林苑子ですが」
「藤林、か。了解した。自己紹介が遅れて申し訳ないね。僕は百地推古。景冶の親友だ」
いつも穏やかに笑っていたり拗ねたりする推古が、少し喧嘩腰の態度で苑子に自己紹介をしている。
え? 何だ、これ?
「……よろしくお願いします」
苑子の方も、少し顔色が変わる。
そう言えば苑子って、内気で人見知りだっけ?
この空気はまずいな。
「えーっと……どうしたんだ、二人とも?」
俺は何故だか緊張を感じたので、聞いてみた。
「景冶、すまないね、少しだけ黙っててほしい」
推古は苑子を見据えたまま、答える。
「苑子君、景冶には僕という親友がいるんだ。だから君は必要ない。分かるね?」
推古が、普段ならまずする事もない、上からの口調で苑子に言う。
「分かりません。おやかたさまの御庭番は某です」
苑子もそこは引く気配がない。
小さな手はぎゅっと握りしめている。
強がってはいるが、怖くて、緊張しているのが分かる。
「ふうん、でもね、それを景冶が望んだのかい? 君が勝手にしているだけの事じゃないのかい?」
「おやかたさまは了承してくれました」
「それは彼が優しいからさ。それに甘えてるだけなんだよ、君は。でも、君は彼に甘えるに値する人間かい? 君のやることに、彼が迷惑しているなんて考えたことはないのかい?」
「おい、推古……」
推古が確実に苑子を傷つけることを言い出したので、俺は止めた。
「悪かったね、だけどこれは事実だ。君は景冶には相応しくない。親友が疲れる姿を僕は見たくないんだ」
「…………」
苑子はうつむいて黙っていた。
推古の言葉に真実を感じたからだろう。
確かにそう思ってなかったわけじゃない。
だけど、それをしょうがないなって許していたのも、やっぱり嘘のない事実だ。
「なあ、苑子、別に俺はお前が──」
俺が苑子を慰めようとすると、ダッシュでその場から消えた。
後を追おうにも、足が速いので追いつけない。
「……推古」
俺は推古を睨みつける。
推古はそれに気づいて、ばつが悪そうに溜息を吐く。
そして、落ち着くためにか深呼吸をする。
「悪かったとは思ってるよ。言い過ぎた。正直、彼女には頭を下げて謝りたい。……でも、君もあんまりじゃないか。どうしてこのことを僕に言ってくれなかったんだ?」
え? 俺?
「いや、言うほどのことじゃないと思ったしな」
「親友だろ? それ位言うのが普通じゃないか!」
今度は俺が怒られている。
推古に冗談以外で責められるのは珍しく、俺も戸惑う。
多分、苑子との話で熱くなってて、そのまま俺を相手にしてるからだと思うが。
「確かに、お前は俺の親友だよ。男女とか、そんなこと関係なく、お前は親友だけどさ、でも──」
「関係なくないよっ!」
推古が怒鳴る。
俺はびくん、と身体を揺らし、教室中が一瞬しん、となった。
その時、間がいいというか悪いというかチャイムが鳴った。
「……悪かった」
推古は小さな声でそう言うと、席へ戻っていった。
あいつがあんなに興奮してたのは初めてだ。
俺は呆然としたまま、少しうつむいて席に座っている推古を見た。
さっきの間に何があったんだろう、さっぱりわからないまま、授業に入ったが、午前の授業はほとんど耳に入っていなかった。




