第一章第五節
さて、午前の授業も終わり、昼休みが来た。
俺は昼はパン食なので、売店にパンを買いに行かなきゃならない。
昼休みだけ来てくれる業者が来る昇降口前までは結構遠い。
パンの種類には限りがあるので、急いで行かなきゃいいパンはなくなるわけだが、そこは業者もプロだから、需要に見合った供給を心掛けていて、人気のパンはそれなりの数を持って来るので、多少遅くてもなくなることはない。
「景冶、今日もパンを買いに行くのかい? 僕はここで待ってるよ」
いつも俺と一緒に昼を食べる推古が俺の席の前を陣取り、小さな弁当箱を広げる。
「お前食べるの遅いだろ、先に食べとけよ。急いで帰って来るからさ」
俺は少し急いで、教室を──。
「ん?」
推古の呼びかけに答えて、目を離したほんの一瞬の事だ。
目の前の机の上にパンが置いてある。
あれ? いつの間に?
俺は周囲に持ち主を探したが、誰もいない。
ああ、また苑子か。
まったくあいつは、余計な事はしなくていいと言ったのにな。
まあいい、せっかくの厚意を無駄にする必要もない。
金はあとで払うとして、とりあえず食べるか。
俺はパンの入った袋を開ける。
「あれ? どうしてもうパンを買ってきているんだい? まだ出て行ってもいないと思ったけど」
推古が自分の弁当箱を持って俺の席の向かいに来る。
「あ、ああ……買に行くって言ってた奴に買って来てもらったんだよ」
「ほう、カツサンド三つとは豪勢だね」
推古が袋の中を覗いて言う。
「カツサンド? ああ、三つともかよ! あれ? あの業者ってカツサンド持ってきてたっけ?」
そういえば一度も見たことがない。
新製品か何かか?
「カツサンドはあの業者の店舗の方の人気商品でもあるんだ。だから、こっちに回せるのは毎日十個程度しかないはずだよ。それを三つもなんて、豪気だね」
推古がくすりと笑う。
へえ、初めて知ったな。
「いや、まあ、これが食べたかったんだよ!」
御庭番とか言っても信じれてもらえそうにないから、適当に話を合わせた。
「ま。いいさ、じゃ、食べようか。おや、君は飲み物を買ってもらわなかったのかい?」
「あ……」
そういえば飲み物がない。
まあ、これ以上あいつに頼るのも何だし、自分で買ってくるか。
「ちょっと買ってくる」
俺は立ち上がって自販機に向かう。
ちなみに自販機は業者が来る昇降口のそばにある。
結局は自分で買いに行ったのと同じだ。
俺はさっさと飯を食い終わり、まだ食べている推古に用事があると言って、教室を出た。
「……苑子」
俺は辺りに誰もいないのを確認して、苑子を呼ぶ。
「おほばに」
すたん、といつものように俺の背後に降りる気配。
振り返ると。苑子が頬を膨らませてもしゃもしゃと咀嚼をしていた。
「……食事中に呼んで悪かったな。まあいい、食べながら聞いてくれ」
「ふぁい」
苑子は咀嚼を続けながら、俺の言葉を待っている。
あー、何を言おうとしたんだっけ。
もしゃもしゃ咀嚼する苑子が可愛くて忘れそうだったが、こいつに怒ろうとしてたんだ。
「…………?」
苑子は咀嚼しながら、首を傾ける。
あー畜生、可愛いなあ。
「えーっと、同じパン三つも食えるか! しかもカツサンド三つって脂っこいわ!」
俺はとりあえず突っ込みを入れた。
「ふむ……おやかたさまはあっさりとしたパンがお好きなのですね」
「いや、そうじゃないけどさ、カツサンド三つは普通に考えてもきついだろ」
「おやかたさまほどの健啖家でもですか」
「俺、いつ健啖家って言ったか?」
覚えてないというか言ってない。
「では、明日は流しそうめんなどいかがですか?」
「常識をだな! 考えてだな! 行動しろ!」
「いたたっ! 痛いですおやかたさま!」
俺は苑子のこめかみに拳を当ててぐりぐりしてやった。
「あのな。昼飯くらい自分で用意するから、お前は何もしなくてもいい」
「そんな、昼餉の用意をせずに何の御庭番ですか!」
苑子は泣きそうな表情で言う。
「いや、俺の知ってる御庭番は、昼飯の準備なんてしてないぞ?」
「ですが、某は昼餉の用意がしたいのです……」
捨てられた犬みたいな目で、苑子が見上げる。
「……いや、そうしてくれるのはありがたいんだが……」
どうしたもんかと俺は悩む。
なんだかんだで俺たちは高校生だから、お互い小遣いには限りがある。
俺の飯のために苑子に金を使わせるのも可哀想だし、俺自身、そんなことをさせたくはない。
たとえ苑子の家が裕福で、金が有り余ってたとしても同じだ。
「じゃあさ、俺も金を出すから、二人分の昼飯を用意してくれ」
「二人分ですか?」
「ああ、俺と苑子の分を用意してくれ。で、俺の教室に来てくれ。一緒に食べよう」
これが俺の提案だ。
苑子がどうしても俺の昼飯を用意したいのなら、無下に断るのも悪い。
それなら、俺も金を払って作ってもらうなら、まあ、友達同士のやり取りの範囲内だろう。
「ですが、おやかたさまと昼餉を共にするなど畏れ多い」
いやだから、以下略。
俺も苑子の扱いは大体分かった。
こいつは余計な事ばかりするが、一度俺が言ったことは必ず守る忠義はある。
つまりだ
「これは命令だ」
こう言えば大体解決する。
「ぎょいです!」
苑子は頭を下げる。
まあ、これは卑怯だから滅多に使わないがな。
人を意のままに動かすなんて、それこそ卑怯だ。
「俺の昼飯代が毎日五百円だから、その程度の物を用意してくれ。それこそおにぎり4個とかでも構わないからさ」
俺はとりあえず、今日の分と明日の分の千円札を渡す。
苑子はそれを受け取ってじっと見つめる。
「……手作りでも、よろしいのですか?」
苑子は上目づかいで俺を見る。
手作り、か。
とても苑子が料理上手とも思えにくいが、自分から言い出すって事は自信があるって事だろうな。
後輩の女の子の手作り。
それを嫌だと思う男はいないだろう。
たとえそいつが料理下手だったとしても。
それに自分から言い出すって事はそれなりの自信があるって事だろうと思う。
「そうだな、別にいいぞ? 俺は好き嫌いないしな」
俺が言うと、あまり表情のない苑子が満面の笑みで笑った。
「ぎょいです!」
苑子は嬉しそうに戻って行った。
俺はそれを見送ると教室へ戻り、まだ食事を続けていた推古の話し相手に戻った。




