第五章第二節
目が覚めると、薄暗い場所にいた。
床はコンクリートだが、その上にビニールシートが敷かれていて、俺はその上に寝ていたのだ。
黒く塗り潰された窓が見える。
元店舗か小工場ってところか。
そこには似つかわしくない、喧しい音が響き渡っている。
これはヒップホップ系の音楽だ。
この曲は確か、商店街かどこかで流れてた気がする。
ああそうだ、俺はナオトって奴に捕まったんだっけ。
ここはどこだ? いや、その前に苑子に連絡しないと。
携帯はさっき返してもらったはずだ。
俺はポケットを探る。
あれ? ない?
どこにやった? さっき慌ててたからどこに入れたか忘れてるかも知れない。
さっさと探して連絡しないと!
「探し物かこれか?」
「!」
音が止まる。
すぐ近くから声がする。
気配に全く気付かなかったので俺は驚く。
そこにいたのはナオトだった。
薄暗いので気が付かなかったが、周囲には十人程度の気配を消した連中が立っていた。
音がうるさかったとは言え、この気配の消し方は素人じゃない、こいつらまさか全員忍者か?
俺を縛ってないのもここから逃げられるわけがないとの余裕か?
「さっきメール見たんだがよ」
ナオトは、俺の携帯をいじくりまわしながら言う。
ああ、こいつ忍者だったっけ。
苑子や翔子と仲がいいってところを調べられたってわけだな。
「てめえ、ジーゴと仲好さそうじゃねえか」
「……え?」
そっちかよ! と突っ込みたくなったが、堪えた。
「実際仲いいのか?」
「いえ! あの人がなんかメール送って来るから返してるだけで!」
俺は慌てて答える。
こいつとジーゴさんは仲間だから仲がいいと答えたほうがよかったのかも知れないが、そこで嘘はつけなかった。
「そうか。じゃあ、てめえがあんな奴を気に入ってるってわけじゃねえんだな?」
「まあ、気に入ってるとかいないとかいうほど知った関係じゃないですが。あの人も忍者ですか?」
「何言ってんだ、あんな雑魚が忍者のわけねえだろ」
ナオトは馬鹿にするように言う。
そう言えば忍者の苑子にあっさり倒されたしな。
「ただ、てめえの男の好みはあんな奴なのかって聞きたかっただけだ」
「はあ……」
何言ってんだこの人?
なんで俺の男の好みなんてものを知りたがってんだ?
……まさか?
「てめえは俺の男にしてやるんだからよ」
にやり、とナオトが笑う。
やだ、格好いい。
じゃなくて!
「あ、いえ、俺、そういう趣味じゃないですから!」
ヤバい! これマジでヤバいよ!
「安心しろ、最初は大抵てめえみたいな反応すんだよ」
ナオトが俺の近づいてくる。
「だが、一度俺の抱かれたら、もう俺なしじゃいられねえ身体になるからよ」
ナオトの顔が目の前にある。
香水の匂いが漂ってくる。
ヤバい! こいつ結構格好いいから本気で来られるとちょっとヤバいかも知れない!
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!
「まあ今はもうちっと我慢してくれ。てめえの役割をまず果たしてもらおう。てめえは忍者でも上級の藤林家や百地家、あと望月家のガキとも交流があるみてえだな。そいつらを誘き出してもらうんだよ」
「藤林家、望月家……百地家……?」
百地って苗字の知り合いは一人しかいないけど……まさか……まさか?
「ふん、忍者って知らねえのも混じってたみてえだな。俺ら基本的に忍者の末裔ってのを隠してっからな」
ナオトが鼻で笑う。
「だが、もうそんなもん気にするこたねえ。高坂家が忍者全員統括したら、今度は日本を忍者が統括すんだからな」
え?
何言ってんだ、こいつ?
「あの……何の話っすか?」
「決まってんだろ、忍者の世界の話よ。元々いた服部ってのが死んじまったみてえでな。そうなると分家筋のうちがボスになるべきだろ? だったら俺が忍者全員征服して、日本獲ってやろうって事よ」
「あ……え? あれ……?」
「知らねえのかよ。ま、仕方がねえな。俺は高坂尚人ってのは本名だけどよ、実は忍者の名門高坂家の跡取りよ。
元々服部家って一族が全国の忍者統括してたんだがよ、そこがなくなっちまったんだよ。じゃあ俺が忍者統括しなきゃなんねえわけよ」
「で、でも、服部家はあえて潰したって聞いたんですけど」
「そう、それ知ってんのか。だがな、忍者ってのは誰か統括する奴がいねえと駄目だろ? だから分家筋の俺がやってやろうってわけだ」
分家筋、そうか服部家にはそういう家系もあるんだ。
「で、とりあえず、俺に従ってくれたのがあいつらだが、とりあえず、こうやってちょくちょく呼び出してシメてく予定だったけどよ、てめえ攫っていい収穫があったぜ?」
ナオトはそう言うと、胸にぶら下げた水晶を見せつけた。
あれは、苑子の親父から預かった水晶か?
「すいません、それ、返してください! 俺のものじゃないんで!」
さすがに預かり物を奪われては親父さんに見せる顔がない。
「へっ、こりゃあ忍者のもんだ。てめえが持ってる方がおかしいだろ? しかもこれは俺が持つに相応しいもんだ」
くそっ、あの水晶は俺を信頼して託されたものだ。
かと言って今奪い返しても、すぐに奪い返されるだろう。
何とか隙を使って奪ってすぐ逃げないと……!
「俺が服部家の血を引いてんのはこいつらの態度で分かんだろ?」
薄暗い中、気配を消してるから分からないが、十人程度の男がいる。
こいつら全員忍者か、まずいな、苑子一人じゃナオト一人でも無理だと思うのに、これじゃ、あっという間にやられる。
それはそうと、なんでこいつらの態度で血を引いてるって分かるんだ?
「分かる、と言われましても……」
服部家の血を引いてるのは分かるけど、それだけで態度って変わるものなのか?
「そこまでは聞いてねえか。ま、これから分かるぜ?」
ナオトがにやり、と笑う。
「ま、てめえはとりあえずあいつらをおびき寄せる餌をやったら、将来の日本のボスの愛人って人生だ、嬉しいだろ?」
「いえ……その……」
そんな人生、嬉しいわけがないだろ。
おれは女の子が好きだ。
いや、普段そんなに思ってなかったが、やっぱり女の子が好きなんだよ!
奪われて初めて分かった。
「ん? よく考えたら、この携帯あれば誘き寄せるくれえ出来るな」
ナオトが余計な事に気付いた。
「じゃ、早速呼ぶか。一番役が低い望月家からだな」
ナオトは俺の携帯でメールを打つ。
望月家は忍者としての地位は藤林家より低いらしい。
資産家としては望月の方が上だと、苑子と翔子の育ち見てれば分かるけどな。
「よし、送信、と。じゃ、早速愛し合うか──」
バリィン!
窓ガラスを破って、誰かが侵入してきた。
流石のナオトも動きを止める。
「四谷さん、助けに来ました!」
薄暗くても声で分かる。
それはさっきメールを送ったばかりの翔子だ。
前もこんなことあったよな? これって忍術か何かなのか?
「おいおい、早すぎるぜ? これから俺とこいつが愛し合うんだ。ちょっと待ってろ」
最初少し驚いたナオトはすぐに落ち着いて、意に介さないように俺の肩を抱いた。
「させるかっ!」
翔子がナオトに飛びかかる。
「望月家、ひれ伏せ!」
「え……?」
ナオトがそう言った瞬間、今にもナオトを殴る直前だった翔子がいきなりその場に伏せ、額を地面にこすり付けた。
え? 何が起こってる?
「これが服部家の血を引く者だけの権力って奴だ」
ナオトは俺から離れ、ひれ伏す翔子の前に立つ。
「ぐっ……」
わけも分からずひれ伏している翔子の頭を踏みつけるナオト。
「服部家ってのは、長年かけて全忍者をひれ伏せて来た。それはただ伝統や力ってわけじゃねえ。それなら傍流の俺はここにいる十人が限界だ。服部家ってのはどんな忍者も従わせる忍術を道具に込めて、代々受け継いで来てんだ」
ナオトは俺から奪った水晶を握りしめて言う。
あれに何か力があるってのか?
「これがあれば服部家の血を引いてる奴ぁ無敵だ。どんな生意気な忍者も生涯忠誠を誓う。なあ、望月の小娘」
「ぐ……誰が……お前、何かに」
「ああん?」
ナオトが踏みつけた頭を更に踏みつける。
「ぐぅっ!」
「望月の者よ、俺に忠誠を誓え!」
ナオトが水晶を握りながら怒鳴る。
「……私、望月翔子は、生涯忠誠をお誓いいたします……」
悔しそうに、翔子が忠誠を誓っている。
俺には、何も出来ない。




