氷の覇王の謎の感情
「陛下!?」
驚くマルドアに対し、王も驚いていた。呆然と見つめあう二人。そんなマルドアの後ろからディーナが顔を出す。
「陛下?どうなさったのですか?」
ディーナの問いかけでハッと我に返る2人。
「お前が・・・」
王は答えようとしたが、そこで止まってしまう。ディーナは私が何か?と首を傾げている中あの王が珍しく視線をさ迷わせている。そして何となく事情を察したマルドアがディーナを廊下に出した。
「今度は陛下とお話がしたい。君は仕事に戻ってくれ」
「は、はい」
ディーナは失礼しますと頭を下げ、その場を離れた。
「陛下。紅茶をお淹れします。どうぞこちらへ」
王は暫し無言でいたが、促された通りに部屋に入り椅子に座る。マルドアはすぐに紅茶を入れて王の前に置き、自身も椅子に座る。
王は紅茶を口に運び一つ頷いた。
「やはりお前の淹れる紅茶は美味いな。マルドア」
「お褒めいただき光栄です」
実は昔マルドアが王の元へ勤め始めて間もなくの頃、王が紅茶を淹れたメイドを褒めたのがキッカケだった。自分も褒めてもらいたいと、必死になって美味しい紅茶の淹れ方を研究した。思えばあの頃から自分は王に執心していたのだなと思わず笑いが漏れる。
「何がおかしい?」
「思い出し笑いです。お気になされないでください」
王は不審気にマルドアを見るが、マルドアはそんな視線など意に介さず、本題に入る。
「ディーナとは何もありませんよ」
一瞬王が紅茶を噴出しそうになったのが分った。どうにか飲み込んだ様子の王は驚愕の表情でマルドアを見る。
「王が心配なされるようなことは何もありません」
王は何か言いたいようだが、まとまらず眉間の皺を更に深くしていた。
「陛下。少しぐらい欲を出してください。貴方が生涯で唯一欲しいと思った者。それを手にして何が悪いのです。王とは本来多くを手中に納めているもの。しかし、今の貴方の元には何もないではありませんか」
真剣なマルドアの言葉に王は真っ直ぐ見返して言う。
「お前達がいるだろう」
予想外の言葉にマルドアは目を見開く。
「国の為に身を粉にして働いてくれる優秀な臣下がいる。怠慢せず働く民がいる。これ以上何を望む?」
本当に心から言っているのだと、マルドアには分った。王は表情が分かりにくい。何故なら険しい表情を貫くからだ。だから、嘘をつくときは表情が更に強張るからマルドアには分かる。しかし、今の王の眉間の皺は少し緩んでいた。
思わずフッと笑いが漏れた。
「だから何故笑う」
解せぬという顔をする王にマルドアは微笑む。
「いえ。貴方の臣下であることが誇りだとそう思ったまでのことです」
本当に・・・心からそう思う。
王は暫しの沈黙の後、呟いた。
「例え、お前の目が見えなくなろうと、その声で豊富な知識を他者に預けられる」
突然何の話だ?とマルドアは瞬きを繰り返す。
「例えその声が出なくなっても、腕が動けば書くことは出来る。例え腕がなくなっても、動いて指示を出せる。例え足がなくなっても、傍で仕事を共に出来る」
マルドアはゆっくりと目を丸くした。
「俺は、お前が生きることが辛くなるまでは決して手放さん。例えお前がもう限界だと言ってもだ。お前の限界は俺が決める。お前は俺の片腕だ」
王はさっきの話を聞いていたのだ。
これは・・・俺の先ほどの言葉に対する返事だ。
「御意・・・っ!」
自然と涙が溢れた。王は何故マルドアが泣くのか分からぬ様子でオロオロとしていた。
私はこの人のために全てを捧げよう。
マルドアは改めてそう誓った。
一方の王はマルドアが何故泣いているのか分からず困惑する。だが、話題を変えようと口を開いた。
「雑談ではないが、お前に相談したいことがある」
「ええ。いくらでも」
マルドアは仕事の話だろうと答えをあらかじめ頭の中に用意する。賃金の引き上げについては前々から嘆願書も多く、検討していた内容だ。金があれば、民が使えまた経済が潤う。少し上がれば生活に随分余裕が出来ることだろう。貿易についてならば他国から薬などを輸入するべきではないかと思う。ウルアークは栄えているが、研究は盛んではない。ゆえに薬などは今の文化に追いついていないのだ。
「ディーナのことなんだが」
ん?
予想と違う相談事にマルドアはキョトンとする。
「ディーナを見る度湧き上がるこの妙な感情は何なのか。何故マリアよりディーアを優先するのか。俺自身俺の行動の意味が分からない。お前なら分かるか?マルドア。マルドア?」
マルドアは片手で顔を覆った。
嘘だろう。散々ディーナの幼馴染だったシンとやらに嫉妬して、私とディーナが2人で話していることすら心配で部屋まで来られたというのに自覚がないだと?いつもいつも、仕事優先でありながらディーナのことばかり考えて、その理由を理解してない?逆に何故だ?
「お前はこの謎の感情に説明がつけられるのか?マルドア」
「いえ・・・その・・・」
自分が軽率に伝えるにはあまりにも荷が重過ぎるとマルドアは考え込む。
「その感情は悪いものではありません。ただ、どういうものなのか私が伝えるには少々・・・」
言い淀むマルドアを見てそうか・・・と王は呟く。
「いつも俺に迷うことなく進言してくれるお前がそこまで言い辛いことか。ならば俺自身で答えを見つけよう」
「申し訳ありません」
「何か手がかりはないか?」
手がかり?
感情に対することで手がかりも何もないと思うのだが・・・。
「本を読まれてはいかがです?」
「本か・・・。成る程。あれならば様々な感情が描かれているな」
「特にメイド達が読むような物をお勧めします」
「メイド達の・・・」
明らかに王の眉間の皺が深くなった。王は女性が苦手なことをマルドアは知っている。だが、これはそれを克服まではいかなくても慣れるいい機会になるだろう。メイド達なら複雑な感情を描く恋愛小説などに馴染みがあることだろうし。
分かったと言って部屋から出て行った王を見送り、マルドアはハァ~と深い息を吐き出す。自覚がないのにあそこまでとは相当なものだ。しかし、よく考えてみればずっと玉座に座り、仕事をしていた王にとってこれは初めての感情なのかも知れない。
「何事も経験です・・・陛下・・・」
その翌日。
「マルドア。言われた通りメイド達の読んでいる本を読んだぞ」
「いかがでした?」
もしかしたら小説の中に同意できるような感情があったかも知れない。そこでこの感情は・・・っ。と思われたかも知れない。そうだと嬉しい。自覚されたのなら陛下の望む範囲でお手伝いしよう。などとマルドアが思っている中王は話始めた。
「重曹と酢は様々な汚れをとるのに役立つらしい」
は?
「卵の殻は花瓶などの水アカがとれるらしいな」
卵の殻?水アカ?
「陛下・・・。一体どんな本を読まれたのですか?」
「メイドに借りた『簡単お掃除術』だ」
出された本にマルドアは顔を覆う。
そうだ。いきなり陛下にいつも読んでいる本を貸せと言われて恋愛小説など渡せる訳がない。メイド達の困惑した表情と渡せる本にどれだけ悩んだか安易に想像することが出来る。
「申し訳・・・ありません・・・」
メイド達にも正直申し訳ない。
「何を謝ることがある。知らなかった知識を得ることが出来た」
「いえ・・・」
王は元々真面目な方だ。勉強になったと喜ばれているが、勉強して欲しかったのはお掃除術などではないのだ。
「ところで・・・あれが何故の感情とどういう繋がりがあるのだ?」
「本当に申し訳ありません・・・っ!」
謝ることしか出来ないマルドアに何故謝るのだ?と首を傾げる王だった。
こうなったら自分が小説を厳選し、王に渡すしかないか・・・とマルドアは考えたのだった。忠臣の心労はまだまだ続く。