氷の覇王の嫉妬
「ディーナ」
廊下を掃いていると不意に王に声を掛けられディーナは硬直する。
「な、何でしょう!?」
いつもないことに声が裏返る。何かしてしまっただろうかと思考がグルグル巡るが何も思いつかない。
「手を」
ディーナは何も考えずサッと手を出した。その手の上に小さなガラスの容器が置かれる。
「塗り薬だ。手荒に効く」
ディーナは目を見開き、勢いよく頭を下げる。
「もっ申し訳ありません!お見苦しい手をお見せして・・・っ」
ディーナはすぐに手を後ろに隠そうとしたが、その手をパシッと取られ、前に出された。
「何故そう解釈する」
王の眉間の皺がいつもより深くディーナは更に怯える。
「も、申し訳・・・っ」
ディーナが再び謝ろうとしたその時だった。
「ディーナァァアアア!!!」
城中に響き渡るような大声が聞こえ、王と同時に窓の外に目を向ける。丁度正門の様子が見える位置で見下ろせばそこには黒髪の少年の姿が在った。
「シン!?」
目を丸くするディーナを見て王はすぐディーナを連れて正門に向かった。
「シン!」
門兵に止められている少年に駆け寄れば、シンと呼ばれた少年はディーナを見て目を輝かせた。
「ディーナ!!」
王の視線で門兵達は察し、少年の前から退く。少年は即座に飛び出し、ディーナに駆け寄る。
「良かった!元気そうでぇ!」
少年は泣きそうな顔でディーナを抱き締めた。
「貴方も元気そうで良かった」
ディーナが微笑むと王がベリッと2人を引き剥がした。
「用件は手短に済ませろ」
そう威圧的に告げ、2人から少し離れた場所に寄りかかった。門兵達は何故王は帰られないのだろうと困惑したが、口には出さなかった。
「そうだ!何でこんなところに!?」
再会の感動のあまり、飛びかけていた疑問をすぐさまぶつける。すると、ガシッと肩を掴まれた。
「お前を迎えに来たに決まってんだろ!!」
ディーナは驚き、少年の言葉に王がピクリと反応した。何故王が反応されたんだろうと門兵は疑問に思ったが仕事を続けていた。
「え・・・」
呆然とするディーナに少年は畳み掛ける。
「いきなりこんなとこ連れて来られて・・・っ。おばさんもおじさんも心配してる」
「お父さんと・・・お母さんが・・・」
「王!」
シンが王に声を掛けたことにディーナも門兵も驚いた。
「どうせあんたはディーナの歌声が珍しくて聞いてみてぇって程度の好奇心だろ!?ならもう十分だろ!俺の大事な女返して貰うぜ!」
シンがディーナを抱き寄せたその刹那、ディーナの体が宙に浮いた。
「ならん」
「え!?」
耳元で聞こえた声にディーナは顔を上げる。そこには王の顔があり激しく動揺した。ディーナは王に抱き上げられているのだ。
「だが、連れてくる際兵が無礼を働いたのも確か。客人としてもてなそう」
王はそう言い、シンを城へと招き入れた。その背を見送りながら門兵は抱き上げる必要はあったのだろうか・・・と思いながら晴天の空を見上げたのだった。
シンは泥だらけだったためひとまず風呂に放り込まれ、現在ディーナは王と2人で客室にいる。客室も一つがディーナの家と同じぐらい広い。窓際にテーブルと椅子が置いてあり、入り口近くに小さな棚とその上に花瓶が置かれていた。
「ディーナ」
「は、はい!?」
不意に声が掛けられ、自然と背筋が伸びる。王は窓の外を眺めながら言葉を続けた。
「あの男は何者だ?」
「シン・・・シュアン・クルデアは、私の幼馴染で二歳年下なんです。私、お姉ちゃんが2人いて、弟か妹が欲しかったので嬉しくて・・・いつも一緒にいたんです。ディナ姉ってついてまわって・・・」
懐かしくて思わず笑みを零していると王の視線が向いていることに気付いた。
「す、すみません!いらないことまでベラベラと・・・っ。え、えっと、シンは本当にただの農民で、王に危害は絶対加えませんから!!」
ディーナがいつものおどおどとした様子と裏腹の強い口調と目で、王に告げた。
「・・・そうか」
いつもと変わらない表情だが、ディーナには王が怒っているように見えてどうしようと慌てていた。その時。
「ディーナァァァアア!!!」
と再び大声とともにシンが客室に飛び込んできた。
「シンって・・・っ!何て格好してるの!!」
シンは髪から雫が滴るほどのままの状態で更に下着一枚だった。顔を赤くして顔を覆うディーナの前でシンは鋭く王を睨みつけていた。王もその視線に静かに返す。
「シン!失礼でしょ!ちゃんと服着なさい!!」
ディーナは真っ赤なまま怒鳴り、シンの後ろから複数のメイドが顔を出した。
「そうですわよ。お客様。私共が陛下から叱られてしまいます」
笑顔ながら額に青筋が浮いているメイド達がシンを引きずって行った。
「・・・この俺にあれほど噛み付くとはな・・・」
王の呟きをディーナは聞き逃さなかった。
「も、申し訳ありません!」
ディーナが声を張り上げたことに王は少し驚く。
「あの子は少し無鉄砲で、危険を省みず飛び込んだりしますが、決して貴方に仇なす者ではありません!」
必死なディーナの言葉に王は小さく息を吐き、歩み寄った。ディーナは出すぎた真似をしてしまったかと、叱りを覚悟し目を閉じた。
「知っている」
その声音は優しいもので、頭を撫でてくれた手もとても優しかった。
「俺は仕事に戻る。ディーナ。お前は今日一日客人の相手をしろ」
「は、はい・・・」
王は部屋を出て、小さく呟いた。
「そこまで・・・あの男を守りたいか・・・」
自分の言葉が胸を刺し王は振り払うように歩き出した。
王が部屋を出た少し後、シンが戻ってきた。
「ディーナ!大丈夫だったか!?酷い目に遭ってないか!?」
「だ、大丈夫だよ。シン。今までそんなこと一度もないから」
肩を掴まれ、グワングワンと揺らされながら問われディーナは段々酔ってきた。
「だってあの覇王だぞ!?「シン!!」
ディーナは声の大きいシンの口を手で塞ぐ。酔いなど一瞬で醒めた。
「ここは城なんだよ!?分かってる!?」
「分かってるからこうしてお前を迎えに来たんだろうが!!」
「本当に無鉄砲なとこは相変わらず・・・」
ディーナは痛み始めた頭に片手を当てた。一方のシンは辛そうに顔を歪める。
「だって・・・俺が川で魚捕ってる間に・・・お前が城の兵に連れてかれたって聞いて・・・俺が・・・どれだけ・・・」
俯き、その声が泣きそうになっているのが分かった。そんなシンをディーナはそっと抱き締める。
「ごめんね・・・」
「俺だけじゃねえ。レナ姉もイル姉も・・・何日も泣いてた・・・」
姉のレオナとイルリカもよくシンの世話を焼いていた。
レオナは男勝りなところがあり、昔は村のガキ大将をしていた。対してイルリカは静かな人で運動がことごとく苦手だった。しかし頭は良く、細かい作業が得意だったため裁縫などで村の支えになっていた。
ディーナはそんな2人を足して2で割ったようだった。別に喧嘩ごとが出来る訳ではないが、山に入ったり、運動したりするのは好きだった。勉強が出来る訳ではなかったが、本を読んだり知らないことを知るのは好きだった。特化したものはないが、出来ないこともないという何処にでもいる女の子だった。
その美しい歌声を除いて。
「レオ姉は自分がディーナだって言えば良かったって大声でワンワン泣いてた。イル姉はあなたじゃすぐにバレるから私が行けば良かったって・・・。村の皆はまだお前が何のために連れて行かれたか分からないって慰めてたけどな・・・。でも・・・本当に良かった。お前が生きてて・・・」
顔を上げたシンは相変わらず泣きそうで。でもそれは嬉しいからこそ浮かべる涙だった。
「本当にごめんなさい・・・。でも、私は本当にここで苦しいことなんて何もないの。最初は殺されるのかなってビクビクしてたけど、全然そんなことなくて・・・。城の掃除とか雑用やって、王の部屋で歌を歌って寝る。ちゃんと美味しい食事を出してもらって、お風呂も服もくださってるわ。でも、見ての通り最高級の生地って訳じゃないの。食事だって、コックさんが手を加えてるからより美味しい物になってるけど、私達でも食べられるような食材ばかりよ」
「え・・・王様って言ったらスゲー贅沢してんのかと思ったけど・・・」
シンは驚くのと同時にへぇ~・・・と関心する。
「そんなことないの。それにね。王は誰よりも早く起きて仕事をして、誰よりも遅く寝るの。国の民が平和に豊かに暮らせるようにって、自分を削って削って・・・生きてるの」
ディーナは元々嘘がつけない性格だ。嘘をついても目を見ればすぐ分かる。でも、今シンが見ているディーナの瞳に、嘘はひとかけらも見つからなかった。
「で、でも、この間腐敗病にかかった子供を・・・」
「違うの!」
身を乗り出したディーナにシンは驚く。
「あれはあの子が助かっても辛いと思ったから・・・っ。だからああ言ったの!ああ言えば両親の痛みが王を恨むことで少しでも和らぐからって・・・っ。あの人は・・・本当に優しい人なの・・・」
「・・・優しい人間が実の母親を表情一つ変えず殺すのかよ」
シンの言葉にディーナの表情が止まる。
「お前が何と言おうと奴が氷の覇王であることに変わりはない。お前が何か一つ粗相しただけで首を跳ね飛ばされかねねぇ相手だ。それを忘れんな」
「・・・うん・・・」
表情が曇るディーナを見てシンは慌てて話題を変える。
「そういやマデラ姉さんとこのスレイ、立てるようになったんだぜ」
「え!?この間まで寝返りできたーって喜んでたのに!?」
「いつの話してんだよ・・・。そういや馬の子、牛の子と立て続けに生まれてな」
「うわぁ。可愛いだろうなぁ・・・」
笑うディーナを見てシンは安堵し、笑って話を続けた。
マルドアは王の異変に気付いていた。
いつもより仕事速度が格段に遅い。遅いと言っても常人から見れば凄い仕事量に見えるだろう。
度々羽ペンを動かす手が止まり、またハッとしたように動かすを繰り返していた。
勿論原因は分かっている。
今朝突然現れたディーナの幼馴染だというあの少年のせいだろう。
王はディーナに甘い。それは城の誰もが知っていることだった。
まあ、このひたすら仕事一筋で生きてきた王が唯一私情で手に入れた者だ。咎める者などいようはずがない。
「・・・少し外の空気を吸ってくる」
「ハッ」
気持ちを切り替えようと立ち上がった王を見送り、マルドアはそっと王の机に乗っている書類で自分が出来る内容の物を引き抜く作業をしていたのだった。
王は眉間の皺をいつもより深くさせながら歩いていたせいで、メイドも兵士も思わず王を避けて歩いた。しかし、王にはそんな者達など一切視界に入らぬほど悩み抜いていた。
シンという男は確実にディーナに恋心を抱いている。でなければ命の危険があるこの城まで単独で乗り込んでくるものか。さらに覇王と言われる俺にあそこまで噛み付いてきた。並の精神ではない。
そしてディーナもまた・・・あの男を大切に思っている・・・
ズキッと胸が痛む。どうにも表現しがたく、感じたことのない嫌な痛みだ。
ふと窓の外を見れば客室が見えた。二人は楽しそうに談笑し、ディーナは見たことないような晴れやかなな笑みを浮かべていた。
あの男のことだとディーナは自然に笑う。今朝俺がしたかったことを・・・奴は簡単に・・・。
俺は・・・正反対のことばかりだ・・・今朝だって怯えさせ、勘違いをさせた・・・。
分かっている。ディーナが幸せなのは城での生活より村での生活だ。
分かっている。
あの男と笑うディーナを見れば見るほど胸が痛んだ。
シンは一晩城に泊まってもいいことになった。
ただし、さすがに部外者を王の部屋の近くには泊まらせられないとマルドアの部屋の近くだ。
その夜、ディーナはいつものように王の部屋に行く時間まで部屋で待機していたのだが、不意にドアがノックされた。
「はい
「――俺だ」
この声・・・王!?
「も、申し訳ありません!すぐに部屋に・・・「今日はいい」
「え・・・」
「客人の相手もしてお前も疲れているだろう。今日は休め。それだけだ」
城に来て初めて王の前で歌わなかった。
ディーナは何だか少し寂しくなり、暫く立ち尽くしていたが、何もすることはないと理解し、少ししてベットに入り寝入ったのだった。