氷の覇王が捨てた物
今朝は妙に静かだった。こんな日は少女の歌声が映えるだろうと王子は部屋を訪ねた。
「僕だ。入るよ」
部屋に入り驚いた。少女がベットに座って両手で顔を覆い、泣いているではないか。
「ど、どうしたんだい?」
思わず動揺しながら問いかければ少女は首を左右に振る。
「何も泣ければ泣く訳がないじゃないか・・・。言ってごらん」
少女は暫し黙っていたが、掠れた声で音を紡ぐ。
「黒髪の人を・・・思い出していました・・・」
その言葉を聞いて、王子の頭の中に少女が歌う子守唄が流れてきた。穏やかで美しく、それでいてどこか甘い響きのある歌声。その人物を思っての歌はどれも微かだが、甘い響きがあった。それを理解し、唇を噛む。そして、気付けば少女を押し倒していた。
「王・・・子・・・?」
呆然とする少女の瞳を濡らす涙は他人を思ってのものそれがどうにも許せなかった。
ビリィッ!!!
ドレスを裂けば、少女は暫し硬直していたが恐怖が顔に浮かぶ。
「何を・・・っ!やめてください!!!」
「君は・・・僕の者なんだ・・・っ!」
もがく少女の力はあまりに非力で、片手で両腕を押さえられた。首筋に唇を這わせ赤い痕をつける。それは所有物の証。もっと、もっとつけたくなった。
「いやっ!やだ・・・っ!!」
今度の涙は自分の物だと思うとゾクゾクした。再び首筋に顔を近づけたその時
バンッ!!!
勢いよく扉が開いたかと思えば何かが突進して来た。何かを理解する前に衝撃が頬を突き抜け、床に倒れこむ。視界の端に映ったのは自国の兵の鎧だった。
ディーナは目の前の光景にただただ目を丸くする。入ってきた兵士らしき人物は白の鎧に身を包み、鉄兜を被っていた。その人物はディーナに向き直ると呆然としているディーナを強く抱き締めた。
「ディーナ・・・っ!」
その声に覚えがあった。
「陛・・・下・・・?」
ずっと聞きたかった声。
鉄兜が脱ぎ捨てられ、中から漆黒の髪と黒曜石の瞳が現れる。ディーナはそっとそんな王の顔を確かめるように触れ、涙が溢れる。
「陛下・・・っ!!」
すがりつくように相手に抱きつく。ずっとずっと会いたかった。夢でも構わない。この幸せな時間を手放したくない。
しかし、そんなディーナの目の前でナルシスが王目掛けて剣を振り上げていた。
「陛下!!!」
ディーナは即座に王をベットに押し倒し、自分が上に覆いかぶさる。痛みを覚悟し目を閉じたが、痛みは来なかった。そっと目を開け、視線を向けると、ナルシスの剣は頭上で止められていた。
「感動の再会を邪魔するなんざ無粋にも程があんじゃねぇか?」
「ギドさん!」
ナルシスの腕をギドがつかんで止めていた。
「ディーナ!っておわ!!」
続いて飛び込んできたシンは目を手で覆う。
「こ、これ着ろ!!」
シンはすぐさま自分の上着を脱ぎ、ディーナに差し出す。何故かと首を傾げたが、自分のドレスが裂けていることを思い出しすぐに羽織った。
「皆さんどうしてここに・・・」
と問いかけた直後、肩をガッとつかまれる。
「またお前は!!何故毎回毎回俺を庇おうとする!?」
「す、すみません・・・。咄嗟に・・・」
シュンと落ち込むディーナを王は強く抱き締める。
「お前を助けに来て、お前を失っては意味がないだろう・・・っ」
「・・・申し訳ありません」
不意にナルシスが突き出してきたナイフをギドが手刀で叩き落す。
「おいおいまさかこの場面で手ぇ出すか?馬に蹴られんぞ。それにしても、ここの兵士共と同様。全然なってねぇなぁ」
「何故兵が来ないんだ・・・っ」
「おねんねしてもらってるに決まってんだろ?」
「大半はここに来れねえように訓練場で閉じ込めさせてもらってるけどな。入り口さえ封鎖しちまえば出口ねぇし」
シンの言葉で訓練場が地下にあったことを思い出した。地下にある以上窓もない。出入り口が封鎖されてしまえば兵士達には成す術がない。
「馬鹿な・・・見張りの兵だけでも相当数・・・」
呆然とするナルシスにギドは微笑んだ。
「なあ。『王族殺し』って族知ってっか?」
ナルシスは目を見開きながら、ゆっくりと言葉をつむぐ。
「100に満たない数で多くの国を潰してきたという・・・」
「あったり!」
ギドはニッと笑い、ナルシスに顔を近づけた。
「ちなみに、俺がそのリーダーだ」
不意に鋭くなった視線にナルシスは勢いよく飛びのいた。
「待て!貴様とそこの子供が『王族殺し』だとしても!」
「誰が子供だ!」
噛み付くように反論したシンを無視し、ナルシスは続ける。
「そこにいるのはウルアークの王、ラディウス・エル・ウルアークだろう!」
王を真っ直ぐ指差すナルシス。
「ここまで攻め込まれたとあっては国の問題にしていいということだな」
ナルシスは王を鋭く睨むが、王は平然と答える。
「俺は王ではない」
「今更そんな嘘が通じるか!!」
「本当だぜ」
そう答えたシンは何処か遠い目をしていた。ナルシスは視線だけをシンに向ける。
「そいつは俺の目の前で玉座を臣下に譲るって断言した。ディーナを助けるためだけにな」
シンはその時のことを思い出した。
「だったら俺一人でも助けに行く!!国のことなんざ知るかよ!!」
止められたって行く。それで例え戦争になろうが知ったこっちゃない。村の連中だけ連れて逃げるだけだ。
「止めはしない。マルドア」
王は真っ直ぐにマルドアを見つめて口を開いた。
「俺はたった今この場を持って王位を退き、後任としてマルドア。お前を任命する。そこの兵士達、そしてシン。お前が証人だ」
は・・・?
暫くマルドアも、シンも兵士達も言葉が理解出来なかった。一番早く理解したのはマルドアだ。
「承知いたしました」
跪いて胸に手を当て、応えるマルドア。シンは王位とはそんなにも簡単に譲れるものなのかと呆然とする。そして、王という重圧を2つ返事で了承する家臣がいることにもまた驚いた。
「頼む」
シンは理解した。
この王は・・・いや、王だった人は。たった一人のために、自分の全てを捨てたのだ。そんな覚悟・・・自分にできるだろうか。
多分できない。
だからきっとディーナはこの王だった人を好いて、自分は見向きもされないのだ。
「格が違うってか・・・っ」
違いを見せ付けられるのと同時に、この男ならきっと何よりディーナを大事にしてくれるだろうという確信も生まれた。ならばもう・・・迷わない。
「ディーナを助けに行くんなら俺も連れてってくれ。どんなことで役に立てるか分かんねえけど、いないよりマシだろ?」
「ああ。心強い」
その後ギドも登場したった三人で城に乗り込むことが決まった。正直正気の沙汰じゃないと思った。だが、作戦を聞くうちにこの三人ならできるという分からない自信が生まれ、今現在に至っている。




