氷の覇王に来訪者
ディーナはふと机の引き出しを開ける。そこにある黒猫と口紅。ディーナは黒猫の方を手に取り、見つめていると何だか無償に歌いたくなった。だが、今は夜も随分深まっている。
音を立てないように外に出て山道に入った。村から少し離れているだけだが、歌声が眠っている者の耳に届くことはあまりないだろう。
ディーナは息を吸い目を閉じて、心の中の声を歌にした。
不安や恐怖、そして傍にいたい思い。支えてくれる人達への感謝。周りの音は何も聞こえなかった。
「aerial!!(幻想的に美しい!!)」
不意に耳に飛び込んできた声にディーナは驚いて歌をやめた。目を開ければそこには銀髪を腰まで伸ばした美しい青年がいた。服も金、銀の刺繍が入り煌びやかで一目で高級だと分かる。
分かるのはそこまでで相手が何者かは全く分からなかった。
「君の歌声はfeerique(夢の世界のように美しい)だ!!僕はこれほどの感動を覚えたのは初めてだよ!!顔は僕の美意識に反するが・・・その歌声で相殺だ!」
かなり失礼なことを言われているが、ディーナはそんなことより何よりこの場から逃げ出したい衝動に駆られていた。
「美しく伸びる声の中に漂う哀愁。それでいて零れる煌びやかな輝き・・・。superbe(実に美しい)!!」
自身を抱き締めて叫びだした青年を見てディーナはひたすら恐怖しか抱かなかった。
「君を僕の城へ招こう」
え・・・?
超展開に頭がついていかず、ディーナはその場に硬直する。
「さあ、一緒に行こう!」
腕を掴まれ、強引に引っ張られる。
「ま、待ってください!!」
青年はん?と振り返り足を止めた。
「あなたは・・・この国の方ですか・・・?」
この国の人間ならば城はあそこしかない。
「いいや、僕は隣の国のフルール王国のナルシス=スイート=フルールだ。我が国は美しき芸術を愛する国でね。君のような形のない芸術も愛でているのだよ」
違うと聞いて激しく落胆した。分かっていたことだが、落ち込む自分にディーナは気付いた。
「では、もう問題なくなったかな?行こうか!」
再び強引に腕を引かれ、ディーナはえ!?と抵抗する。
「わ、私はあなたの国に行くつもりはありません!!」
その言葉にナルシスは絶望したような表情を浮かべた。
「pulchra(美しい)な物に出会いたくないと言うのかい!?」
「ぷる・・・?と、とにかく!私はウルアークの人間です!あなたの国には行けません!」
「?この国では移住に規制はかかっていなかったように思うが?」
「私の問題です」
ナルシスは考え込む素振りを見せる。ディーナは引き下がってくれるかと相手を見ていると、相手はポンと手を打った。
「生活に不安があるのだね!安心してくれ。美しい服に美しいご飯、お風呂にも花を浮かべ全てが美しい世界に包まれているよ!さあ行こう!!」
引きずられながらディーナはま、待ってください!と再び止める。
「私はこの国から出て行きたくありません!!」
「自国愛も美しいが・・・いいのかい?」
「な、何がですか・・・?」
相手の瞳が酷く冷たくなり、ディーナは嫌な予感がした。
「僕はフルールの王子だ。その王子に逆らうとなれば・・・国の問題になる。君にその責任が負えるのかい?」
ディーナは大きく目を見開く。いつも朝から朝まで仕事をしている王の顔を思い出した。
あの方の負担が大きくなるくらいなら・・・
「行き・・・ます・・・」
小さく掠れた声を紡げば、相手は顔を輝かせた。
「そうか!では急ごう!!」
ディーナは近くに待っていた馬車に詰め込まれ、フルールに向かった。その際持っていた黒猫が落ちてしまったことにも気付かず――。
「陛下・・・。大丈夫ですか?」
王は心配そうに見下ろしてくる忠臣を射殺しそうな目で見上げる。
「お前が心底心配そうな顔をするほど俺は酷いか?」
「ええ。私以外の者なら逃げ出すだろうというほどです」
王は髪をかき上げハアと深くため息をついた。
「お前には世話をかけるな。マルドア」
「何を仰います。陛下。陛下から賜る全ては私にとって至高の喜びです」
そう言って本気で笑うマルドアに王は静かに目を閉じた。
「俺は幸せ者だ」
マルドアにはそう言う王は何処も幸せそうには見えなかった。
その時
「王ーーーーー!!!」
外から大声が響き、廊下に出てマルドアが王より前で下を確認する。城門で兵士と何者かがもめているのが見えた。目を凝らし2人はハッとした後、急いで駆け出した。