氷の覇王を思う
いつも通りの仕事を終え、木の根元で休んでいるとシンが隣に座った。
「最近暑くなってきたなー」
シンはパタパタと手で自分をあおぎながらため息をつく。そんなシンにディーナはクスリと笑う。
「そうだね。そろそろ川で遊べそう」
「今は足が限度だけどな。夜も寝苦しくなったよなー」
そうシンが呟いた直後、ディーナの表情が止まった。だが、すぐにいつも通りに戻りそうだねと頷く。シンはそんなディーナを見て苦笑した。
「なあ。ディーナ」
「何?」
「お前これからどうしたい?」
何故そんな問いが出るのか分からずディーナは困惑しながら答える。
「どうしたいって・・・今まで通り野菜作って動物達の世話するだけだよ?」
「本当にそれでいいのか?」
「シン?」
ディーナは言外にどうしたの?と問う。シンは少し迷ったが意を決め、口を開いた。
「あの王のとこに戻らなくていいのか?」
ディーナは目を見開く。だが、やがて苦しそうに俯き、絞るように言葉をつむいだ。
「私ね・・・無期限の休暇なんだ。もう・・・いらないって・・・。陛下に私は・・・もう必要ないんだ・・・」
胸元を握り締め俯くディーナ。そんなディーナの顔を両手で挟み、真っ直ぐ目を見てシンは怒鳴った。
「王の意思を訊いてんじゃねえ!俺は、お前の意思を聞いてんだよ!!」
ディーナは驚きに目を丸くしていたが、やがてその瞳から涙が零れだした。
「私は・・・あの人の傍にいたい・・・っ!あの人の隣で・・・歌いたい・・・っ!」
シンはそんなディーナを抱き締め、頭を撫でる。
「それでいいんだよ。感情を殺す必要なんてない。手紙でも書いてみろ。もしダメなら俺が一緒に城に行ってやるから」
「ありがとう・・・シン・・・」
馬鹿だとシンは自分自身に対して強く思う。このままずっと村で過ごしていれば、ディーナはやがてあの王のことなんか忘れて自分に目を向けてくれることもあったかも知れない。だが、このままずっと痛みに耐えるディーナの姿を見続けることは我慢ならなかった。
「よっ!仕事頑張ってるか?ラディ・・・」
ヒョッコリと執務室に顔を出したギドは王の顔を見てギョッとする。
「お前・・・恐ろしい顔になってんぞ。大丈夫か?」
王の目の下の隈は以前にも増して濃くなっている。目も充血しており、ギロリと睨まれ思わず背筋を正した。
「平気だ・・・。貴様はさっさと仕事をしろ」
「今日は珍しくちゃんと仕事して来たんだから文句言われる筋合いはねーよー」
ギドはマルドアがいつも使っている机の椅子に腰掛けた。居座るのか・・・と王は眉を寄せたが、気にするだけ時間の無駄だと仕事に集中する。
「なあ。何で嬢ちゃん村に帰したんだ?」
あまりにも直球の問いに王は筆のインクを書類に落とした。
「あ・・・」
「スッゲー動揺してんな。珍しい」
「邪魔をするためだけに来たのならさっさと帰れ」
王は苛立たしげに言いながら、書類を新たに書き直す。
「いんや。純粋にさっきの問いの答えが知りてぇから来てんだ。城の奴らも正直困惑してる。お前が嬢ちゃんを気に入ってんのは誰の目に見ても明らかだったからな」
王はそこまであからさまだったのかと片手で口元を覆う。無自覚だった頃の話とは言え、自覚した今では恥ずかしい。
「だから、そんな嬢ちゃんが追っ払われるなんてよっぽどのことがあったんだろうって皆ビクビクしてんだよ。かと言ってお前にもマル坊にも聞けねぇ。最近マル坊もピリピリしてっからなぁ。だから俺が聞きにきたんだよ。俺が城の奴らに伝えてやるよ。正当な理由ならな」
ギドの視線には敵意も含まれているような気がした。ギドも少なからずディーナを気に入っていた。それが気に食わないのかも知れない。王は暫し黙った後口を開いた。
「ここでの生活より村での生活の方が、ディーナにとって幸せだろうとそう思った」
「嬢ちゃんは承諾したのか?」
「・・・強制した。でなければきっとディーナは俺のためにここに残ってくれただろう」
ギドはガシガシと頭を掻いた後立ち上がり、王の机の前へと歩み寄った。
「オメーは嬢ちゃんを思ってるようで思ってねぇよ。嬢ちゃんのこと分かってるようで分かってねぇ。嬢ちゃんは、村に帰って正解だったかもな」
「は・・・?」
訳が分からず聞き返す王だったが、ギドはさらに言葉を続ける。
「今のままのオメーなら絶対に嬢ちゃんを傷つける。ま、今もかも知れねぇけどな」
ギドは王に背を向け出口へと歩き出した。
「待て!どういう意味だ!!」
立ち上がって叫ぶ王にギドは顔だけを向けた。
「テメーで考えろ」
突き放すような冷たい視線に王は気圧された。パタンと静かに閉められた扉。一人になり静寂が包む中、王の頭にはギドの言葉ばかりがグルグルと巡る。
【オメーは嬢ちゃんを思ってるようで思ってねぇよ。嬢ちゃんのこと分かってるようで分かってねぇ】
【今のままのオメーなら絶対に嬢ちゃんを傷つける。ま、今もかも知れねぇけど】
どういうことだ・・・っ
ディーナが幸せならと思ったのに、幸せではないということか?いや、ディーナは村を愛している。その村での生活なら幸せでないはずがないだろう。それにシンというあの男もいる。
考えれば考えるほど息が苦しくなり、胸が締め付けられるように痛んだ。
「ディーナ・・・っ」
狂いそうなほどの思いに押しつぶされそうだった。
ディーナはシンに言われた通り手紙を書いていた。
だが、書いては迷い、くずかごに捨て、また書いて捨てを繰り返した。
伝えたいことが溢れて、でも言葉にならなくて、くずかごの手紙は増えていった。
だが、書く度に恐怖が募る。あなたの隣であなたのために歌いたいと、そう告げて、もう不要だともう一度言われたら・・・っ
だが、同時にシンの言葉を思い出した。
【もしダメなら俺が一緒に城に行ってやるから】
いつもいつも支えてくれた幼馴染。本当に感謝してもし足りない。
「ありがとう・・・。シン」