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僕は猫を拾った

作者: 木場アサト

 猫を拾った。

 大学から帰る途中、雨に濡れて震えている一匹の猫を見つけた。目があってしまい、放置するのもあれだったから取りあえず連れて帰ってみた。


「はい、ご飯だよ」


 用意してあげたご飯を、猫は美味しそうに食べた。それがあんまり幸せそうだったから、僕は思わず言ってしまった。


「お前、僕と一緒に暮らす?」


 それが、僕と猫の日常の始まりだった。




***




「ユキ、じゃれないで。大事なレポートを書いてるんだから。……ああ、もう。そんな顔しても無駄だよ。今は本当に無理だから」


 寂しそうに鳴く猫――ユキ。最初は聞き分けが良かったのに、今ではこの通りだ。たまに鬱陶しいとさえ思ってしまう。


「後でちゃんと構ってあげるから、ね? それともお腹すいてるの?」 


 ユキは首を横に振る。ただ構って欲しいだけか。


「ユキは寂しがり屋だねぇ。でも無理。……はぁ。まったく、あんまり僕を困らせないでよ」


 思わずそうこぼすと、ユキは大人しく離れていった。困ったときの魔法の言葉「困らせないで」。ユキはこれに弱い。もともと捨て猫だったから、困らせたらまた捨てられるとでも思っているのだろう。

 さて、そんなことよりもレポートだ。これは単位に関わる大切なもの。気を抜いてはいられない。


「――」


 と、気持ちを入れ替えたとき、控え目な鳴き声が聞こえた。……まったく。


「はぁ……。ユキ、おいで」


 その言葉を待っていたと言うように、ユキは目を輝かせて寄ってくる。差し出した掌に頬擦りをするユキを抱き抱えると、首筋に顔を埋められた。毛がちょっとくすぐったい。

 仕方ない。レポートは後でやろう。締め切りまであと二週間あるし、大丈夫だろう。……今日のようなことが続いたら修羅場を覚悟しなければいけなくなるかも知れないが。


「本当、手間のかかる子だよ」


 そんなユキのことをかわいがっているのも事実だけれども。

 ……なかなか、悪くない日常だ。




***



 日常は脆いものだ。

 たった一つのイレギュラーによって、いとも簡単に崩れ去ってしまう。きっかけ自体は小さなことでも、その小さな綻びが致命的なことになってしまうことだって少なくない。

 そう考えると、僕らは非常に不安定な「日常」というものを基盤として暮らしているらしい。

 日常が崩れ去ってしまうきっかけ。例えばそれは、通る道をなんとなく変えること。

 それだけで、日常は「通り魔に襲われる」という非日常に早変わりだ。

 僕のように。


「……」


 学校に向かう途中、携帯電話を忘れたことに気付いた。時間に余裕があったから帰って取ってこようとした。その時、なんとなくいつもと違う道を通ってみようと思ったのは何故だったのだろう。

 刺された腹が痛い。犯人はとっくに逃げ去ってしまった。人通りはなく、携帯電話もない今の僕には救急車も警察も呼ぶことが出来ない。

 ……ああ、なんだか眠い。不思議と痛みが薄れて来た。もしかして僕、死にそう?


「――」


 聞き覚えのある鳴き声。


「……」

「――、――!」

「……ユキ」


 家で大人しくしているように言っていたのに、出てきたのか。そういえば猫っていつの間にか勝手にどこかに行くよな。ユキも、猫は猫か。


「――……っ」

「ばいばい」


 次の飼い主を探すことを薦めるよ。


「僕はもう、君の面倒をみれない。死ぬから」

「――! ――!」

「……猫って、涙、流せるんだ? 初めて知った」


 本格的に意識が朦朧としてきた。頭が溶けていくような気がする。腹の痛みは、もうほとんど感じなくなっていた。


「……」

「――? ……――! ――!!」


 僕は目を閉じた。何も見えない。暗い。何も聞こえない。ユキの鳴き声も。泣き声も。

 腹の痛みは、もう感じない。




***




 家主のいないアパートの一室。カーテンが閉めきられ電気が点いていない薄暗いそこに、一つの小さな影があった。床に蹲るそれは、黒い首輪をしていた。目の色と同じそれは、その影の飼い主である男が選んだものだ。


「……」


 影は何をするでもなく、ただそうしていた。一目見ただけなら死んでいるのかと錯覚してしまうだろう。しかしそうでないことは微かに響く呼吸音で分かる。


「……」


 飼い主の男がいなくなりってから何も口にしていないそれは痩せ細り、今では骨皮ばかりだ。そのままでは死んでしまうことを――今日にでもそうなってしまうことを影は分かっていた。


「……」


 しかし、それこそが望み。飼い主と同じ場所へ旅立とうとしているのだ。その影にとって、飼い主は全てだった。薄汚い自分を拾い、食事を与えてくれ、更にそのまま家に置いてくれたのだ。それがとても嬉しく、また彼を好きになるのに十分なきっかけだった。


「……」


 優しくしてくれた。甘やかしてくれた。叱りつけてくれた。構ってくれた。

 影は幸せだった日常を思い出す。何の不満もなかった。

 が、影には一つ、彼に言いたいことがあった。


「……私、猫じゃないよ?」


 猫のようにつり上がった目をしたその女はそう呟いたのを最後に、動くことは二度となかった。


2000文字ぴったりを書きたかった。




補足

男は小さい頃から猫が飼いたかった。しかし家族が猫アレルギーのため我慢していた。そして一人暮らしを始め、念願だった猫を飼うことにした。大学の帰りにペットショップに寄ったが、値段が予想以上に高かった。結局買わずに家に帰ることにしたが、飼いたいという気持ちは諦めきれなかった。その時出会ったのが猫目の女。男は無意識の内に、その女を猫だと錯覚してしまった。

女は依存癖があった。その日も同棲していた他の男に依存しすぎてしまい、重いと捨てられてしまった。住むところもなくして雨の中途方に暮れていたとき、男に出会った。そして女は男に依存し、男がペットとして自分を求めるのならそれでもいい、それでも側に居たいと思ってしまった。でも、やっぱり「猫のユキ」ではなく「人間の由紀」を見て欲しいという思いもあったため、それが最期の言葉になった。


……という設定を本文を書き終えてから考えた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 意外な展開で、どきりとしてしましました(*´∀`)♪ 強烈な思い込みを利用したトリック。面白かったです。 [一言] ただ一つ……、残念だった事を、言わせて下さい……。 主人公が亡くなるシ…
2014/11/17 09:43 退会済み
管理
[良い点] 2000字ぴったりにした遊び心。 [一言] 彼が何故「猫」としているのか、わかる描写が欲しかったです。一人称は錯誤を利用できるので叙述トリックが楽ではありますが、これだと彼が何故嘘をついて…
2014/10/12 16:55 退会済み
管理
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