躾の仕方と飴と鞭
感じない、というのは一種の防衛手段だと思います。
痛みも、疎みも、苦しみも、自分の中に仕切りを作り、他人事のように俯瞰で自分を見て、ああ可哀想だ、と自分に共感をしようとします。
心を凍結し、努力を嘲笑い、諦観に諦観を重ね、自分を優位に見せようと躍起になるのです。――それは、僕だって何ら変わりがありません。
「だから朝四時に透流が家の前に立ってても気にしない気にしない」
「気にして!! ちょっとは気にして!!」
侑太郎の、最近よく耳にする悲痛な叫びが耳を素通りします。大丈夫です、御堂斎は動じません。幼馴染みの僕を心配する叫びに対してすら、何にも動じる事はありません。
「ちょっとは動じようよ!? 斎くんそれ凄く危ないよ!?」
「御堂斎は動じない」
「そんな『岸部露伴は動かない』みたいに言われても」
そんなつもりはまったくなかったのですが、それよりこういうタイトルの作りって結構あるなあ、とふと思いました。作り易いんでしょうね、最早テンプレートです。
僕と侑太郎は、最近ほぼ日課となっていますが、一緒に下校している最中でした。
伊達に幼馴染みしていません、僕と彼の家は学区こそ違え、最寄り駅(というよりバス停でしょうか)は同じですし、最短通学路も一緒です。よって下校を共にする事はそう珍しくないです、登校は、そもそも朝起きる時間から一緒になる事は稀ですが。
「というか、朝四時に家の前、って何?」
侑太郎は歩きつつ僕の顔を窺います。侑太郎の顔は仄かに青みがかっており、いかにもドン引きといった体でした。別に僕にドン引きしている訳ではありません、僕の記憶が丸視えなのでしょう。それくらいの予想は余裕のよっちゃんです。
「視えてる通り、少し嫌な予感がして朝四時に目が覚めたんだよ」
ちなみにいつもなら僕は朝五時過ぎくらいに起きます。母の仕事が大変忙しい為、家の事は現在僕に一任されている状態です。掃除洗濯料理どころか、家計簿や御近所付き合いまでしているので、楽しいですが、学業との両立は大変ですね。
「それで、いつも通りカーテンを開けたんだよ」
「……そっか、斎くんの部屋三階だもんね。したら、下にいた、と?」
「凄く良い笑顔だったね」
飼い主を見つけた犬のような、いえ比喩でもなくままですね、これ。
透流、という名の彼は、先日僕が雨の日に拾って来た『犬』です。いえ、犬が何やら不思議パワーで擬人化したのではなく、『犬』というポジションなのです。
くすんだ金色の髪に、青葉のような緑目と絹のような白い肌を持つ、どこの血が入っているのか推測も出来ない稀代の美少年、ですが、蓋を開けてみればただの変態ストーカードМ野郎だったという訳です。残念どころの話じゃあありません、神様絶対途中で造形飽きたでしょう、とツッコミを入れたくなる感じです。
神に飽きられた子、と言えば格好よろしいですが、きっと新しいノートの一ページ目は綺麗に書いたけどあとは雑、という感じの『飽き』なのでまったく格好良くありません。いと憂し、いと侘びし。僕は話を続けます。
「凄く良い笑顔でほぼ前屈な礼を一つ、そしたら電話がかかってきた」
「連絡先教えたの!?」
「『連絡先を教えて頂かないと、然るべき処置を取らせて頂きます』と」
そうでなくても教えるつもりでしたが。特に他意はありません、何か面白そうな事が起きそうで、つい。てへっ。
「高橋も高橋だけど斎くんも斎くんだよね」
それはそうでしょうね、自覚しています。
ちなみにその時の彼は少し物憂げな、通りにいる女性の心臓的確にスナイプしてしまうくらい魅力的な面持ちでしたが、こちらとしては『うんざり』としか言いようがありませんでした。むしろ殺意が湧きましたね。美形絶滅しろ。
「電話では何て?」
「『散歩に連れて行って下さい』って凄くはしゃいでる声で」
「何で高橋そこまで犬に成り切ってるの」
有り得ない、と侑太郎はドン引きしていました。当たり前です。
確かに僕は彼を『犬』扱いしました、ですがここまで成り切られてしまうとどうにも困ります。というか引きます。諦めるより他ないです。
「散歩連れてったんだよね」
「近所迷惑だし、飼い主の責務だし」
「いや、まあ、そうか」
僕は明るく振舞っていたつもりですが、侑太郎は一気に暗い雰囲気となってしまいました、何という事でしょう。散歩と言っても首輪にリード付けて、なんてド変態プレイをした訳ではなく、近所を二人でぶらぶらと歩いていただけなのですが、何というか、凄く、アレでした。
「御堂斎は動じない」
「だから少しくらいは動じて!? じゃないとより付け込まれるよ」
「それは困る」
しかしあのストーカーに拒絶反応を示したところで「すみません、我が君の仰っている意味が理解出来ないのですが」の一言で済まされてしまいそうです。彼の都合の良い事しか聞こえない、都合の良いようにしか解釈しない耳がここのところ羨ましくて仕方ありません。僕も欲しいです。
「……やっぱり」
不意に侑太郎が口を開きました。どうしたのか、と彼の顔を覗き込むと、何やらとても悪い顔をしていました。人の好さそうな顔の方が悪い顔をすると、より悪く見えるので不思議ですね。まあ目つきが悪い奴が悪い顔をしても、より怖がられますが。
「やっぱり、躾はきちんとしないと」
……躾、ですか。
「具体的に何をすれば良いんだろ」
「そりゃあ、普通に『待て』からじゃないかな」
「『焦らしプレイですね! 興奮します!』」
「脳内再生余裕過ぎて泣いた」
僕も泣きそうですよ。残念ながら、非常に残念ながら透流はドМなので『躾』なんて言葉を聞いたら興奮して舞い上がりそうです気持ち悪い。
という事は躾という行為をして、更に好かれてしまう可能性もなきにしもあらず、否、そういう可能性しかないでしょう。――そもそも「我が君が施してくださる事なら」と全肯定されてしまう可能性の方が高いですね。
「好かれてる人に嫌われるのって、大変なんだね……」
「斎くんそれ、もっと違うところで言えたら良かったね」
侑太郎が憐憫の眼差しで僕を見下ろします。その事については重々承知していますよ、僕だってもっと感動的な場面でこの台詞を言いたかったです。たとえば身近な人に危害を加えてしまう呪いにかかってしまったとか……。
「あ」
そこで僕は一つの、ある事について思い出しました。
「――斎くん?」
「視えた?」
「視えたけど、流石にそれは人としてどうかと思うよ……」
それは思いますが、僕にはもうこの手しかないんです! ……すいません、そこまで切羽詰まっていません。そしてそこまで彼を邪険にしていませんし、嫌悪感もありません。あるのは少しの苛つきと、少しの殺意、そして大半を占めるのは好奇心という一言でした。とても気になる。
爛々と自分の目が血走っている事は余裕で自覚出来ます、そんな僕を見て侑太郎は「もう好きにしなよ」とでも言いたげに肩を落としました。
翌日、やはり早朝に透流は我が家の前にいました。一体何時からいるのでしょうね、怖過ぎて訊きたくありませんが。そんな彼に三階から手を振り(物凄い勢いで振り返されました)、寝間着である中学ジャージのまま下に降ります。
「我が君、本日も大変麗しくいらっしゃいますね」
玄関の前に立っている透流は深々と一礼し、金色の髪をたなびかせます。恋に落ちてしまいそうな笑顔で言われましたが、僕は例外です。こんな寝癖も付けっ放し、服は野暮ったいジャージにクロックスというニートスタイルの同性に、何が「麗しくいらっしゃいますね」ですか。唾を吐きたくなります。
「おはよう、早いね」
欠伸を噛み殺しながら言うと、「欠伸を噛み殺す我が君麗しい……」と呟かれました。出来るだけ惨たらしい死に方で死ねば良いのに。
そうしていると今度はもう一つ欠伸が出ました。やはり一時間も早く起きるのは辛いですね。欠伸で出た涙を拭おうと手を伸ばすと、先回り透流の指が僕の目元をなぞりました。白く細く、絹のような肌です。
「我が君の涙は琥珀の如くでいらっしゃいますね」
うっとりと頬を染める透流に、ぞぞぞ、と背中に何かが這いずったような気がします。無理、本当にこいつ無理です。美形だから尚更無理ですよ。僕が固まっていると、彼は僕に掌を差し出しました。
「では我が君、どちらへ参りましょうか」
……散歩の事ですね。昨日と同じくここら辺を一周しようと思っていましたが、こんなにも嬉しそうにして。本当やめて欲しいです。
「それよりも、透流」
僕が嘆息しつつ呼び掛けると「何で御座いましょうか、我が君」なんて透流は恭しく首を傾げます。流石『神様のノートの一ページ目』なだけはありますね、立ち振る舞いに気品が感じられます変態ですが。
「今日は透流に渡したいものがあって「はい!?」
食い気味で返事をされました。少しイラッとします、大体近所迷惑なので大きい声は出さない欲しいんですが。苛々を隠しつつ、「これなんだけど」と僕が持ってきた紙袋を差し出そうとすると、最初の数秒は何をされたか感知出来ませんでした、感知したくなかったのかも知れません、いや感知したくなかったです。
……僕は高橋透流に抱き締められていました。鳥肌大発生、むしろ鳥になりそうです。
「あの、何して……」
「ああ、もう我が君は誠に女神のようで、身も心も尊く、清廉でいらっしゃる……!」
僕の身も心も何で清廉だと貴方が分かるのでしょうね、いや身は潔白ですけど。心はどちらかというと貴方の所為で濁り切っていて魔女化寸前ですよ。抱きついたまま、透流は続けます。
「このような下賤な『犬』に対しその慈愛に満ちた御心……、自分涙が溢れそうです」
その涙で溺れてしまえと思ったり思わなかったりしました。
「ああ、我が君、我が君ぃ……」
嫌悪感がない、と言いましたが、僕の長めの髪を掻き分けられ、耳に直接声を注ぎ込まれた時には殺意と嫌悪感が勝りました。透流じゃあなかったら、鳩尾に蹴りを入れてそのまま放置しているところです。……僕も甘いですね。
「透流、いい加減離して」
「すみません、不勉強故我が君の仰っている事が理解出来ません」
……出来ないのではなく、しようとしていないのでしょう。ふぁっく・ゆー。とは言え「渡したい物、渡せない」と言ったら離れてくれましたが。言う事を聞けたので撫でてみると、少女漫画のヒロインレベルで顔を真っ赤にさせました。少し可愛いです。
「これなんだけど、気に入ってくれるかな」
「我が君がくださる物を気に入らない訳ありませんよ」
僕があげた何の変哲もない紙袋をきらきらとした目で見て、透流は僕の方にちらちらと目配せしました。……ああ、見たいんですか。僕が頷くと、彼はすぐさま紙袋の中に手を突っ込み、中から僕があげた物を取り出しました。
「首輪、ですか」
そうです、首輪です。黒くて細い、何の変哲もない首輪です。実際はいわゆるチョーカーと呼ばれる物なんですが、この場合は首輪と言っておきましょう。『犬』には首輪がつきものですしね。
「これ、名実共に『犬』と認めてくださった、という事で」
「あ、うん、そんな感じ」
僕が言うと透流は心底嬉しそうに笑いました、背景を知らないととても魅力的なのでしょうが、残念ながら背景を知っている僕にしてみれば、……うん、という感じでした。憐れみというか、憂いというか、残念にもほどがあって何とも言えません。
「じゃあ付けてあげよう」
貸して、と首輪を受け取ると、彼は緊張した面持ちで首を持ち上げます。細い首、きっと上手い事はまるでしょうが、サッカーボールが頭に飛んできた程度ですぐに折れてしまいそうです。細い、というか砂糖菓子のようで脆そうなのですかね。
タッチメント式のそれは、彼の白い肌によく映えます。映えますが、その程度です。これで僕にいくらばかりかの独占欲があれば別なのでしょうが、何を隠そう僕は彼に独占欲など微塵もありません、どこへ行ってくれないかな、と最近よく思うほどですので、特にこれと言った感慨などは皆無なのでした。
「ありがとうございます! もう本当言い尽せないほどの感謝で胸が一杯です!」
実際泣きそうになっていた透流でしたが、僕自身内心ほくそ笑んでいました。この笑みは「良い研究材料が入ったな、うっしっし」的な感じですので、あまり注意しなくても良いです。「ところで」と僕は透流に話しかけました。
「言い忘れてたんだけどそれ」
僕は彼が付けている首輪を指差しました。
「その装備、結構な感じで呪われてるよ」
実際、呪いなのかどうか僕は分からないんですけどね。そこはまあ、長期実験で。