『犬』を拾いました。
新しいものに出会った時、地震が起こったような衝撃を受けます。
電流が走った、などという微細なものではありません。自分自身の今までが根底から覆されるような、自分が今現在生きて立っている世界が揺れるような、そう言った感覚があります。
それはとても素晴らしいものだと享受しています。何が何でも享受しています。
四月、新しい一年が始まり、僕が高校一年生となって二週間ほど経ったある日です。軽く台風を疑うくらい酷い雨の日でした。篠突く雨、と言いますが、竹なんて目じゃありません、散弾銃並みです、ゲリラ豪雨だけに。そんなゲリラ共に傘という防御手段なしで太刀打ち出来る訳もなく、僕は酷い目に遭いました。服も髪も何もかもぐしょ濡れです。
そんな日に、とてもテンプレート通り『犬』を拾いました。
「『犬』を拾ったんだ」
翌日の昼休みに僕はその件を、真後ろの席に座っている幼馴染みに報告しました。僕は椅子を逆向きにして、幼馴染み――南方侑太郎と言いますが、彼の机の上に自作の弁当を広げています。侑太郎は購買で買った甘いパンを頬張っていました。
ちなみに本日は昨日と打って変わって晴天です、雲一つない快晴です。空が青くて胸糞悪いという事はこういう事なんだと思いました。ちくせう。
「へえ、どんな犬?」
侑太郎は人の好さそうな笑みを浮かべました、実際性格はあまりよろしくないのですが、顔が好いというのはこうも印象的に働くのですね。僕みたいに目つきが『恐ろしい』と言われる人種にとっては羨ましい限りです。
「ううん、混血かな」
「混血? 雑種って事?」
それは些か口が悪いようにも思えます。僕が首を傾げると、侑太郎は少し眉を顰めました。視えてるのでしょうか。僕が『犬』を拾った情景が。
「……ねえ、斎くん。大きさはどれくらい?」
「平均より小さいくらいだね、僕より小さいよ」
遺伝子的にもっと大きくたっておかしくはないはずですが、僕が拾ったのは小柄でした。きっと体重もすこぶる軽いのでしょう。手足の細さが尋常ではなかったです。骨と皮だけのような薄さでしたが、大して可哀想だとも思いませんでした。そういうのは自己責任でしょう。
「斎くん、斎くん」
「何?」
「じゃあ毛色と、……目の色は?」
これは最早おかしい点が分かっていると判断しても良いみたいですね。僕は人差し指で自分の顎のラインをなぞりました。考える時の癖のようです、昔、侑太郎以外の幼馴染みに指摘されました。直すつもりは更々ありません。
「毛色はくすんだ金色、目は……緑かな」
僕は言いつつ卵焼きを口に運びました。僕にとっては丁度良い甘さですが、長兄には少々甘過ぎるかも知れません。一考の余地がありますね。下げていた目線をふと彼に戻すと、侑太郎は何とも言えない、ダサいデザインのTシャツを着た実父を見た年頃の娘のような、微妙な顔つきで僕を見ました。
「もしかして、斎くんが拾って来た犬って、あれ?」
侑太郎は言うや否や、僕らの教室の後方にある扉を指差しました。僕はその動作に倣って顔をそちらへ向けます。……ああ。
「うん、あれだね」
後ろの扉には、体を半身だけ出してこちらを凝視している、僕が昨日拾った『犬』、金髪には少しくすんだ『毛色』に翡翠のような緑色の『目』をした、『百七十センチ弱』ほどの美少年がいました。昨日からあんな調子です。
僕が昨日、篠突くどころか銃弾のような雨の中で拾った『犬』――高橋透流を拾った経緯を少しだけ説明しましょう。
昨日、下校途中に雨に降られた僕は、自身の運の悪さではなくこの雨を降らせた世界を心底憎みつつ、地獄のような歯軋りをしながらバス停から自宅への十五分くらいの道を歩いていました。もう完全諦めモードです。自暴自棄です。このまま地面に寝そべって高笑いでもしてやろうかと思いましたよ、やめましたけど。そんな中、道の途中に段ボールが一つ、そこに彼が座っていたのです。
「待って、ツッコミどころしかない」
僕の話を聞いた侑太郎は、僕に制止をかけました。何ですか。
「まず、何で高橋は段ボール箱の中に入ってたの?」
「『拾ってくれる人を探して』」
「リスキー過ぎるし意味が分からない」
侑太郎は驚愕していました。ちなみに透流は未だに半身だけを出して、僕ら(きっと見ているのは僕だけなのでしょう、ナルシストな訳ではないです)を凝視していました。『待て』が出来る良い子です。
「で、んと、拾って、どうしたの?」
彼の顔つきを見ていると、恐らく僕と透流のやり取りすべて視えているのでしょう、見る見る内に顔が青くなっていきます。リトマス紙みたいで愉快です。一応僕も一般常識程度は兼ね備えているので、自分達が昨日交わしたやり取りがいかに非常識なのかは理解出来ています。理解出来たところでやるなら何も変わらない、とか言わないでください、自覚しているのです。
「拾って家に上げてシャワーと着替えを貸してあげて『犬にしてください』と言われて晩御飯御馳走して晴れてたけど遅くなったからバス停まで行ってバス来るまで待っててあげてそこでバイバイした」
「君が半端なく良い奴って事が分かったけど一工程要らなかったよね?」
『犬にしてください』って何!? と侑太郎は絶叫しました。周りにいたクラスメイトがちらちらとこちらを振り返ります。待ってください、僕が犬にしてほしい訳じゃないんです勘違いしないでください。
「それで、斎くんは引き受けた、と」
「頼まれたら断れない性分なんだ、お人好しでしょ」
「それは断ろうか!! 断るべきだね!! そして別にお人好しじゃないよそれ!!」
僕は僕以上にお人好しな人類は見た事がないと自画自賛しているほどにはお人好しだと思いますが何か。言わなくても伝わるので侑太郎は頭を抱えて「違う……、それは違うよ……」とぶつくさ呟いていました。何でですか解せぬ。
「だって斎くん楽しんでるじゃん……」
「一升たりとも楽しくないよ」
「単位そこそこ大きいから楽しいんだね」
菩薩顔をされました。諦め顔とも呼びます。大丈夫です、僕と侑太郎は六年の付き合いになりますが、初めて会った時から既に諦められていた気がするので。むしろ諦められていなかった時がないくらいです。誇れませんね、残念度が増しました。
「それで『犬』にしたんだよね?」
「うん」
そうです、僕は彼に『犬にしてください』と頼まれたので『犬』にしました。簡単な話です。しかし侑太郎の目は先程より鋭いものとなっていました、鋭いというか毒を塗ったナイフのような感じです。
「じゃあ何でそんなに甲斐甲斐しいの……?」
「犬の世話と躾は飼い主の役目だし、酷い扱いだと動物愛護団体に訴えられそうだし」
「本格派だけどきっと高橋が求めてた事と違うよね!?」
違うよね!? ね!? と侑太郎が後ろを振り返ると、透流は力強く何回も頷きました。何ですって、僕の待遇に不満があったと言うのですか。
「不満じゃなくて、不満じゃなくて何だろう……」
「というか、侑太郎って透流知ってるんだ」
口の前で手を合わせて唸っている侑太郎の、そのポーズの相応しさに軽く殺意を覚えながら(ただの僻みです)僕はずっと気になっていた事を問い掛けました。クラスこそ違え、透流は僕らと同じ学校、同じ学年です。僕と侑太郎は一組で、彼は七組でしたかね。
「七組だからだよ、体育一緒でしょ」
「そう言えばそうだね」
というか僕が透流を知っている理由と同じでした。我が校の体育は他クラスとの合同授業なのですが変則的で、一、四、七組合同なのです。思えばそこでしか接点がないですね、考えが至らず少し恥ずかしいです。
「――あ、そうか、顔見知りだったから家に入れたんだ」
「『お人好し』な僕でも流石に知らない人を家に入れたりはしないよ」
「…………、うんだよね」
果たして僕は三点リーダー四つ分の沈黙をさせてしまうほどの事を言ってしまったのでしょうか、真実はいつも迷宮入りです。
「だって斎くん、知らない人にすぐ付いてくじゃん!」
「失敬な、知らない人なんかに付いて行かないよ」
「知ってるよ!? 小学生の頃、三回くらい誘拐未遂に遭ったって……」
「チッ」
「舌打ち!? 何に対しての!?」
この舌打ちは僕を誘拐しようとした年齢は三十代体重は七十代のお兄さんや、体の薄さと幸の薄さが見事に反比例してそうな大学生のお兄さん、また化粧とキャラの濃さで胃もたれを起こしそうなお水のメンへラお姉さんに対してではありません、それをバレさせてしまった自分に対してです。
「何故侑太郎に弱味を握られてしまったのか……」
「弱味じゃないよねこれ、昔あった出来事なだけだよね」
「あ、そうか。人類皆一つになるべき存在だから僕が誰に誘拐されようが拉致されようが監禁されようが関係ない、それは広い目で見れば自作自演の出来事だ、そう言いたいんだね、なるほど分かるよ」
「全然違うから!! そんな人類補完計画的な事考えてないから!!」
おや、そうなのですか。心中ひっそりゼーレの申し子とか何とか思っていましたのに。実はエヴァとか乗れるんでしょう? とか思いましたが、僕も侑太郎も母親は存命でしたね。不適合者です。
「何か侑太郎と話すのも飽きてきたからそろそろ透流呼ぶ?」
「そんな雑な扱いで良いのか」
「だって犬だし……、別に犬公方と呼ばれたい訳じゃあないよ」
「さっきから動物愛護団体とか言って犬扱いしてるけど、人だからねあれ」
大丈夫です、そこら辺は重々承知していますから。むしろ分かっていなかったと思われていて不服極まりないです。いきうめー。
「凄い怖い思想が視えたんだけど」
「じゃあ登場してもらいましょう! 高橋透流くんです!」
「あれ無視!? てか高橋どこ行った!?」
ふと見ると、扉の所に透流は既にいませんでした。おやまあ、どこへ行ってしまわれたのでしょうね。飽きて帰った、という考えもなきにしもあらずですが、ううん、あの透流が飼い主を放り出してどこかへ行くとはまったく思えません。
とか思っていたら上から来ました。
「貴方の真上に舞い寄る混沌、高橋透流で御座います」
「なんちゅう所から出て来てるの!?!」
侑太郎ナイスツッコミです。透流はどうやったのかまったく分かりませんが、教室の天井を外し逆さ吊りの状態で登場しました。引田天功のようですね。ハラショー、僕が拍手をしていると、優雅に舞い降りた透流が僕に一礼しました。
「ありがとうございます、日頃の訓練が役に立ちました」
「どんな訓練なのかまったく分からないけど素晴らしいと思ったよ」
僕が感嘆の声を発すると透流はその場で恭しく跪きました。そして芝居がかった動作で僕の右手を両手で握り込みます。芝居がかった、と言いましたが、彼の場合は芝居などではありません、常に本気と書いてマジです。
「我が君にそのような御言葉を頂けただけでも、不肖高橋透流、天にも昇る心地です」
我が君って、僕は名前を言ってはいけないあの人なのでしょうか。うっとりとした面持ちで透流は僕の右手を撫でさすります。美少年は手汗をかかない人種かと思いましたがそうでもないようです、むしろ僕に手汗を塗り込むが如く撫でさすっています。
「……ふふっ、うふ、うふふふふ……」
うわあ、気持ち悪い事この上なしですね。僕の手の感触を楽しんでいると思われる透流が、ひっきりなしに気味の悪い笑い声を漏らしていました。正直ドン引きです、というか設定上だけとは言え、美少年がここまで変態顔を披露して良いのか気になります。え? 駄目? やっぱりそうですか。
「透流、そろそろ離してくれないかな」
「大変申し訳御座いません、不勉強故、我が君の仰っている言葉の意味が理解出来ません」
とても遠回りな拒否を頂きました。マジで解せぬ。先程から露出狂を見るかのようなドン引きした顔を見せている侑太郎ですが、助けを求めようとした途端目を逸らされて殺意しか覚えません、マジで後で覚えてろ、月夜ばかりと思うなよ……。
びくり、と体を震わせた侑太郎に少し心がスッとしたので、まあ良い事としましょう。……いやしかし、厄介なものを拾ってしまいました。僕は後悔や反省など一切しない人種なのですが、こればかりは少々悔やまれます。
だけれども、出会ったからには何か良い事もあるはずです。すべての事に意味があり、無意味な事などこの世には何もない、と僕は思っているのです。この現時点では大凶を指している出会いが、僕にとって大吉に転換する日はいつ来るのか……。
――あ、自己紹介を忘れていました。
初めまして、御堂斎と申します。以後、お見知りおきを。