ガソリンスタンド
はぁ…またあの夢か…
私はベッドから起き上がると、カーテンを開けて伸びをした。5月の朝は少し肌寒い。
高校時代から時々見てるあの夢を、また今日も見た。
それは高校1年生の卒業式後のことの夢。ずっと憧れだった先輩に友達から無理やり告白させられそうになった。でも、恥ずかしかった私は先輩の顔を見ると何も言えずに、その場から走り去ってしまった。
そして走っているうちに夢が覚める。胸の動悸と共に。
私は朝食を済ませていつもの薄化粧をすると家を出た。
数分歩くと慣れたオイルの匂いが漂う職場に着いた。そう、ガソリンスタンドだ。
アルバイトからそのまま就職しただけあって、このスタンドには馴染みが深い。かれこれ4年の付き合いになるだろうか。
私はラフな服から社員制服に着替えると外に出た。そして上司と交代すると、今日の仕事を始めた。
車を誘導したりガソリンを入れる…そうした作業を繰り返していると、10時を過ぎていた。
ふと気が付いた。今日は日差しが強いみたいだ。そろそろ日焼け止めが必要な時期かな?
昼を過ぎると夕方まで車は10分おきくらいにしか来ない。だからいつも考え事をしたり、歌を口ずさんだりしてる。
今日は最近読んでる推理小説の続きを考えながら、イスに腰掛けてぼんやり遠くの空を眺めていた。
まどろみ始めていたその時、スタンドに入ってくる車の音がした。私は慌てて帽子をかぶり立ち上がると、その車を誘導した。
その車は青のGT-Rだった。割と新車のようで、その光沢はまぶしい。
車を誘導し終えると、私はドライバーに運転席の窓を開けてもらった。
窓を開けた瞬間に柑橘系の芳香剤の匂いがした。さすがに安物ではないようで上品な香りだった。
私はドライバーの顔を見ると、ドキッとした。
無造作な短髪、二重で凛とした目、薄い色の唇、声や話し方までも鮮明に記憶と重なる…そう、高校一年生のときのあの先輩だ。
「すみませんが、レギュラー3000円分お願いします。」
「は…はい、かしこまりました!」
私は彼から3000円を受け取って、給油装置の上にある窓拭きを彼に渡した。その時もう一度彼の顔を見る。間違いない、あの先輩だ。
私は深々と帽子を被っていたので先輩の方は気付かなかったようだが、私ははっきり気付いていた。
給油装置を操作し始めると、ある思いが頭をよぎった。
高校時代に言えなかったあのフレーズを、今なら言えるんじゃないのかな?
事実、ずっと気になっていた。先輩のことを。
高校時代の旧友とお茶するときは必ず先輩のことを話題にあげては何も知ることが出来ず…face bookで先輩のことを探すこともしばしばあったけど見つけられず…何につけても、先輩のことが気になっていた。
それが今なら、言いたいコトを素直に言える気がする。
私は早まる心を抑えながら、先輩のところへと向かう。
先輩は携帯電話で通話中だったので、通話が終わるまで待つことにした。
盗み聞きするつもりはもちろんなかったが、話し声は耳に入ってきた。
「じゃあ俺はあと30分くらいで家に着くから。そしたら昨日のカレー食べよう。優斗のミルクも温めておいて。」
私は全てを悟った。
そうだよね。いつまでも思い出のままの先輩じゃない。
彼には家庭があって、尽くすべき人がいて、守るべき人がいる。
私はこみ上げてくるものを抑えながら、ポケットからグリーンガムを一枚取り出した。
通話を終えた彼にそれを渡すと私は笑顔で言った。
「ありがとうございました。行ってらっしゃい!」
彼は窓を閉じると、GT-Rと共にスタンドを出て行った。
私は帽子を取って、大きく礼をした。これはスタンドで働く者のルールだ。
GT-Rは遠く走り去っていった。今日は日差しが強いせいか、逃げ水が見えた。
明日は休みだし、帰ったら酎ハイ呑みながら夜更かししようか。