【掌編小説】大いなる遺産
資産家であるミュラー氏が死んだ。
生前、彼は莫大な財産を有していた。その資産は数千億円にも昇ると言われていた。
彼には三人の息子がおり、それぞれが父親であるミュラー氏の遺産の相続権を有していた。だが、ミュラー氏は、特に遺言らしい遺言を残さなかったため、莫大な彼の財産がどのように配分されるのかは、息子たちに託された。しかも、ミュラー氏は変わり者で、自分の莫大な財産がどこにあるのか決して明かさなかった。非常に親しい側近や、彼の息子たちにさえ、その有り余る遺産についてどこに隠されているか知らなかった。
ミュラー氏の葬儀の後、三人の息子は、生前父親が隠れるように住んでいた屋敷の広間に集まって、例の遺産について話し合った。
緋色のソファにどっしりと構えた恰幅のよい大男が先に切り出した。
「それにしても、親父は金をどこへ隠したのだ」
顎鬚を摩りながら話すこの男は、ミュラー氏の長男であるロベルトだ。ロベルトは、父親が創業した企業の社長の座に居座っている。ロベルトはその手腕で、次々と新製品を開発し、自身の企業の株価は上昇する一方だった。しかし、少々強引で強欲なところがあり、特に金銭に関しては抜け目のない男であった。
そんなロベルトを冷ややかな目線で見ているのが、ソファの傍らに立つ銀髪の優男である。
「父さんのことだから、どこか特別見つかりにくいところに隠したんだろう」
彼は牽制するような口ぶりで話した。彼はミュラー氏の次男であるフリードリヒだ。フリードリヒは敏腕の弁護士で、この手の係累の法律的な争いについてはお手のものだった。彼は人を人とも思わない冷酷さで様々な法律問題に着手しており、それは兄弟といえど変わりなかった。
「特別見つかりにくい場所?」
「ああ、もし現金の形で残しているなら、世界中の銀行を探せば直に見つかることだ。だがあの親父がそんな容易い方法で自分の私財を保有しているとは思えない。生前の、いつもこの屋敷にこもっていた酔狂なあの親父の姿を思い出してみろよ。いつも何か訳のわかないものに投資していた。だから、親父の金はすでに違うものに姿を変えている可能性が高い。例えば建物であるとか、土地であるとか、はたまた証券であるとか」
「ははあ、確かにそりゃあるかもしれねぇなぁ」
そういうと、ロベルトは自分の持ってきた荷物から、一つの大きな地図を取り出した。
「そんなことだと思ってな、実は部下を使って調べさせた。ミュラー名義になっているそれらの資産をな」
地図には、世界中のあちらこちらに赤い印がつけられていた。
「ふむ……」
「まっ何にせよ、長男である俺が全額受け取るべきだ」
「そんなことが法律的に許されるわけがない。今回の財産分与については私が舵をとらせもらう」
「そうやってお前は自分の分け前を多くするともりなんだろ? そうは問屋が卸さないぜ」
「そういう兄さんだって。乱暴に物事を決めることは兄さんの悪い癖だ」
「何おう?! 弁護士だか何だか知らないがなぁ、親父の遺産は俺の……」
二人の兄弟はそんな調子で、どうにか遺産を我が物にしようと画策していた。
「兄さんたち」
二人の乱暴な言い争いに、一番下の兄弟であるヨハンが口を挟んだ。金髪でコバルト色の目をしたヨハン。ヨハンは二人の兄弟とは非常に年が離れており、十年前、ミュラー氏が連れてきた妾の子ということになっていた。しかし、実際誰の子であるのかは兄弟たちでさえ知らないのだった。
「僕にいいアイデアがあるよ」
ヨハンは二人の兄弟をよそに、ぽつりと呟いた。
「こういうのはどうかな? ……兄さんたちはその地図の財産をそれぞれ半分ずつ受け取るんだ。それなら恨みっこなしだろ?」
まだ幼いはずの三男の発言に、兄弟たちは目を丸くし、顔を見合わせた。
「確かになヨハン」
「小さい癖に賢い子だ」
二人は声を揃えて言った。そしてフリードリヒはふふんと鼻をならした。ロベルトは毛むくじゃらの両腕を組んでジッと黙っていた。すでに二人は、内心、どうすれば自分がより多くの資産を得られるか考えながら、その案に同意した。
「だが、ヨハン。お前はどうするのだ? 法律的に言えば、お前にも財産を受け取る権利があるんだ」
フリードリヒは、兄を牽制する意味でも、穏やかな調子で三男に問うた。
「僕は欲しいものが決まっているんだ。もし兄さんたちがいらないって言うならそれをもらいたいなぁって思うんだけど」
ヨハンは頭の上で両手を組み、ニッと相好を崩して見せた。その態度は、この場に流れている妙な緊張とは縁遠い、実に子どもらしく、また無邪気な態度だった。
「ほう」
フリードリヒは両手を組んで、目を瞑り少し考えた後、言った。
「わかった。ではここで言ってみなさい」
「僕はね……」
二人の兄弟は三男をジッと眺めた。
「僕はこのお屋敷と、その猫が欲しいんだ」
広間には、小さな黒猫が一匹、尻尾を振っていた。生前、ミュラー氏が溺愛していた猫である。
それを聞くや否や、二人の兄弟はほくそ笑み、微笑ましいものだな、と言った。生前父親が住んでいたこの古い屋敷は、土地を含めてもせいぜい二千万円にも満たないものである。おまけに猫などと、いかにも子どもが考えそうなことだ。二人はヨハンにこのほとんど値打ちのない家と猫だけ押し付けてしまおうと、密かに耳打ちした。
「じゃあ俺たちは二人でかっきり半分、資産を分け合うからな!」
「親父が残したこの家で、その猫を大切にするのだな」
二人はヨハンにそう言うと、我先にと屋敷を出て行った。
二人は地図に記された三十の場所について、平等に半分ずつ分けることを確約した。
さっそくロベルトはミュラー氏の屋敷からもっとも近いフランスのストラスブールに向かった。だが、町外れにあるそのミュラー氏名義の建物は、ただの寂れた科学工場であり、今ではとても使い物にならないものだった。気を取り直し、今度は、リトアニアのヴィリヌスに向かった。そこにもやはりミュラー氏名義の建造物があったものの、それは今ではすっかりうらぶれているマネキン工場であった。ロベルトは焦り、世界各地、未開の熱帯雨林の中から、グリーンランドまで、隈なく探したが、やはりどこも同じで、到底莫大な資産と呼べるものはなかった。
一方、フリードリヒは、自分の事務所に篭り、信頼できるエージェントに頼んで、地図でロベルトと分けた分のちょうど半分の場所について、隈なく探させた。その一つにアメリカのシリコンバレーに残していた半導体工場があった。フリードリヒは期待を持ったが、業者に内部を調べさえたところ、現在操業しておらず、既存のデータなどもすべて消失してしまっており、また技術者もいないため、建物だけの価値ならば一千万円程度ということだった。彼は憤り、その後もエージェントをつかって、各地にある工場や事務所や別荘について、その建築年数や、内部の詳しい状況まで事細かに調べさせたが、結果はどこも数千万の価値もないという回答ばかりであった。
ロベルトもフリードリヒも、次第に苛立ちを募らせていった。
二人の兄弟は、なんとしてでも父親の財産を手にしたいと、躍起になった。
疑い深い兄は「実はフリードリヒが先に親父の資産を発見し、自分を騙しているのではないか」と考えるようになった。一度猜疑心が生まれてしまえば、強欲なロベルトのこと、止める術はない。とうとう耐え切れなくなって、彼はフリードリヒの事務所にやって来て、お前が実は先に財産を発見し、それを意図的に隠しているのではないか、と詰め寄った。一方フリードリヒも、最初から兄がデタラメな地図をでっち上げ、兄こそが財産を独り占めにしようとしているといってロベルトを攻め立てた。
兄弟の疑心暗鬼は最早誰にも止めることはできなかった。彼らは口論の末、ついにお互いを殺しあってしまったのだ。
二人の兄の訃報が、三男の下にも伝わった。ヨハンはそんな彼らの悲劇を聞いても、耳一つ動かさなかったという。ミュラー家にやってきた新しい弁護士は、法律上ミュラー氏の半分の遺産がヨハンのものになると説明した。しかしヨハンは弁護士に「そんなものもうどこにもありゃしないんだから、無駄だよ。それに最初から僕はこの家と猫が欲しいって言っているじゃないか」と皮肉を込めて言った。
ヨハンは後の処理を下働きたちに任せて、自分はミュラー氏が愛用していた書斎に引き篭った。そこにはミュラー氏が世界中から集めた古今東西ありとあらゆるものに関する書物が置かれていた。黒い毛並みの猫は、ヨハンの膝に乗ってニャアと鳴き、ゆらゆらとしっぽを揺らした。猫の喉からは微細な機械音が響く。ヨハンと猫は、父親の遺した書斎の大きな椅子で寛ぎながら、ニッと笑い、呟いた。
「愚かな人たちだ。いよいよ最後まで本当のことを見抜けなかった。僕とこの猫は、最新鋭のアンドロイド。ミュラー氏が自分の莫大な財産をすべてつぎ込んでつくった、彼の最大の遺産だったのに」
<了>




