::黒色と栗色::
山城の声には重みがある。
「やめとけ」
もう一度そう反芻した。
目を伏せているため
表情は読み取り難いが
きっと怒ってはいない。
だが勿論笑ってもいなかった。
ただ、煩わしい、とでも云わんばかりの声色。
「すっ、すいやせんっ」
先に沈黙を破ったのは蓮井だった。
長年山城の下で仕えてきた蓮井は
これが山城の怒りの表し方だとよく理解していた。
「ん?」
「…ごめんなさい…」
朱実も決まりが悪そうに謝罪した。
心なしか
朱実の隣に棒立ちになっている蓮井は
かたかたと震えているようだった。
朱実も寸分先に何が起こるか分からない今の状況を
同じく自分の置かれている立場を
今一度自覚した。
私は明日
この世界の中にいないかも知れないんだ。
朱実は絶望を取り戻し始めていた。
パキンッ
「……え?」
何かの折れる軽い音が響いた刹那
朱実の目の前には見覚えのある
茶色い歪な形をしたシャーベット状のアイスが差し出されていた。
それは蓮井も同様だったらしく
横でも戸惑いの声が聞こえてきた。
「パピコ」
見ると両手にパピコの片割れを一つずつ持った山城が、にまーっと笑っていた。
「あげるよ。もう俺お腹いっぱいだから」
じゃあ何でもってこさせたんだ。
朱実は心中で突っ込んだ。
だがそんなこと、知る由もない山城は棒立ちになっている二人に「ん」と言って、その手にパピコを半ば無理矢理握らせた。
「…ありがと」
朱実はあまりににこにこする山城にとうとう折れた。
持たせようと朱実の手の上に重なっていた山城の手の温もりがふと離れた。
アイスの冷たさが手に滲む。
何かが溶けてしまいそうなのを隠すように、溶けかけのアイスを口にくわえた。
それは甘く、だがほろ苦い味であった。
横でも蓮井が勿体無さそうに
ちゅうちゅうとパピコに吸い付いていた。
未成年とはいえヤクザの傍らを担う青年たちの巣。
自分はいつ犯されたり殺されたりしてもおかしくない状況である。
「今を大事に生きるんだな。一秒先が今と同じ風景なんて有り得ねえ。
詰まんねえことでその若い一瞬を無駄にするんじゃねえよ。
明日はもう未来だ。
未来は明日にしかねえんだよ。」
アイスを食べ終え
いつの間にかぎすぎすした蓮井と朱実の雰囲気は柔らかいものに成っていた。
それを見て山城は静かに語るように二人にそう言った。
朱実にとってそれは
冷たいような温かいような言葉であった。
さっきどさくさに紛れ握られた右手の不思議な温度を思い出す。
内側は冷ややかだったのに
確かに包まれるような温もりがあった。
明日は未来。
今日の自分は今の自分は
たった24時間後に脅えているのか。
それはとても滑稽なことに思えた。
蓮井は俯く朱実を横目で見ながら
いつ泣き出すかと、少し構えていた。
つっかかったところで
蓮井の性分である優しさと甘さは
平等に朱実にも向けられる。
だが朱実は泣き出すどころか
カッと目を見開き顔を上げ山城を睨むように見据えた。
「ねえ、鋏を貸してくれない?」
流石の山城も何をする気なのかと驚いたようだったが
一瞬逡巡した刹那、蓮井に顎で鋏を持ってくるよう示唆した。
蓮井も驚いていたため寸分反応に遅れたが、コクリと頷いて席をたつと
五分もしないうちに鋏を片手に戻ってきた。
「ほらよ」
ぞんざいに黒い大きな鋏を蓮井は朱実に渡した。
「ありがと」
…ジャキンッ
一瞬だった。
蓮井から鋏を受け取るとほぼ同時に
朱実は切っ先をそのまま真っ直ぐ、左手で束ねた髪に走らせた。
「!!」
「なっ!!」
止める隙もなくあっという間に朱実の長かった髪は左手からハラハラと地面に舞っていった。
じゃきんじゃきんと、男たちが呆けている間にも軽快に鋏は裁ち進んでいった。
やがて朱実が溜め息と共に鋏をおいた頃には、腰上まであった栗色の長い髪が見事に首元まで散髪され、その面立ちはまるで少年の様になっていた。
「…そうかよ」
その行為の真意に気付いた山城は
再びにんまりと笑った。