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片思い

作者: りーる
掲載日:2026/03/04

自分の気持ちをまとめてみました

雨上がりの夜は、街の光が少しだけ優しくなる。

濡れたアスファルトがネオンを抱えて、呼吸するみたいに揺れている。


ラーメン屋の前で、足が止まった。

胃は余裕がある。心は余裕がない。

どちらも「満たせる」のに、どちらも「満たしたくない」。


たった一杯で何かが壊れるわけじゃない。

そんなこと、頭では分かっている。

でも最近の僕は、小さな選択のたびに、誰かの顔が浮かぶ。


Iさん。


次に会えるかも分からない。

会えないかもしれない。

それでも、もし会えたときに、自分がちゃんと立っていられるように、今を選びたい。

たった一杯のラーメンより、たった一歩の自制が欲しかった。


「今日はやめとく」

言った瞬間、胸の奥が静かに、でも確かに熱くなった。

強さって、いつも音を立てない。たぶん、誰にも見えないところで増えていく。


再会は、思っていたよりずっと眩しかった。

「久しぶり」と言えばいいのに、声が喉の途中で折れる。

笑えばいいのに、口角がうまく上がらない。

心臓だけが仕事をして、他の全部がついてこない。


Iさんは今京都で法律を学んでいると言った。

その言葉は、ただの情報のはずなのに、胸の中で何かをきれいに揺らした。

遠い街の名前が、急に現実の距離になって刺さる。近いはずの過去が、ふいに遠くなる。


帰ってから、ふとした瞬間にIさんの表情が蘇る。

目の奥に残っているのは、言葉じゃなくて、空気のほうだった。

あの時、あの場所で、Iさんに会ったという事実だけが、じわじわと体温を上げていく。


好きだ。

そう気づいたときの自分が、少し怖かった。

気持ちは簡単に育つのに、関係は簡単に進まない。

だからこそ、気持ちだけが先に走ってしまう。行き場もないまま。


「伝えなきゃ後悔する」

その一文が、誰かに言われた呪文みたいに、頭の中で響き続けた。


気づけば指が、画面の上を滑っていた。

送るつもりだったかどうかなんて、もう分からない。

ただ、送信の青い文字が押された瞬間だけは、やけに鮮明だった。

未読のままの時間が、胸の奥で膨らんでいった。静かなのに、息が浅くなる。


京都駅、11時。

人の流れが川みたいに動いていて、僕はその中で何度もIさんを見失いそうになった。


キョロキョロしている僕を見て、Iさんがにっこり笑う。

その笑顔は、眩しいのに柔らかい。

責めるでもなく、呆れるでもなく、ただ「ここにいるよ」と伝えてくる。


その瞬間だけでも、京都まで来た意味が全部できあがってしまう。

迷って、怖がって、それでも来てよかったと、身体のほうが先に答えを出す。


伏見稲荷の鳥居は、赤というより祈りの色だった。

ものすごい人の波に押されて、息をする場所さえ探すみたいだったのに、不思議と苦しくなかった。

視界の端にIさんがいるだけで、周りのざわめきが遠のいて、そこだけ二人の空間みたいに感じた。

誰かの声も足音も、いつの間にか背景に溶けていく。


手を合わせた。

僕もそれなりに真面目に祈ったつもりだったのに、隣でIさんは、もっと長く目を閉じていた。

指先に力が入っているのが分かるくらい、静かに、しっかりと。

お願いごとが何なのかは分からない。けれど、その時間だけは、誰にも触らせたくないものみたいに見えた。

僕は横目で見てしまったことを少しだけ反省して、それでも目を逸らせなかった。

祈っている横顔が、まっすぐで、綺麗だった。


歩いて、笑って、軽食を買って。

清水寺へ向かう坂道で、肩が何度か触れた。

肩がぶつかる距離。

それは恋人の距離じゃないかもしれない。

でも、わざわざ離れない距離だった。

それだけで、僕の中の不安が少しだけ黙った。胸の奥が、ひと息つく。


少し話しているうちに、Iさんは自分の「だらしないところ」の話をした。

しっかりして見える人が、そういうところを隠さずに見せてくれるのが、嬉しかった。

でも同時に、胸のどこかが少しだけ冷えた。

その謙虚さが、ただの自虐じゃなくて、遠回しに距離を取るための布みたいに見えたからだ。

「私はそんなすごい人じゃないから、そんなに好きにならないで」って、言葉にはならないまま言われている気がして。優しいのに、少し寂しい。笑っているのに、置いていかれるみたいだった。


完璧じゃないところが、逆に人間らしくて、近く感じた。

「そんなの全然だよ」って言いたかったのに、僕はうまく言葉にできなくて、ただ頷いてしまった。

頷いたことが肯定になってしまったら嫌だったのに、言葉にできないまま、そっと見送ってしまった。


鴨川の川辺に座った。

水の音と、人の声と、風。

会話が途切れる瞬間が少しあった。

でもその沈黙は、空白じゃなかった。

ただの「並んでいる時間」だった。

言葉がなくても崩れないものが、そこにあった。


Iさんが真顔でぼーっとしている横顔が、どうしようもなく可愛い。

何を考えているんだろうと思うより先に、

「この時間が好きだ」と思ってしまう。

好きは、瞬間じゃなくて、積み重なった空気の中で増えていくんだと思った。


僕が食べ終わるのが早くて待っていると、Iさんが少し照れて「恥ずかしいからスマホでもいじってて」と言った。

その言葉は、照れ隠しみたいで、でも優しさみたいで、胸の奥が一気に柔らかくなる。

“好きじゃない相手”に向ける言葉じゃない気がして、嬉しくて、同時に怖かった。

嬉しいのに、期待してしまう自分が怖い。


ご飯を食べた後、夜景が綺麗になるまで少し座っていようとIさんが言った。

一つの椅子に二人で座った。

隣の体温が近くて、近いのに安心できることが不思議だった。

触れていないのに、触れているみたいな距離。


ガラスの向こうで、京都の灯りがゆっくり濃くなっていく。

見上げた京都タワーは、思っていたよりずっと大きくて、白い光が夜に静かに浮かんでいた。

このまま、ただ夜景を眺めている時間の中にずっといたかった。

時間が止まってくれたらいいのに、と本気で思った。

言葉が途切れても、沈黙がこれまでより心地よくて、埋めなくてもいいことが嬉しかった。

沈黙が、味方になっていく。


別れが近づくと、人は急に現実に引き戻される。

改札が目の前にあるだけで、空気が冷たくなる。

さっきまでの温度が、少しずつ遠ざかっていく。


僕は最後に言った。

文面じゃなくて、ちゃんと言葉で伝えたかった。

Iさんが好きだ。

迷惑じゃなければ、また会いたい。

もしチャンスがあるなら、好きな人って気持ちで、また会いたい。


言い終わった瞬間の体の震えを、僕はまだ覚えている。

伝えたいのに、重くしたくない。

大切にしたいのに、失いたくない。

矛盾が全部、喉の奥に詰まっていた。

それでも言った。言わない後悔のほうが、もっと怖かったから。


Iさんは最後まで笑顔だった。

改札をくぐる前も、くぐった後も、手を振ってくれた。

笑顔のまま、少しずつ遠くなる。

遠くなるほど、胸の中で形がはっきりしていく。


答えは正直だった。

今は恋愛したい気持ちじゃない。

でも連絡のやり取りは続けてくれる。


扉は閉じられなかった。

だけど、今すぐ走り込める扉でもなかった。

扉の前で、僕は深呼吸を覚えるしかない。


帰り道、Iさんが「新幹線乗れた?」と心配してくれた。

その一言が、胸の中で何度も反響する。

“心配してくれる”という優しさは、時々、希望より残酷だ。

期待してはいけないと思うほど、期待が生まれる。


僕は無事乗れたことを伝えて、感謝を送った。

短い返信が返ってきた。

それだけのやり取りで、安心と切なさが同時に押し寄せてくる。

胸が温かいのに、どこかが痛い。



Iさんの周りには、きっとIさんに似合う人がたくさんいる。

同じ街で、同じ空気を吸って、同じ未来を描ける人がいる。

その中で、遠くにいる僕の存在は、すぐ薄れてしまうんじゃないか。

その想像が怖い。静かに、でも確かに。


でも、思い出すのはIさんの笑顔ばかりだ。

僕に向けた微笑んだ顔。

写真を撮る僕を見て笑っていた顔。

ぼーっとしていた横顔。

沈黙の中でも、隣にいてくれた温度。

全部が、胸の奥でひとつの灯りみたいに点く。


恋人じゃないのに、離れるのが辛い。

この気持ちの置き場所が分からない。

それでも、消したくはなかった。


それでも、僕は丁寧に進めたいと思う。

焦って扉を叩くより、扉の前で呼吸を整えたい。

自分を磨く理由を、誰かの評価だけにしないでいたい。

“選ばれるため”じゃなく、“自分で立つため”に。


後悔


あの日の帰り道、頭の中で何度も場面が巻き戻った。

Iさんが振ってくれた話を、もっと深く聞けたはずなのに、僕は頷くだけで終わらせてしまった。

冗談だって、もっと上手く乗れたらよかった。笑い合える瞬間を、自分の手で増やせたかもしれないのに。


僕はただ、隣にいられることに満足して、肝心なところで言葉が出なかった。

素の自分を見せる前に、慎重さだけが先に立ってしまった。

だからもし次があるなら、今度はもう少し、飾らない僕で話したい。

上手く見せるためじゃなくて、Iさんの前でだけは、ちゃんと息をしていたい。


だから今日も、小さな選択をする。

流されないためじゃなく、強がるためでもなく、

もう一度、京都でIさんの笑顔を見たいから。

ありがとうございました

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