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2/17

灰色 2




 オルネ・カスティエル。

 漆黒の官服、銀糸の襟飾り。セレナの上席官は、今では扉の外に立ち、余計な飾りのない声音で言葉を積み上げる役になっていた。


 

「セレナ・ヴァレンティア」


 

 淡々と、罪の目録が読み上げられる。


 

「――部下の研究成果を盗み、自らの名で提出した。印章と魔力痕が残っている」


 

 一つ目。

 

 

「――孤児を実験に使い、三人が行方不明になった。調査記録はお前の研究室から出てきた」


 

 二つ目。

 

 

「――同僚の魔法師を殺し、その遺体で禁呪を試した。残留魔力の反応は、お前の式と一致している」


 

 三つ目。そのどれもが、身に覚えのない罪だった。


 

「やっていません!」


 

 セレナの訴えは受け入れられなかった。


 

「これはお前がやったんだろう。もう、誰もお前を信じないんだ」

 

 

 次の日も、その次の日も。身に覚えのない罪は積み重ねられていった。


 

「――倉庫から違法薬物を持ち出した。精製した薬瓶にはお前の魔力封印が刻まれていた」

 

 

 四つ目。

 

 

「――貴族の子息や令嬢に呪詛の入った装飾品を与えた。被害者たちはお前から受け取ったと証言している」


 

 五つ目。


 

「――黒い潮に汚染された町へ赴き、住民を『観察』のために使った。現場に残った魔力の残滓が、お前の魔力と一致した。魔法式にもお前の癖が出ていたぞ」


 六つ目。

 


 石牢の空気が凍りつき、セレナの喉は乾ききって声が出なかった。


 

「……ちがう……そんなこと、私は……」


「誰もお前を信じていない。ずっと前からな」


 

 オルネは微かに笑みを携えながら言う。その一言が、足音とともに繰り返された。


 別の日も、別の夜も。

 彼は同じ順で同じ問いを並べ、同じふうに肯定を積み上げ、最後に同じ言葉で蓋をした。

 


 問いはいつも、まず事実から始まる。魔法式の紋章。印章。机。時間。相手の名。場所。


 それは覚えのあるような話で、覚えのない話だった。確かとも分からない見知らぬ石が、一つずつ丁寧に、セレナの身体に積み重ねられていく。やがて、その全てが自分のものだったように、疲れが身体中に溜まっていった。

 

 

 セレナはもう、この地下牢に繋がれてから、どのくらい時間が経ったのかも分からなかった。そして、時間の区別がなくなる頃には、看守の冗談も変わっていた。

 

 

「目を見るだけで呪い殺されるらしいぞ」

 

「悪逆の魔女だな」

 

「魔女は火炙りの刑になるのか?」


 

 セレナは扉に背中を預けて座り、空気窓の灰色を眺める。


 落ちてくる灰色は日によって違う濃さを持つのだと、その頃ようやく気づいた。

 

 明るい灰が来る日は、廊下の革靴も軽い。

 

 暗く重い灰が落ちる日は、皿の縁に小さな錆が混じる。そんなことばかりがよく分かる。


 

 家族の顔を、彼女は毎晩、順番に思い出そうとした。


 母の笑い皺。父の咳払い。妹が手を握るときの指の細さ。指の細さだけははっきりして、そこに乗っていた体温は思い出せない。

 

 

 ――どうして手紙の返事をくれなかったの?

 

 

 妹の声が、あの頃と同じように胸の内側で響いた。

 

 

 ――魔法が好きなのは知ってるわ。でも、少しぐらい、私たちのことも考えてよ。


 ――姉さん、魔法に没頭して、いつか身を滅ぼしそうだわ。


 

(そうだね、ユリア。あなたが正しかったのかも)

 

 

 答える間に眠る。

 目覚めると、灰色はまた別の濃さになっている。


 

 セレナの魔力は封じられた。

 記憶魔法は、触れたものに宿る記憶のざらつきを読む魔法だ。自分の内側に潜っていく術ではない。だから今は、思い出に触れるように両膝を抱えて、指先の冷たさをじっと確かめるしかなかった。

 

 

(私……本当に冷たい娘だった)

 

 

 その問いだけが、いつまでも溶けずに、思考の裏に残っていく。


 五度。六度。七度――扉の開く気配がしても身体が動かなくなってから、オルネたちが牢屋の前に立っているのかさえ、声でしか測れなかった。


 

「セレナ・ヴァレンティア。今後は皇家からの調査も入る。片を付けねばならない」


「……わたし……では……」


「そうか。では、違う質問をしよう。お前は、誰かを救いたいと思ったことがあるか?」


 

 思いがけない問いに、セレナは考えるよりも、まず首を動かした。首筋にかかる鎖が滑り、鈍い音が鳴った。

 

 

「あり、ます」


「誰を」


「……みんなを。黒い潮の影響、から……」


「ならば、なおさらだ」

 


 紙がめくられる音。淡々とした声。

 


「認めろ。お前が非道な実験をした、と。そうすれば、お前の存在は礎になる。かの世界のために」


「……でも、私じゃ……な……」


「誰もお前を信じない。現に、誰からも助けてもらえていないだろう」

 


 その夜、セレナは自分の声の出し方を忘れた。

 口は動くのに、喉が閉じた。胸の内側で言葉の形が固くなり、やがて砕けて消えた。


 次の朝、皿にはパンが半分しかなく、水はいつもより冷たかった。

 指先で皿を押しやり、彼女は空気窓の下まで、這うように移動した。


 

 灰色はとても淡く、ほとんど白かった。

 

 

(今日なら、外に出られる?)

 

 

 突拍子もない思いがふっと立ち上がった。指先で灰色を掬うまねをした。何も掬えない。指はただ冷たかった。


 

 八度目の足音が止まり、覗き窓の蓋が上がった。

 

 

「セレナ・ヴァレンティア」

 

 

 オルネの声は相変わらず磨かれた金属のようだった。

 

 

「確認だ。お前の印章は、お前のものだな」

 

 

 セレナは小さく頷いた。

 


「机は、お前の部屋の机で、署名は、お前の署名だ。そしてお前の行動記録から、立ち寄った場所、事件の起きた場所も一致しているな。行った実験の資料も、お前の研究室から押収済みだ」

 


 セレナはまた弱く首を縦に落とした。

 

 

「ならば、書かれていること全て、お前がしたことだな」


 

 胸の中で、何かが、からんと音を立てて外れる。論理のつっかえ棒が一本、抜けた感覚だった。

 

 

「……わたし、が……?」


「そうだ」


 

 灰色が、ただの灰色に戻る。

 足音も、鉄の音も、すべてが遠くなった。

 オルネの声だけが近い。近すぎて、耳の奥と胸骨の間に挟まっている。


 セレナは唇を湿らせようとして、舌に金属の味を覚えた。

 

 

「わ、たしが……」

 

 

 自分の声も、自分のものではないようだった。

 

 

「……非道な、実験を……」


 

 牢の空気が、ひとつ息を吐いたように静まる。オルネは少しの間、何も言わなかった。鍵の束が帯で鳴った。その静寂の後、乾いた笑いが窓の下に落ちた。


 

「――よく言った、セレナ」

 


 覗き窓の蓋が閉まる直前、オルネは言った。

 

 

「せめてもの手向けに、良いことを教えてやろう。お前には言っていなかったが、実際にそれを行っていたのは、我々、第十三部局だ」


 

 鉄の蓋が降り、灰色が消えた。


 

「そしてお前も、第十三部局の魔法師だ」

 

 

 石が、また息を始める。

 

 セレナは膝を抱いたまま目を閉じた。胸の奥で何かが静かに沈み、底に着いた。その音はどこにも反響せず、ただただ心の奥底で重石となった。


 

 ――もう誰も、セレナを信じなかった。

 

 

 セレナ自身でさえ。

 

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