第六話 装飾品 1
あまりに大きな声だったので、セレナは一瞬、自分に呼びかけたのかと錯覚した。
声の主は、広場の樹木の根元に屋台を構える男だった。
その手に掲げられた装飾品には、美しい灰色の宝石がはめ込まれている。淡い陽の光を浴びて、柔らかく燦々と輝いていた。
「同じものは二つとない、ジュレーバの一点ものだ! まだ滅多に出回っていない、あの『光を放つ燐灰石』が、なんと今ならこの値段!」
男の声が通りに響き、足を止めた女たちの瞳が熱を帯びる。女たちは夢を見るように宝石を見つめ、頬を紅潮させていた。
ジュレーバ。
宝飾に疎いセレナでさえ、その名は知っている。
皇都でも一流とされる店が、地方で屋台を開くことなど滅多にない。そして、その値段も到底あり得なかった。
(――偽物)
見抜くのは容易かった。
だが、女たちの表情は恍惚に染まり、周囲の声すら届いていない様子だ。
「またあいつらか……」
「可哀想だけど、関われば厄介だからね」
「本当にその『燐灰石』なのかしら?」
「トアールで新しい鉱脈が見つかったって話、ほんとなのか?」
「でも、領主様の鉱山らしいわ。ようやくこれで景気が戻るのよ」
雑踏の声が入り混じる中、セレナはわずかに眉を寄せた。
宝石に釘付けになっている女たちの瞳には、理性の光がない。周囲の声すら、まるで聞こえていないかのように、狂気じみた熱が宿っている。
(おかしい……)
セレナは遠目に屋台の商品へ視線を凝らした。
ざわめきに満ちていた市場の音が、ふっと遠のく。
客引きの声も、足音も、生活音も、衣擦れの音も――まるでぶ厚い膜の向こうに押しやられたかのように、セレナの周囲が静まり返る。
灰銀の瞳が淡く光を宿す。セレナの感覚が切り替わった。
セレナが得意とする魔法のひとつは、魔法感応である。それは、世界に散らばる魔力の痕跡を感じ取り、魔法式の残滓を読み解く力だ。
セレナの視界に映る宝飾品。その表面を覆う魔法が、ゆっくりと剥がれ落ちていく。普通の目には見えていなかった痕跡が、静かに浮かび上がる。
ほんの数秒。
そのうち、ひとつひとつの燐灰石から、細い糸のような黒い靄が、ゆらゆらと滲み出す。
目を凝らさねば存在すら怪しいほど微弱だが、セレナにははっきりと見えた。
黒い線が震えるたび、皮膚にぞわりと粟が立つ。耳の奥で低い唸りが続き、鼻腔には金属の焦げついた異様な匂いが漂う。
その魔法に直接触れてもいないのに、冷たいものが体の奥へ忍び込んでくるような。吐き気を誘う不快な波が、セレナの胸の奥を締めつけた。
「……っ、は、はは。もう見つけちゃった」
ただの模造品なら、ここまで強烈な魔法の痕跡は残らない。
あの黒い靄は、かなり精緻に組み込まれた魔法式の残滓。高い技術で加工され、意図的に干渉している痕跡だ。
その正体は、セレナが追い求めているものであった。
黒い潮。
あの忌まわしい現象と同じ、禍々しい気配が、屋台の商品に絡みついている。
セレナは止めていた足を動かし、人垣を押し分けた。そして、燐灰石のついた装飾品を手にしていた女の手首を掴んだ。
「イタッ! ちょっと、何するのよ!」
手を掴まれた女は短い悲鳴を上げ、咄嗟に腕を引こうとしたが、セレナが強く掴んで離さない。
「ねえ」
セレナの静かな一言。冷たさを孕んだ声音が、雑踏のざわめきを一瞬で押し黙らせた。
「この石が何なのか、分かっているの?」
「は――はァ!? お、おまえ! 商売の邪魔をする気か!」
セレナに気づいた屋台の店主が、ハッと顔を赤く染め、唾を飛ばして怒鳴った。
「こんなものを売っていて、よく言えるわね」
セレナの灰銀の瞳が細まり、冷ややかな光が男を射すくめる。
「な、何のことだ! 俺は真っ当な商売をしてる! 見ろ、ここに出店の許可証もある! 邪魔をするなら訴えてやるぞ!」
怒声が広場に響き渡った。通りがかりの人々も次々と足を止め、ざわめきが波紋のように広がっていく。
男は苛立ちに任せ、セレナへと手を伸ばした。だが、フードの奥でぎらりと光る瞳に射抜かれ、たじろいで手を引く。
「ひっ……! な、なんだ、その目は!」
セレナは一歩前に出る。
商品を指し示し、淡々と言った。
「それよりも、この石よ。……トアールも地に落ちたものね。こんな商売を野放しにしているなんて」
ざわめきがさらに膨らみ、人々の視線がセレナ一点に集まった。セレナは周囲に聞かせるよう、わずかに声を張った。
「まあ、その前に。ここで確かめないとね。これが、何なのか」
セレナは深く息を吐いた。光を帯びた灰銀の瞳が、強く輝いた。
「――『解』」




