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03 加速


「さぁ、まだまだ速度を上げるぞぅ!!」


嗄れた大声が、白く清潔な室内に響き渡る。

俺は今、床に固定されたランニングマシンの上で、全力疾走を強要されていた。

足元のコンベアは情け容赦なく回転し、速度を示すデジタル数字が、赤く点滅しながら上がっていく。


「む、無理! ちょ、速、タイム!!」


情けない、完全に裏返った声が漏れ出る。

肺が焼けるようだ。

太ももが悲鳴を上げているのが分かる。

額から滴る汗が目に入り、視界が滲んだ。


「そらそら! まだ高校生レベルだぞぅ!勇者なんだろ根性見せろ!ガハハハハハ!」


正面のガラス越しに、白衣姿の老人が身を乗り出している。

度付きサングラスを親指で持ち上げると、その下からは子供のように輝く丸い目が覗いた。

彼はその小さな身体を軽快に動かしながら、心底楽しそうに笑う。


そもそも、なんでこんなことになったんだっけ。

それは、1時間前に遡る。



◆◆◆◆



「ン!?目覚めたかね勇者くん!!」


寝起きの視界いっぱいに、見知らぬお爺ちゃんの顔が広がっていた。

さすがに瞬時に目が覚めて、悲鳴とともにベッドから転がり落ちる。


「目覚めから覚醒まで0.5秒程か。そこそこじゃな」


老人はそういってニカっと笑う。

総銀歯が、白い蛍光灯を反射してギラリと光った。

あなた誰なんですか。ここどこですか。今何時ですか。その銀歯本物ですか。俺はなぜこんなところに。


「え、あ、お、え、ええ??」


聞きたいことが多すぎて、喉で詰まってゴミが出た。

困惑する俺に、老人は軽やかに歩み寄って手を差し出す。


「儂の名前はミツクニ・ミトーカ。魔力周りの研究をしとるもんじゃ。よろしく」

「あ、俺はカイトです、よろしくお願いします……」


反射的に自己紹介を返す。

そして、遅れてやってきた理解が脳みそを揺らした。


「ミツクニ・ミトーカ!?」


素っ頓狂な声が出た。

頭の中で、教科書のページがばらばらとめくれていく。


「なんじゃ、儂のこと知っとるのか」

「し、知ってるも何も、魔力学の権威! 」


俺の反応に、老人は面白そうに眉を上げる。


「ほう?」

「魔力砲の理論基盤をまとめて、実用化まで持っていった中心人物! 現代の対魔戦略の礎を築き上げた、あのミツクニ・ミトーカ!……さん!?」

「ガハハ!なんじゃ、気分が良いのう。もっと褒めてくれても良いぞ!」


子供のような笑みを浮かべる老人を、俺は見上げることしかできなかった。

人類史において、間違いなく後世に名を残すべき人物が今、目の前に立っている。


「……えっと。握手とかって……?」

「遠慮はいらんぞ。勇者くん」


差し出されていた手を、恐る恐る握り返す。

彼の硬くなった指先からは、研究者としての凄みが滲み出している気がした。


「若い手じゃなー、勇者くんよ」

「あはは、その、勇者って呼ばれるの、まだ慣れてなくてですね」


俺がそう言うと、老人はけらけらと笑った。


「よいよい。名前で呼ぼう。カイトくんじゃな」

「は、はい」


そのまま腕を引かれ、ぐいと立たされる。


「ここはカームシティの地下百メートル。

政府攻魔省が抱える研究所のひとつじゃ」

「研究所?……あ、そうか」


聞き返して、自分で納得する。

俺、勇者になったんだった。


「では早速じゃ。測ろうか」

「……何をですか?」

「全てじゃ。限界を超えろ」


すごく嫌な予感がした。



◆◆◆◆



そして、現在。

俺は普通に限界を迎えようとしていた。


「そろそろ全国大会レベルに足を踏み入れるぞぅ!さぁ頑張れ!!」

「む、無理」

「いけるいける!人間を超えろ!風になれ!」


意味が分からない。

老人の横には、いつの間にかユキさんが澄ました顔で立っている。

相変わらずの無表情で、タブレットに何かを記録しているようだ。


「心拍数の上昇率は想定内です」

「ほうほう、なるほどなるほど」


ミトーカ博士は楽しそうに顎を撫でる。

一方で、ユキさんの視線は終始モニターから離れない。


「筋出力や心肺機能に目立った特異性は見られません」

「平均より少し上、くらいかの」

「はい。訓練を積んだ高校生、という評価が妥当かと」


2人の会話が、完全に俺を置き去りにして進んでいく。


「はぁ……はぁ……!」


限界だった。

ついに足がもつれ、前につんのめる。

だが、転ぶことはなかった。

両脇から伸びた安全アームが俺の身体を支え、ベルトが即座に減速する。


「やめ!いや〜良いデータが取れた!」


博士がぱん、と手を叩く。

俺はその場に座り込み、床に仰向けになった。


「はぁ……はぁ……死ぬ……」


呟きながら天井を仰ぐ。

明らかに、聖剣を抜く前より速く走れるようになっている。

その自覚はある。

ただ、その、なんというか。

……思ってたより、しょっぱい。


「勇者はやっぱり役に立たない……」


ぼそりと口に出して、勝手に気分が落ち込んだ。


その日は初日ということもあり、ランニングマシンを走るだけで計測を終了することになった。

俺は研究所内に自室を与えられ、しばらくそこで暮らすことを余儀なくされた。

携帯は没収されたままで、家族とも友人とも連絡は取れない。


自室に運ばれてくる料理は豪華で、美味しかった。

少なくとも、それだけは喜ばしいことに思えた。



◇◇◇◇



「現状の戦力評価では、実戦投入は不可能です。前線に出せば、即死する可能性が極めて高い」


抑揚の少ないユキの声が、静かな部屋に響いて溶けた。

データと睨めっこしていたミトーカは、ニヤニヤと銀歯を覗かせながらユキを見やる。


「結論を急くな。事実、聖剣を抜いたことが原因と見られる肉体の強化は確認できた。まだまだ、調査は始まったばかりじゃぞぅ」


ユキは鉄仮面を崩さない。

無表情のまま、ミトーカに向き直る。


「これからさらに、身体能力が強化される可能性もあると?」

「ある。例えば、聖剣が勇者の身体に影響を与えるのであれば、聖剣と触れ合った時間が身体能力の向上にそのまま繋がるということもあり得る」

「……仮説として記録します」


ユキはそう言って、手元のタブレットを操作する。

そうして、ふと手を止めた。


「ミトーカ博士が勇者研究に名乗りを挙げられたこと、攻魔省としては大変頼もしく思っております。しかし、なぜ魔力砲を開発したあなたが勇者の研究を?」

「そりゃあ〜、人類の未来を思って、といったところかの」


ミトーカはユキから目を逸らすと、すっかり冷めたコーヒーを啜った。


「とにもかくにも、これからのカイトくんの働きに期待じゃな」

「期待できれば良いのですが」


ユキの言葉に、ミトーカはガハハと豪快に笑う。


「なんじゃ、ユキちゃんは妙にカイトくんに厳しいのぅ。『勇者』のことがそんなに好きかね?」

「……現状で可能な評価を下しているまでです」


ミトーカはポリポリと後頭部を掻くと、必死にランニングマシンを走るカイトの映像を見る。


「期待しようじゃないか」


目を輝かせてそう言うと、一気にコーヒーを飲み干した。

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