徳川埋蔵金
世界が不安定になっていますね。
基軸通貨ドルの価値が下がり、有事の金、金の値段が世界の基軸通貨市場ではユーロを抜いて2位になってました。
やはり、いつの時代も安定資産は金ですね。
私が子供の頃、『ギミアブレイク』というTBSの番組で、糸井重里が徳川埋蔵金を掘ってました。
年がばれますね、まあそれはさておき。
当時、特番で重機を群馬県の赤城山にいれて大きな穴を掘ってました。
何時間もその掘る映像をワクワクしながら観てました、今思えば何がそんなに面白かったのか判りませんが、あの頃の私は徳川埋蔵金を掘り当てるのは自分だ、そんな気持ちでおりました。
そして、大人になった私は気付いてしまったのです。
『赤城山』『日光東照宮』これって、フェイクじゃない?って。
あなた様方、自分の虎の子のへそくり、どこに隠します?
寝室のタンスの底とかクローゼットの中の使わないバッグの中とか、そういう所じゃないですか。
変わった所で、冷蔵庫の中の調味料入れの奥にジップロックにいれてとか、映画サバイバルファミリーのお母さんは糠漬けの壺にやはりジップロックに入れて隠してましたね。
主婦だと、キッチンも自分の城内ですから、そう言う人もいるかも知れませんね。
でも、多くは不特定多数の目に触れそうなリスクの多い場所、子供が見つけたり、夫がたまたま見つけたりするかもしれませんから、安心なのは自分の部屋ではないでしょうか。
夫だと、書斎の机の奥とか、書斎の本棚とかになるかもしれません。
とにかく、自分の城の目立たない所、人が不用意に手出し出来ない所に置くのが定石だと思うのです。
さて、長いプロローグを経て、結論から申し上げますと、徳川埋蔵金があるのって、静岡県の久能山東照宮ではないでしょうか。
徳川家康は、その人生の大部分を静岡県で過ごしているのです。
幼少期の今川の人質時代は、有名ですがその期間12年です。
地元の岡崎城に初入城したのが20才の時ですから、彼のホームは駿府だと深層に刻まれるには十分な年月だったでしょう。
いや、ホームは江戸城でしょうと思う方もおられるでしょうが、江戸城は征夷大将軍になってから2年後には2代目秀忠にその地位と居城を譲りお気に入りの側室を連れて予てより改築して、入城するだけに整えていた駿府城に隠居し、その後大御所政治を駿府の地で行った訳です。
だいたい、徳川埋蔵金は自身の出身藩である岡崎譜代がいつか徳川が天下統一に打って出る為にと、コツコツ貯めた物と言うのが大方の見方。
岡崎→駿府→江戸→赤城山
こうしますかね?
自分が駿府に住むのに江戸に運びますかね?
だいたい移封され江戸が領地になったのって豊臣秀吉の命令だったので、元々居城として築城していた駿府城に、天下を取った後、凱旋した感じなのですよ。
岡崎→駿府(留め置き)
これが普通ですよ。
金庫にたくさんへそくり入れてあって、枕元と別荘、どっちに置きますか?
裏金の帳簿とかなら、別荘の地下倉庫とかに隠してそうですけど、何かのための自己資金なら枕元に置きますよね?
有事の際には、それもって逃げません?
で、久能山東照宮です。
駿府城の枕元。
家康から贈られた、伝来の時計がそのままの形で宝仏殿に残っていたという事実もあったように、家康が御祭神ですから、神様の言い付けは護りますよね。
徳川慶喜が無血開城の後、幕臣を引き連れて長く30年も住んだのは、駿府の紺屋町のお屋敷です。
その頃、幕臣勝海舟は清水区興津に、幕臣山岡鉄舟は葵区水通町で、各々江戸から移り住み暮らしていました。
ちなみに、鉄舟が再興した臨済宗の寺、鉄舟寺は清水区にあり、その寺は元々は久能山にあったのを、武田信玄が清水区のこの場所に移し、鉄舟が再興したという、久能山に曰くがあるのです。
勝海舟は日記で、幕府再興の軍資金を360万両は問題ないと記載してあったそう。
これが徳川埋蔵金があった証拠のように言われているのですが、その金子が、駿府の久能山東照宮にあるのを知っていたのでここへと引きこもらせたのではないのでしょうか。
明治維新後、蟄居が解かれ徳川家達が東京へと戻る時に慶喜も共にと誘ったのを、勝海舟が静岡に留め置いたと言われているのも、 この地にこそ徳川埋蔵金があるのだから、何かあった時にすぐに必要な金を都合できる場所にいる方が安心だからなのではないか、そんな感じしませんか。
勝の説得に徳川慶喜が従っていたのも頷ける、彼は静岡にいる間、あらゆる趣味を嗜み、生活を謳歌していたその生活を支えたのは、久能山東照宮から引き出した埋蔵金の一部なのでは?妄想が捗ります。
赤城山、日光東照宮という巷に流されているキーワードはミスリードを狙って、旧幕臣、隠密とかね、そんなのが流していたりして。
嘘の中の真実、木は森へ隠せ。
そんなことを、もう15年ほど夢想しています。
真実は闇の中、宝仏殿が開くことはたぶんもう無いのでしょうね。
だって徳川の世は終わってしまったのですから。