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妃の条件




 皇帝陛下が立ち上がる。


 その動作だけで貴族達の視線がこちらに集中し、楽団の奏でていた曲が止み、静けさに包まれる。


 わたしは姿勢を正して控えた。




「この場には多くの家の者が集ってくれた。皇帝として、皆の協力に感謝しよう」




 誰もが皇帝陛下の言葉を聞いている。


 恐らく『誰が皇后に選ばれるのか』と集中しているのだろう。




「……残念だが、俺が皇后に迎えたいと思う者はいなかった」




 騒めく貴族達に皇帝陛下が手を上げ、制する。




「これは皆が悪いのではない。そして、後継者問題があることも理解している」




 ジッと全員が皇帝陛下の言葉の続きを待つ。




「俺もいずれ妻を娶るが、今はその時ではないということだ」




 理由について皇帝陛下は言及しなかった。


 もしかしたら、この夜会を許したのは宰相や他の者達から『妃を娶れ』とこれ以上言われないために開かせたもので、ここで『いない』と明言することで猶予を得るつもりだったのかもしれない。




「どの令嬢も素晴らしく、全員に瑕疵かしはない。令嬢達が、良き婚約を結ぶことを願おう」




 そして、皇帝陛下が座る。


 音楽が戻り、貴族達もそれぞれ談笑やダンスに戻っていく。


 それまで浮ついた雰囲気があったものの、今はそれも落ち着いている。


 全員が皇帝陛下の意図を理解したようだ。


 夜会は何事もなく、穏やかに過ぎ、時間となって皇帝陛下が終わりの挨拶を告げる。


 皇帝陛下に付き従い、舞踏の間を出ると、そのまま歩き続ける。


 方向からして私室に向かうようだ。


 王城の奥に向かい、皇帝陛下の私室に到着する。


 皇帝陛下は上着を脱いで侍従に任せ、女官長に紅茶を用意させた。




「レーヴ、気付いたか?」




 と、問われ、わたしは皇帝陛下を見た。




「元より誰も選ぶつもりがなかったことについてでしょうか?」


「ああ、そうだ。……俺の望む条件の者はいなかった」




 ティーカップを持ち、皇帝陛下が口をつける。




「元よりいないことは理解していた」




 皇帝陛下が、皇后となる者に望む条件。


 一つは、自衛できる程度に強いこと。


 一つは、皇帝陛下を恐れず意見できること。


 一つは、家に力や後ろ盾がないこと。


 ……予想通り、政に口を挟まれたくないらしい。


 だが、最初の条件については疑問を感じた。




「皇后に自衛能力は必要なのですか?」


「当然だろう。常に警護の騎士や使用人はついているが、もしもの時に怯えて判断を誤ったり、硬直したりするようでは騎士達がやりにくい。多少なりとも剣や武の心得があれば、正常な判断を下し、騎士達の邪魔にならぬよう動けるだろう?」


「それは確かに重要ですね」




 戦いを知らない令嬢が皇后になり、襲撃者が現れた時、恐慌状態に陥って駆け出して警備の騎士達から離れた瞬間に狙われるというのはありえそうだ。


 帝国の皇后が殺されたとなれば、国の威信に関わる。


 守り切れなかった騎士達も責任を問われる。




「レーヴ。お前、女装してみないか?」




 ……何を言っておられるのだ、この方は。


 思わず、半眼で皇帝陛下を見てしまった。


 その視線を受けた皇帝陛下がおかしそうに噴き出す。




「冗談だ」


「本気でおっしゃっていたら、医官を呼んでいるところです」


「そう怒るな。お前のような者が今回の令嬢にいれば、娶ることも悪くはないと考えていたが、いなかったという話をしたかっただけだ」


「そうだとしても冗談は程々になさってください」




 ……それに、わたしが陛下の横に立つなど恐れ多い。


 剣を握ることしか能のないわたしなどより、皇帝陛下を支えるに相応しい者はきっといる。


 そこまで考えて、ふと疑問を思い出した。




「一つ、お訊きしてもよろしいでしょうか?」




 わたしの問いに皇帝陛下が「何だ?」とこちらを見る。




「何故、ノルディエン侯爵令嬢を除外したのですか? 力のある家の娘だからというのは分かりますが、陛下を前に気圧された様子もなく、容姿・家柄・性格共に悪くはなさそうに思えましたが……」


「あれと婚姻を結ぶのは悪手だ。宰相ゲルハルト・ノルディエンは前皇帝の側近でもあった男で、有能故に宰相の地位に居座っているが、前皇帝の時代はほぼ政権を握っていたようなものだった。娘を俺が娶り、政に口を出し、皇后の後見としてまた力を取り戻したいのだろう」




 確かに今、この帝国は皇帝陛下が最も力を持っている。


 だが前皇帝時代は宰相のほうが強かったとすれば、その当時に戻りたいと思うだろう。


 娘を皇后とし、その後見となれば、皇帝陛下であっても宰相の言葉を無視できなくなる。


 普段は穏やかで謙虚そうな宰相だが、中身は思いの外、腹黒いのかもしれない。




「それに娘も野心家なのだろう。あれは本気で俺を慕っているわけではない。皇帝の妻──……皇后という地位を夢見ているだけで、俺と共に国を支え、導いていくことなど考えていない」




 小さく息を吐く皇帝陛下は眉根を寄せており、不快そうであった。


 まだたった二ヶ月ほどしか付き合いはないが、皇帝陛下は常に帝国のため、民のためにより良い政策や法の改正を進めている。国を率いていくとは、そういうことなのかもしれない。




「そういう者と共に歩む気はない」




 ここまで断言するということは、皇帝陛下は宰相やその娘がよほど嫌いなのだろう。




「あれらと縁を結ぶぐらいなら、妃など空席で良い。後継者問題もやりようはある」


「そうなのですね」


「俺はそばに置くのは、信頼に足る者のみと決めている」




 そう言われると、少しばかり嬉しいと思ってしまう。


 短期間の付き合いの中でも、皇帝陛下はわたしを信頼できると認めてくれている。




「……陛下の信頼に恥じぬ働きを誓います」




 わたしの言葉に皇帝陛下が小さく笑った。




「ああ、期待している」





 性別について、気付かれてはならない。


 ……だが、わたしはこのお方について行きたいと、思う。


 皇帝陛下がこれから歩む道を、生き様を見たい。騎士として仕え続けたい。


 わたしに新たな生きる理由を与えてくれた、皇帝陛下に全てを捧げると宣誓した。


 レーヴ・リンドとして騎士の誓いを捧げ、その道を生きると決めた。


 ……このブローチの重みを、わたしは忘れない。


 そっと触れた左肩のブローチは美しく輝いていた。






* * * * *






「守護騎士様」




 休日、いつものように訓練場で剣の鍛錬をしていると声をかけられた。


 現在、この帝国にいる『守護騎士』はわたし一人だけだ。


 皇帝陛下の妹君である皇女殿下は離宮に引きこもっており、そちらも守護騎士はいないらしい。


 つまり『守護騎士』とは、わたしのことを指す言葉となる。


 剣を振る手を止め、振り返る。




「わたしに何かご用でしょうか」




 そこにいたのは、先日の妃選定の夜会にいた公爵家の令嬢だった。


 金髪に金の瞳をした、可愛らしい容姿をしている。




「突然話しかけてごめんなさい。本日は騎士の訓練を見学に来ていたのですが、見覚えのある方を見かけたものですから、つい。先日の妃選定の夜会ではご挨拶ができなかったので。是非一度、お話をしてみたいと思っておりましたの」




 高く澄んだ、軽やかな可愛らしい声が言う。


 いくら夜会で見かけて知っていたからといって、わざわざ公爵令嬢が騎士に声をかけるだろうか。


 恐らく皇帝陛下の妃に選ばれなかったが、まだ希望を捨て切れず、守護騎士であるわたしと親しくなることで何か皇帝陛下の有益な情報を得るか、上手くいけばわたしが皇帝陛下に進言してくれるかもしれないと考えているのか。


 ……可愛らしい見た目に反して計算高そうだ。


 そもそも、貴族は計算高くて当然である。


 可愛らしい見た目に騙されるとあっという間に利用されてしまいそうだ。




「ご挨拶が遅れましたが、皇帝陛下の守護騎士を務めさせていただいております、レーヴ・リンドと申します」




 わたしが剣を鞘に戻して礼を執ると、公爵令嬢も礼を返した。




「リヴァヴース公爵家の長女、ナターシャ・リヴァヴースと申します。もしお時間があるのでしたら、少しお話を聞かせていただけませんでしょうか? 私、昔から騎士という職業に憧れがございまして……」




 少し気恥ずかしそうに微笑み、上目遣いで見つめてくる。


 ノルディエン侯爵令嬢も、この公爵令嬢も、己の容姿をよく分かっているなと思う。


 どのような仕草をすれば相手に好まれるか、どのように振る舞えば自分が美しく、可愛らしく見えるか理解した上で、自然に見えるように行動している。




「わたしは孤児院出身です。……とてもではありませんが、公爵令嬢のお相手は務まらないかと」


「まあっ、そのようなことはございませんわ。リンド様は皇帝陛下がお認めになられた、実力のあるお方です。それに陛下は身分を問いません。私も陛下のお考えに賛同しております」


「では、上着だけ取ってきてもよろしいでしょうか? さすがにこの格好では失礼に当たりますので」




 上着もコートも脱いで、シャツ姿では公爵令嬢には失礼だろう。


 令嬢も「ええ、もちろん」と頷いてくれたので上着を取りに行き、コートと共に身に着け、戻る。




「お待たせいたしました」


「いいえ。……ふふ、リンド様は近衛騎士の装いがとてもよくお似合いですわ」


「お褒めいただき光栄です」




 そうして、公爵令嬢とその侍女、護衛達と共に移動する。


 王城の中庭にある庭園のガゼボに到着する。


 ここなら周囲からもよく見えるし、侍女や護衛達もいるので二人きりにはならない。


 先に座った公爵令嬢がニコリと微笑みかけてくる。


「どうぞ」と促されたので「失礼いたします」と断ってから席に着く。


 ……身分を気にしないという姿勢を示すためか。




「リンド様は先の剣武祭で第二位になられたとお聞きしました。私は観戦ができませんでしたけれど、きっと、とても素晴らしい戦いだったのでしょう。ご覧になられた皇帝陛下はリンド様の剣に魅了されたのかもしれませんわね」


「そうであれば幸いです」


「騎士様は警備が職務だと思うのですが、他にお仕事はあるのでしょうか?」


「基本は警備ですが、警備と申し上げましても様々な仕事が含まれております。王城の外壁にある門で来訪者の確認を行ったり、王都の内外で問題が起こった際に出撃したりします。しかし、騎士にとって一番多い仕事は体や剣の腕を鍛えることなのです。戦えない騎士では意味がないので」


「まあ……では、リンド様はとても努力をなされたのですね」




 ニコニコと公爵令嬢が笑顔で言う。




「お恥ずかしながらわたしは筋肉がつきにくい体質のため、他の者より鍛錬の時間が必要です。そのような意味では、わたしは優秀とは言いがたいでしょう」


「まさか、守護騎士に選ばれた方が優秀ではないだなんてありえませんわ。皇帝陛下もリンド様の素晴らしい点を評価なされたからこそ、選ばれたのだと私は思います」




 その後も取り留めのない話をしたが、侍女が公爵令嬢に耳打ちをする。


 それに公爵令嬢が残念そうに眉尻を下げた。




「あら、もうそんな時間? ……リンド様、長くお引き留めしてしまい、申し訳ありません」




 どうやら、そろそろ切り上げる頃合いらしい。


 わたしは意識して目元を和らげ、微笑んだ。




「いいえ、こちらこそ楽しいひとときを過ごさせていただきました。リヴァヴース公爵令嬢のようなお可愛らしい方の話し相手を務める栄誉を賜り、光栄です」




 公爵令嬢が驚いたように、束の間、ジッとわたしを見つめる。


 けれども侍女が小さく咳払いをすると、公爵令嬢がハッとした様子で口元に手を当てた。




「あ、申し訳ありません……つい、リンド様に見惚れてしまいました……」


「リヴァヴース公爵令嬢はお上手ですね」


「まあ、冗談ではございませんわ」




 そうして別れの挨拶を伝え、一礼して下がる。


 そのまま、わたしは元の訓練場に戻った。マントと上着を脱ぎ、訓練を再開する。


 剣を振りながら、先ほどの公爵令嬢を思い出す。


 ……なかなか食えない令嬢だったな。


 質問はどれもごく普通のものに感じられるが、恐らく全て探りを入れていたのだろう。


 たとえば、騎士の仕事については皇帝陛下の一日の動きを知りたかったのだと思う。


 上手くいけば皇帝陛下が城内を移動している際に自然に居合わせたように振る舞うこともできるだろうし、普段の様子を聞くことで皇帝陛下の好みが分かるかもしれない。


 その点でいえば、わたしは気付かないふりをして微妙に話を逸らした。


 公爵令嬢の知りたいことを全て避けた。


 ……恐らく、もうあの公爵令嬢に話しかけられることはない。


 わたしから何も情報を聞き出せないと理解したはずだ。


 だが、公爵令嬢の考えは間違いではない。


 皇帝陛下のことを知りたいなら、そばに仕える守護騎士を懐柔して聞き出すのが確実だ。


 孤児院出身の平民だから気付かれないだろうと侮られていた可能性が高いが、これで『役立たず』と判断されたほうがいい。


 訓練の邪魔をされるのは正直喜ばしくはないし、職務中に見聞きしたことを口外してはいけないのも騎士として当然だ。


 ……一応明日、皇帝陛下にお伝えしておこう。


 そして予想通り、それ以降リヴァヴース公爵令嬢がわたしに会いに来ることはなかった。






 

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― 新着の感想 ―
 前半の陛下の思惑やリーヴの考えが丁寧に語られていてとても分かりやすかったです。妃候補選定の会が進んでいく中で、陛下が、昔から続いていた国としての悪習のようなものを権力を利用して変えていきたいと思って…
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