騎士レーヴ・リンド(2)
剣武祭についてだが、結論だけ言えば優勝はできなかった。
しかし、何とか二位に食らいつくことができた。
……これなら文句は言われないだろう。
優勝したのは他国から来て出場していた、流れの傭兵らしい。
とても強く、剣の先が三日月のような形をした不思議なものを使っており、苦戦した。
剣を受け止めても、その三日月部分の長さや形まで考慮しないと斬られてしまう。
制服の腕の部分が僅かに切れたけれど、縫えば問題ないだろう。
制限時間内でずっと戦い続け、判定勝ちで彼が優勝した。
表彰式では皇帝陛下が観覧席から下り、賞金と共に言葉をかけてくださる。
「素晴らしい実力だった。私の近衛騎士になる気はないか?」
優勝した流れの傭兵が笑う。
「大変ありがたいお誘いではありますが、私は己の腕を磨くために諸国を回り、強き者達と剣を合わせ、もっと多くの知見を得たいと考えております」
「そうか、残念だ。だが、貴公のような実力者を我が国はいつでも歓迎しよう」
「もったいなきお言葉。皇帝陛下のお心遣い、生涯忘れません」
傭兵の男性は賞金を受け取り、嬉しそうに明るい表情を浮かべた。
そして、皇帝陛下がわたしに顔を向ける。
「レーヴ・リンド、想像以上の成長を遂げたな」
「全て皇帝陛下の采配によるものでございます」
「なんだ、気付いていたのか」
皇帝陛下に『剣武祭に出場しろ』と言われてから、教官達によく声をかけられるようになり、様々なことを教わった。あれは全て皇帝陛下の指示だったのだろう。
わたしの言葉に皇帝陛下は愉快そうに笑う。
わたしは礼を執り、皇帝陛下に頭を下げる。
「騎士であるわたしは皇帝陛下の剣です。この勝利は全て、皇帝陛下に捧げます」
ふむ、と皇帝が目を細めると言った。
「お前を近衛騎士に推薦する」
「……名誉なことではありますが、わたしが近衛になるのは難しいかと」
「ほう? ……いや、この場で言う必要はない」
皇帝陛下から受け取った賞金を抱える。
……これはできるだけ借金返済に回そう。
ただ、教官達に礼もしたいので、いくらかそれにかかる金はもらっておこう。
今年の剣武祭も大変賑やかな盛り上がりを見せ、終わった。
* * * * *
翌日、わたしはいつも通り訓練場で走り込みを行っていた。
「レーヴって生真面目だよな」
同じく休日だったレジスも、何故か訓練に付き合っている。
「趣味とかないの?」
「時々、書庫で読書はしています。騎士として、自国や周辺国の歴史や作法などを知っておく必要がありますので」
「いや、それ結局仕事に関することじゃん」
……わたしには他にやりたいこともない。
二人で走っていると声をかけられた。
「レーヴ・リンドか?」
立ち止まり、振り向けば、近衛騎士がいた。制服が違うので見れば分かる。
「はい、レーヴ・リンドは私です」
「皇帝陛下がお呼びだ」
「かしこまりました」
レジスに見送られながら、近衛騎士の後ろをついていく。
わたしより一回り以上大きく、それだけで威圧感を覚えるが、きっととても強いのだろう。
城内に戻り、更に奥へと進んでいく。
この辺りは近衛騎士の担当範囲で、一般騎士は警備につかないので初めて立ち入る。
前を行く近衛騎士の後を追い、一つの扉の前に立つ。
近衛騎士がその扉を叩く。
中から扉が開けられたが、開けたのは侍従らしき人物だった。
「レーヴ・リンドを連れてまいりました」
促されて、室内に入り、礼を執る。
皇帝陛下の「ご苦労」という声に近衛騎士が「失礼いたします」と言い、背後で扉が閉められる。
足音が遠ざかってから声をかけられる。
「面を上げよ」
礼を解き、顔を顔を上げれば、皇帝陛下がソファーに座っていた。
広い政務室の一角、ソファーやローテーブルなどが置かれている。
室内には侍従しかおらず、近衛騎士の姿はない。
「遠いな。もう少し、こちらに来い」
指先で呼ばれたので「……失礼いたします」と声をかけてから、近寄る。
剣を抜いて腕を伸ばしたとしても、刃が届かないだろうギリギリの距離で立ち止まる。
「さて、お前を呼んだ理由は分かっているな?」
「……はい、昨日の剣武祭での発言に関することかと」
「そうだ。近衛騎士になるのは難しいとは、どういうことだ」
それについて訊かれると分かっていた。
……さすがに、昨日の今日で呼び出されるとは思わなかったが。
わたしは小さく息を吸い、目を伏せた。
「近衛騎士は身元が明確に分かる者でなくてはなりません。……以前お伝えした通り、わたしは孤児院の出であり、陛下のおそばに仕えるには身分が低すぎるでしょう」
貴族ならばともかく、孤児院出身というのは平民よりも立場が低い。
この帝国の最高位たる皇帝陛下を守る近衛騎士としても、出自としても、問題がある。
しかし、皇帝陛下がつまらなさそうな顔をした。
「孤児院の出だから何だと言う? 才能や能力は生まれで決まるものではない。事実、お前は剣武祭で第二位まで勝ち上がった。それでも口を挟む者がいるのであれば、どこかの家に籍だけ入れれば良い」
どうやら皇帝陛下はわたしを近衛騎士に入れたいらしい。
「もう一つ問題があり、わたしには借金がございます」
皇帝陛下が目を瞬かせ、少しばかり身を乗り出した。
「借金? 何故?」
「……父は生前、賭け事に狂っておりました。それを返済しています」
「なるほど」
皇帝陛下が己の顎に触れ、ふむ、と呟く。
「そなたは賭け事はしないのか?」
「興味ありません」
「酒や葉巻、女は?」
「全て騎士には不要です。……借金を返済し終えるまで、わたしは騎士でいたいので」
この国で騎士ほど安定した職業はない。
危険な場面もあるだろうが、それでも王城の騎士でいれば食住に職もある。
普段は制服でずっと過ごしているので衣にかかる金も減らせる。
皇帝陛下が更に問うてくる。
「借金の額は?」
一瞬、言葉に詰まった。
けれども、黙っていても意味がないので小さな声で呟いた。
「……まだ、大金貨二百五十枚ほど」
「平民でよくそこまで貸し付けてくれる者がいたな?」
わたしは何も言えずに押し黙った。
王城の騎士の給金が年間で大金貨三十枚だが、そこから生活費や孤児院に籍を置いてもらっている謝礼などを引き、返済していくとなると時間がかかる。
それでも、騎士として長年働き続ければ返済できない額ではない。
他の職業であったなら返済など不可能だが、騎士はとても給金が高い。
……近衛騎士になれば返済期間はより短くなるが……。
借金を抱えた者というのは色々な意味で狙われやすい。
皇帝陛下を守る剣であり、盾でもある騎士に弱みがあってはならない。
顔を上げた皇帝陛下が笑った。
「まあいい。お前の借金を俺が払おう」
その言葉を理解するのにしばし時間がかかってしまった。
「……何故、そこまでしてわたしを近衛に入れたがるのですか?」
少なくとも、わたしにはその理由が見当もつかなかった。
しかし皇帝陛下は愉快そうに口角を引き上げたまま言う。
「お前の剣の才能と、努力を惜しまぬ姿勢を気に入っただけだ。お前の噂は知っている。騎士団に入って以来、仕事の時以外は毎日自主的に鍛錬を行っていると」
「それでは、わたしがなかなか成長しないのもご存じかと思うのですが……」
「その噂をしているのは貴族出身の驕った者達だけだろう。毎日の努力、剣の才能、誠実な働きぶり。それらを評価している者は多い。何より、お前はまだ伸びる」
「伸びる……」
これまで、わたしについてそのように言ってくれた者はいない。
多少褒められることはあっても、それだけだった。
「ああ、お前はもっと高みに行ける。俺は、俺の背を預けられる者が欲しい」
皇帝陛下の紅い瞳がジッと見つめてくる。
いつの間にか、その視線に絡め取られていた。
「俺の騎士になれ、レーヴ・リンド」
だから、皇帝陛下はわたしの借金を代わりに返済するというのか。
これは良い話だろう。きっと、このような機会は二度と訪れない。
……けれど、わたしは隠し通せるのだろうか。
わたしが実は女であるという事実を。
生涯、わたしは男であるという嘘を突き通さなければならない。
……いや、それは今も同じか。
剣を鞘ごと引き抜き、膝を折り、両手で剣を捧げる。
「……皇帝陛下のお望みのままに」
一般騎士であったとしても、近衛騎士になったとしても同じことだ。
むしろ近衛騎士になれば、浴室付きの個室を与えられるので今よりも気付かれにくくなる。
それに、少しばかり考えてしまったのだ。
騎士として働き続け、借金を返済し終えた時、わたしには何も残っていないだろう。
未来も、希望も、夢も、居場所も──……借金という生きる意味すらも失う。
だが、近衛騎士として皇帝陛下に仕えている間は『主従の誓い』によって縛られている。
生きる意味を失うことはなく、レーヴ・リンドは主君の剣で、盾でいられる。
性別を気付かれなければ何もかもが上手く進む。
ソファーから立ち上がった皇帝陛下がわたしの捧げた剣を手に取った。
「後日新しい剣と制服を用意するが、今日からお前は俺の騎士だ」
「謹んで拝命いたします」
剣が鞘から引き抜かれ、剣の腹の部分が肩に当てられる。
簡易的な儀式ではあるが、ここに、皇帝陛下とわたしの主従の誓いは成った。
「よろしく頼んだぞ、レーヴ」
顔を上げれば、皇帝陛下はやはり愉快そうに笑っていた。
* * * * *
「ヴォルフラム様、こちらが『レーヴ・リンド』に関する調査書でございます」
レーヴ・リンドに借金用の金を持たせ、返した夜。
侍従が持ってきた書類をヴォルフラムは受け取った。
孤児院の出だと聞いていたが、そのわりには書類の束が厚いことに驚いた。
「ああ、ご苦労」
そうして、ヴォルフラムは調査書に目を通した。
レーヴ・リンド。現在二十歳の平民の青年で、十五歳の時に教会付きの孤児院に身を寄せた。
身を寄せた先はリンド孤児院といい、王都にある小さな施設である。
十六歳で王城の騎士入団試験を受け、ギリギリで合格した。
それ以降、真面目に職務をこなしているが、人付き合いは同室の者くらいだった。
騎士団に入ってからの書類は少ない。
どうやら街の湯屋が好きらしく、騎士団の大浴場ではなく、そちらに通っているそうだ。
しかし、それ以外で特に外出することはない。
本人の言葉通り、酒も葉巻も女も、賭け事にも興味がない。
どこか存在が薄く表面的。それがレーヴ・リンドの騎士になってからの雰囲気だ。
けれども、それは孤児院に入るまでのことだ。
問題は孤児院に入る前の『これまで』に関する内容だった。
レーヴ・リンド──……本名はレヴァニア・アルセリオ。爵位を返上した子爵家の令嬢。
爵位を返上したのは子爵令嬢が十五歳の時の出来事で、父親である子爵が妻の死をきっかけに賭け事にのめり込み、家の金を使い込んだ挙句、領民に過度な税を課した。これは違法行為であった。
それでも金が足りない子爵は、婚約が決まっていた娘を資産家に無理やり嫁がせようとした。
止めようとした息子が子爵を殺め、そして息子は親殺しの罪を背負い、自死した。
当時の法では残された子爵令嬢が家を継ぐことはできなかった。
爵位と領地を返上し、平民に落ちた令嬢は何とか生きようとした。
だが、重税で民を苦しめた元領主の娘を領民達は許せなかった。
領地では生きていくことができないと悟った令嬢は王都に出る。
髪を切り、持っていたドレスを売って男性ものの古着を買い、女であることを捨てた。
レーヴという名で孤児院に入り、すぐに王城の騎士の入団試験に参加した。
……令嬢時代から剣の才能はあったらしい。
貴族の令嬢が剣を振るうなど良く思われないが、令嬢の頃から剣の腕は悪くなかったようだ。
「……レヴァニア・アルセリオ」
あの頃、多くの貴族家が取り潰しになったり爵位を返上したりした。
その中の一つだったとしてもヴォルフラムの記憶には残っていない。
ヴォルフラムが皇帝になってこれまで、多くの改革を行ってきた。
貴族達から反感を持たれるのは分かっていたが、それでも国を変えるには必要だった。
……このような人生を歩んできたから、あれほど目が暗いのか。
達観とは異なる、全てを諦めたような、何にも関心を示さない凪いだ瞳。
ヴォルフラムの場合は協力者や支えてくれる者達がいたが、レヴァニア・アルセリオにはそれがおらず、どこにも居場所がなく、ただ父親の借金だけを背負って生きてきた。
毎月必ず金を送っていたので、そこから調査をするのは簡単だっただろう。
生真面目だが、少し抜けている部分もあるようだ。
……ああ、そうか。
あの目は『空虚』なのだ。
レヴァニア・アルセリオの名を捨て、性を捨て、生きる意味すら見失っている。
それでも死なずにいるのは子爵の息子……兄が助けてくれた己を殺すことができないからか。
どこか人を寄せつけないのも、関心がないのも、人形のように見えるのも、全てはあのレーヴ・リンドという人間そのものの中には何もないからだろう。
「残念だが、人形をそばに置く気はない」
これから、ヴィルフラムはレーヴ・リンドという人間に血を通わせる。
本人がそれを望もうと、望むまいと関係ない。
「しかし、レヴァニアだからレーヴか……安直だな」
ソファーから立ち上がり、ヴォルフラムは読み終えた調査書を暖炉に放り込む。
新しい近衛騎士を入れることに変わりはないのだから。
……皇帝を欺こうとは面白い。
燃え盛る暖炉の火を眺めるヴォルフラムの口角は微かに上がっていた。
* * * * *