皇后騎士・レーヴ
そうして、婚約発表から三月後。
非常に急ぎ、何とか今日、結婚式を執り行うこととなった。
……主に大変だったのはヴォルフラム様だけど。
わたしは婚礼衣装の注文や採寸、調整などをした程度で、式に関するほとんどはヴォルフラム様と何故か皇女殿下が行ってくれた。特に皇女殿下は熱が入っていた。
「もう、レーヴは自分の結婚式なのに関心がなさすぎるわ!」
と、不機嫌そうに腰に手を当てる皇女殿下は少し可愛らしかった。
その後はヴォルフラム様とあれこれ結婚式について話し合い、式後に城で夜会も開かれることとなり、その夜会にヴォルフラム様の妻として出ることが皇后の最初の仕事である。
……まあ、それはともかくとして……。
結婚式の準備が始まってから今日まで、わたしは近衛騎士の宿舎ではなく、皇女宮で寝泊まりをしていた。
肌や髪の手入れをするべきだという皇女殿下の言葉にヴォルフラム様も同意し、わたしも特に嫌だと思わなかったため、仕事を終えたら毎日皇女宮に行き、皇女殿下の侍女達に色々とお小言を言われながら世話をされ、眠り、翌日は仕事に向かうといった生活を過ごした。
髪や肌の手入れ、使う物も一新され、食事も見直された。
確かに、肌や髪の触り心地は変わった。
ヴォルフラム様も以前よりわたしの頭に触れる回数が増えたので、これは事実だろう。
そんなことを考えていると女官長に声をかけられた。
「レーヴ様、ご準備が整いました」
それにふっと我に返る。
「ありがとうございます」
「いいえ、これからは私も、皆も、レーヴ様にお仕えする身となります。精一杯務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
前皇帝の側妃であったとは思えないほど地味な装いをしているが、それでも美しい人だ。
改めて鏡を見れば、そこには華やかな装いのわたしがいた。
黒髪は前髪を残したまま、左右は少し後ろに撫でつけられている。
青と黒を基調としており、黒は近衛騎士を、濃い青は皇帝陛下を連想させる。ズボンは白く、ブーツは黒い。マントも裏地は灰色だが表は黒だ。袖や肩房は金色で、それがどことなく普段の皇帝陛下の装いを彷彿とさせる。
最後に白い手袋をつけ、腰に剣を下げれば上出来である。
……鎧がないと落ち着かない。
体が軽いと思っていると部屋の扉が叩かれ、ヴォルフラム様が入ってきた。
ヴォルフラム様も普段の装いより華やかだが、わたしの装いと対だと分かる色合いと作りの婚礼衣装だった。今までで一番素敵だろうその姿に、束の間、見惚れてしまう。
「普段の制服では分からないが、今の姿を見ると女にも見えるな」
と、言われて苦笑する。
「皇女殿下が『女だと分からないと民が混乱する』とおっしゃるので」
「それは一理ある」
近づいてきたヴォルフラム様がわたしの腰を抱き寄せた。
「お前は中性的だから、あえて体の線を出さないと分からない」
「鎧がないのは少し落ち着かないですが」
「式にまで鎧姿で来られたら、俺のほうが見劣りするだろう」
ヴォルフラム様が笑い、わたしの額に口付ける。
「さあ、行こう」
「はい」
わたしは今日、この方の妻となる。
それを貴族に、民に、他国の人々に広めなければいけない。
ヴォルフラム様と共に城から出れば、馬車までの道に騎士達が並んでいた。
ヴォルフラム様が手を軽く上げると騎士達が剣を抜き、体の前で持ち、剣を捧げる。
……元は剣を捧げる側だったというのに。
これからは剣を捧げられる側に立つと思うと、不思議な心境だった。
促されて道を進み、屋根のない馬車に乗る。
馬車は近衛騎士に囲まれ、前後にも馬に乗った騎士達がつき、華やかだ。
これから大神殿までこの状態でゆっくりと進み、民達の前に出る。
少し緊張するが、嫌なものではない。
この緊張は多分、期待と希望、そして喜びなのだろう。
「ヴォルフラム様」
馬車がゆっくりと動き出す。
「どうした?」
そっと顔を寄せれば、ヴォルフラム様も顔を近づけてくる。
「これから、よろしくお願いいたします」
それにヴォルフラム様はキョトンとして、すぐに笑った。
「ああ、逃がさないから覚悟しておけ」
繋がれた手は温かくて優しかった。
……わたしはきっと、この手の温もりから離れられない。
ヴォルフラム様と生きる人生を知ってしまったから。
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帝都の人々に手を振りつつ、大神殿に到着した。
道中、多くの人々が歓声を上げ、花を投げ、祝福の言葉をかけてくれた。
中にはわたしに「かっこいい」「素敵」と言ってくれる人もいて、今のわたしを受け入れてもらえたようで嬉しかった。
ドレスではなく騎士の制服のような婚礼衣装だが、それも特に言われることはなかった。
ヴォルフラム様と対で作ったこの婚礼衣装が好きだ。
対であることを許してもらえたという、それ自体に心が震える。
……わたしはヴォルフラム様の横に立つことを許された。
そしてこれから、わたしは皇后となる。
皇帝の横に立ち、同等の立場になるなんて、今でも少し想像がつかない。
近衛騎士達に守られながら馬車から降りれば、ヴォルフラム様が手を差し出してくる。
その手を取るとヴォルフラム様が嬉しそうに笑い、促されて大神殿に入る。
大神殿の中には大勢の貴族達が既に来ており、近衛騎士に守られながらわたし達が入場するととても視線が突き刺さる。
少し意外だが、ヴォルフラム様は宗教について比較的寛容で、大神殿とも良好な関係を築いている。
大神殿の絨毯の上を歩き、祭壇の前までヴォルフラム様と共に上がっていく。
祭壇の向こうには大司祭だろう老人がいる。
「本日、この良き日に皇帝ヴォルフラム・ライナー=グライフェルド陛下と守護騎士レヴァニア・アーダルベルトは人生の大切な一節を迎え──……」
大司祭が始まりの言葉を続ける。
そこからヴォルフラム様とわたしのこれまでについて仰々しく話していく。
最初は真面目に聞いていたが、段々と飽きて別のことを考えていると繋がったままの手が握られ、思考の海に沈んでいた意識が引き戻される。
チラリと横目でヴォルフラム様を見れば、目が合った。
少し笑ったので、わたしの意識が逸れていたことに気付いているのかもしれない。
……確かに、自分の結婚式でぼんやりしていたらおかしいか。
そうは思うものの、まだどこかで『自分が結婚する』という意識が薄い。
……お兄様とカイはどう思うだろうか。
お兄様はわたしの結婚を喜んでくれるだろうか。
カイは……と考えたところでまた繋がった手が握られる。
「余計なことは考えるな」
と、横から囁き声がする。
「……どうして分かるのですか」
「お前は意外と分かりやすい」
言われて、またギュッと手が握られる。
「……レーヴ、幸せになっていいんだ」
ヴォルフラム様が言う。
わたしも、そっとその手を握り返した。
ヴォルフラム様の気持ちを受け入れた時に覚悟を決めたはずなのに。
……何を怖がっているのだろう。
わたしはわたしの意志で、ヴォルフラム様のそばにいる道を選んだ。
たとえ誰に何を言われたとしても、この道だけが違えない。
「──……そしてついに、お二人は夫婦となります」
大司祭が語り終え、こちらを見る。
背筋を伸ばし、大司祭を見返した。
「それでは、誓いの言葉を」
ヴォルフラム様がわたしに体を向けたので、わたしも向かい合う。
「私、ヴォルフラム・ライナー=グライフェルドは汝、レヴァニア・アーダルベルトを妻とし、今日よりいかなる時も共にあることを誓う」
ジッと見つめられ、わたしも微笑み返す。
皇族の結婚式は普通のものと少し異なり、伴侶となる人物が誓いの言葉を述べることはない。
「そして、幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで汝を愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓う」
それにわたしは頷き、腰に下げていた剣を抜いた。
式で抜き身の剣を出したことで出席者達が騒つく。
だが、わたしは構わずその剣を胸の前で両手で捧げた。
「わたし、レヴァニア・アーダルベルトはいついかなる時も皇帝ヴォルフラム・ライナー=グライフェルド陛下のおそばにあり、この身、この命、この人生を陛下に捧げ、その御心に寄り添い、恭順することを誓います」
ヴォルフラム様も腰の剣を引き抜き、わたし達は刃を重ね合わせた。
わたしは騎士だ。皇后となっても守護騎士であることに変わりはない。
だから、指輪で愛を誓うことも、愛を繋ぐこともない。
大切なのはこの剣に誓い、捧げ、生きていくことだけ。
視線が交わり、ヴォルフラム様が口角を引き上げた。
「許す──……その命尽きるまで、そばにいろ」
「御意」
わたし達の結婚の誓いに必要なのは指輪ではなく、覚悟なのだ。
互いに剣をぶつければ、キィン……と音が響く。
静かな大神殿の祈りの間に、広がったそれを人々が聞いている。
そして、同時に剣を腰に戻す。
式中に剣を抜くなど、前代未聞だろう。
しかし、元よりわたし達の関係は最初から普通ではないのだから、このほうが『わたし達らしい』のかもしれない。
「そろそろ、俺の気持ちを伝えても?」
ヴォルフラム様に引き寄せられ、わたしは頷き返す。
それにヴォルフラム様が嬉しそうに笑った。
「レヴァニア、愛している」
「わたしも、ヴォルフラム様を愛しています」
目を閉じれば、柔らかな感触が唇に重なった。
* * * * *
その日、グライフェルド帝国の歴史に新たな一頁が生まれた。
これまで浮いた噂が一切なかった皇帝、ヴォルフラム・ライナー=グライフェルドが結婚した。
それも三月ほど前に突然、婚約を発表し、皇族の結婚としては異例の速さでの挙式であった。
結婚相手の名はレヴァニア・アーダルベルト。アーダルベルト侯爵家の養女である。
一説によれば、皇后レヴァニアは貴族出身であったが、諸事情により家の爵位を返上することとなった。
その後の彼女に何があったのかは不明だが、帝都の孤児院に入り、騎士団に入った。
皇帝ヴォルフラムは『己のわがままで彼女の性別を偽らせていた』と言っていたそうだが、どこでこの二人が出会ったのかは後世まで分からぬままだ。
ただ父親を殺して帝位を奪った『狂帝』に真っ向から苦言を呈することができたのは、皇后だけであったとか。皇帝も皇后の言葉には常に耳を傾けたという。
結婚式のパレードに現れた皇后レヴァニアは騎士のような装いであった。
夫である皇帝と対となるような婚礼衣装だが、明らかに騎士を思わせるもので、ドレスではなくズボン姿というのは人々に大きな衝撃を与えた。
皇后レヴァニアは『男性にしては線が細く、女性にしてはやや背が高い』とよく表現されており、どの文献でも『短髪で中性的な顔立ち、黒髪黒目はどこか神秘的であった』とその容姿について述べられている。
民達は男性とも女性ともつかない容姿の皇后に驚いたものの、平民から皇后に駆け上がった彼女について好意的な声は多かった。
何より、見目の良い皇帝のそばに中性的な容姿の皇后が立つ姿は、御伽話のような美しさと話題性があり、あっという間に帝国内に広まった。
そして、皇帝ヴォルフラムと皇后レヴァニアは生涯、仲の良い夫婦だったらしい。
らしい、というのは公の場では皇后は常に皇帝の守護騎士としてそばにおり、夫婦としての一面を見せることはほとんどなかったからだ。
だが、近しい者達の前ではとても仲睦まじい夫婦であったようだ。
皇后に生涯仕えた近衛騎士レジス・エステハイムが晩年に残した手記にはこのように書かれていた。
『皇帝陛下と皇后陛下ほど互いに想い合う夫婦を私は知らない』
その言葉通り、皇帝ヴォルフラムは皇后以外の妃を迎えることはなかった。
そして、皇后レヴァニアは普段から男性名を好んで使っていたという。
それ故に民達の間では『皇后騎士レーヴ様』という愛称で親しまれたのだった。
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以降は後日談などになります(´∪︎`*)
本編をお楽しみいただき、ありがとうございました!




