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騎士レーヴ・リンド(1)






 春が来て、二十歳になり、剣武祭の時期が訪れる。


 剣武祭は国中の『己の腕に自信がある者達が参加する』武闘大会である。


 ……何故こんなことに。


 出場者達がひしめく控え室の片隅で、わたしはそっと小さく息を吐いた。


 周囲は明らかに体を鍛え、武術にも剣術にも優れているであろう者達ばかりだ。


 その中に一人だけ細身の歳若いわたしがいるものだから、変に浮いてしまっている。


 感じる視線に気付かないふりをして、目を閉じる。


 剣武祭は全部で五日の日程となっている。


 前半の二日間はいわゆる『ふるい落とし』らしく、一日目は一試合、五名で戦う。


 五名の内、最後に残った一人が勝ち進み、翌日、残った者達でまた戦う。


 後半の三日間は一対一の勝ち抜き戦に変わり、試合が行われ、上位三名が決まる。


 この三名は望めば皇帝陛下の近衛騎士として仕えることもできるし、騎士の中でも立場ある地位に属することもできる。そうでなかったとしても剣武祭で上位三名に入ったとなれば、貴族達からも引くて数多になるのだとか。


 ……わたしは一般騎士でそれなりに働ければいいんだが。


 それに、近衛騎士になるには家柄だけでなく身辺調査も行われる。


 わたしが孤児院の出であることと、借金の返済を理由にすれば断れるとは思うが。


 しかし、皇帝陛下に『出場しろ』と言われた手前、適当に負けることはできないだろう。


 この剣武祭は皇家主催であり、皇帝陛下も必ずご覧になられている。


 手を抜いたと知られれば、どうなるか分かったものではない。


 狂帝の怒りを買って殺されることだけは避けなければならない。




「第三班二組の者、こちらに集まれ!」




 騎士の声に目を開け、立ち上がる。


 この半年で複数人との戦闘も訓練し、体も鍛え、剣の手入れもしてある。


 筋肉がつきにくい体質なのか、相変わらずわたしの体は細いけれど、余分な筋肉はない。


 他の者達に比べて力では劣るかもしれないが、その代わりに速度を重視して上げ続けた。


 ……力で勝てないなら、他を伸ばすしかなかった。


 そんなわたしがこの剣武祭に出て、どこまで勝ち上がれるのだろうか。


 手元の紙を再度確認しつつ、招集をかけた騎士のもとに向かう。


 わたしに割り当てられたのは【三班二組の五】で、他にも同じ三班二組を割り当てられた残りの四名が集まった。騎士はいないようだが、傭兵や武闘家、貴族なのか装いの華やかな若い男性、剣士がいた。


 その四人の誰よりも細身で背が低いのがわたしだった。


 他四名はわたしを見ると小さく笑った。


 騎士にしては細くて小柄だと思われているのだろう。


 事実、わたしは女にしては長身ではあるが、男からすればやや背が低い。


 侮られても仕方がない容姿をしている。




「全員集まったな? では、こちらに」




 案内役の騎士に全員でついて行く。


 そうして会場となる闘技場の通路を進んでいると、前方から恐らく勝者だろう人物が一人歩いてきて、その後、遅れて担架で怪我人達が運ばれていく。


 明るい光が差し込む出口に向かい、会場の舞台に出る。


 歓声が広がり、前を行く四人が手を振ったり力こぶを作ってみせたり、観客に反応する。


 舞台の中央に着き、わたしは膝をついて皇帝陛下に最高礼を行った。


 今、ここにいるのはレーヴ・リンドという、皇帝陛下に剣を捧げた騎士である。


 立ち上がり、膝の土を払っていると後ろから声がした。




「けっ、点数稼ぎか? 大して実力もないくせに、よく出場しようと思ったもんだぜ」




 振り向くと武闘家のいかつい男が不愉快そうな顔をしていた。


 他の三名は何も言わなかったが、武闘家と同意見のようだ。




「出場はわたしの意思ではありません」


「はっ、もう負けた時の言い訳かよ。騎士様ってのは随分と軽い矜持をお持ちのようで」


「どうとでも受け取ってください」




 貴族達からも、これまで鬱陶うっとうしくなるほど嫌味を言われてきた。


 歪曲した遠回しな嫌味でチクチク刺されるより、こうして真っ正面から言われるほうがまだいい。


 そもそも、わたしには矜持などというものは元よりない。


 ……ただ、父の借金を返す。それだけだ。


 わたしにあるのは兄が残してくれたこの命だけで、どこにも居場所などなかった。


 たとえ父が作った借金とはいえ、わたしには無関係だと断じることはできなくて──……もしわたしが夜逃げをすれば、叔父のもとに借金の取り立てが行くだろう。


 叔父も父に振り回された一人であったのに、父と兄が死んだ後の手続きを全てしてくれた。


 呆然として、何もできずにいたわたしを助けてくれた。


 だからもう叔父に迷惑をかけたくない。


 反応の薄いわたしに武闘家は苛立ったようだ。


 だが、武闘家が口を開く前に騎士に「散開!」と声をかけられ、それぞれが円形の舞台の隅に移動し、距離を置く。


 ……今日、人を斬ることになる。初めて、人を斬る。


 少し呼吸が震え、深く息を吐き、吸う。


 ……迷うな。わたしはこの国の、皇帝陛下に仕える騎士。


 皇帝陛下が出場しろと言った以上、あまり成績が悪いと騎士を辞めさせられるかもしれない。


 せめて四日目までは勝ち進めないと皇帝陛下の顔に泥を塗ることになる。


 一瞬、脳裏に父と兄の最期の姿がちらついたが、剣の柄に手を置き、ゆっくりと剣を抜く。


 騎士は皇帝陛下の剣。この帝国の武器であり、盾である。


 それが必要ならば、敵を討つことに躊躇いを持ってはいけない。


 再度、呼吸を繰り返す。


 ……感情を捨てろ。心を捨てろ。


 ……わたしは剣だ。


 剣を構え、前を見据える。


 もう、息は震えていなかった。


 審判となる騎士の「試合、始め!!」という怒号のような合図が響く。


 瞬間、四名全員がわたしに向かって駆け出した。


 まずは一番弱そうなわたしを排除することで意見が一致したのだろう。


 わたしは手始めに、左から来る傭兵に向かって駆け出し、剣を交えた。


 キィンッと甲高い音が響き、そのまま勢いを殺さず舞台外側を回って傭兵と位置を交代する。


 傭兵が他の者達に背を向ける格好になり、慌てて押し返そうとしたので横に身を引いて避ければ、傭兵は勢いを殺し切れずに前へ転びそうになる。その背中を肘で押してやった。


 傭兵は体勢を立て直そうとしたけれど、それよりも先に場外に転がり落ちた。


 ……一人目。


 次に左から二人目に向かう。


 いきなり一人が場外に落とされたことで、貴族らしき男性は動揺した様子だった。


 それでもわたしが剣を向ければ、即座に対応してくるところはさすがである。


 しかし、剣同士がぶつかり合う直前、わたしは剣を下ろしてするりと避けた。




「なっ……!?」




 驚く男の手元に剣を突き入れ、華やかな装飾の施された剣の柄にある輪に剣を通し、弾き飛ばす。


 男の手から剣が抜けてあっさりと剣は場外に放り出された。


 武器が消えた男が焦った様子で腰の後ろからナイフを取り出そうとしたが、その腹に剣の柄先を叩き込むと膝をつく。そのまま、その後頭部に剣の平をふり下ろす。


 後頭部に衝撃を受けた男はその場にばったりと倒れた。


 残りの二名がジリ……と後退る。




「……さあ、次はどちらがお相手ですか?」






* * * * *






 ……ふむ、この半年で予想以上に成長したようだ。


 眼下の舞台を眺めながら、皇帝ヴォルフラム・ライナー=グライフェルドは口角を引き上げた。


 半年前に『レーヴ・リンド』という騎士を見た時、第一印象は『騎士にしては線が細い』だった。


 あまり王都では見かけない、夜を切り取ったかのような黒髪に黒い瞳の歳若いその騎士は表情がなく、静寂を身に纏ったかのような雰囲気を持っていた。


 騎士は体を鍛えるため、基本的に筋肉質で大柄な者が多い。


 男にしてはやや背が低く、細身で、それでいて瞳に光がない。


 この者の名前までは知らずとも、騎士達の間では有名な人物であった。


 騎士達は王城の警備を持ち回りで行っているが、その担当日以外はいつも・・・訓練場で一人でずっと訓練を行っている風変わりな騎士。しかし、訓練をしているわりにこの通り細身だ。


 そのせいで一部からは『諦めて騎士を辞すれば良いのに』と言われている。


 だが、教官騎士達からの評価は良く、彼らは『実直でどのように小さな仕事でも手を抜かず、毎日鍛錬を積み重ね、剣の手入れを怠らない』と口を揃えて言うが、同時に『ただし己というものが希薄』という評価も下していた。


 他の騎士達はレーヴ・リンドを『お情け騎士』と裏で呼んでおり、剣の腕ではなく、その真面目な仕事ぶりで何とか騎士に置いてもらっているが、毎日訓練しても並み程度の能力とあざけっていた。


 確かに、毎日鍛えているというのにレーヴ・リンドは痩身だ。


 けれども、剣を構える姿は整っており、感情の揺らぎも感じられない。


 まるで風一つない日の湖面のように静かで、冷たく──……そして、人形かと思うほど正確に騎士団で教えられる型に沿った剣筋であった。


 しかし、レーヴ・リンドはヴォルフラムと剣を三度以上、交えることができた。


 力ではヴォルフラムに遠く及ばないが、速度で言えば、同等に近い。


 しかも目が良いらしく、ヴォルフラムの動きを捉えていた。


 足りないのは力だが、体質的に筋肉がつきにくいのだろう。


 そうだとすれば、速度と反射を上げればいい。


 この騎士を育てたら、もしかしたらヴォルフラムよりも速くなるかもしれない。


 そう思うと、この騎士は決して『並み程度の実力』などではない。


 だからヴォルフラムは剣武祭に出場しろと命じ、それまでの半年間に教官騎士達に『レーヴ・リンドを鍛えろ』と命じた。複数の対人戦、反射速度を上げる訓練、剣の扱い、体の動かし方、速度を上げるための筋力のつけ方──……レーヴ・リンドは嫌がることもなく、真面目に教官達の教えを受けたそうだ。


 教官達からは『半年前より成長した』と言っていたが、実際にこうして目にすると分かる。


 ……才能もあるが、日々の訓練の積み重ねが生きている。


 教官を含めた様々な騎士達と剣を交えたからか、半年前より動きが滑らかだ。


 騎士の基本の型に忠実で、それでいて直線的ではなく、瞬発力と予測力が上がっていた。


 力で押し負けると分かっているからか、剣を交えるよりも、回避と不意打ちに特化している。


 この半年間で自分なりの闘い方を身に付けたようだ。


 以前の直線的で型通りで、線をなぞっているだけの硬さが消えた。


 小柄で細くて騎士らしくない。そんな侮りこそがレーヴ・リンドの強みになった。




「お兄様、とても楽しそうですわね」




 横の席にいた妹が微笑みを浮かべたまま、言う。


 ヴォルフラムはそれに「ああ」と笑った。


 それから背後にいる侍従を指で呼び、告げる。




「『レーヴ・リンド』という騎士について調査しろ」


「かしこまりました」




 侍従が静かに下がる。




「まあ、あの騎士をそばに置かれるのですか?」


「問題がなければそのつもりだ。……あれは鍛えれば化ける」




 事実、この半年で以前よりも明らかに強くなった。


 ヴォルフラムのそばに置き、鍛えれば、もっと高みを目指せるだろう。


 近衛騎士に就くには少々若いが、剣武祭で上位三名に入るなら何も問題ない。


 妹がクスクスと笑った。




「お兄様がそうおっしゃるのであれば、そうなのでしょう。レーヴ・リンド……わたくしもその名を覚えておいたほうが良さそうですわね」




 眼下でレーヴ・リンドが最後の一人を剣で叩き伏せた。


 剣武祭では怪我人が出るのは当たり前で、死人が出ることも珍しくない。


 だが、レーヴ・リンドは誰一人として重傷者を出していないようだった。


 ……甘さ、とは違うようだが。


 全力を出すまでもない、ということなのだろうか。


 人々の歓声を受けてもニコリともせず、剣を鞘に戻し、レーヴ・リンドはこちらに最高礼を執る。


 相変わらず物静かで、近寄りがたい雰囲気すら感じられる。




「さて、あれがどこまで勝ち進められるのか楽しみだ」




 そう言いながらもヴォルフラムは既にレーヴ・リンドを近衛騎士に昇格させる気でいた。


 自分に追いつくかもしれない──……いや、越えるかもしれない存在がいる。


 それはとても、心躍る。


 皇帝として即位してから、ずっと続いていた虚無感や退屈さは今はない。


 目新しいものを見つけた楽しさと期待とで久しぶりに心が弾む。




「レーヴ・リンド……」




 ヴォルフラムの中には確信があった。


 舞台から退出していく細身の背中を眺めながら、ヴォルフラムは笑みを深めた。


 ……あれはきっと、背中を預けられる存在になる。


 今のレーヴ・リンドと剣を交えてみたい。


 もっと──……もっとあの騎士は強くなれる。成長の兆しが見える。


 だからこそ、ヴォルフラムはこの剣武祭に出場させた。


 教官達に教えさせるために、多くの強者と戦う経験を積ませるため、強さを自覚させるために。


 それらが上手く芽吹き、これから成長していく気配を感じる。


 レーヴ・リンドという優秀な騎士を見つけ、育てられることが楽しみだった。






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― 新着の感想 ―
ミスリルちゃんも、確か叔父様が助けてくれた感じだったのを思い出す。 主人公を助けてくれる叔父様キャラありがたいですよね。圧倒的感謝です。 レーヴ・リンドって早瀬先生の他の作品で居たような居なかったよ…
 剣術が秀でていることと、戦いに勝つことは、必ずしも一致しない、ということを私はなろう小説を読んで学びました。  女性剣士が主役の物語は読んだことがないとおもいますが、女性剣士はよく出てきます。でも、…
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