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その後






 それからのヴォルフラム様の動きは早かった。


 翌日にはわたしを皇族派の信頼できる家の養女とし、貴族籍に入れさせた。




「いや、まさか守護騎士殿が女性だったとは……」




 と、頭を掻いて苦笑した養子先の当主、オイゲン・アーダルベルト侯爵に少し申し訳なく思う。


 アーダルベルト侯爵はヴォルフラム様の剣の師であり、忠誠心厚い人物で、今回も反乱軍が帝都内で騒ぎを起こした際に鎮圧を任されたほどだった。


 もうすぐ六十になろうかという年齢であるが、いまだその体つきはがっしりとして背筋もピンと伸び、実年齢ほど老いを感じさせない。




「俺のわがままでちょっとな。女性騎士をそばに置くと、要らぬ噂が立つだろう?」


「はっはっは。まあ、この様子を見るに、遅いか早いかというお話でしたようですが」


「そう言うな。これでも、やっと振り向いてもらえた身なんだ」




 アーダルベルト侯爵とヴォルフラム様が楽しそうに話す。


 わたしはヴォルフラム様の横に腰掛け、それを黙って聞いていた。


 この養子縁組により、わたしの名前は『レヴァニア・アーダルベルト』となった。


 それと同時に、ヴォルフラム様が話を進める。




「そういうわけで、こちらも書いてもらおうか」




 テーブルの上にヴォルフラム様が差し出したのは婚約届と婚姻届だった。


 普通は婚約してから最低でも半年は期間を置いて、それから結婚というのが多い。


 だが、婚約届と共に婚姻届も出す気でいる。


 それを見たアーダルベルト侯爵が、わははっ、と笑った。




「それほど逃したくないということですか、陛下」


「逃すとは違うな。魅力的な人物だと知っているからこそ、他の虫がつかないようにしたい」


「陛下の惚気を聞ける日が来ようとは! 長生きはするものですなあ」




 婚約届と婚姻届にアーダルベルト侯爵が署名をする。


 そこにヴォルフラム様が署名し、わたしのほうに書類が滑る。


 横から差し出されたペンを受け取り、記入していく。養子縁組の届けと同じ作業だ。


 両方に署名をして、ペンをヴォルフラム様に返す。




「今日中に受理手続きを済ませよう」




 と、ヴォルフラム様が言い、アーダルベルト侯爵が返す。




「陛下が許可印を捺されるのでしょう?」


「ああ、本当なら今すぐにでもそうしたいところだが」


「他にも陛下の許可印を心待ちにしている若者達もおりますからなあ」


「順番を無視して彼らに恨まれたくはないな」




 和やかな空気が流れる政務室に、思わずわたしも微笑んだ。


 反乱軍の件に関わる問題や処理はまだまだあるが、それでも、こうしてヴォルフラム様が嬉しそうにしている姿を見ると、わたしも嬉しい。


 以前は喜びや幸せといった感情を、わたしは持ってはいけないと思っていた。


 だが、今は少しずつそれを受け入れていきたいと考えている。


 ヴォルフラム様はわたしが幸せになることを許すと言ってくれた。


 そしてカイも、幸せになれ、と言ってくれた。


 心から想える相手がいるからこそ、今なら分かる。


 ……お兄様の『愛してる』はきっと『幸せになれ』と同じ意味だった。


 そして多分、謝罪の意味も含まれていたのだろう。


 わたしの視線に気付いたヴォルフラム様が柔らかく微笑む。


 それだけで喜びで胸がいっぱいになるのだから、わたしは単純な人間である。




「レヴァニア」




 そっと、手が重ねられる。




「共に生きよう」




 その言葉が心に、体に、染み込んでいく。




「はい、ヴォルフラム様」




 アーダルベルト侯爵が「ところで……」と呟く。




「守護騎士殿のことは、どのようにお呼びすればよろしいのですかな?」




 ヴォルフラム様がそれにわたしへ顔を向けた。


 二人に見つめられ、わたしは少し考えた。




「『レーヴ』とお呼びください。そのほうが慣れておりますので」


「かしこまりました、レーヴ殿」


「俺もそう呼んだほうがいいか?」




 ヴォルフラム様の問いに頷き返す。




「いきなり名前が変わると混乱する者もいるでしょう。職務中はそうしていただけますと幸いです」


「分かった」




 そして、グイとヴォルフラム様がわたしの腰に手を回して引き寄せた。




「だが、今は職務中ではないから構わないだろう? レヴァニア」




 その悪戯をする子供のような楽しそうなヴォルフラム様の笑みに、わたしも微笑んだ。


 アーダルベルト侯爵だけが、呆れたような顔で笑っていた。






* * * * *






「──……そういうわけで、レジス。あなたを皇后付きの近衛騎士に迎えたいと思っています」


「いや、何が『そういうわけ』なんだよっ? 話がまったく見えないんだけど!?」




 ヴォルフラム様の許可印付きの昇格通知書を差し出すと、レジスが身を引いた。


 ここはヴォルフラム様の政務室で、机で書類を読んでいたヴォルフラム様が小さく噴き出した。


 クツクツと押し殺した笑い声がするけれど、レジスはそれどころではないらしい。




「そもそも、オレ何でここに呼ばれたんだ……?」


「ですから、皇后付きの近衛騎士に昇格するというお話をするためです」


「いや、でも、皇帝陛下はご結婚されてない──……」




 そこまで言いかけたレジスがハッとした顔でわたしを見て、ヴォルフラム様を見て、またわたしを見た。


 ……やはり気付いていたか。


 レジスの前でもできる限り着替えはせず、薄着にならないようにしていたが、同室である以上はどこかで女だと気付かれている可能性はあると思っていた。


 恐らくレジスは気付いた上で、あえて何も聞かずに知らないふりをしてくれていたのだろう。




「わたしの本当の名前は『レヴァニア・アルセリオ』といいます。現在は爵位を返上してしまいましたが、元子爵家出身で、その後は孤児院に入り、騎士となりました。先日アーダルベルト侯爵と養子縁組をさせていただいたので今は『レヴァニア・アーダルベルト』です」


「……そうなんだ。えっと……」


「今まで通り『レーヴ』と呼んでください」


「分かった。レーヴが侯爵家に養子に入ったのは、その、皇帝陛下と結婚するため……だよな?」


「はい、そうです」




 はぁ〜……レジスが大きく息を吐いて天を仰ぐ。




「あのさ、オレ、母親はノルディエン侯爵家の分家筋だけどいいのか? 今回の件でそっちも取り潰しになったし……」


「あなたが孤児院出身のわたしを差別しなかったように、わたしも血筋や出で差別するつもりはありません。……それに今回、反乱軍に間諜として入り込んでいたと聞きました」




 あとになってヴォルフラム様から教えてもらったのだが、レジスはわたしに話をした後にヴォルフラム様とも話し、間諜として反乱軍に入って動いてくれていたという。


 ……そんな危険なことをしていたなんて知らなかったが。




「ヴォルフラム様と婚姻すれば、わたしは皇后になるでしょう。その後も守護騎士でいるつもりではありますが、近衛騎士は選ばなくてはいけません。それなら、信頼できる人物に任せたいのです」




 少なくとも、わたしの中ではレジス以上に信頼できる友人はいない。


 だからこそレジスに近衛騎士となってほしいし、彼自身、一般騎士の中ではかなり腕が立つ。


 元より、近衛騎士に昇格しても不思議はなかった。




「わたしが信頼できる友人はあなたしかいません」




 正直にそう伝えれば、レジスがこちらに顔を戻す。




「……レーヴってたまにずるいよな」


「どういうことでしょうか?」


「いや、何でもない」




 レジスが小さく肩をすくめ、すぐに背筋を伸ばして手を差し出してくる。




「皇帝陛下と未来の皇后陛下のお望みとあれば、謹んで拝命いたします」




 その手に書類を渡せば、しっかりとレジスは受け取った。


 それにヴォルフラム様が言う。




「しっかりレーヴを守って、ついでに見張ってやってくれ。好き勝手にさせておくとこちらの想像もつかないことをするからな。そこが長所でもあるが、今後は短所にもなる」


「御意」




 何故かヴォルフラム様の言葉に訳知り顔でレジスが頷いた。




「……わたしはそれほどおかしなことはしていないと思いますが……」


「性別を偽って皇帝の守護騎士になった上、元宰相の娘を躊躇いなく剣で脅し返すことはおかしくないと? 俺が同じ立場だったとしても、そこまでの度胸はないな」


「え、レーヴ、そんな危険なことしてたのか!?」




 レジスが驚きと呆れの交じった顔でこちらを見る。


 ……そうやって言われると反論できないが……。




「あの頃のわたしには失って困るものがなかったからできただけです。……さすがにもうしません」




 そう返せば、呆れ顔の二人に「当然だ」「当たり前だろ」と返された。


 この二人、実は結構馬が合うのではないだろうか。


 二対一ではわたしのほうが弱いし、無理をしていた自覚もあるので黙って視線を逸らす。




「明日、レーヴとの婚約を公表する。婚姻については二週間後に広める予定だが、急いでも式までに三月はかかる。……レジス・エステハイムは明日より、レーヴの護衛としてつくように。今日中に近衛騎士の宿舎に移動できるよう、手配は済ませてある」


「はっ、かしこまりました!」




 レジスが立ち上がり、ヴォルフラム様に礼を執る。


 わたしも立ち上がり、レジスに手を差し出した。




「改めてよろしくお願いします、レジス」


「ああ、よろしくな、レーヴ」




 レジスの手が重なり、わたし達はしっかりと握手を交わす。


 それが少し懐かしくて笑うと、レジスも同様に笑った。




「最初の挨拶の時を思い出すよな」


「そうですね」




 ただ、あの頃とは違い、レジスへの信頼がわたしの中にはあった。






* * * * *






 今日、ヴォルフラム様との婚約が発表された。


 だが相変わらずヴォルフラム様もわたしも仕事をしていて、一応、わたし付きの──まだ婚姻していないので表向きはヴォルフラム様のだが──近衛騎士となったレジスが呆れた顔をする。


 午前中のうちに帝都を含めた全ての主要都市で婚約について公告がなされ、それらは数日のうちに帝国全土に広がることだろう。


 情報を早く掴んだ耳聡い者達があれこれと理由をつけてヴォルフラム様に会おうとするけれど、ヴォルフラム様もそれらに構うつもりはないらしく面会を断っている。


 元より政務の関係で来る予定であった者達もおり、仕事のついでとばかりに声をかけてくる。




「陛下、この度はご婚約おめでとうございます。守護騎士殿がお相手と聞いた時は驚きました」


「ああ、レーヴには俺のわがままに付き合わせてしまってな」


「いえいえ、陛下のお立場を思えば致し方のないことでございましょう」




 ……今日、何度目のやり取りだろうか。


 政務室に来る者全員から祝いの言葉をかけられ、ヴォルフラム様は一言一句違えず、同じ話を繰り返している。こう見えて意外と気の長いところがあるのだろう。


 たまに、ジッとわたしを値踏みするように見てくる者もいるが、無視して控える。


 そういう者はヴォルフラム様が不快そうに目を細めれば、慌ててこちらを見るのをやめ、そそくさと政務室を出ていく。


 今回もそうらしく、視線を感じた。




「なるほど。陛下の好みが守護騎士殿のような人物であれば、他の令嬢など興味は湧きませんな」


「言っておくが、俺が好きなのは『レーヴ』であって『男装した女』でも『気の強い女』でもない」


「ええ、ええ、存じております」




 と、笑みを浮かべ「それでは失礼いたします」と下がっていく。


 それを見送り、ヴォルフラム様が呟く。




「来年は騎士団に入る令嬢が増えるかもな」


「騎士達の結婚が増えそうですね」




 思わずといった様子で返したレジスにヴォルフラム様が小さく笑った。


「ある意味では国のためになるか」と言い、ヴォルフラム様が手元の書類に視線を向ける。


 書類を読みながら声をかけられた。




「レーヴ。ところで結婚式だが、衣装は何が着たい?」


「騎士服がいいです」


「お前な……」




 すぐに顔を上げたヴォルフラム様は少し呆れていた。




「わたしは皇后となってもヴォルフラム様の唯一の守護騎士でいたいので。結婚式だからこそ、夫婦としても、騎士としても、あなたを支えていくと宣誓したいのです」


「……その言い方はずるくないか?」




 どこか子供っぽい表現にわたしが目を瞬かせてしまった。




「そんなふうに言われて、俺が否と言えるとでも?」


「わたしにドレスは似合いませんよ」


「そうか? まあ、レーヴの美しい姿を見た者に懸想されても困るからな」


「そのような心配をするのはヴォルフラム様くらいだと思います」




 こうして騎士の制服を着て、剣を振り回し、髪も短く切っている女が好かれるはずがない。


 ヴォルフラム様が指で呼ぶので腰を屈めて頭を近づければ、わしゃわしゃと撫でられる。




「お前はもう少し、自分の魅力を自覚したほうがいい」




 手が離され、乱れた髪をわたしは手櫛で整えた。




「ヴォルフラム様が分かっていてくだされば十分です」


「まったく、お前という奴は……」




 伸びてきた手がわたしの襟を掴み、引き寄せられる。


 そうして、唇が重なった。




「──……あまり可愛いことを言うな」




 ……どこが可愛かったのだろうか。


 首を傾げつつ顔を上げると『何も見ていません』と目を閉じているレジスが視界に映る。


 もう一人の近衛騎士は顔を背けて、視線を逸らしていた。




「本心なのですが──……」




 言った瞬間、もう一度口付けられた。






 

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― 新着の感想 ―
『横から差し出されたペンを受け取り、記入していく。養子縁組の届けと同じ作業だ。』 多分この物語の表現で上記のような表現が、私には、淡々と語っている、という風に思えるのだと、今節で気が付きました。 甘さ…
やっと自分の想いを告げることが出来たレヴァニア。彼女を思い遣り待っていたヴォルフラム。其々に辛い過去を持つ二人が心の底から望んだ人と結ばれるまでのトキメキと切なさに感極まりました、ううっ。また、有能な…
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