反乱軍(2)
「貴様ァアアッ!!」
戦っていた近衛騎士を押し退け、人々の間を抜けてカイが駆け抜けてくる。
……長身のわりに素早い。
飛び上がるように段を越えて剣を振り下ろしてきた。
それをわたしは剣で受け止めた。
「皇帝! 何故、剣を抜かない!?」
ヴォルフラム様の腰には剣が下げられているが、それに触れる素振りすらない。
「必要がないからだ」
「っ……!」
「俺の守護騎士も近衛騎士達も、優秀なのでな」
ヴォルフラム様は腰に手を当て、佇んでいる。
ギリ……とカイが歯を食いしばるのが分かった。
その視線がヴォルフラム様からなかなか離れないので、声をかける。
「貴殿の相手はわたしですよ」
そう声をかけ、剣を押し返して弾く。
カイは半歩身を引いたものの、よろけることはなく、こちらに視線を向ける。
そして、驚いた様子でジッと見つめられた。
構わず、わたしは踏み込み、剣を交わらせる。
一撃、二撃、三撃──……カイの動きから戸惑いが感じられる。
大きく弾き、空いた胴に体当たりをすればさすがに痛かったのかカイはよろけた。
「……黒髪に、黒目……」
そう呟くカイにわたしは剣を構え直す。
「元婚約者の顔をお忘れですか? まあ、あの頃からかなり変わったので、分からずとも仕方ありませんが」
剣を構えているものの、カイの金色の瞳が見開かれる。
ジッと、更に見つめられてわたしも見返す。
「……そんな……本当に……レヴァニア、なのか……?」
「ええ、爵位を失ったので現在は平民の『レーヴ』と名乗っておりますが」
「どうして……」
呻くように問われ、わたしは剣を振った。
僅かに遅れたものの、カイがそれに反応する。
間近で剣を交えたけれど、カイの表情は困惑と苦しさが混ざりあったようなものに見えた。
「何で……っ、どうして君が皇帝の守護騎士なんかになっているんだ……っ!?」
「ヴォルフラム様がわたしの能力を高く評価してくださり、一般騎士から引き抜いていただきました」
「そうじゃない! 君は、君は皇帝に無理やり連れ去られたんじゃなかったのか!?」
叫ぶカイに、わたしは思わず眉根を寄せた。
「一体、何の話をしているのですか?」
キィン、と剣が弾かれる。
弾いたのは向こうのはずなのに、カイが半歩下がった。
「アルセリオ子爵が賭け事に狂ったのは、黒髪黒目の珍しい君を皇帝が欲しがり、人を使って陥れたからだろう!? 子爵家が潰れた後、皇帝が君を城に連れ去り、閉じ込めていると……!! だから私は君を助け出すために反乱軍に入り、ここまで来た!!」
その言葉にわたしは驚き、同時に呆れてしまった。
わたしが剣先を下げるとカイも同様に下ろした。
「誰からそのような根も葉もない噂を聞いたのか……父は母を亡くしたことに耐えられずに賭博に逃げ、領民に重税を課し、更にわたしを売り飛ばそうとしたんですよ」
「だから、それは皇帝が裏から手を引いて──……!」
「本当にヴォルフラム様がそう望んだなら、父に金を渡してわたしを買うほうが簡単でしょう。あの時の父なら喜んでわたしを差し出したはずです。……わたしが婚約を無視して売られそうになり、兄が父を殺し、わたしは平民となった」
「それなら、何で私に助けを求めてくれなかった!?」
悲痛な声で問われ、わたしは苦笑した。
「婚約が解消された上に『親殺し』の妹が受け入れられるとでも? ……領民からも嫌われ、何とか帝都に出て、わたしは全てを捨てて孤児院に入りました」
もう一度踏み込み、突きを入れる。
それをカイがギリギリで避けた。
「騎士の給金でも何年もかけて払わねばならないほどの父の借金を、ヴォルフラム様が肩代わりしてわたしを守護騎士に据えてくださった。恩あるお方に忠義を持って仕えるのは当然のことです」
「っ、だがっ、君は……!!」
「わたしは望んでここにいます。他の誰かの意思ではなく、ヴォルフラム様に全てを捧げ、おそばにいると誓いました」
カイの表情が歪み、一瞬、その手の力が緩む。
剣を絡ませ、剣先を柄に沿わせれば、カイがハッと剣から手を離した。
それを見計らってカイの手から剣を弾く。
……カイは昔から、目が良かった。
あのまま剣を握っていたら手が斬られたと分かっているのだろう。
カラン……と離れた位置にカイの剣が落ちる。
そして、カイの首元に剣先を突きつける。
「降伏してください」
「レヴァニア、私は……!!」
「騙されていたとしても、あなたはヴォルフラム様……いえ、皇帝陛下に剣を向けました。その時点でわたしとあなたの道は分たれた。元婚約者であっても、今のあなたはただの反逆者です」
「っ……」
カイが両手を握り、微かに俯く。
肩を落として「……私の負けだ……」とカイが呟いた。
剣を向けつつ、警戒しているとヴォルフラム様が声をかけてきた。
「貴殿にそのような嘘の情報を囁いたのは誰だ?」
その問いにカイが口を開きかけた瞬間、グサリとその脇腹から剣先が生えた。
はく、とカイの口が戦慄き、しかし剣が引き抜かれて長身が段差に倒れ込む。
即座にカイを傷つけた男の腰に剣を刺し、手から剣を弾くと段差の下へ蹴り落とす。
「カイ!」
慌てて抱き起こしたが、脇腹の出血は酷かった。
ハンカチを当てて押さえた程度では止血できそうにない。
ヴォルフラム様も思わずといった様子でこちらに踏み出しかけたが、その横で銀色の光が煌めいた。
「っ、陛下!!」
ギィンッと甲高い音を立てて銀色が弾かれる。
そうしてヴォルフラム様が短剣を持っていた手を斬りつけた。
呻き声を上げた者──……ノルディエン侯爵が斬られたほうの腕を押さえ、後退る。
「くっ……!」
「やはり貴様か。このような下衆な策、まさしくらしいな」
ヴォルフラム様が言い、ノルディエン侯爵の足を斬る。
足に怪我をした侯爵が床に倒れ込んだ。
……良かった、さすがヴォルフラム様……。
腕の中で咳き込む音がしてハッと我に返る。
「カイ、聞こえますかっ?」
目を閉じていたカイが瞼を上げる。
「……ああ、レ……ヴ、ニア……」
伸びてきた手がわたしの頬に触れた。
また、ゴホリと咳き込み、カイの服に血が広がっていく。
「……悪か、た……」
「っ、喋ってはいけません。すぐに治療をすれば──……」
「……いい、私、は……反逆、者だ……」
傷を押さえ手が血で染まっていく。
戦場での経験がなくても分かる。これは助からない傷だ。
そのことをカイも気付いているのだろう。
制服が血に染まるが、それでも手が離せなかった。
「私、に……嘘を教え、た、のは……ノルディエン、侯爵……だ」
脇腹を押さえるわたしの手に、カイの手が重ねられる。
「反乱、軍の……支援、も……他の、貴族……たちを……勧誘、したのも……侯爵、だ……」
「そうか」
気付けば、すぐそばにヴォルフラム様が立っていた。
そして、ヴォルフラム様が膝をつき、カイと視線を合わせた。
数秒、二人は見つめ合い、そしてカイが小さく笑う。
「……そ、いう……こと、か……」
カイの視線がわたしに向けられる。
「レヴ……ニア……」
「カイ……」
金色の瞳はこちらを見たものの、もう焦点が合わないのかぼんやりとしている。
それなのに、カイは笑った。昔のような、明るい笑みだった。
「幸せに、なれ……」
ギュッと手を握られる。
「……やく、そ……だ……」
いつか、まだわたしが『レヴァニア・アルセリオ子爵令嬢』だった頃。
カイは「一緒に幸せになろう」と約束してくれた。
けれども、その約束は叶わなかった。
……わたしが、忘れてしまったから……。
カイの体から力が抜け、目から光が消えていく。
「……はい」
もう聞こえていないかもしれないが。
もう届かないかもしれないが。
「ごめんなさい、カイ……」
それでも、わたしはこの道を歩むと決めたから。
涙を堪え、床にカイの体を丁寧に下ろし、立ち上がる。
「ヴォルフラム様、どうかお命じください」
「レーヴ・リンドに命じる。残りの反乱軍を掃討せよ」
剣の柄を強く握る。
「……御意」
そして、わたしは乱戦の中に飛び込んだ。
何もかもを忘れてしまいたいと思ったのは、人生で二度目だった。
* * * * *
城内に押し入った反乱軍を掃討し、ヴォルフラム様は各地にいる兵に命令を出した。
「反乱軍を排除せよ」
たったその一言だったが、これまであえて押され気味に装っていたからか、鬱憤を晴らすように帝国軍は各地の反乱軍を鎮圧していった。
反乱軍が侵入したにも関わらず、城内・帝都内の被害は軽微で済んだ。
死者のほとんどが反乱軍で、遺体は保管され、遺族に返還されるらしい。
今回の反乱の首謀者はノルディエン侯爵ということも広められ、侯爵邸には反乱軍により被害を受けた街の人々や反乱軍に入っていた人達の家族などが押し寄せているそうだ。
当のノルディエン侯爵は城にて捕縛されているため、きっと邸内は大混乱だろう。
ノルディエン侯爵自身も怪我の手当てをされ、現在は地下牢にいる。
本来なら、貴族は専用の牢部屋に入れられるのだが、ヴォルフラム様は「大罪人を優遇する必要はない」と地下牢に放り込むように指示した。
地下牢は人も寄りつかず、外の人間との接触を図ることは難しい。
どれほど人身掌握に長けた人物であっても、そもそも人と接する機会がなければ動きようがない。
反乱軍についてだが、多くの捕縛者が出た。
裁判にかけられていくこととなるが、反乱軍での働きや立場によって、罪も変わるだろう。
……本来であれば一族郎党、処刑なのだけれど……。
ヴォルフラム様はそうはしなかった。
騙されて反乱軍に参加した者については情状酌量し、減刑する予定である。
そうして遺体の受け取りを拒否されたり、遺族がいなかったりといった遺体は早々に埋葬された。
……カイもその一人だった。
ヴァルムント伯爵家はカイの遺体の受け取りを拒否した。
既にカイはヴァルムント伯爵家の籍から抜かれており、平民となっていた。
家から反逆者を出したとなれば伯爵家の将来に関わってくるため『家を出たカイが勝手に反乱軍に入って起こした』ということにしたいのだろう。
反乱軍は驚くほど迅速に鎮圧され、すぐにいつもと変わらぬ日々が戻ってきた。
城内も謁見の間の絨毯を替えたくらいで大きな損害は出なかった。
ヴォルフラム様はその後の対応に追われて忙しそうではあったが。
ジャリ……と小石が擦れる音に我に返る。
あまり手入れがされていない墓地は雑草が生え、人が歩く場所だけ獣道のように地面が覗いているが、小石が多く、歩きにくい。周囲を囲む柵も壊れかけていたし、墓地の守り人も小屋で酒によって居眠りをしている始末である。
……それも仕方ないのだろうか。
ここは帝都の外れにある、罪人用の墓地だ。
引き取り手のなかった罪人達が埋められるが、弔いに来る者は少ないようだ。
荒れた道を歩いていけば、真新しい大きな墓石が見えてくる。
ここにカイが──……反乱軍の引き取り手のなかった遺体達が埋葬された。
墓石には死者の名前すら書かれておらず、ただ、そこにあるだけだ。
持ってきた花を墓石の前に置く。
目を閉じて、静かに祈りを捧げた。
……どうか、カイの魂に安寧がありますように……。
わたしも、カイも、結局周りに翻弄されるばかりの人生なのだろう。
目を開けて墓石を見つめる。
「……幸せになれ、か」
あの瞬間、カイに兄の姿が重なって見えた。
兄はわたしに『愛している』と言った。
カイはわたしに『幸せになれ』と言った。
どうしてか、全く違う言葉のはずなのに、同じもののように感じられた。
……お兄様は、わたしの幸せを願ってくれていたのだろうか……。
愛しているという言葉は、そういう意味だったのか。
問いかけたい相手はもうこの世にはいない。
「……わたしは、幸せになってもいいのですか……」
わたしのせいで死んでいった父と兄、カイを思うと、心が冷えていく。
背後で小さく砂利を踏む音がした。
「レーヴ」
聞こえてきた声に驚いて振り返れば、白いローブにフードを目深に被った人物がいた。
顔が見えなくても、背格好と声だけで誰か判断がついた。
「ヴォルフラム様、どうしてこちらに……?」
歩み寄ってきたヴォルフラム様が困ったような顔で微笑んだ。
「ここに眠る者達はノルディエン侯爵のせいで死んだ。……あの男と俺の因縁に巻き込まれたも同然だ。まあ、その原因の俺になど来てほしいとは思っていないだろうがな」
そう言い、ヴォルフラム様も墓石の前で胸に手を当てて祈る。
ややあって顔を上げるとこちらに振り向いた。
「レーヴ」
「……はい」
「お前は幸せになりたくないのか?」
その問いにわたしは答えられなかった。
父や兄、カイのことを思えば、幸せになどなれるはずがない。
……三人は死んだというのに。
その原因のわたしが生きて、幸福を得るなんて許されないだろう。
気付けば、ヴォルフラム様が目の前に立っていた。
伸ばされた手がわたしの頬に触れる。
「もう一度問う。……お前は幸せになりたくないのか?」
躊躇ったわたしに、ヴォルフラム様が続ける。
「俺は幸せになりたい」
思いの外、強い口調に驚いた。
「皇帝である俺が己を幸せにできずして、どうやって民に幸福を与えられようか」
ジッと紅い瞳に見つめられる。
夕日の眩しい西日の中で、全てがオレンジがかった赤に染まっている。
「俺の幸せにはお前が必要だ……レヴァニア」
それにドキリと心臓が大きく跳ねる。
真剣な表情のヴォルフラム様が言う。
「俺の妻となってくれ」
ヴォルフラム様の顔が近づいてくる。
「……お前の幸せを、皇帝が許す」
ずっと、気付いていた。気付かないふりをしていた。
目を逸らして、心に蓋をして、自分自身すら騙してきた。
でも、本当はずっと分かっていた。
……だからこそ、きっと、わたしは全てを捧げたのだ。
目を閉じれば、柔らかな感触が唇に重なった。
ゆっくりと名残惜しそうに離れた唇に目を開ければ、ヴォルフラム様と目が合った。
「まだ、怖いか?」
「……少しだけ」
ヴォルフラム様に抱き寄せられ、耳元で囁かれる。
「……お前が好きだ、レヴァニア……」
愛しているでも、お前が欲しいでもない、拙い言葉だった。
それは『愛している』という言葉を恐れているわたしのためか。
そっと、広い背中に両腕を回して身を寄せる。
「……わたしもお慕いしております、ヴォルフラム様……」
……命を懸けるほど、あなたに惹かれていた。




