反乱軍(1)
* * * * *
カイ・ヴァルムントはヴァルムント伯爵家の次男だった。
歳の離れた兄が家を継ぐ予定で、カイは兄に仕えて共に伯爵領を守っていきたいと考えていた。
その時には愛する婚約者と結婚して、幸せな家庭も築いていけると信じていた。
しかし、そんな未来はもうどこにもない。
六年前、婚約を結んでいたアルセリオ子爵家は爵位と領地を返上してしまった。
息子のセルヴィスが、父親を殺し、自害した。
最初はそんな話は嘘だと思ったが、アルセリオ子爵の弟が二人の葬儀を行い、爵位を継がずに返上した。弟は平民として既に別の家に仕えていたし、帝国の法では未成年の女子が家を継ぐことができない。
何より、アルセリオ子爵は夫人を亡くしてから人が変わり、賭け事にのめり込んでいた。
その穴埋めに領民に税を課し、更にそれを増やそうとしていたようだ。
セルヴィスはそれを止めようとして、子爵を殺してしまったらしい。
残された令嬢、レヴァニア・アルセリオとカイの婚約も解消された。
カイは父親に掛け合ったが、説得できた頃には既にレヴァニアは行方不明だった。
足取りを辿ろうと探し回ったけれど、どこにも見つからない。
父親は「諦めて別の令嬢と結婚したらどうか」と言うが、カイにとって、レヴァニアは初恋の相手であり、妹のように大切な存在でもあり、結婚するなら彼女がいいとずっと想い続けてきた相手であった。
……セルヴィス、なんで父親殺しなんてしたんだ……。
アルセリオ子爵領は周辺の領地と統合され、名前のみが残っているだけとなった。
レヴァニアを探している最中、声をかけてきたのがノルディエン侯爵だった。
『カイ・ヴァルムント君だね? 私はこの帝国の宰相を務めるゲルハルト・ノルディエンという』
ノルディエン侯爵が、アルセリオ子爵家が何故潰れることとなったのか本当の理由を教えてくれた。
皇帝は実は若い女性を好んでおり、この帝国では珍しい黒髪のレヴァニアに目をつけた。
だが、レヴァニアにはもう婚約者がいた。
だから人を使い、夫人を亡くして失意に暮れていた子爵を賭け事にのめり込ませ、財政を崩させ、別の者を通じてレヴァニアと金銭を交換させようとしたという。
セルヴィスはレヴァニアが売られるのを止めようとして、子爵を死なせてしまった。
その罪を償うためにセルヴィスは自害した。
結果的に、レヴァニアはその後、皇帝のもとに連れて行かれたという。
『黒髪に黒目の、恐らくアルセリオ子爵令嬢だろう人物を城の奥で見かけたことがあるんだ』
と、ノルディエン侯爵は言った。
国中を探し回っても見つかるはずがない。
レヴァニアは城の奥で、皇帝によって閉じ込められているのだから。
だが、兄ならばともかく、自分がそう簡単に理由もなく城に立ち入ることはできない。
ノルディエン侯爵は『反乱軍に入らないか』と誘ってきた。
『皇帝は、父親である前皇帝を殺し、私利私欲のために帝国を好き放題に変えようとしている』
確かに、悪事を働いて潰れた家もあるが、アルセリオ子爵家のように皇帝が私欲を満たすために裏から手を回して潰れた家も多いのだとノルディエン侯爵は語った。
アルセリオ子爵家について改めて調査を行ったが、子爵はレヴァニアを資産家の男に嫁がせようとして、セルヴィスと争い、殺された。その資産家の男は既に死んでいるが、もしかしたら口封じのために殺されてしまったのかもしれない。
しかも、皇帝の守護騎士はノルディエン侯爵令嬢に剣を向けたという。
ただ皇帝について話を聞きたかっただけの令嬢に剣を向けるとは、騎士にあるまじき行いだ。
……皇帝が皇帝なら、その守護騎士も似たようなものということか。
カイは反乱軍に入り、個々で活動していた者達を集め、大きくしていった。
平民だろうと、貴族だろうと関係ない。皇帝のせいで苦しんだ者達が、皇帝に疑心を抱いている者達が、この帝国を変えたいと思う者達が集結し、各地の貴族達も参加してくれた。
そうしてついに、反乱の狼煙が上がった。
各地で小規模だが反乱を起こし、周辺貴族の兵や帝都の兵を派遣させる。
そうすれば帝都の防備は手薄となり、反乱軍が城に攻め入る好機となる。
その際はノルディエン侯爵が城内に手引きする手筈となっている。
……やっと、レヴァニアに会えるんだ……。
この六年あちこちを探し回り、見つからずに何度絶望したことか。
……待っていてくれ、必ず君を助けに行くから……!
皇帝のもとでどのような扱いを受けているかは分からないが、たとえ、どんな目に遭っていたとしてもレヴァニアを助け出して──……今度こそ、結婚を申し込む。
本来あるべきだった未来に戻るために。
愛するレヴァニアのためなら何だってすると、婚約を解消されたあの日に誓ったのだ。
* * * * *
各地で小規模な反乱が起こってから、城の雰囲気は静まり返っていた。
誰もが『これからどうなるのだろう』という不安を抱えている。
だが、そんな中でもヴォルフラム様は普段通りだった。
「戻ったか」
また皇女宮に呼ばれ、戻ってきたわたしを見てヴォルフラム様が言う。
「はい、ただいま戻りました」
そうして、皇女殿下からいただいた菓子をヴォルフラム様の政務机に置く。
「こちら、皇女殿下からでございます」
菓子には手紙がつけられており、それを読んだヴォルフラム様が呆れた顔をした。
すぐに手紙を暖炉に焚べて燃やしてしまう。
「また『レーヴが欲しい』という催促だ。相当気に入られたらしいな」
反乱軍が各地で動き始めてから、連日のように会議が開かれている。
だが、思うように反乱軍を鎮圧できていない。
そのため、ヴィルフラム様は忠義に厚い家臣達をそれぞれに向かわせた。
……恐らく、反乱軍も今が好機だと思っているだろう。
だが、実はこれらも全て計画の内だ。
表向きは会議で決定した動きをしつつ、裏で皇女殿下を通じて信頼に足る貴族達と連絡を取り合い、わざと反乱軍を鎮圧し切れていないふうを装っていた。
わたしが皇女殿下のもとに何度も行っているのは、ヴォルフラム様の指示を皇女殿下を通じて伝えているからだ。
「わたしはヴォルフラム様の守護騎士です」
「そういうところが、エーデルリーネからすれば新鮮なのだろうな」
ヴォルフラム様が苦笑し、菓子の袋を開けて中を見る。
そして、顎で菓子の袋を示した。
「好きにしろ。……まったく、俺は甘いものは好かんといつも言っているのに」
皇女殿下からいただいた菓子の袋を近衛騎士に渡す。
ここ最近はこの繰り返しなので、近衛騎士達も慣れた様子でそれを受け取った。
ひら、と何かが視界に落ちてきて、思わず剣を構えれば「大丈夫だ」とヴィルフラム様に手で制された。
その紙をヴォルフラム様が空中で掴み、目を通す。
「なるほど」
口角を引き上げ、ヴォルフラム様がその紙を握り潰した。
「三日後、反乱軍が動く」
室内に緊張が走る。
「案ずるな。お前達は普段通り、自身の職務を全うせよ」
「はっ」
わたしと近衛騎士達で返事をする。
ヴォルフラム様が天井を見上げた。
「全て予定通りに進めておけ」
微かにコン……と天井から音がして、静かになる。
皇族には影の者が仕えているというが、見たことがない。
人前に出ることはなく、ヴォルフラム様ですら「ほとんど声を聞いたことがない」のだとか。
それでも忠誠心は非常に厚く、代々皇家に仕えているという。
「レーヴ」
名前を呼ばれて「はい」と返事をした。
「俺の背中はお前に預ける」
「御意」
その言葉に込められた信頼に、期待に、応えたい。
……わたしはあなたを守る剣になる。
たとえ、元婚約者と剣を交えることになったとしても。
* * * * *
そして運命の日の前日、帝都で反乱軍が騒ぎを起こした。
街の騎士団だけでなく、城の騎士達も出ることになり、更に警備が手薄になった。
こうなることを反乱軍も狙ってのことだと分かっていたが、街の人々の安全のためにも騎士を出すしか手はない。民を人質にするようなものだ。
その翌日──……つまり運命の日、城内はとても静かだった。
恐らく、聡い者なら誰もがこの状況から何が起こるのか予想がついているのだろう。
普段よりも人影が少なく、まるで城全体が沈んだような空気に包まれていた。
けれどもヴォルフラム様はいつも通りに過ごし、午前の謁見がもうすぐ終わろうという頃、謁見の間に騎士が飛び込んできた。
「ご報告申し上げます! 反乱軍が門を抜け、城内に侵入いたしました!!」
しかし、ヴォルフラム様は微かに口角を引き上げたまま、言う。
「皆、避難せよ。臣下を失うことこそ、この帝国の損失だ」
という一言で、騎士達に案内をさせ、貴族達を避難させる。
中には残って戦うという者もいたが、ヴォルフラム様は「その勇気、覚えておこう」と返したが、留まることは良しとしなかった。
報告に来た騎士には「反乱軍を止めよ」とだけ命ずる。
それでも、幾人かの重鎮は謁見の間に残った。
代わりに近衛騎士が謁見の間に入り、防備を固める。
わたしはいつも通り、ヴォルフラム様のそばに控えたまま待つ。
「陛下、まさかここで迎え撃つおつもりですか?」
ノルディエン侯爵の問いにヴォルフラム様が答える。
「ああ、そのつもりだ」
「どうか陛下だけでもお逃げください! この帝国を率いていくことができるのは陛下だけでございます! この謁見の間に反乱軍が来てしまえば、逃げるのは難しくなってしまいます!」
……名演技だ。
何も知らなければ、皇帝の命と国の未来を思って進言する忠義厚い宰相のように見えるだろう。
だが、残念なことにここに残った者達はそうではない。
「ノルディエン侯爵、気遣いは無用だ」
ヴォルフラム様が微笑む。
「反乱軍の言い分とやらを聞いてみたいと思っていたところでな。ここまで来てくれるというのなら、是非、意見を聞かせてもらいたいものだ。もしかしたら案外、話が合うかもしれないぞ」
「このような状況でご冗談が過ぎますぞ……!」
「冗談ではない。俺は本心から言っている」
そうこうしているうちに廊下のほうが騒がしくなる。
もう反乱軍がここに辿り着いたようだ。
予想外に早かったのか、ノルディエン侯爵が酷く驚いた顔をした。
侯爵は使用人や騎士達を金で上手く操れたと思っているようだが、実際は『侯爵の誘いに乗って命令通りに動くように』と伝えられており、全員ではないが、間諜が入っていた。
城内への手引きも、謁見の間への誘導も、全てこちらの思惑通りだった。
できる限り被害を減らすため、あえて謁見の間にまっすぐ来れるように警備を薄め、協力者のふりをした間諜が謁見の間まで案内するのだから、反乱軍は簡単にここまで来れただろう。
バタンッと大きな音を立てて両開きの扉が開かれる。
近衛騎士達は既に抜剣して警戒態勢を取っていた。
わたしも剣に手を添えて、いつでも抜けるようにする。
先頭に立って入ってきた人物を見て、ほんの僅かに懐かしく思った。
……カイ・ヴァルムント伯爵令息……。
記憶の中よりもずっと大人びて、美青年となった元婚約者が堂々たる様子で声を張り上げた。
「皇帝ヴォルフラム・ライナー=グライフェルド陛下とお見受けする!!」
鮮やかな赤髪が遠目でも分かった。きっと金色の瞳はまっすぐにこちらを見ている。
わたしより四歳上だったので、今は二十四、五歳か。
久しぶりの再会だが、恐らく向こうはわたしのことは分からないだろう。
「私はカイ・ヴァルムント! ヴァルムント伯爵家の次男であり、反乱軍をまとめる者なり!!」
それにヴォルフラム様が立ち上がった。
「カイ・ヴァルムントと反乱軍の諸君、よく来た。俺こそが皇帝ヴォルフラム・ライナー=グライフェルドである。一応問うが、話し合いの意思はあるか?」
ヴォルフラム様は声を張り上げなかったが、その声はよく通った。
それにカイが一瞬、怯んだ様子を見せたが、すぐに返答した。
「皇帝という立場にありながら、私利私欲に溺れる者と交わす言葉などない!!」
カイが剣を剣先をこちらに向ければ、その後ろにいた反乱軍達も剣を構える。
それに近衛騎士達も反応し、緊張感が漂う。
「そうか、それは残念だ。そなた達の意見も聞いてみたかったのだがな」
「ふざけるな!!」
そしてカイが走り出し、反乱軍も後に続く。
近衛騎士と反乱軍が衝突し、謁見の間に剣や鎧のぶつかり合う音、怒号が響く。
数段上の玉座でヴォルフラム様とわたしはそれを眺めた。
「陛下、お覚悟!」
と、近衛騎士の間から軽装の鎧をまとった反乱軍の男が飛び出してくる。
わたしは剣の柄にかけていた手に力を入れて引き抜き、駆け上がってきた男の腰を斬った。
軽装の鎧は上半身や足は守ってくれていたが、動きやすさを追求したのが仇となった。
痛みに男が悲鳴を上げて階段を転がり落ち、体を縮こまらせて呻く。
他の反乱軍が誰かの名前を叫ぶ。恐らく、今の男のものだろう。
「くそっ! 絶対に許さねぇ!!」
「何が守護騎士だ! 皇帝の犬が!!」
と、今度は二人の男が駆け上がってくる。
剣を構え、近づく男達を見据える。
……まずは一人目。
先に上がってきた左の男に蹴りを入れると、驚いた表情のまま背中から落ちていく。
そして、同じく驚いて動きを止めている二人目の懐に踏み込み、その顎に下から肘打ちを見舞う。
……二人目。
殺すなとは言われていないが、誰がノルディエン侯爵と繋がりがあるか分からない。ある程度は生け捕りにしておけば後々、これまでの反乱軍の動きについて聴取することができる。
階段の下で男三人が転がり、呻いている。
「いつの間に、そのような泥臭い戦い方を覚えた?」
背後にいるヴォルフラム様の問いにわたしは答えた。
「元より、わたしの戦い方はこちらです」
これまでは『騎士の綺麗な戦い方』に合わせていただけだ。
アルセリオ子爵家にいた騎士達から教えられたのは実戦的なもので、騎士の『剣で戦い、剣に死す』という型通りの綺麗な戦い方は入団してから覚えたものだった。




