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16/23

始まり






 ようやくわたしが復帰したのは一月後のことだった。


 それから更に三月が経ち、痕は残ったが、傷は完全に塞がった。


 まだ微かに左肩に引きつりを感じるものの、日常生活にも、剣の訓練にも支障はない。


 ……いざという時はまた体を張って守護すればいい。


 久しぶりに鎧を着た時は少し重くて筋肉が落ちたことを実感したが、ヴォルフラム様は「しばらくは俺の鍛錬に付き合え」とこの三月の間、毎日のように相手をしてくださった。


 おかげで体力も戻り、剣の腕も以前より鋭くなったように思う。


 皇女宮にいる間は休んでいるか、皇女殿下の話し相手として過ごすかで心配だったが、少しでも体を動かしていたのが良かったらしい。


 皇女殿下は意外と活動的で、昼間はわたしの休んでいる部屋に来てお喋りをするのだ。


 その話の中で確信したが、皇女殿下は前皇帝に殺されてしまった第一皇子ジークフリート・グライフェルド殿下を今でも愛しているようだ。親愛ではなく、恋愛という意味で。


 それについてわたしが何かを言ったり、思ったりすることはない。


 誰を愛するかはその人の自由であり、皇女殿下はその愛を貫くと決めた。


 ヴォルフラム様も了承してのことならば尚更、部外者のわたしが口を挟むものではない。


 わたしがベッドから動けるようになると離宮内の自由も許可してくれたので散歩もよくしたが、皇女殿下に誘われてギャラリーに行くことが多かった。


 ギャラリーには第一皇子殿下の肖像画や当時の三兄妹の絵などが飾られており、皇女殿下はそれらを眺めながらわたしに色々と話してくれた。


 第一皇子殿下はとても優しく、穏やかで、民や国を非常に大切に思っていたそうだ。


 そうして、皇女殿下の思い出話を聞いているうちに何となく察したこともある。


 ……恐らく、第一皇子殿下も皇女殿下のことを……。


 だが、それはあくまでわたしの憶測なので黙っておいた。


 皇女殿下もそういったことを望んでわたしに話しているわけではないだろう。


 他にも、ヴォルフラム様付きの女官長が実は前皇帝の元側妃で、第一皇子殿下の母であることを教えられて驚いた。女官長とは時々話すことはあったが、真面目で静かで、冷たい印象を持つ。




『ヴォルフラムお兄様が皇帝に即位する際、後押ししてくださったのよ』




 という話だった。


 女官長──……側妃は息子の第一皇子をとても大切に思っていたが、夫に殺され、許すことができなかったらしい。ヴォルフラム様と皇女殿下による前皇帝の殺害にも関わったそうだ。


 その後は女官長となり、ヴォルフラム様に仕えつつ、皇女宮を訪れては皇女殿下と共に息子を偲んでいるという。


 ちなみに女官長にもわたしの性別については明かした。


 驚いていたけれど、性別を偽っていたことについて追及はされなかった。


 ……皇帝となったばかりの頃は信用できる者だけで周囲を固めたかったのだろう。


 皇女殿下から話を聞き、ヴォルフラム様が皇帝となった際に色々と苦労したことが窺えた。




「レーヴ、俺を前にして考えごとか?」




 キンッと剣を弾かれ、我に返る。




「申し訳ありません」




 即座に向かってくる刃を受け、軽く鍔迫り合う。


 間近にある紅い瞳は何度見ても美しい。




「何を考えていた?」


「ヴォルフラム様のことを」


「ほう、俺か」




 少し、ヴォルフラム様の機嫌が良くなった気がする。


 剣ごと押されて数歩下がる。


 ヴォルフラム様が剣先を下げたので、わたしも構えを解いた。




「少し休憩する」


「はい」




 訓練場の長椅子にヴォルフラム様が腰掛け、その少し距離を置いた横にわたしも座る。


 以前は立って休んでいたのだが、ヴォルフラム様に「お前も座れ」と言われてからはこうしている。このほうがヴォルフラム様の気も休まるのだとか。




「それで、俺について何を考えていたんだ?」




 と、問われて素直に答える。




「ヴォルフラム様はこれまでご苦労をされてきたのだろうな、と」


「話が見えん」


「皇女殿下のもとで療養中、色々とお話を聞かせていただきました。ご兄妹でとても仲が良かったことやヴォルフラム様が即位されたこと、女官長についてなど……わたしは思いの外、ぼんやりしていたのだなと少し反省しました」


「ああ、そういうことか。……まあ、俺の即位の話は基本的に誰も触れないものだからな」




 ヴォルフラム様が即位した理由などになれば、当然、前皇帝の話も出てくる。


 さすがに皇帝陛下の前でその話題に触れる度胸のある者はいないだろう。


 そんな話をしていると近衛騎士が訓練場に入り、こちらに来て、ヴォルフラム様に耳打ちした。


 それにヴォルフラム様が「そうか、報告ご苦労」とだけ返事をし、近衛騎士を下がらせる。


 伝令役の近衛騎士が出ていってから、ヴォルフラム様が口を開いた。




「シュヴァーン伯爵が反乱を起こした」




 それにハッと息を詰めたわたしにヴォルフラム様が小さく笑みを浮かべる。




「そのような顔をするな。俺も反乱軍ならば、あそこでまずは戦を起こす」




 シュヴァーン伯爵領は帝都から離れた地方だが、接しているミリディアナ王国と帝国は良き友好関係であり、内乱を起こしたとしてもあちらの国が攻めてくる心配はない。


 だが、反乱をそのままにしておくことはできないため、本来は周辺の貴族達で対応するはずだが、その周辺貴族達も同調しているのであれば、他の貴族に声をかけ、帝都からも出兵させるしかないだろう。


 もしこの状況で他の地域での反乱が起これば、貴族達の兵も、国の兵も割かれてしまう。


 そうなれば帝都の防備も弱まる。


 どう考えても、それを狙っているとしか思えない。


 わたしですら考えつくのだから、ヴォルフラム様も理解しているはずだ。




「そう心配せずとも、こちらもただ黙って待っていたわけではない」




 ヴォルフラム様が立ち上がり、こちらに手を差し出してくる。




「これから忙しくなるぞ」




 そう言ったヴォルフラム様は不敵な笑みを浮かべていた。






* * * * *






 ヴォルフラム様の予想通り、地方で小規模の反乱が頻発した。


 宰相は「帝国の威信を守るために即座に鎮圧すべき」と提言し、それが通り、各地の貴族と連携して出兵を行うこととなった。


 帝都や城の防備が一時的に低下するが、急ぎ反乱を抑え込む必要があった。


 ヴォルフラム様は日々、皇帝としての公務と共に貴族や出兵した軍からの伝令とのやり取りなど、やるべきことが増えて遅くまで政務室に残る日が増えた。


 皇女宮から使いの者が来て、ヴォルフラム様にメッセージカードを渡す。


 それを見たヴォルフラム様が呆れ顔でわたしを見た。




「レーヴ、エーデルリーネのところに行ってやれ」




 各地で反乱が起こるようになり、皇女殿下は不安なのか頻繁に手紙を送ってきた。


 しかしヴォルフラム様も忙しいので「皇女殿下エーデルリーネの話し相手となってなだめてこい」と言われることが増え、わたしは皇女宮に頻繁に通っている。


 皇女殿下も「レーヴが気に入った」と明言していることもあり、わたしが皇女宮に何度も呼ばれても誰も疑問を感じていないようだ。


 しかも、行く度にわたしが菓子やら何やらもらって戻ってくるものだから、城内では『皇帝陛下と皇女殿下が守護騎士を取り合っている』という噂も立っていた。




「御意」




 そして『皇帝陛下は皇女殿下を溺愛しているからこそ、お気に入りの騎士を貸すのだろう』とも囁かれているようだ。


 しかし、その噂に関してヴォルフラム様は「それは事実だな」と笑っていた。


 ヴォルフラム様の護衛を近衛騎士に任せ、使いの者と共に皇女宮に向かう。


 わたしが皇女宮の者と共にいても、誰もが『また呼ばれたのか』という顔をするだけだ。


 城を出て、馬車に乗って皇女宮に行く。


 皇女宮に着くとそのまま居間に通された。




「一人だと不安で落ち着かないの。一緒にお茶でもいかが?」


「ありがとうございます。お招きいただき、光栄です」




 わたしが席に着くと侍女が紅茶を用意し、部屋の隅に控える。


 礼を伝え、紅茶を一口飲む。


 ……相変わらず良い茶葉だ。


 だが、この茶葉は皇女宮でしか飲んだことがない。


 守護騎士としてついている中でヴォルフラム様から勧められて休憩中に紅茶をいただくことはあるが、ヴォルフラム様が好むものでも王城でよく使われているものでもなく、ここでしか出ない。


 ヴォルフラム様はいつもオレンジやレモンなどの柑橘系を使った爽やかなものを好む。


 逆に、ここで出る紅茶はバニラの香りがする。泡立てたミルクを使っており、微かにバラの香りもして、香りも味も甘い。皇女殿下は甘い味がお好きなのだろうか。




「ねぇ、レーヴ、あなたは好きな人がいるでしょう?」




 咽せそうになった。


 何とか飲み込み、軽く咳払いをして喉を整える。




「まあ、そんなに驚かないでちょうだい。これでもわたくし、察しは良いほうでしてよ」


「……お戯れを。わたしはヴォルフラム様の守護騎士であり、誰かに心を傾けるなど……」


「あら、その誰かがヴォルフラムお兄様なら何も問題はないわ」




 つい黙ってしまい、気まずく思う。


 ……沈黙は肯定と同じだ。


 けれど、ここで『それ以上の気持ちはない』と即座に断言できなかった。


 わたし自身、この気持ちを完全に理解し切れていないからだ。


 もう一度ティーカップに口をつけていると皇女殿下が続ける。




「この紅茶はジークフリートお兄様がお好きだったの」




 そっと、皇女殿下が自身のティーカップの縁に触れる。


 優しく、大事そうに、指先が縁を撫でていく。




「だからこそ、もうヴォルフラムお兄様にも女官長にも出せなくて、いつも一人で飲んでいたわ。……これを出せば二人とも、ジークフリートお兄様を思い出して悲しむから」




 でも、と皇女殿下が微笑む。




「わたくしはこれを飲むとジークフリートお兄様との楽しかった思い出が浮かぶわ」




 釣られて、わたしも自分の持っているティーカップを見下ろす。


 華やかで、でも優しい甘さの、じんわりと体の内側から温まる美味しい紅茶。


 ……きっと第一皇子殿下もこの紅茶のような方だったのだろう。




「でも、こんなことになるなら想いを伝えれば良かったと後悔することもあるの。お兄様にも、あなたにも、わたくしのような後悔はしてほしくない」


「……ヴォルフラム様のお気持ちは、わたしには測りかねます」


「あなたは本当に真面目ね。お兄様が名前を呼ぶことを許しているのも、性別を偽っていると知った上でそばにと望んだのも……触れるのもレーヴ、あなただけよ。夜会でもお兄様は誰とも踊らないわ」




 その言葉にヴォルフラム様の手の感触や体温を思い出す。


 あの手に頭を撫でられると喜んでしまう。幸せを感じてしまう。


 もっと、と欲深くなり──……いずれ、求めてしまうだろう。




「……わたしは……」




 ……父も兄もあのような死に方をしたというのに、わたしが幸せになるなんて……。


 不意に皇女殿下が立ち上がった。




「最近、庭の花を植え替えたのよ。……少し散歩に付き合ってちょうだい」




 差し出された手を、立ち上がって取る。


 ……きっと、今のわたしは酷い顔をしているのだろう。


 居間を出て、侍女の案内で中庭に向かう。


 建物に囲まれた中庭ならば、以前のように遠くから矢で射られることもない。


 中庭には小さな噴水があり、皇女殿下とそれほど広くないそこを歩く。




「レーヴ、あなたが何を気にしているのかわたくしには分からないけれど、これだけは知っておいて。もしもあなたがお兄様のそばに『女性としていたい』と思うなら、わたくしは応援するわ」




 皇女殿下がわたしの腕に寄り添い、袖に何かをこっそり入れる。




「わたくしはもう望む未来は得られないけれど、あなたはまだ掴めるわ」




 そうして、皇女殿下がわたしの背中を励ますように叩く。




「騎士としてお兄様と歩む道も、妻としてお兄様と歩む道も、あなたの前にはあるのだから」




 皇女殿下がわたしから離れて「少し意地悪をしすぎたかしら」と微笑んだ。


 愛する人を失った皇女殿下だからこそ、重みのある言葉だった。


 そのまま居間に戻らずに馬車で城に送り返される。


 ……わたしは『愛』が怖い……。


 大切にされるのは嬉しいが、その結果、兄は父を殺した。


 それが親愛であっても、兄妹愛であっても、たとえ恋愛であっても同じことだ。


 ……もう、一人で残されるのは嫌だ。


 そうなるくらいならいっそ、先に死ぬか、一緒に殺してほしい。


 微妙な心境で城に戻り、ヴォルフラム様の政務室に向かった。


 政務室に入ると眉根を寄せたヴォルフラム様に開口一番、問われる。




「戻った──……レーヴ、なんて顔をしている? 何かあったのか?」




 立ち上がったヴォルフラム様が侍従や近衛騎士を手で下がらせる。


 背後で扉が閉まり、ヴォルフラム様が近づいてくる。




「……わたしは、どんな顔をしていますか?」


「今にも泣きそうだ。……エーデルリーネにいじめられたのか?」




 まるで小さな子供に問うようだと、微かに笑ってしまう。




「……そうかもしれません」




 温かな手が頬に触れたので、目を閉じる。


 その手に自分の手を重ね、少しの間だけ、温もりを感じる。




「俺が叱ってやろうか?」


「いいえ……皇女殿下は気遣ってくださったのでしょう。わたしが臆病者なだけで……」




 目を開ければ、意外と近くにヴォルフラム様がいた。


 その紅い瞳に浮かぶ優しい光と眼差しに理解してしまう。


 手を伸ばしてもヴォルフラム様は避けなかった。


 初めて触れた頬はさらりとしていて、意外と硬くて、無骨だった。




「レヴァニア」




 もう片手でわたしの手に触れたヴォルフラム様が、わたしの掌に口付ける。


 ……言葉にしなくても、分かっている。


 ずっと理解しないように、気付かないように避けていただけで、心の底では察していた。


 ヴォルフラム様の口が開きかけ、とっさにそれを手で覆って止めてしまった。




「……その言葉は、まだ、怖いんです……」




 もしも『愛している』と告げられたとしても、兄の最期を思い出してしまうから。


 ヴォルフラム様は何も訊かずに黙ってわたしを抱き締める。


 その気遣いと優しさが、今は苦しかった。






 

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― 新着の感想 ―
紅茶の好みに、キャラクターらしさを感じました。 ヴォルフラムは、柑橘系の香りや味が好き。 ストレスの多い環境下で、疲労回復やリラックスを求めていそうです。 エーデルリーネは、ミルクとバニラ。 お兄…
話運びがとても自然でどんどん引き込まれているところです。 身分や立場を考えて行動するのは大切なことですが、それ以上に大切なことがあったことをお相手がはかなくなってから気づいた皇女殿下はさぞかしおつらか…
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