レジス・エステハイム
皇女殿下の離宮で療養を始めてから半月ほどが経った。
ようやく体から完全に毒が抜けて、傷も表面上はそれなりに塞がったが、医官から「軽い運動ならば大丈夫です」と言われて最近は室内で軽く体を動かしている。
この半月の間に鈍った体を解し、剣の素振りを行う。
……これがあると落ち着く。
これまで毎日持っていた剣に半月も触れられなかったので、まずは手入れをした。
それから、毎日軽く体を動かし、素振りを繰り返す。
左肩の後ろに引きつるような痛みを感じるものの、動かせないほどでなかった。
無理のない程度に気を付けつつ、そうして過ごしていると訪問者があった。
「レーヴ!」
皇帝陛下の近衛騎士に連れられて、やって来たその人物に驚いた。
「レジス?」
「良かった……! 生きてるって知ってたけど、こうして顔を見るまで心配だったんだ……!」
以前同室だった騎士のレジス・エステハイムがここにいることに驚いた。
「どうやってここまで来たのですか?」
「いやぁ、皇帝陛下を庇って矢を受けたって話は今すごく有名なんだよ。だから近衛騎士の宿舎に行ったんだけど、面会させてもらえないし……でも諦められなくて毎日通ってたら近衛騎士から皇帝陛下に話がいったみたいで、なんかよく分からないけどここまで連れてきてもらえてさ」
「……そうですか」
皇帝陛下はわたしについて調査をしたそうなので、レジスと同室であることも知っていただろう。
近衛騎士の宿舎に通うレジスの話を聞いて、気を利かせてくれたのかもしれない。
レジスがそばに来て、椅子に腰掛ける。
近衛騎士は部屋の外で待機するようだ。
わたしも剣を鞘に戻してサイドテーブルに置き、レジスと向かい合って椅子に座った。
「体調はどうだ? って訊こうと思ったけど、元気そうで安心した」
わたしが剣を持っていたので分かったようだ。
「まだ痛みはあるものの、動けないというほどでは。むしろ、体が鈍るので動かしたいと思っているのですが、医官からは『軽い運動で』と止められています」
「素振りはいいのか?」
「剣を持つ筋力まで落ちては困るので。さすがに以前のように何時間も振ってはいません」
「だよな」
ホッとした様子のレジスにわたしは浅く頭を下げる。
「心配していただき、ありがとうございます」
「いいって。まあ、騎士にとって皇帝陛下をお守りしてできた傷ってのは『勲章』みたいなもんだし。……後遺症とかは残らないよな?」
「はい、問題ないそうです」
「そっか」
レジスが嬉しそうに笑う。
……本当に優しくて良い人物だ。
しかし、すぐにレジスが声を落として言う。
「……実はさ、皇帝陛下の守護騎士であるレーヴに伝えておかないとってことがあってさ」
深刻そうな表情にわたしも気を引き締める。
「聞きましょう」
「最近、帝都に反乱軍が集まり始めたのは知ってるか?」
「反乱軍? そのようなものがあるのですか?」
確かに皇帝陛下は様々な改革を行い、それによって潰れた貴族の家もあるが、そういった家は何かしらの犯罪行為に手を染めていたから罰を受けたのだ。
皇帝陛下の改革により帝国は透明性が出て、民の生活も以前より良くなったと聞いている。
レジスが小さく頷いた。
「それが、あるんだよ。オレも知ったのは最近なんだけど……レーヴが近衛騎士になってしばらく経ってから『反乱軍に入らないか』って声をかけられてさ」
はあ、とレジスが息を吐く。
「もちろん、断った。オレは皇帝陛下の治世に不満はないし、そもそも、自分が生きていくのに困らないように給金がいい騎士になっただけで、国を変えようなんて思わないし」
でも、とレジスが困り顔で言葉を続けた。
「問題は、声をかけてきたのはオレの母親の生家だってこと。母さんの家はノルディエン侯爵……つまり、宰相閣下の分家筋で、そっちから声がかかるのって、宰相閣下の家が関係してるからかもって思うんだよ」
……なるほど、ノルディエン侯爵。
以前、ノルディエン侯爵令嬢から揺さぶりもかけられた。
ノルディエン侯爵は前皇帝時代から宰相を務めており、恐らく皇帝陛下に不満はあるはずだ。
娘を皇后にと薦めたが断られ、わたしを使って皇帝に近づこうとしたが、それもできなかった。
「……ノルディエン侯爵は前皇帝の側近でもありましたから、不思議はないでしょう」
「やっぱり? もしかしたら宰相閣下や母さんの家が反乱軍に資金援助とか色々してるっぽくてさ」
レジスはそれを知って、母親の生家と距離を置いたそうだ。
ノルディエン侯爵家が反乱軍を後押しし、支援しているとしたら確かに問題だ。
「この話をわたしにするということは、陛下に伝わることと同義ですが、良かったのですか?」
「ああ、そのつもりで話した。オレは生活のために騎士になったけど、皇帝陛下に捧げた剣は嘘じゃない。反乱が起これば国も乱れるし、何かあれば真っ先に苦しむのは民だろ? 騎士は皇族と民を守るもんだって新人の頃に習ってさ、オレでもそういう誇りみたいなものを持てるんだって思ったんだ」
レジスが自身の手を見つめ、拳を握る。
「色々考えたけど、皇帝陛下が改革を起こしたことで帝国は良い方向に変わった」
「そうですね」
「だから、オレは皇帝陛下側につくって決めた」
顔を上げたレジスがニッと笑う。
「こんな情報、皇帝陛下ならとっくに知ってるかもしれないけど、一応伝えておきたくて」
それにわたしは意図して微笑んだ。
「きっと、レジスの忠誠を陛下はお喜びになられると思います」
レジスが驚いた顔をして、そして嬉しそうに頷いた。
そうして、レジスが立ち上がる。
「レーヴも病み上がりだろ? あんまり長居すると悪いから、そろそろ戻るよ」
「お見舞い、ありがとうございます」
「早く良くなるといいな。それじゃあ、また今度」
レジスの言葉にわたしも頷き返す。
「はい、また今度」
扉を開け、レジスが近衛騎士に声をかけて出ていく。
その背中を見送り、わたしは考えた。
……反乱軍……。
せっかく皇帝陛下が作り上げた平和を、乱そうとするとは。
「ノルディエン侯爵家……あの時、本当に潰しておけば良かった」
そうすれば、反乱軍が大きくなることはなかっただろう。
今更になって少し悔やんだ。
* * * * *
馬車に乗り、皇女宮を出ながらレジス・エステハイムは思った。
……結局、レーヴは教えてくれなかったな。
新人騎士の頃から、レジスはレーヴのことを知っていた。
騎士達の中でもやや背が低く、線が細く、いつも無表情で近寄りがたい。
それに孤児院出身というのも珍しかった。
そんなレーヴが毎日、飽きもせず自主訓練を行なっている。
毎日訓練しているのにあの体格か、と嘲笑う者もいたが、レーヴ本人は『筋肉がつきにくい体質だから』と言っていた。実際、あれほど日々訓練をしているのにレーヴは細身のままだった。
同室ということもあり、レジスはレーヴと仲良くなりたかった。
真面目で、物静かで、仕事や訓練に対しても実直で、他者の悪口なども言わない。
そういう人間というのは案外、少ないものだ。
だが、レジスは同室だからこそ知っていた。
……レーヴが女だってことはさすがにバレたよな?
シャツ姿のレーヴは首元を少し開けていたが、包帯が見えていた。
あそこまで包帯が巻いてあるということは、治療にあたった者は確実にレーヴの性別に気付いただろう。皇帝陛下に黙っているとは思えない。
しかし、ああして普段通りに過ごしている様子を見る限り、問題ないのかもしれない。
友人として、レジスはレーヴが好きだ。
あの生真面目さや他人にあまり興味がないのに話しかければ付き合ってくれる結局優しいところ、何よりレーヴには裏表がなく、誰に対しても態度が変わらないのも良かった。
皇帝陛下の守護騎士となってからはなかなか会う時間は減ったものの、顔を合わせたレーヴはいつもと変わらず、守護騎士に選ばれたからといって驕ることもない。
……そういうところが皇帝陛下も気に入ったのかもなあ。
馬車が城に戻り、降りると、近衛騎士に声をかけられた。
「まだ時間はあるか?」
「はい、ありますが……」
近衛騎士が声を抑えて言う。
「皇帝陛下がお呼びだ」
「えっ」
……なんでオレみたいな一般騎士に……?
近衛騎士の案内で城内の奥に向かう。
奥は近衛騎士の警備範囲であり、一般騎士のレジスが入ったことはない。
近衛騎士達の視線を感じるのは少し居心地が悪い。
……まあ、でもある意味良いのかも?
レーヴと会えるように取り計らってくれたのは皇帝陛下なので、お礼も伝えたい。
そして、案内役の近衛騎士が立ち止まり、扉を叩いた。
「入れ」という声がして、近衛騎士が扉を開け、レジスは室内に入る。
政務室らしく、皇帝陛下が政務机で書類の確認を行っていた。
顔を上げた皇帝陛下と目が合い、慌てて礼を執る。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます!」
皇帝陛下は「ああ」と返す。
「楽にしていい。……レジス・エステハイムといったな?」
「はいっ」
「レーヴの友人ということだが、お前に関して調査を行った。これはレーヴを守護騎士にする際に、人間関係に問題がないかどうかの確認ついでのことだが」
それは当然のことだと思い、レジスは小さく頷いた。
皇帝陛下から向けられる視線に冷や汗が流れる。
こうして皇帝陛下と向き合って話すことなど、滅多にない。
「お前の母親の生家はノルディエン侯爵家の分家筋だそうだな」
「その、じ、直答をお許しいただけますでしょうかっ?」
心臓が口から飛び出しそうなほど、早鐘を打っている。
皇帝陛下は怒鳴ってもいないし、剣を抜いているわけでもないのに、体が震えそうになる。
「許す」
レジスは小さく生唾を呑み込み、口を開いた。
「確かにオレの母親の生家はノルディエン侯爵家の分家筋ですが、オレは家から出て、一騎士として国に仕えております。この剣は皇帝陛下と国に捧げました。その誓いに偽りはありませんっ」
「そうか」
「じ、実はその件があり本日、レーヴに会いに行きました」
レジスは改めて母親がノルディエン侯爵家の分家筋であること。
実家は皇族派であるものの、母親とその生家はそうではないこと。
最近、帝都内で増えてきている反乱軍のこと。
その反乱軍に母親の生家を通じて入らないかと勧誘を受けたこと。
「オレは断りました。ただ、母の生家やノルディエン侯爵家が反乱軍の支援者になっている可能性が高く、しかし、一般騎士のオレでは皇帝陛下にお伝えすることは叶わないため、レーヴにお願いをしたところでした」
「なるほどな」
「も、もちろん、皇帝陛下ならば既にご存じかと思いますが……」
ドッドッドッドッとレジスの心臓が緊張で暴れている。
皇帝陛下が、ふ、と小さく笑った。
「確かに予想はついていた。だが、確実な証拠はない」
顔を上げた皇帝陛下に言われる。
「よく、報告してくれた。お前のような忠義厚い騎士がこの帝国にいることを、誇らしく思う」
その言葉に、熱いものが胸のうちに込み上げてくる。
皇帝陛下に騎士として認められたことが誇らしくて、嬉しくて、心が震える。
「っ、も、勿体ないお言葉でございます!」
背筋を伸ばし、緩みそうになる表情を引き締める。
満足そうな皇帝陛下の笑みを見て、レジスは分かった。
レーヴが何故、皇帝陛下の守護騎士として怪我を負ったのか。
……きっと、レーヴもこんな気持ちだったんだ。
自分を認められ、騎士としての誇りを感じ、喜びを得る。
皇帝陛下という、この帝国の最も高貴な方からお言葉をかけてもらった。
それだけでも騎士としては生涯の誉れとなるだろう。
「レジス・エステハイム」
「はいっ」
「お前に頼みたいことがある。それはとても危険で、命を賭ける任務となるだろう」
……皇帝陛下、直々の任務……!
「どのような任務でも、皇帝陛下のご期待に沿えるよう尽力いたします!」
皇帝陛下がまた小さく笑った。
「そうか。では、お前に頼みたい任務は──……」
皇帝陛下の話す内容に耳を傾け、一言一句漏らさぬように覚える。
その任務は確かに危険だが、同時にレジスにはピッタリのものであった。
……オレみたいな一般騎士には大役だ。
だが、それほど皇帝陛下がレジスのことを信用し、できると思ってくれているのであれば、その期待に応えたいし、剣を捧げた騎士としても断る理由はない。
話の中で、レーヴを射った襲撃者についても聞いたが、やはり反乱軍だったようだ。
「定期報告は使いの者を出すので、そちらに」
「御意」
片膝をつき、皇帝陛下に礼を取る。
「必ずやこの任務、遂行いたします!」
何より、レジスは怒っていた。
いくら身を挺して主君を守るべき立場だといっても、レーヴはレジスにとって大切な友人だ。
その友人が矢で射られたのだ。場合によっては死んでいた可能性だってある。
皇帝陛下の暗殺を企てたことも、友人を傷つけたことも、許せない。
……そんな卑怯な奴らの好きにさせてたまるか。
「頼んだぞ、レジス・エステハイム」
その言葉にレジスは大きく頷いたのだった。
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