皇女と守護騎士(1)
朝、皇帝陛下のもとに向かい、本日の予定を確認する。
普段は公務で忙しい皇帝陛下だが、珍しく仕事の予定を入れていなかった。
「今日はエーデルリーネの離宮に行く」
エーデルリーネ・グライフェルド皇女殿下は皇帝陛下の妹君だ。
噂では皇帝陛下は妹君を溺愛なされているのだとか。
……そのわりには普段、まったく話題に上げないけれど。
そういうわけで、皇女殿下の離宮に向かうこととなった。
* * * * *
皇女殿下の離宮は、純白と金の美しい建物であった。
庭は美しい花々が咲き乱れ、同じ敷地内にありながらも、城とは違った雰囲気だ。
馬車が離宮の前に停まり、わたしを含めた騎士が降り、皇帝陛下も降りる。
建物の前には離宮の家令だろう使用人が立っていたが、女性だった。
「皇帝陛下、ようこそお越しくださいました」
家令だろう女性が一礼し、中へ案内される。
室内も白と金であったが、絨毯などは赤ではなく淡い青色で統一されている。
……皇女殿下は青がお好きなのだろうか?
華やかだけれど派手すぎない、品の良い調度品や絵画が廊下に飾られていた。
「エーデルリーネはどうだ?」
「普段通り、穏やかにお過ごしになられております」
「そうか、それは何よりだ」
皇帝陛下と家令が話し、廊下を進んでいく。
そうして離宮の奥に通され、ある扉の前で家令が立ち止まった。
その扉を叩けば、中から「どうぞ」と若い女性の声がして、家令が扉を開ける。
皇帝陛下が中に入り、わたしも続く。騎士達は廊下で待機するようだ。
室内には鮮やかな金髪に紅い瞳の、美しい女性がいた。
……確か皇女殿下は御歳二十四と聞いたが。
皇帝陛下と同じ色彩に視線を奪われてしまう。
「元気そうだな」
皇帝陛下の声に我に返り、目を伏せた。
「ヴォルフラムお兄様もお元気そうで何よりですわ」
皇帝陛下が皇女殿下の向かいにあるソファーに腰掛けたので、その後ろに控える。
皇女殿下は華奢で、でも女性にしてはやや背が高く、目を引く美しさだった。
室内は窓から差し込む光でほどよく明るく、この部屋も淡い青で統一されており、皇女殿下は黒い地味なドレスを身に纏っていた。飾り気のないそれは喪服だった。
……誰か亡くなったのだろうか?
地味な黒色のドレスでも、皇女殿下の美しさは欠片も損なわれていない。
「最近、画家を一人雇い入れたそうだな」
「ええ、とても腕の良かったので。わたくし達の絵を描いてもらうつもりですわ」
「まあ、ほどほどにな」
皇帝陛下と皇女殿下の会話はあっさりとしたもので、とても溺愛しているという雰囲気ではない。
皇女殿下の侍女が用意した紅茶を、皇帝陛下が一口飲む。
ティータイム用に用意された菓子は、城ではあまり見かけないものばかりだ。
……いや、陛下は元より甘いものをさほど好まない。
皇女殿下の好みのものが並べられているのだろう。
「それで、そちらの子がヴォルフラムお兄様のお気に入りかしら? これまで誰もそばに置かなかったお兄様が『守護騎士を選んだ』と話題になっておりましてよ」
「近衛騎士も俺が選んでいるんだがな」
「近衛騎士と守護騎士では違いますもの。皆、興味を引かれるのは仕方がありませんわ」
皇女殿下に視線を向けられ、皇帝陛下が言う。
「これはレーヴという。なかなかに強いが少し癖もあってな、手綱を握るのは意外と大変だぞ」
皇帝陛下の紹介に、礼を執る。
「お初にお目にかかります。皇帝陛下の守護騎士を務めさせていただいております、レーヴ・リンドと申します。遅ればせながら、皇女殿下にご挨拶申し上げます」
皇女殿下の紅い瞳がわたしに向けられる。
「レーヴと呼んでもいいかしら?」
「はい、皇女殿下」
「ありがとう。レーヴはヴォルフラムお兄様の守護騎士になって、大変ではない? ほら、お兄様は少し強引なところがあるでしょう? それに何か思いつくとすぐに実行しようとするから」
ふふふ、とおかしそうに笑う皇女殿下に、皇帝陛下が小さく息を吐く。
「俺の前で訊くことか?」
そう言いながらも、皇帝陛下の声音は普段よりも少し柔らかかった。
「わたしは陛下の守護騎士になってから『大変』と感じたことはありません」
「あら、そうなの?」
意外そうに皇女殿下が目を瞬かせた。
「陛下はわたしの鍛錬についても時間が取れるように気を配ってくださいました。普段の護衛中も、わたし達騎士が警備をしやすいように動き、剣の指導も行い──……むしろ、陛下の守護騎士となってからは日々、やりがいを感じています」
……それに、わたしの生きる理由でもある。
だから守護騎士という職に苦労を感じたこともないし、つらさもない。
皇女殿下はわたしをまじまじと見て、そして笑った。
「お兄様が気に入った理由が何となく分かったわ」
そう言われて、一体どこが気に入られているのか、わたしは疑問だった。
「ねえ、お兄様、わたくしにもレーヴを貸してくださいな」
「断る。これは俺の守護騎士だ。他に似たような者でも探せ」
「まあ、似た者では意味がありませんわ。それはお兄様も理解していらっしゃるでしょう?」
皇女殿下の言葉に皇帝陛下が返す。
「だからこそ、レーヴは誰にも貸さぬ」
「そう……残念ですわ」
「本気ではなかったくせに、残念も何もないだろう」
「ふふ、お兄様に隠しごとはできませんわね」
どうやら皇女殿下の言葉は冗談だったらしい。
そのことにわたしは少し、ホッとした。
……陛下の命であれば従うけれど……。
できれば、わたしは皇帝陛下の守護騎士として過ごしたい。
「こんなくだらない話をするために俺を呼んだわけではあるまい?」
「ええ、もちろん」
皇女殿下がティーカップをテーブルに置く。
「最近、反乱軍の動きが活発になっております」
「ああ、知っている」
……反乱軍? この帝国内に?
目を伏せ、感情を抑えたが、内心では驚いた。
けれども、すぐに気付く。皇帝陛下は前皇帝を殺し、帝位に就いた。
その後に様々な改革を行い、それによって潰れた貴族の家も少なくない。
改革によって家が潰れた者、今まで甘い汁を啜っていたがそれができなくなった者、立場を落とされた者──……皇帝陛下を恨む者は多いだろう。
密かに反乱軍が結成されていたとしても不思議はない。
「だが、あれらは結束力が高いわけではない」
「それについてですが、あまり軽視してもいられないかもしれませんわ」
皇女殿下が小さく息を吐く。
「どういうことだ」
「これまでは個人、もしくは少人数の集まりでしかなかった反乱軍がまとまり始めているのです。わたくしも知ったのは数日前ですが、お兄様に伝えておかなければとお呼びしましたの」
「そうか……何名か紛れ込ませたほうが良さそうだな」
「ええ、あまり大きくなるようでしたら早急に摘む必要もございますでしょう?」
「ああ」
……反乱軍、か。
場合によっては皇帝陛下と共に、反乱軍の掃討に出るかもしれない。
その覚悟だけはしておいたほうが良さそうだ。
「反乱軍についての調査は定期的に行っていたが、動きが早い」
「裏に何者かがいるのは明白ですわね」
皇帝陛下と皇女殿下が頷き合う。
「まあ、大体の予想はつくがな」
皇女殿下はそれに黙って微笑んだ。
皇帝陛下は残っていた紅茶を飲み干し、立ち上がる。
「また来る」
「お待ちしておりますわ、お兄様」
部屋を出て騎士達と合流し、家令の案内で建物の正面玄関に向かった。
歩いている最中にふと、気付く。
……この離宮に飾られている絵画は城内のものか?
絵画の中には王城の庭園や訓練場も含まれており、見覚えがある。
皇女殿下の離宮に飾るにはいささかおかしいように思えた。
わたしが絵画を見ていることに気付いた皇帝陛下が振り向く。
「この離宮の絵画は全て、エーデルリーネの思い出深い場所を描いたものだ」
「そうなのですね」
しかし、何故城内のものばかりなのだろうか。
少し気になったものの、わたしが問うことではないと思い直す。
離宮の外に出て、家令が見送りをする。
馬車のそばまで行こうとした皇帝陛下が一度、家令に振り返った。
「女官長は来ているか?」
「はい、毎週お越しになられております」
「……そうか」
僅かに皇帝陛下の表情が陰ったように見えた。
だが、すぐに家令に背を向けると皇帝陛下は馬車に向かう。
わたし達も追従し、皇帝陛下が馬車に乗り込む。
瞬間、ヒュッと何かが空気を切り裂く音がした。
そのすぐ後に馬の悲鳴が響き、馬車が揺れ、乗りかけていた皇帝陛下の体勢が崩れる。
「陛下!」
とっさに手を伸ばし、皇帝陛下を支えた。
けれども、更に空気を切り裂く音が聞こえ、皇帝陛下を地面に引き倒した。
「っ!」
勢いが強すぎたのか、下から微かに息を詰める音がした。
左肩にカンッと衝撃を受ける。弾かれたものが地面に落ちた。
……矢?
他の騎士達が周囲を警戒する。
離宮の前は開けており、視界が良すぎる。
遮蔽物もないここは矢を射るには最高の場所だろう。
離宮までは距離があり、陛下を歩かせれば確実に射られる。
遮蔽物がないので、矢を防ぐには馬車に乗せるしかない。
「陛下、馬車にお乗りくださ──……」
空を切り裂く音がいくつも聞こえ、陛下の上に覆い被さった。
カンッ、カンカッと何本かの矢が更に鎧に当たる。
間を置かず、左脇のすぐ後ろ辺りに激痛が走った。
……鎧の隙間に当たったか。
元々、重装ではなく、隙間もある。腰に当たらないだけいい。
それでも激痛に一瞬、呼吸が詰まった。
「っ、レーヴ!」
「問題ありません! 陛下、馬車へ!」
起き上がり、飛んできた矢を見つけて剣で払う。
陛下の背中を押し、扉が開いたままの馬車に押し込み、扉を閉める。
「わたしはいい! 陛下を城へ!!」
「ああ!」
他の近衛騎士達に怪我はなさそうだ。
片方の騎士が倒れている馬に繋がれた馬具の一部を剣で切り、もう一人が馬車の後部に移動した。
武具を切った騎士が御者台を見ると小さく舌打ちして何かを引きずり落とし、そこに飛び乗ると馬の手綱を掴み、馬車が走り出そうとしたところで後部にいた騎士が馬車に飛び乗る。
城ならば騎士達は多い。
皇女殿下の離宮内も警備は厚いものの、外は万全とは言いがたい。
ヒュッという音と共にこちらに向かってくる影を剣で弾けば、キンッと音が鳴る。
……よし、あそこまで離れれば……。
この距離なら馬車を使わない限り、追いつけない。
城内で馬車を使えるのは限られるため、さすがに用意はされていない……と思う。
手足が震え、血が下がり、体の力が抜ける。
その場に膝をつき、見れば、頭に矢が刺さった騎士が倒れていた。
……馬車が走り出さないよう、狙われたか。
息苦しく、視界がぼやける。ただ矢が刺さっただけではこうはならないだろう。
……矢尻に毒が塗ってあったか……。
地面に倒れ込む。体が熱いのに、寒い。痛みよりも肩に熱を感じる。
悔いはない。皇帝陛下を守護するのがわたしの役目だ。
わたしが倒れても、もう矢は飛んでこなかった。
やはり皇帝陛下を狙っての襲撃だったようだ。
微かに騒がしい音と声が聞こえるのに、それを聞き取ることができない。
意識が遠のいていく中で感じたのは安堵だった。
……陛下をお守りすることは、できた……。
* * * * *
「なんですって? 離宮の前でお兄様が襲撃を受けた?」
皇女エーデルリーネ・グライフェルドは驚きのあまり立ち上がってしまった。
報告をする家令が頷いた。
「はい、私も見送りに出ておりましたが、皇帝陛下が馬車に乗ろうとされた際に矢が射られました。幸い皇帝陛下は騎士達によって馬車に乗り込み、城に無事お戻りになられたそうです」
「そう……良かった……」
唯一の肉親である兄・ヴォルフラムが無事であることにホッとした。
兄が亡くなれば、エーデルリーネが皇位を継がねばならなくなる。
しかし、エーデルリーネは皇帝になどなりたくはないし、子を生すつもりもない。
こんな時に兄に何かあった時のことを考えてしまうなど最低だと分かっていたが、それでも、ヴォルフラムに何もなかったことに心底安堵した。
「皇帝陛下の守護騎士様が矢に射られて怪我をされて倒れていたので、離宮に運び入れ、治療を施したのですが……」
「守護騎士……レーヴのことね? 怪我の具合はどう?」
「矢尻は骨に達してはおりませんでした。きちんと休養を取り、治せば、問題ないそうです。しかし、その……少々問題がございまして……」
普段は主人であるエーデルリーネに対してハキハキと意見を言う家令が、珍しく言葉を濁している。
その様子からして、他人に聞かせられないのだろうと気付き、他の使用人達を下がらせる。
「それで、問題とは何かしら」
「……治療のために鎧と衣服を脱がせたところ、守護騎士様は、その……女性でした」
「…………え?」
エーデルリーネは聞こえてきた言葉に目を瞬かせた。
……女性? お兄様の守護騎士が?
けれど、そこですぐにハッと気付く。
レーヴ・リンドは男性にしてはやや小柄で、線も細く、中性的な顔立ちであった。
他の騎士に比べて華奢に感じていたが、女性ならばそれも当然だろう。
だが、提出されている公の書類や噂では『レーヴ・リンドは男性』とされていた。
……お兄様は知っていらっしゃるのかしら……。
そこまで考えて、知っているはずだ、と思う。
用心深いヴォルフラムが何の調査もせず、誰かをそばに置くことはない。
分かった上で置いているのだとすれば、エーデルリーネが口を挟む必要はないが、レーヴが性別を偽ったまま守護騎士に就任しているのは事実である。
「それを知っている者達は?」
「医官と私だけです」
「決して口外しないように。レーヴ・リンドは男よ。……誰が何と言おうとね。無理に動かせば傷が悪化するかもしれないから、彼の怪我が癒えるまではここで治療をしてあげて」
「かしこまりました」
家令は一礼し、部屋を退出していく。
……なるほどね。
兄は少し前に妃選びの夜会を開いたそうだが、誰も選ばなかった。
それは、既にそばにレーヴがいるからだろうか。
守護騎士に据えるということは、信頼に値するという意味だ。
ウォルフラムにはもう背中を預けられる相手がおり、他を選ぶつもりがないのか。
「……少し、探りを入れてみようかしら」
兄の考えも、レーヴの考えも、エーデルリーネが察するには難しいものだった。
* * * * *




