【文字の神様】4
「他に方法がなかった……んですよね。天才の私がそう判断した以上、他の呪術師にまかせても見立ては同じだろうし。ぐずぐずしたら死にそうだったから、さっさとやるしかないだろうなって」
呪術部の研究室の長テーブルの端で、書類を広げていたヘレンが珍しく弱気にそう言った。
もさっとした緩慢な動作で、フードを被ったままの頭部を、隣に立つ人物へと向ける。
すらっとした立ち姿の美しい、王弟カイル。
ヘレンの他、その場に居合わせた数名の呪術師及び、暇つぶしで遊びに来ていた聖女フィリスの目には「それ」が見えていた。
見違えるほど生き生きとした王弟カイルの手に握られた、黒い鎖が。鎖は、彼の首にしっかりとはまった首輪につながっていた。
「あのあと、すぐ回復したんですよ。前より全然元気になりました。走っても息切れしませんし、たくさん食べてよく眠れるんです。健康な肉体っていいですね! これもしかして、僕がヘレン様の奴隷になったからでしょうか?」
カイルが手にした首輪の鎖は、ヘレンの体に向かって伸びており、ローブに溶けるようにして同化していた。
「私、美青年を侍らせたい趣味ないので……。隣に来ないでもらえます? 『様』もいらないんですよね……」
ヘレンには鎖が見えているどころか、カイルの動きに沿って、現実感を伴う音も聞こえている。ちゃりちゃりと、カイルは妙に楽しげに鎖を鳴らしながら、つれないヘレンの態度をものともせずに話し続けた。
「口が勝手に、様付けしちゃうんだよね。ヘレン様って。これは僕が、君に服従させられているってことでいいのかな? 鎖でもしっかり繋がっているし。僕たち、もう離れられないね」
「離れても大丈夫ですよ? その鎖、結構伸びるみたいなので! 私はいま身の回りで困りごともなく、奴隷にお願いしたいこともさしあたり何もありません! いらないのです!」
カイルは目を細めて、くすっと笑い声をもらした。
「呪いが解けただけで、こんなに健康になれるなんて思ってもいなかったんですよ。こんなことなら、一切遠慮しないでもう一つの紋にしておけば良かったかも。もちろん、ヘレン様が相手してくれるんですよね?」
さらーっと言われて、ヘレンはテーブルの上に広げていた書類をがさがさとかき集めながら、カイルの方を見もせずに返事をした。
「あのですね! あのときのあなたには本当に強力で邪悪な紋が刻まれていたんです! 誰かの眷属にされているようなやつ! 解き方がわからなかったから、私が思いつく限りでこの近辺で一番強めの呪術師、つまり私との結びつきを強める紋を刻んだだけで! 眷属にしたいとか使い魔にしたいとか、何も意味はないですから!」
「うん。眷属とか使い魔じゃなくて、君と僕は御主人様と奴隷の関係になったんだよね? 意味がないなら、これから作っていけばいいと思う。ふふっ、楽しみだなぁ」
カイルは、いかにも愛しげな目つきで、うっとりとヘレンを見つめる。「おおぅ、寒気」と言い捨てて、ヘレンは立ち上がった。
「こんな胡散臭い呪術師に、王弟殿下がまとわりついてどうするんですか! 男のヤンデレにどんな需要があるっていうんです!?」
騒ぎながら足早に歩き出す。カイルは余裕綽々の表情で、鎖を手で持ちながらその後に続いた。
「ヘレン様はとても綺麗な声をしていますよね。僕、好きだな」
「いいですからそういうの!」
肩越しに振り返って大声で言い返し、そのままヘレンは戸口へと向かった。
ちょうどそこに立っていた背の高い人物の胸に、勢いよく飛び込んでしまう。
「わっ」
「大丈夫か、ヘレン。思いっきり打ったな」
気の毒そうに声をかけたのは、会議に出席した帰りのメルヴィンである。
鼻ぶつけた……と呻きながら、ヘレンはふと何かに気づいたように顔を上げた。
フードが外れている。
痛みで潤んだ青い瞳を見開き、言葉もなくメルヴィンを見上げてから、緩慢な動作で鎖の繋がったカイルを振り返った。
「へぇ。御主人様が美人かどうかは気にしていなかったんだけど、そんなに可愛かったんだ。嬉しいなぁ、仕え甲斐がある」
カイルは鎖を持ち上げて呟き、目が合うと嬉しそうに笑った。ヘレンを見つめながら、悩ましげな表情となって「やっぱり淫紋にしておけば良かった」と付け足すように言った。
メルヴィンは、むっと眉をしかめた。その表情の変化に気づいた様子もなく、焦ったヘレンはメルヴィンの胸ぐらを掴んで早口に言う。
「ねええ、もうやだ。もうやなんですけど、部長。労災です! あの奴隷引き取ってください。いますぐ!」
「引き取りたいのはやまやまなんだが、それもこれも元の呪いをどうにかしないと。奴隷紋を解除したところで、カイル様が元の呪いの主に見出されたらまた衰弱するんじゃないか?」
もっともなことを言い返されて、ヘレンは「うぅ~」と唸る。
二人のやりとりを見ていたカイルは「ああ」と薄く笑って言った。
「部長、僕の御主人様と仲が良いみたいですけど、御主人様は僕のものですよ」
「それを言うなら、カイル様がヘレンのものなのでは?」
「あはは。そうだった。それです。僕はヘレン様のもの。だから部長のものにはなれません。僕を引き取りたいなんて、冗談でも言ってはいけませんよ」
爽やかに、カイルは笑う。
納得できないヘレンはなおも騒ぎ、メルヴィンはヘレンの肩を持つ。しかし結局のところ「元の呪いの主がわからないのでいまは対応できない」という結論に至らざるを得ない不毛な会話を、三人はそれからしばらくの間続けた。
長テーブルに向かって、椅子に腰掛けていたフィリスは、頬杖をつき、足をぶらぶらさせながら見守っていた。
やがて解散となるも、カイルは「明日から呪術部に日参します。奴隷なので。おみやげは何がいいですか? ヘレン様は甘いお菓子はお好きですか?」と甘やかすようなことを言って部屋を出て行った。
ばたん、と背中すれすれでドアが閉じられる。
カイルはにこりと不敵に笑い、首輪から垂れ下がった鎖を引きずりながら廊下を歩き出した。
呪術部の研究室は王宮の端に位置しており、見渡す限りひとはいない。
顔を上げて、カイルは独り呟いた。
「僕に呪いをかけたのは、文字の神様なんですよね。呪われたときの言葉を覚えています。相手は神様だから手強いと思うんですけど、御主人様は僕のために戦ってくれるのかな」
誰もいないその場で、カイルは呪いを受けたときに脳裏に響いた言葉を、うたうように口にした。
文字の神の呪い。
死んだように生きていたカイルに対し、文字の神は言ったのだ。その生に物語を見い出せ、と。
指先で、カイルの体に刻まれた文字――
“物語のように生き、死して後は物語となれ”
「御主人様がいたら、これから先の僕の人生は、きっと楽しいだろうな」
呪いで繋がる鎖を引きずりながら、カイルは楽しげに歩き続けた。
★第二章ここまで。
短編「呪いの祝福あれ」を書いてから「文字の神様」を書いていたんですが、
短編+短編で出すとあとあと連載にしづらいな……ということで連載形式にて。
第三章以降のエピソードは作者の書きたいタイミングで書きます。
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