【文字の神様】2
銀色の長い髪が枕に広がり、瞳は閉ざされたまま。青白く生気のない、死人のような顔で青年はベッドに横たわっていた。
王弟カイルそのひとである。
「ああこれ、呪われてますね。相当きつい呪いです」
天蓋付きのベッドをのぞきこみ、一瞥してヘレンはそう断言をした。
呪術部は王宮の他の機関と同じく正式な組織であり、ヘレンは貴族出身で身元のたしかな正規の呪術師であるが、ローブ姿の見た目は大変胡散臭い。メルヴィンが付き添っているので、かろうじて王宮内で捕縛されずに歩き回れているという有り様だ。
このときも、上司であるメルヴィンが助手のように付き添っている。
「カイルを狙うなんて、どんな卑怯な相手なんだ。王家の力を削ぎたいのなら、まわりくどいことせずとも陛下に向かっていけばいいものを。陛下なら、どんな不届き者でもハエを叩き落とすよりも簡単に跳ね返すはずだ」
納得いかない様子でぶつぶつと言っているのは、宰相補佐官のフランシス・キーソン侯爵。黒髪に琥珀色の瞳の美丈夫で、カイルとは幼馴染の間柄であり、倒れてからは毎日のように見舞いと看病に顔を出しているという。
フランシスの発言は、好意的にとらえれば女王に対しての圧倒的な信頼であるが、一周回って身の安全を軽視する不敬発言でもある。ヘレンもメルヴィンも、聞かなかったことにしておいた。
カイルの様子を確認したヘレンは、フードを目深に被ったままフランシスに向き直って告げる。
「呪いの類だからといって、誰かからの恨み憎しみばかりではないです。もっと単純に、呪われたものに触れてしまったということも考えられます」
「カイルの行動範囲は広くない。王宮内でも限られた場所にしか行かないぞ。それでどんな呪いの罠に引っかかるというんだ」
フランシスは、いかにも「なんだこの胡散臭い女は」といった様子で眉をしかめつつも、必要な情報を適宜口にする。
それを耳にしたヘレンは、早速思いついたとばかりに「あ」と言った。
「狭いからこそ、引っかかるというのはあるでしょうね。たとえばカイル様を狙ったものではなくとも、王族の誰かが引っかかれば良いという大雑把な狙いで仕掛けられた呪いもありえますでしょう。他の者は近寄らないけど、王族の特権として踏み込める場所など、カイル様が足を向けそうな場所に心当たりはありませんか?」
「カイルが行きそうな場所……図書館か?」
ヘレンのことをまったく信用していない態度ながらも、聞かれたことにはしっかり答えるフランシスである。
横で耳を傾けていたメルヴィンが、ヘレンの言葉を引き継いでさらに問いを重ねた。
「図書館で、王族だけが入れる禁書庫とかありませんか? 禁書っていうのは禁書指定を受ける理由のあるものだから、呪われたものが紛れ込んでいるおそれは十分にありますよ」
「あ~……なるほど。言われてみればカイル、寝込む前に図書館に通っていたかもしれない。でも、図書館通いなんて昔からだからな……。普段なら従者のひとりくらいは同行するだろうが……いや、危険な場所でもないから、ひとりでふらっと行っていたかもしれないな。俺もそこまでは気にしたことがない」
考えながら答えたフランシスの横で、ヘレンがフードの下でへらっと笑った。笑ったように、空気が揺らめいた。
「それは普通ですよ。それ以上こと細かに見ていたら、ただの友達というのはちょっと苦しいです。普通に激重執着ストーカーーか、隙を狙ってカイル様をはめようと悪巧みしているかのどちらかでしょう?」
「ほぉ。言うなぁ、そこの女呪術師。その二択なら俺はストーカーで構わないぞ。カイルを陥れようとか、傷つけようと思ったことなんて一度もないからな」
こめかみにイラッとした青筋を立てつつ、フランシスはこわばった笑顔で言う。ストーカー呼ばわりに内心穏やかではないだろうに、受けてたつのは意地ゆえか。
しれーっと聞き流したヘレンは、捨て台詞というほどの感慨もなく、ひとこと呟いた。
「男のヤンデレってどこに需要があるのかな」
「メルヴィン。お前の部下、処分させてくれ」
いきりたったフランシスがヘレンに向かうのを、メルヴィンがさりげなく間に体をねじこんで遮り「いまはそれどころじゃないです」と話を逸らした。「こっちもそれどころじゃない」と譲らないフランシス。
二人に会話をさせたままにして、ヘレンは目を閉ざしたカイルのそばへと歩み寄った。
フードを被ったまま見下ろし、かすかに首をかしげてから、やにわにその細い首へと手を伸ばして締め上げる。
「あ、おい、何をする!」
「解呪の手順です」
前のめりになって腕を伸ばすフランシスを、メルヴィンが体を張って押さえる。
「それにしたって乱暴だろ! あっ、あーっ!」
悲鳴を上げた視線の先で、ヘレンはカイルの首を締め上げ、持ち上げていた。無理やりに体を起こされたカイルは、ごほ、と嫌な咳をしながら薄く目を開ける。
「……誰? 乱暴なひとだね……」
ヘレンはさっと手を離した。カイルは枕に投げ出されて、ごほごほと咳き込む。
「体を検めさせてもらいます。どこかに印が……紋が浮いているはずです」
おい、乱暴はよせ! とわめくフランシスをメルヴィンに任せたまま、ヘレンはカイルの身に着けていた寝間着の前をはだけて、むきだしとなった肌へと視線をすべらせた。
そこに、いくつもの線が絡まりあったようなものを幻視して「なんだろうこれ」と呟いた。
「すごく強い紋だ。何かとんでもない相手と出会って、無理やりに契約を結ばされたように見えます。命を削るような」
独り言のように、ヘレンは考えながらぶつぶつと言う。フランシスをなんとか抑え込んでいたメルヴィンが、乱闘さながらの状態から「消せないのか?」と声を張り上げた。
「消すのは難しいけど、上書きならできないこともないかなぁ……? えぇと、カイル様」
ぼやきながら、ヘレンは澄んだ声でカイルを呼ぶ。
「……きこえているよ」
真っ青な顔で、目を閉ざしたままカイルが答えた。その様子をじっと見つめながら、ヘレンが尋ねた。
「あなたはいま、あなたの体を蝕む存在と強制的になんらかの契約を結ばされています。相手が誰かよくわかりませんし、解呪方法もわかりません。いま私にできるのは、その紋の上に私の紋を刻み、契約主を私だとあえて誤認させることです」
「うん……」
「私との結びつきを強くするための紋です。二種類あります、選んでください。ひとつは淫紋。私を見ると淫らな気持ちになります。もうひとつは奴隷紋。とにかく私に奉仕するのが自分の使命だと錯覚します。どちらがいいですか?」
はーー!? と、フランシスが野太い声で叫んだ。
メルヴィンもまた「その二択は問題がありすぎる」とこわばった顔で口を挟む。
横たわったままのカイルは、緩慢に瞼を開けて、虚空を見つめながら答えた。
「奴隷紋のほうで」
「了解しました」
やめろぉぉぉぉぉというフランシスの絶叫を聞き流しながら、ヘレンはカイルの剥き出しの鎖骨周辺に指で触れ、何かを書く仕草をした。
ぶつぶつと呟きながら指で書き続け、ふっと息を吐き出したときにはその場に崩れ落ちる。
メルヴィンはうっかり手がすべったというていでフランシスを遠くへと突き飛ばしつつ、膝をついたヘレンに腕を伸ばし、抱き上げた。
深い溜め息をつき、ヘレンはメルヴィンの胸に頭をもたれかける。ぐったりした体を抱く手に力をこめながら、メルヴィンはうかがうような調子でヘレンを見下ろした。
「あー……のさ、ヘレン。書いたんだ?」
「ヘマはしませんよ。きっちり書いておきました、奴隷紋」
「そう。そうか……ヘレンがそう言うなら完璧なんだろうな。カイル様はヘレンの奴隷になったか」
「はい。べつにいらないんですけどね、奴隷」
投げやりに言い捨てて、ヘレンは吐息した。
「おい、どういうことだ! カイルを奴隷にしたって……」
メルヴィンの腕の中で、ヘレンはぴくりとも動かない。問いには、メルヴィンが答えた。
「まずは経過観察をお願いします。呼吸が楽になっていそうですし、先程より顔色が良いです。胃に負担を与えないものから、食事を再開するようにして様子を見てください。回復しないようであれば、またご相談ください」
まったく納得していない様子のフランシスに「では」と言い置き、ヘレンを抱えたままメルヴィンは部屋を後にした。
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