【文字の神様】1
カイル王子は余命わずかだ。命の灯火はまもなく消える。
聖女フィリスよ、祈りで彼を天へと送り届けてくれ。
神殿に嘆願が届き、フィリスは病床の王子の元へと向かった。
* * *
「全然無理でしたのー!! 聖魔法がひとつも効かないんですもの。効かなすぎて逆に確信しちゃいました。あれは病気による衰弱ではなくて、もっと邪悪なものよ。はい、邪悪といえば? 我が王宮が誇る邪悪担当の出番です!」
邪悪担当こと、冷や飯食らいの王宮呪術部の研究室に姿を見せた聖女フィリスは、だぼだぼのローブで顔や体の線を隠し、個性を消してうごめく呪術部員たち相手に戸口で勢いよくまくしたてた。
もそもそ……。
反応はひたすら鈍く、誰一人顔を上げない。話に食いつくことなく、闇の凝ったような室内で研究書を読んだり、実験道具を片付けたりとそれまでしていた動作を続けている。
フィリスは、清らかな美貌に笑みを浮かべ、瞳には剣呑な瞳を閃かせて唇を開いた。
「ヘレン? いるんでしょ? 穀潰しイモムシたちのフードをひとつひとつ取って確認する気はないの、いたら返事! 金づるになる話を持ち込んであげてるんだから、少しはやる気見せてよ!」
もそっ……。
鈍い動きをしていたひとりが、フィリスに背を向けたまま、足を止める。「聖女、口悪い」ぼそりと呟いて、またもそもそと動き出した。
それを、フィリスは聞き逃さなかった。
「いまのはなぁに? 私の口が悪いからってなんだっていうの? あなたなんか呪術部にいる時点でただの負け組じゃないの、聖女に向かってそんな口きいていいと思っているの? ……あら」
ずんずんと室内を横切り、率直な感想を口にした「穀潰しイモムシ」のフードを、背伸びして剥ぎ取る。
フードの下から現れたのは、黒髪に琥珀色の瞳をした、顔立ちの美しい少年だった。
「……あの。邪魔なんで。もういいすか」
進行方向に立つフィリスに行く手を遮られた少年は、ぼそぼそとした口ぶりでそう言うと、両腕で重そうな壺を抱えたままフィリスを避けて歩き出した。
その動きを目で追い、立ち去る背中を見つめてフィリスは「えーっ!?」と声を張り上げた。
「塵塚に鶴すぎるでしょう……!! なんなのその顔!! もっとよく見せてよ、美少年だった!!」
昼間でも薄暗い室内に、フィリスの騒ぎ声だけが響く。
たまりかねたように、窓際にしゃがみこんで本を読んでいたひとりが立ち上がった。
「あー、うるさいうるさい。あの顔が好きなら、石膏で型取って持っていけば? ついでにメルヴィン部長の型もとっておこうか? あのひとも『泥中の蓮』とか『雑魚の中の海神』って、呪術部においておくのは惜しい顔で有名なんだよね?」
「ヘレン! 石膏で型ってどうやってとるの? 裸?」
「いや、顔って言ってるんだけど……。全身欲しいの? 裸の? 高いよ?」
顔はフードに覆われているが、声から女性とわかる。
流れのままに商談を始めようとした呪術師を相手に、フィリスは「ヘレン、やっぱりいたのね。その話はあとで詳しく」と言って遮り、本題に戻した。
「あなたに頼みがあってきたのよ。カイル王子のことで。いまにも天に召されそうなお姿だったけど、あれは病気じゃないと思う。苦しみを緩和する聖魔法が何も効かなかったもの。たぶんあれはなんらかの呪術だと思うわ。あなたの得意分野よ」
「こっちにはまだ、話がきていない」
話し合っている二人の背後に、背の高い人物が立った。
「その件、正式に呪術部に依頼がきたよ。カイル様の不調は呪術ではないかと」
涼しい声で告げたのは、王宮呪術部の長メルヴィン・デルガト侯爵。絹糸のような金髪と澄んだ水色の瞳の、優しげな顔立ちをした長身の青年である。変人揃いの呪術部で他部署との折衝のすべてを引き受けている常識人、とされている。
あら、とフィリスは大きな青い目を見開いてメルヴィンを見上げた。清楚な美貌で、可憐な上目遣い。
「ごきげんよう。話が早くてさすがですわ! 女王陛下が頼りになさっているだけありますわね!」
手放しでメルヴィンを褒めちぎるフィリス。
やりとりをぼーっと眺めていたフード姿のヘレンは、つまらなさそうに口を挟んだ。
「フィリスが、部長の裸が欲しいみたいです。高値をつけるので型取りに協力していただけますか?」
メルヴィンは爽やかな笑顔を浮かべて即答する。
「だめに決まっている。だいたい、用途はなんだ」
「……鑑賞? あ、どうなんですかね。部長の顔は大変お綺麗だと思いますけど、肉体的には貧相でたいしたことない感じですか? つまり鑑賞には向かない」
とめどなく戯言を口にするヘレンを前に、メルヴィンは肩をそびやかし、ジャケットの合わせ目を指で掴みながら睨みつけるように目を細めた。
「たいしたことないってどういう意味だ。ヘレンは、男の裸に一家言あるのか? 脱ぐぞ」
ヘレンは「えっ」と声を上げて身を引いた。顔の前でぶんぶんと手を振り「いりませんから」と焦ったように言う。
「私の前で脱がれても困ります。い、いちおう男女で上司と部下で裸の付き合いなんて」
「石膏で型取りするんじゃないのか? そうか、いらないか」
そのまま前裾をぴっと手でつまんで伸ばす仕草をすると、メルヴィンは口の端を吊り上げて挑戦的な笑みを浮かべた。
フィリスや他の呪術師たちの視線を集めていることに気づき、いつも通りの柔和な表情を取り戻す。
「カイル王子……、姉姫様が即位されたので現在は王弟殿下とお呼びするのがふさわしいところですが。もともとお体は丈夫ではなかったのですが、三ヶ月前にお風邪を召してから寝込みがちになり、最近意識に混濁が見られるようになってきた、と。御典医は危篤と診断。巡礼に出ていたフィリス様のお帰りを待って聖魔法による緩和措置が取られたものの、容態に変化の兆しもなく……。健康なひとがある日突然倒れたわけじゃないからね、原因は呪術ではないかと考えられて、こちらに話がくるまでに、少し時間がかかったようだ」
メルヴィンの丁寧な説明に対し、穀潰しイモムシ姿のヘレンは身動きもせず、聞いているのかいないのか。
すかさず、フィリスが補足説明をする。
「平たく言うとね、カイル様は呪われるほど恨みを買う人物とは考えられていなかったのよ。王位は女王陛下が継いでらっしゃるし、御本人はお体が弱く、陛下と対立してまであえて擁立しようという動きもなく、派閥なんてものもなくて。性格は温厚で、周囲の者にもお優しい。女性問題を起こしたこともない」
そこまで聞き終えたヘレンは「なるほど」と言った。
「無風だ。生きていてもいなくても、たいして変わらない。存在することでその方の周囲に雇用は発生するわけだから、周囲にとっては生きていてくれたほうがいい存在だよね。呪い殺す道理がない」
聞き捨てならないとばかりに、メルヴィンが口を挟む。
「君は少し黙ることを覚えたほうがいい。行くぞ、さっさと仕事をしろ」
言うなり、さっさと歩き出した。
いまだって仕事中なのに……と面倒そうに呟きながら、ヘレンはその背を追うのだった。
* * *