【呪いの祝福あれ】4
呪術部のヘレンは正しく世捨て人である。フードを取った素顔を知る者は、ごく少数だ。
夜会に参加する日に向けて、実に一年ぶりに家に帰るようになり、準備を進めてきたとのことであるが、メルヴィンが馬車で迎えに行ったときにはドレスの上に相変わらずフード付きのローブを身に着けていた。
「どうせ今日、たくさんの人に見られるのに」
馬車で隣り合って座ったところで、メルヴィンがぼそりと言った。
「それは仕方ないですけど、私はこの格好が好きなんです。落ち着きます」
ヘレンの答えはそっけない。
しばらく二人の間で会話はなかった。しかし、もうすぐ会場に着くという頃になって、メルヴィンがあらたまった口調で言う。
「乗り気じゃないなら、欠席でも良いんだぞ。君が好きなのは呪術だけだと知っている。交渉事は私の仕事だ。女王陛下には、あとからなんとでも言える」
「そこまで私に気を遣わなくてもいいですよ。私は、今回はここまでが仕事の内だと考えていますので」
ヘレンらしからぬ殊勝な返事に、メルヴィンは片眉を跳ね上げて「ふぅん?」と探るような声を上げ、視線を流す。
「そういえば、公爵家からの差し入れを伝える際に『牛一頭分』と、私は言わなかった。君が公爵閣下から依頼を受けたときにふっかけたのか? 呪いの対価に。あのときへろへろになっていたのは、聖女とか聖人に呪いを解かれまいと戦っていたからで、あの場でようやく自分でかけた呪いの解除ができた、ということで」
ぐう。
わざとらしい寝息で答えて、ローブ姿のヘレンはもそもそと背を向けた。その背に向かって、メルヴィンは声をかける。着いたぞ、と。
* * *
その日、女王主催の夜会で社交界の話題をさらったのは、会場に揃って姿を見せたとあるカップル。
デルガト侯爵と、名を知られていない令嬢である。
かねてよりその美貌で名高かった侯爵がエスコートしてきたのは、鮮やかな赤毛に、引き締まったボディの麗しい乙女だった。
瞳は湖面のように澄んだ青で、顔立ちは凛々しくも可憐であり、どこにこれほどの美女が名も知られずにいたのかと、騒ぎが巻き起こった。
令嬢は誰に何を聞かれてもそつのない受け答えをしつつ、自らの素性に関しては品よく隠して、追求を受けても笑顔でやり過ごす。
ひとによっては「まるで呪術で煙に巻かれたようだった」と言うほど、その手腕は鮮やかなものだった。
「実際に呪いなんだよな。君、面倒くさくなるとすぐ相手に呪いをかけるのはやめなさい」
夜会の場でひとしきりアピールした後は「人から注目されにくくなる」呪いを自らにかけ、ヘレンは気持ち良いほどばくばくと料理を食べていた。メルヴィンはヘレンの手元を確認しつつ、どうせ食べ足りないであろうと、肉類をよそってきた皿を差し出しながら声をかける。
ありがたく皿を受け取ったヘレンは「最初に現れたときに『美人だ!』ってはったりきかせられたので、あとは良いんですよ。私よりも、婚約を発表する公爵閣下に話題になっていただかなくては」と言いながら、ワインをごくごくと飲んだ。
ふう、とメルヴィンは小さく吐息する。
「がっついているのに、意地汚く見えないのは、君本当に育ちが良いんだよね。ご両親のおかげだと思うよ。感謝しなさい」
「体が筋肉質なのは、日々の労働と自分の鍛錬のたまものですけどね」
なぜか負けじと言い返してくるヘレンをじっと見つめて、メルヴィンはもののついでのようにさりげなく続けた。
「綺麗だよ。君が綺麗かどうか気にしたこともなかったけど、そこまでとは思わなかった」
んぐ、とヘレンはワインにむせた。大丈夫? というメルヴィンに「大丈夫です」と答えつつ咳き込んでから、ほんのり涙の滲んだ目でメルヴィンを見上げた。
「恋人みたいにきざなこと言うの、やめてくださいよ」
「セクハラだって? はいはい。そういう話になると思ったから、あのとき女王陛下に断ろうとしたのに。言っておくけど、私は最初から全然嫌じゃなかったし、役得だと思っているよ。ただ君が嫌かもしれないと……」
話をしている最中に、ヘレンは「あっちのケーキも美味しそう!」と言いながらメルヴィンに背を向けて、走り出した。
「私はいつも、出会ったときから、そういう君の背を追いかけてるんだよなぁ」
メルヴィンは呟き、口元に笑みを浮かべて、走り出したヘレンの後に続いたのだった。