【呪いの祝福あれ】3
ウェインライト公爵、騎士姫ミッシェルは、女王の私的空間である奥宮内に部屋を用意されており、ヘレンとメルヴィンは恐れ多くもその寝所まで通された。
聖女や聖人、その筋の正攻法の人々がさじを投げたというだけあり、ミッシェルは死人のような顔色の悪さで眠りについていた。顔には、うっすらと涙の跡がある。
できるか、とメルヴィンに小声で聞かれたヘレンは「牛一頭分のビーフジャーキーの恩に報います」と厳かに答えると、掛布を持ち上げてミッシェルの手を取る。
そして、長いことそのまま動かなかった。
「デルガト侯爵。彼女は何をしているの?」
メルヴィンの後ろから、女王が声をひそめて尋ねる。
「呪術の系統を調べているんだと思います」
「本当に、大丈夫なの?」
集中しているヘレンの背を見ていたメルヴィンは、そこで女王を振り返って告げた。
「彼女は、私が足元にも及ばない天才なんです。彼女の研究環境を維持するために、面倒な交渉事は私が全部引き受けようと思うほどに。なんのご心配にも及びませんよ、必ずやり遂げますから」
それは、全幅の信頼を置いているという告白。毒気が抜かれたように、女王は「あらぁ~」と感嘆の吐息をもらす。
「あなたにそこまで言わせるなんて、すごいことね。期待しちゃうわ」
「期待してください。最高の結果をお見せしましょう」
メルヴィンは力強く答えて、ヘレンへと視線を戻す。
それからしばらく後、ヘレンは「そういうことか」と疲れた声で呟き、ミッシェルの手を離した。踵を返して戻ってこようとして、がくんと膝から崩れ落ちる。メルヴィンが駆け寄り、腰を抱きかかえるようにしてその体を支えた。
「大丈夫か」
「問題ありません。集中しすぎてお腹が空いただけです」
意地を張ったように言い返し、ヘレンはメルヴィンの手から逃れようとする。メルヴィンは、一度は手を離したものの、ヘレンの足元がおぼつかないのを見ると、覚悟を決めたように両腕を伸ばしてヘレンを抱き上げた。
「部長、何するんですか!」
「王宮の端の研究室に帰るまで、百年かかりそうな足取りだったからだよ。ここは貴人の部屋であって我々が長居するところではない」
ヘレンの抵抗を抑え込んだ上で、メルヴィンは厳しい声で問いただす。
「それで、公爵閣下の呪術はどうなった?」
「だいたい、わかりました」
暴れる体力も尽きたのか、諦めたのか、ヘレンはがくりと脱力してメルヴィンの腕に身を預けつつ、答える。
ハッと女王は息を呑んだ。
「解けるということ!?」
「解けます。というか、聖女や聖人とかその筋のひとのおかげで最初にかけられた『深い眠り』の呪いはもう解けているんですけど、目覚めない原因は他にあるんです。呪術で頭の中を探ってきました」
メルヴィンは「そんなこともできたのか」と小さく呟いたが、女王はそれどころではない。
「なに? どういうこと? どうしてミッシェルは目を開けてくれないの?」
勢い込んで前のめりになった女王に対し、ヘレンはフードの陰から顔も見せずに言った。
「プレッシャー。あるいは、疲労ですね。自分がいる限り、女王陛下並びにこの国の年頃のご令嬢が結婚に前向きにならないのではないかと、気に病んでいます。公爵閣下は、実は心に思っている男性がいて、告白して結婚したいみたいです。でも、女王陛下とお茶会をするとすぐに『男なんていらないわよね!』という話になってしまって、言い出せなくて悩んでいます。ご令嬢方からも『いつまでもかっこよくいてください!』って目で見られているし。でも、他人の理想通りの強い女でいるのもいい加減疲れたなってぼやいて泣いていました。呪いの中で」
まあ疲れますよね、とヘレンは気のない様子で言う。間近な位置でそれを耳にしたメルヴィンは「君もそう思うことがあるのか?」と興味をそそられた顔で尋ねた。ヘレンは聞かれた内容をよく理解できぬ様子で「私は他人の理想になったことがないので」と微妙に噛み合わぬ返答をする。
女王は、バサバサ音のしそうな長いまつ毛を揺らし、唇を震わせて「そんな、わたくしのせいで、ミッシェルは目覚めたくないだなんて……!」と言っていたが、五秒ほどで立ち直った。
「水臭いですわ! 言ってくれればこの国一番の花嫁として、盛大に送り出したものを! まさかのミッシェルに限って、わたくしの顔色をうかがって、好きな男性に告白のひとつもできないでいたなんて!」
言うなり、背後に控えていた侍女や侍従に「ミッシェルの好きな男性を、至急ここに連れてきて! たぶん騎士団長よ!」と命令を下す。
その声を聞きながら、ヘレンはメルヴィンに「帰りましょう。閣下は、まもなく目を覚まします」と声をかけた。
「君が私に運ばれることに納得しているのなら、私は構わないんだが。このまま研究室に戻るのか? それとも、たまには家に帰るのか? 送るが」
「やめてくださいよ。死んだはずの娘が、侯爵様に馬車で送られてきたら、両親がひっくり返ります。戻るのは研究室ですよ」
フードの陰から、ヘレンはぼそぼそとした声で答える。
ふと、二人の会話に気づいた女王が振り返り、メルヴィンとヘレンを潤んだ瞳で見つめて言った。
「あなたたち、どうもありがとう。わたくし、ミッシェルがそばにいてくれたら、男なんていらないってずっと思っていたわ。その考えを押し付けるばかりで、ミッシェル自身の考えをきちんと聞いていなかった。大切なことに気づく機会があって、良かったわ」
あ、はい、とヘレンは珍しくしおらしい声で返事をする。さすがに、相手が女王であるということはわかっているのである。
女王は、深々とため息をつき、独白のように続けた。
「たしかに、社交界にも良い影響は無かったわね。『女王より先に結婚するのは恐れ多い』という変な遠慮もあったみたい。それでますます、令嬢たちはミッシェルにのめりこむのよ。罪悪感なく推せる騎士姫様として。ミッシェルだって、呪われたのを幸いに、ここぞとばかりに休暇とりたくなるわよねえ」
呪い……幸い? とメルヴィンは呟いていたが、ヘレンはその響きにいたく感銘を受けたように「わかります、わかります」としきりと頷いていた。
「呪いというのは幸いなのですよ……! 呪いの祝福あれ!」
「ヘレンは黙るように」
さりげなくメルヴィンが遮ったものの、女王はそこでヘレンの存在を思い出したように再び目を向けてくる。そして、ヘレンとメルヴィンを交互に見て、言った。
「あなたたち、偽装カップルしてくださらない? ええ、見れば見るほどお似合いだわ。偽装どころか本当で全然構わないのだけど。似合っているのだから」
「どこがですか?」
メルヴィンが真顔で聞き返したが、女王の耳には届かなかったらしい。うんうんと頷きながら、自分の考えに浸っている。
「わたくし、こういうことはきちんと覚えているんですけど、ヘレン嬢は社交界デビューもしていないでしょう? 誰にも顔を知られていない。そして、デルガト侯爵はといえば、全然顔見世しないわけじゃないけど、出てくれば騒ぎになるでしょう。なにしろ『雑魚の中の海神』ですもの」
「それ、本当に誰が言い出したんですかね」
呆れた様子のメルヴィンに構わず、女王は「だから、ちょうどいいわ」と話を締めくくった。
「ひそかに人気を集めていた未婚の青年貴族が、素敵なご令嬢と姿を見せたら、社交界騒然、話題独り占めよ! いままで『男なんて』『ミッシェル様がいれば』と言い合っていた令嬢方が、『先を越されてなるものか!』と騒ぎになること請け合いよ。そうしましょう」
「勝手に決めないでください」
メルヴィンはあくまで抵抗したが、女王はしれっと言い返す。
「そうでなければ、あなたにわたくしのエスコートを命じるわよ? 次の夜会ではミッシェルにドレスを勧めるつもりなの。誰か代わりが必要になるわ。そのままわたくしと結婚コース。あなたがそれで良いなら、わたくしもやぶさかではないけれど?」
そこはやぶさかでいてほしい、とメルヴィンが呟く。
おとなしくその腕に収まって話を聞いていたヘレンは、そこで仰々しくため息をついて、口をはさんだ。
「仕方ありませんよ、部長。こうなったら私も一回くらいは夜会に出ます。それでこの場を収めておきましょう」
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