【呪術師は今日も忙しい】6
「遠慮をしないというのは、具体的にはどういう意味ですか?」
メルヴィンの声が一段低くなり、いつも柔らかなまなざしが別人のような鋭さを帯びる。
向かい合う者の心胆寒からしめる迫力で、メルヴィンは話を続けた。
「ヘレンは私の大切な部下です。悪質なつきまとい行為に続き、まるで次なる悪事を予告するかのような言動とは。私としましても、これ以上見逃すことはできそうにありません」
氷雪を吐き出すが如く、メルヴィンが話すほどに場の気温が下がり続けている。
レジナルドはその圧力に屈することもなく、にこにこと笑いながら言った。
「『これ以上』どころか、最初から見逃す気は全然なかったですよね? デルガト侯爵にとって、ヘレンは『大切な部下』のひとことで言い表せる相手ではない」
あら~、とフィリスが間の抜けた声を上げた。これまではフィリスの横で愛想よく相槌を打っていたカイルは、このときばかりは押し黙ったまま、厳しい表情でメルヴィンを見つめている。
緊張感が高まり、まさに一触即発の空気の中、それまで口を挟まずにぼさっと突っ立っていたグレアムが淡々と言った。
「部長のお怒りはもっともなんですけど、来るのが少し遅かったと思います。レジナルド様からヘレンへの妄執まみれの呪いは俺が承っておりまして、しっかりダメージ入れておきましたので。さすがヘレンだけあって身動きくらいはできているみたいですけど、よく見てください。辛そうでしょう? 脂汗かいてる」
メルヴィンが、ゆっくりとヘレンを振り返る。
頭や胸に痛みを抱えたまま、無理やりに動き回っていたヘレンは、その視線に射すくめられて硬直した。
「……ヘレン。以前私が渡した護符は」
重々しくも簡潔に問いかけられて、ヘレンはこわばった頬に笑みを浮かべる。
「どこかに……置いてきてしまって」
こめかみに、じわりと汗が滲んでいた。メルヴィンは無言でヘレンを見つめ、ゆっくりと首を傾げた。
「なくしてしまったなら、私に言えばいいのに。いくらでも、新しいものを用意する」
あはは、とヘレンは力なく笑う。メルヴィンの小言を真に受けたかどうか、判然としない受け答えであった。
二人のやりとりを見ていたカイルが、すかさず自分の考えを口にした。
「もしかして、ヘレン様が護符の類を持たないのは、僕のためかな? 以前は持っていたと思う。不用意に近づいたら護符が反応して、急激に力が抜けたことがあったから……。あれは生命力を吸引するような物騒な護符だったと思うんだけど、僕は奴隷紋が刻まれているし、鎖で結ばれているから気をつけていても近づいてしまうことがたびたびあって。うっかり僕を殺さないように、護符を持たないようにしたんじゃないかな。ヘレン様、そうですよね?」
確信を持って問いかけられたヘレンは、そうだとも違うとも言わず、そっと横を向いた。
その横顔を見て、メルヴィンが「ああ……」と彼らしくもない低い唸り声のような吐息をもらす。
「あの護符が役に立つ状況があったんですね。持たせておいて良かった」
観客に徹していたフィリスは、ばし、とグレアムの腕を叩き、背伸びをして大きめの囁き声で耳打ちをした。
「デルガト侯爵ってば、すごく身に覚えのありそうなことを言っているわね! 呪術部の中では『まとも』で通っているはずなのに、ヘレンにやばい護符を持たせていたって、やばいのではなくて?」
しらっとした態度で視線を流したグレアムは、興味がなさそうに応じた。
「やばいやばいって、やばいが多すぎて何言ってんのかわかんないです。そういう蓮っ葉な言葉遣い、どこで覚えてきているんですか。もともと貴族のお嬢様ですよね。全然使いこなせてないから。おどけて親しみを演出するより、威厳があったほうがいいですよ」
言われたフィリスは、指を組み合わせて目を輝かせ、グレアムを見上げた。
「うんうんそれでそれで? 普段あんなにそっけないのに、私にそれほど興味があっただなんて……! 好意はもっとわかりやすく示してくれた方が嬉しいけど、冷たい感じも悪くないわね! さ、もっと言って。もっと」
「興味でも好意でもない、ただの感想です。喜ぶようなことは何一つありません」
「えー!? 素直じゃないんだから……!」
にじる寄るフィリスを嫌そうに見下ろし、グレアムは身を引いた。引けば引くほど、フィリスは満面の笑みを浮かべて距離を詰める。
グレアムは顔を背け、フィリスを見ないまま大股に横移動をする。フィリスは磁石で張り付いているかのように、ぴたりと横に身を寄せた。
うざ……と陰々滅々とした声で呟くグレアムをよそに、機嫌の良さそうなレジナルドがメルヴィンに向かって言う。
「護符に攻撃的な効果を付与するだなんて、デルガト侯爵は見た目によらず好戦的な方なんですね」
メルヴィンは、瞬きもせずにレジナルドを見つめて、さめきった声で答えた。
「何か誤解しておられるようですが、私が付与したのは攻撃とは真逆の方向性の呪力ですよ。グレアムの話を聞く限り、あなたが依頼したのはかなり『攻め』の呪いのようですが、私は普段そういったものは扱いません。ヘレンに渡した護符も、近づく相手に効力を及ぼすものではありましたが、効果はごく穏やかなものです」
「そうかな? なんだかものすごく英気が失われるような感覚があったんだけど」
異を唱えたカイルに視線を流し、メルヴィンは実になんでもないことのように手の内を明かす。
「呪いの効果としては『去勢』なので、男性は生命力が失われる感覚はあるかもしれませんが、命には影響ありませんのでご心配なく。そういうことだから、ヘレン。つけていても大丈夫だよ、べつにカイル様は死なない」
しん……と辺りが静まり返った。
メルヴィンが何気ない口ぶりながら、実質計算ずくとしか思えない態度で告げた内容に、男性陣は寒気を覚えていた。
当のヘレンは、事態をよくのみこめなかったらしく、首を傾げて聞き返す。
「命に別状はないって、本当に? カイル様、あのとき死にそうになっていたんだけど。部長の護符は強力だから、私はひとつしか持っていなかったんだけど、奴隷紋と喧嘩するものっていえばつまりそれしか考えられなくて。分析しようにも効用がたくさんありすぎて、何がカイル様を苦しめているのか突き止められなかったから、外しちゃったんだ」
ついに、自ら手放したことを白状したヘレンに対し、メルヴィンはほんの少し表情をやわらげて言う。
「ヘレンの不利益になるようなことは、絶対にしないよ」
「部長のことは信じているし、護符が強力だったのはわかっている。でも、せっかく奴隷紋で『何者か』の呪いからカイル様を一時的に隠しているのに、その横で部長の呪いがカイル様を滅ぼすのは見過ごせないというか……! カイル様は、これでもこの国の王族だから!」
ヘレンは精一杯、呪術師部所属の呪術師的観点からの説明を試みていたが、その場に居合わせた者はおっとりと微笑むメルヴィンを、悪魔でも見るような目で見ていた。
「どれだけ世間的にはまともと言われていようとも、呪術部所属の術師である時点でそんなことはない、と。デルガト侯爵も相当な曲者ですね」
感心した様子でレジナルドは頷き、カイルはカイルで「王位は姉上が継いでいるので、僕が子孫を残すかどうかは国家の一大事ではないにしても、去勢はちょっとなぁ……」と呟いている。
フィリスはグレアムに身を寄せながら、可愛らしく首を傾げて「私たちは何を見せられているのかしらね?」と言った。フィリスを撒くのが面倒くさくなった様子のグレアムは、つまらなそうに遠くを見ながら「あの二人は、こんなもんじゃないですよ。ここで終わるはずがないと」と何かを見透かしたように予告する。
「とにかく! 部長の護符の効果の高さはわかるけど、闇雲にあれこれ重ねがけされていると安心して持てないんだってば! 他にも、私が知らない古代文字がアナグラムで刻んであったし! あれは何? 座標っぽい単語になりそうだったんだけど、持ち主の位置を特定するような呪いじゃなくて? こう、私を追跡するような……」
メルヴィンに対するヘレンの切実な訴えに、その場の全員が声に出さぬまま「それ当たってるだろ!!」と頭の中で同意していた。
なぜかヘレンだけ、確信を持てない様子で「私もまだまだだな。もっと勉強しないと……」とひとりで呟いている。
普段の穏やかさを取り戻したメルヴィンは、ヘレンに優しいまなざしを向けて「わからないなら、聞いてくれていいのに」と言ってから、ジャケットの内側に手を入れて小さな光るものを取り出した。
きらりと輝くそれは、銀の台座に煌めく石を嵌めた指輪であった。
「前の護符のことはともかく、まったく何も身に着けていないというのは、命に関わる。取り急ぎこれを渡しておくから」
ごく自然な動作で、メルヴィンはヘレンへと手を差し伸べる。渡される前に、ヘレンはさっと手を引いた。
「指輪は無理! 作業の邪魔になるから、絶対に外してしまう!」
「そう言うと思った。無理に手につける必要はないよ、チェーンも用意しているから首からかけておくだけでいい」
あらかじめ予期していたように、メルヴィンは繊細な鎖を取り出して指輪を通し、ヘレンへと手渡す。
一応受け取ったヘレンは、指輪を光に掲げるようにして観察を始めた。
「なんだろう、この指輪、妙にキラキラしているけど。ダイヤ?」
ぶふ、とフィリスが変な息を吐く。
ヘレン以外の反応にはまったく頓着する様子もないメルヴィンは「そうだよ」と答えた。
「少し、古い。デルガトの女性が先祖代々受け継いで使っているもので、私が妙な効能を足したりはしていない。古代文字を刻むようなスペースもないし、そんなことをしたら意匠を損なうから」
先祖伝来の……? 侯爵家の女性が持つ……? とレジナルドがぶつぶつと言う。
無表情で聞いていたグレアムが「……やばっ」と小さく呟いた。
カイルは「当主のデルガト侯爵が、それを女性に渡す意味、ヘレンはわかってないんじゃないかな?」と笑顔で言った。
ヘレンは「本当に変な呪いがかかってない?」と不審な様子でなおも指輪を見ていた。
メルヴィンは「大丈夫大丈夫。ただ、権利者をヘレンに移して、間違いなく護符として作用するように、いま目の前で力を流すから」と穏やかに言った。
ヘレンは手のひらの上に指輪を置き、メルヴィンが手を重ねてヘレンの手を包み込みながら、低い声で呪文を囁く。
――この指輪は6つの悪意からあなたを守る。7つ目の厄災からは私自身が守り手となって、命ある限りあなたを守り抜く。
ふわりと手のひらから青い光が溢れて、二人の手の合わさった空間へと収束する。
「これで、たいていの呪いは無効化できる。指にはめなくてもいいから、肌身離さず身に着けておいて」
「そうだね。さすがにこれは、迂闊になくしちゃいけない気がする。扱いが難しいなぁ……」
ヘレンは、鎖を通した指輪をもう一度目の前に掲げて、しげしげと見た。
指輪は、きらきらと永遠の輝きを放っている。
あの指輪、つけちゃうんですかね……? かなり強力な宣誓呪文でしたよね……? と息を止めて見守るひとたちの前で、ヘレンは無造作にローブのポケットに突っ込んだ。
そして、聞かれてもいない言い訳をはじめた。
「なくさないし、つけるけど、いまじゃなくてもいいかなって。なんかものすごく純度が高い護符だから。向き合う勇気がいる……」
「うん。持っているだけでいいよ。一応うちの家宝の類なので、分解は避けて欲しい。どうしても呪いの仕組みを知りたくなったら、私にひとこと相談して」
メルヴィンも、ごくごくいつも通りの様子で言う。
二人のやりとりを見ていたフィリスが、全員の気持ちを代弁するかのように呟いた。
「さりげなくとんでもないものを渡していたけど、さすがデルガト侯爵。スマートなだけで、標的を呪う力はしっかり呪術師だわ……」
聞きつけたグレアムが、そっけない口調で「そうだよ、あのひとこそ呪術師の中の呪術師。外部のひとにそうと悟られないよう、ボロを出さずに振る舞っているところが、一番やばい」と言って続けた。
だから今日も、冷や飯ぐらいだ穀潰しだと言われながらも、呪術部はこの王宮で平和に存続できているんですよ、と。
※第四章ここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
あらすじにも記載しました通り、ただいま完結必須コンテスト参加中のため、一度完結表示にします。
※不定期連載の連作短編形式につき、書けそうなときに続きのエピソードを書きます。お見かけの際はお読みいただけますと嬉しいです!