【呪術師は今日も忙しい】5
「誰だ、私を通さずに勝手に仕事を受けているのは。独断専行で思い切りよく呪いを行使したり、金銭の授受をしたりするなと言ったはずだが」
光の中から姿を現し、部屋の壁に貼り付けられた暗幕を引き剥がし始めたのは、呪術部の長メルヴィン・デルガト侯爵。
ただでさえ周囲から胡乱な目で見られている呪術部の中で、ほとんど唯一「どこに出しても恥ずかしくない」レベルの常識人。変人揃いの部下たちを、実にそつなく統率していることで王宮内での信頼を勝ち得ている、稀有な人材であった。
呪術部と聞いて世間がイメージする「穀潰しイモムシローブ」で王宮を徘徊することもないばかりか、ロングジャケットを翻して颯爽と歩く姿は、誰もが思わず目を奪われるような高貴な容貌の美青年でもある。
見た目が呪術師らしからぬというだけではなく、「決して呪力は高くない」と常日頃言い張り、現場でも部下のサポートにあたるばかりで人前で呪術師らしい立ち回りを見せることはない。
もはやなぜ呪術部に籍があるのか、王宮七不思議のひとつとされるくらいに謎の存在である。
「たしかに宰相補佐官が言うように、呪術部も『仕事をしている感』を出す必要はあると、私も思う。だが、王宮内の申請をすり抜ける形で持ち込まれる依頼に関しては、慎重であるべきだ。呪術部は国家機関なのだから、安易に個人の願望による呪いを引き受けるわけにはいかない」
メルヴィンが暗幕をはがしたことで、窓があらわれ室内に光が差し込む。
作業をしながらメルヴィンが目にしたのは、ものものしく水晶の置かれた台の横で、手を合わせる四人の人影だ。
紅一点ヘレン、呪われし奴隷紋つきの王弟カイル、若手呪術師のグレアム、そして得体のしれない笑顔の聖職者レジナルド。顔ぶれだけで何もかもが怪しい。なお、少し距離を置いて、半笑いの聖女フィリスが立っていた。
すうっと目を細めて、メルヴィンは低い声で問いかける。
「……何をしている?」
ぶん、と手を振って三人を振り切り、ヘレンは脱兎のごとく駆け出してメルヴィンの元へと向かった。
「何もしていない!」
「これほど信憑性のない回答もないな、ヘレン。質問を変えよう。『何を隠している?』私に対して、嘘はだめだ。わかるな?」
素顔をさらしたヘレンを見下ろし、メルヴィンは再度問いかけた。澄んだ水色の瞳は、ヘレンだけを見つめている。
(部長の目は、邪視よりよほど痛い)
ヘレンは顔を上げると、メルヴィンに対して求められた説明を口にした。
「グレアムは別に悪気があったわけじゃなくて、純粋にひとを呪いたかっただけだと思うんです。自分の力を試してみたいって、若者なら誰しも思うもので。そう……隙あらば呪いたいというのは、自然の摂理!」
わかるんですよ! と力を込めて語る。
一切表情を動かさぬまま、メルヴィンは冷静そのものの声で応じた。
「いま、君は呪術師としてもっともまずい言い訳をした。才のある者は、己を厳しく律しなければいけない。特に、王宮所属の呪術師であれば、その呪いの力は『正しい呪い』にしか使ってはいけないんだ」
実は「呪術師のお仕事が見たいです!」の一言でこの事態を招いた重要人物であるフィリスは、二人のやりとりをぼーっと見ながら「『正しい呪い』ってなに? 『優しい嘘』みたいな都合の良い方便?」と呟く。
聞きつけたカイルは、自分の手首にはまった鎖を掲げてみせて「こういうの、かな?」と大変良い笑顔で言った。「あ~」とフィリスが気のない返事をする。
カイルがヘレンの奴隷になっている事情に関しては、当事者含めほんの少数の人間しか知らない。フィリスはその中に含まれず経緯を把握してはいないものの、勘の良さで事情はうっすら察している。何かまずい呪いに巻き込まれたカイルを、ヘレンの呪いが守っているらしい、と。
王弟の命を守るのであれば、それは国家機関として見たときに「正しい呪い」を行使したと言えそうなものだ。
「この場でいま呪いを行使したのはグレアムか。いったいどういう呪いを……」
あっ、とヘレンが声を上げて遮ろうとしたものの、グレアムはしれっとした態度であっさりと答えた。
「恋愛相談ですね。こちらの生ぐさ聖職者様より『相手を虜にしたい』っていう欲望まみれのご相談がありまして。なんと、金に糸目はつけないという大変太っ腹な申し出まで。受けない理由がない」
「受けるな」
「部長、残念ながら少し遅かったです。もう呪った後」
「誰を」
そう尋ねたときのメルヴィンは、明らかに「今から解呪なり、必要な手続きを」と言おうとしている表情であった。だが、自分自身の言葉にひらめきを得たように、身動きを止めていた。「まさか」と呟く。
「そのまさかなんですけど、聞いてくださいよ。なんとヘレンは護符を持っていないって言うんですよ! それで、呪いが効きまくりだったようで。いやあ、脇が甘いってこのことですよね。邪視耐性があるからって、呪いをなめすぎです」
グレアムが、饒舌に解説をする。ヘレンが「だから!」と補足説明をした。
「正直、野良の呪術師風情の呪いであれば、私には何も効かないんだよ! グレアムの呪いが私に効いたのは、曲りなりにもグレアムはこの国の呪術師の中ではトップクラスのエリートだから、滅茶苦茶呪いが強いわけで……!」
メルヴィンが二人の説明に反応するより先に、聞き役に徹していたレジナルドが口を挟んだ。
「ヘレンが護符を身に着けていないという、大変有益な情報を得られただけで、私は満足です。そういうことでしたら、遠慮はしません」
不穏なことを言い出したレジナルドに、メルヴィンが視線を流す。
極寒の風が吹いた。