【呪術師は今日も忙しい】4
「アミュレットは苦手なんだ……。体にあれこれつけるのが鬱陶しくて。外すと、どこに置いたかわからなくなるから、もういいかなって」
ヘレンは、ぼそぼそと言い訳をする。グレアムはその様子をじっと見下ろし、真顔で聞き返した。
「『もういいかな』ってことは、ひとつも身に着けていないということですか? 呪術を含め厄災から身を守るための『悪意の眼差しを防ぐ護符』も、呪いの権限が神々の領域を侵食したときの『神の雷槌回避の銀板』も?」
グレアムが挙げたのは、術師に限らず「可能であれば誰でも最低限肌身離さず持っているべき」とされる基本のアミュレットである。
この世界の人間は、修行して術を究めていなくても、本来的に魔力や呪力を持っている。
もっとも、術師の素質たる「才能」と呼ばれるほど保持する者は稀であり、多くの一般人にとってそれは、日常的に意識されることもないほど微量だ。
とはいえ、まなざしに嫉妬や嫌悪の感情を込めて対象者を見つめれば、力に方向性が生まれて相手になんらかの厄災を引き起こす「邪視」になることはある。
これは修行を積んだ術師でさえコントロールしにくい力であり、本気で憎んでいる相手だけでなく、親密な間柄であっても、言葉の行き違いなど瞬間的な怒りの感情によっても発動し相手を傷つける危険性がある、厄介な力だ。
そのため、誰でも体のどこかに邪視封じの護符を身につけ、周到な悪意や突発的な事故から身を守る対策をとるのが一般的だ。
神の怒りを回避するための銀板も、対象がひとではなく神である点が違うだけで経緯はほぼ同じものである。
悲惨な運命や境遇に翻弄されたとき、ひとは「神を呪う」ことがある。その嘆きや怒りが神に届いてしまった場合は、容赦なく滅ぼされると信じられている。
神の一撃から身を守るためには、祈りの語句を刻んだ銀板が役に立つとされているのだ。
以上の理由で、アミュレットは広く必要とされており、その作成や販売は魔術・呪術・聖魔法と呼び名は変われど「力」を持つ者にとって貴重な収入源にもなっている。
なお、一般人ですら特別忌避すべき理由がない場合は持つべきとされているそれらの重要性は、「力」が桁違いに大きい術師にとっては、言うまでもない。持っていないということはおよそ考えられない、非常識極まりない行動なのだった。
理屈としてその常識を知っているヘレンは、グレアムの追求にたじたじになっているのである。
一方、ヘレンの言動や態度から本当に何も持っていないことを察したグレアムは、整ったすまし顔に喜色を浮かべた。
「すごいアウトローですね……! それでこそ呪術部きっての問題児ヘレンですよ! いやあ、見直しました。かっこいいです。握手」
ぽい、と呪術の道具である呪いの人形や金槌を投げ捨てて、ヘレンの手を握る。されるがままになりながら、ヘレンはげんなりとした表情で「褒められたことじゃないからね!」と先輩らしい言葉を発した。
「私の場合は、邪視耐性が高いらしいんだ。鈍感過ぎて他人からどう思われようが全然ノーダメージっていう。自分から他人をじっと見ることもあまりないから、邪視も発動しないみたいで」
「そうなんですか? ちょっと俺のこと見てください。絶対に邪視が発動しない目に、興味があります」
ヘレンの手を握りしめたまま、グレアムはその瞳をのぞきこむ。
見つめ合う形になったヘレンは「そんな、特別なものじゃなくて……。私は他人に関心がないだけ」と呟き、目を逸らそうとした。途端、グレアムは手に力を込めた。
「目を逸らさないでください。俺だけを見て。そのくらい簡単ですよね? できないって言うなら、顎掴んでこっち向かせますよ」
「やだってば。いい加減にしろ!」
ヘレンは逃げようとするものの、グレアムの手を振りほどけない。ヘレンの訴えを無視して、グレアムは続けて問い質す。
「しかも、銀板も持っていないんですか? あれだけ強い力を持ちながら、神の怒りに触れることは絶対ないと? その自信はどこからくるんですか」
「自信というか、私は神に喧嘩を売ろうと思ったこともないから。自分が人間だっていうことはよくわかっている。あとは『いまの境遇は神のせいだ!』なんて怒ったこともないし」
あはは、と笑ったヘレンに対して、グレアムは冷たいため息をついた。
「そういう謙虚さはいりません、つまらないので。どうせなら『神を凌駕しているから怖いものはありません』くらいのこと言ってください。言えるでしょう?」
「言わないから。グレアムは私をなんだと思っているんだろう。わからない」
ぶつぶつと言いながら、ヘレンは手を引こうとした。その二人の手が組み合わさったところに、手首から鎖をぶらさげた手がもう一人分、絡んできた。
「カイル様、何をしているんですか」
「いや、仲間に入りたいな、と」
冷ややかに尋ねたヘレンに、カイルは愛想の良い笑顔で答える。
しん、と辺りが静まり返ったところで、もう一人分の手が加わった。
「私も仲間に入れてください!」
蝋燭一本の光の中で、四人でしっかりと手を重ね合う形になった。
ぼんやりと見ていたフィリスが「何これ」と呆れたように呟く。
ヘレンは、乗り気のレジナルドに距離を詰められたことに気づいて「わああ!」と叫んで暴れ出した。
レジナルドは余裕綽々の態度で、にこにことしながら邪悪な考えを口にした。
「良いことを聞いてしまいました。ヘレンはアミュレットをまったく携帯していなくて、ガードが甘いと。それならそれで、呪いに頼らずとも私にも打てる手はいくつかあります」
「聖魔法ってそういう、悪い使い途あるんだ……?」
ドン引きした様子でヘレンが言ったとき、誰かがドアが開き、さっと光が差し込んだ。