【灰色の砂時計】3
優美な彫刻の施された石造りの砂時計。
はめ込まれた二つの涙型のクリスタルの間で、灰色の砂が落ち続けている。
礼拝堂に詰めていた聖騎士や、何事かと呼び出された王宮の護衛騎士たち、さらには野次馬で駆けつけたらしい女王など、大入りで賑わっている礼拝堂にヘレンは飛び込んだ。
タイル張りの床を踏みしめた瞬間、ぐらりとめまいがする。
しかし、意を決して祭壇に置かれた砂時計へと一歩一歩近づいた。
「顔色が悪いです。やはり、あなたのように強い術者には影響が大きく出ますか?」
レジナルドがヘレンを支えるかのように腕を差し出してきたが、ヘレンはその手につかまることはなかった。
衆目が自分に集まっていることにも注意を払うことなく、進み続ける。
「……ものすごく強い呪いだ。出処はどこ? 誰が持ち込んだものなんだ」
「それが、台帳を確認しても見つからなかったんです。ただ『砂が落ち切ったとき、災いが起こるだろう。決して砂が落ちきることがあってはらない。ナイゼル』と、箱に但し書きがついていました」
「呪いの主はナイゼル……じゃない。彼の魔術は見たことがある。違う。私なら、たぶんあれに触れることはできる。ただ、砂の残りが少ない。一度ひっくり返して砂の量をならしてから、元の箱に戻そう。そして永久に封印だ。本当は始末できればいいけど、すぐには……」
呪いの影響をまともに食らっているヘレンは、息を切らしつつも説明をする。祭壇までたどりつくと、砂時計に手を伸ばした。
溢れ出す呪いに立ち向かいながら、砂時計をひっくり返す。
その体勢のまま、固まってしまった。
「手を離しては? 消耗しているように見えます」
真横に立ったレジナルドが、控えめに声をかける。ヘレンはゆるく首を振った。
「離せない。いま離すと二度と掴めなくなる。このまま砂をならすまで捕まえているから、箱を持ってきて」
わかりましたと答えたレジナルドは、近くに控えていた聖騎士に目配せをした。それを受け、聖騎士は宝石のはめ込まれた箱を持ってきて、レジナルドに差し出す。
ちらっと視線を向けたヘレンは、力なく笑った。
「すごく豪華な装飾だ。こんな箱に入っていたら、貴重で大切なものに見えるね」
「……大切なものではない?」
花のような顔に脂汗を流しながら、ヘレンは薄笑いを浮かべてレジナルドを見た。
「大切だったのかもしれない。同じくらいすごく強い憎しみが込められている。この灰は……」
灰? とレジナルドは聞き返した。
苦しげな呼吸をしていたヘレンは、そこで絶句してしまう。
「大丈夫ですか? しっかりしてくださいっ」
意識を失ったと気づいて、レジナルドはヘレンへと手を伸ばした。
しかし、指先が触れるより先に「私が」と低い声響き、レジナルドの前をふさぐ男の影があった。
絹糸のような金髪に、水色の瞳をした長身の青年で、視線の威圧だけでレジナルドの動きを止めた。
「デルガト侯爵……」
名を呼ばれて、呪術部部長のメルヴィン・デルガトは頷いてみせる。
そして、砂時計を手にした体勢のまま固まり、意識を失ったヘレンを抱き上げた。手に手を添えて、砂時計の砂の流れを確認する。
「私はヘレンと違い、呪力のようなものがほとんど無いので、強い呪力の影響を受けない。このままヘレンを支えています。おそらく当面の危機は去っていると考えられますが、関係ない方は礼拝堂から出て行ってください。特に陛下、野次馬している場合ではありませんよ」
信徒席の方から身を乗り出していた女王にきついひとことを告げると、メルヴィンはレジナルドに視線を戻した。
「箱をそこに置いてください。状態を見て、私が砂時計を戻します」
「いえ。私は関係者ですし、見届ける義務があります。箱はこのまま私が持っています」
譲らぬ態度できっぱりと言い、メルヴィンと視線を絡める。
三々五々、礼拝堂からひとが立ち去り、時間が経過した頃、メルヴィンが「戻します」と告げた。
ヘレンの手から、砂時計をそっと取る。
その瞬間、ヘレンがうっすらと目を見開いた。
虚空を見つめ、やわらかく微笑む。その唇から言葉が漏れた。
《生きている間は裏切るばかりで一度も私を顧みることなく家庭の役に立つことがなかった夫も、死んで灰になって初めて家族のために働いてくれているのよ》
誰の思いとも知れぬ言葉。
ヘレンは目を閉ざして、メルヴィンの胸に額をぶつける。
その様子を見下ろして、メルヴィンは小さく呟いた。
なるほど、砂ではなく灰なのかと。
* * *